#4 始令 序「抜錨」
序 ~抜錨~
─2031年3月3日─
〔甲府城下 丸の内二丁目〕
僕は硯桜華。
お使いに行った先の城下町で妖魔・山蛞蝓と戦い、肋骨複雑骨折の重症を負っている。
そして、そんな僕の顔のすぐ横に突き刺さった、聖剣を名乗る刀剣に「自分を持て」と語り掛けられている。
刀剣が喋るということはよく考えればおかしいことだけれど、今この状況でそんなことに驚いている暇はない。
「持てと…僕に自分を持てと…力を貸してくれるのは嬉しいのですが、僕にはもう…あなたを手に取る力もありません…」
血が喉に引っかかって、声もガサガサと掠れている。
〈よかろう…では…〉
刀剣はそう呟くと、一瞬だけ青く眩しい光を放ち…そのまま押し黙った。
何をしたの…?
すると、黒地に赤の紋様の、胸や背中に花菱紋が刻まれた陣羽織と袴を身に付けた武士たちが、見えない壁の向こうから次々に入ってきた。
甲府藩の討伐隊だ。
「結界の展開を確認!各員、結界の基となる妖魔を探査せよ!負傷した市民は見つけ次第救助し、結界の外へ!」
山蛞蝓はいつの間に姿を消しており、隊長らしき武士が各員に指示を送っている。
指示を受けた隊員たちは町屋を飛び越えあちこちへ散り、近くにいた隊員は紙芝居屋やその観衆、そしてお婆さんの救助にあたり出した。
そして僕の前にも、隊員の人が来て、前に屈んで僕の顔を覗き込んできた…と思ったら、何か違う。
討伐隊の隊員の隊服とは黒と赤の色が反転した、花菱紋が金色になった隊服を着ていて、頭に割れた赤珊瑚の簪を差した、僕より少し背が低くて、僕と同い年くらいに見える女の子。
サイドテールにまとめた赤茶色の髪は内側が薄橙色になっていて、眼は赤橙色でビー玉のように真ん丸。
この人は…もしかして…
「あぁっ…!ひどい出血…!私がわかりますか?」
「あなたは…姫様…?」
この人は甲府藩の姫君・飯石蜜柑様だ。
「わかるみたいですね!よかった…あっ!無理して動いたりしないでくださいね!ひとまず応急処置を…」
姫様がそう言って、両手を僕の胸の前で三角に構えると、僕の胸の傷は淡い緑色の光に包まれていった。
「『鬼術・四十番』」
「『父の血筋が千八筋 母の血筋が千八筋 両方合はせて二千十六筋 阿毘羅吽欠蘇婆訶』…」
「『止朱』」
姫様が呪文を唱えて手を離すと、山蛞蝓に殴られた胸の傷口からの出血が止まっていた。
それだけでなく、「げほっ」と咳き込むと一度は血がべちゃりと出てきたけれど、そこから咳き込んでも血が出てこない。
姫様はにこりと笑い、早口で説明を始めた。
「少し楽になりましたか?これは『鬼術』…属性や種族の適性に関わらず、唱文を詠み上げれば誰もが使用できる一般魔法の一つです。」
「今回私が使用した『止朱』は鬼術の中でも回復魔法系の『癒術』というものの一つで…強い止血作用があります。あっでも傷が治ったわけではないので、あくまで応急処置です!その点ご注意ください!」
「…その他、何か問題はございますか?」
一通り説明を終えた姫様は口を少し開いて、首を傾げて尋ねてきた。
「大丈夫です…ありがとうございます。でもちょっと…情報が多いかも…」
丁寧に説明していただけるのは助かるのだけれど、今この状況で術式を早口で説明されても頭に入りづらい…僕は少し眼を泳がせながら答えた。
姫様はまだ僕に訊きたいことがあるようで、続けて尋ねてきた。
「横に刺さっているのは…?剣、ですよね?ただならぬ魔力を感じるのですが…?」
姫様は不思議そうにひょこひょこと体を左右に揺らしながら、僕の顔の真横に突き刺さっていた刀剣を眺めている。
「それが…僕もよくわかりません。」
「ただ…この剣?人?は、自分を“水の聖剣”だと言っていました。」
剣が喋ったなどと言って信じてもらえるかわからないけれど、今はわかっていることをなるべく話すべきだ。
「み…水の聖剣っ!?」
姫様はまん丸な目を大きく見開き、わずかにぴょこっと跳ねて驚きを示す。
「そ、それは…それは大変ですっ!」
隊員の皆さんに連絡して回収しなければ、そしてこの方から事情聴取をしないと、いやその前にこの方は怪我人なのだから結界から連れ出す方が先だ…と姫様があたふたしているのを見ていると、刀剣から再び声が聴こえてきた。
〈何をしている…動けるようになったのならば、早く妾を手に取らぬか。〉
〈戦いはまだ終わっておらぬ…其方にとってもそうであろう?〉
そうだ。
まだ僕にはやり残していることがある。
血は止まったものの、まだ傷も痛みも残る体を引きずって、刀剣の柄を握る。
すると、刀剣の刺さった壁の亀裂から、水が勢いよく噴き出してきた。
「わぶっ…こ、これは…!?」
僕は思わず水を飲んだ上、水圧で足を引っ張られ、柄を掴んで水流に耐える形となる。
噴き出してきた水はかなりの量で、地面は爪先の上あたりまで冠水している。
〈どうした…何をしている…?〉
〈しっかりと持て、離すな、妾を抜け。〉
髪も、マフラーも、服も、靴も、ぐっしょり濡れて、水流は僕を突き飛ばそうとぐいぐいと足を引っ張ってくる。
それでも僕は、まっすぐ前だけを見つめて、柄から手を離さない。
「うぅ…ううぅ…っ!」
「だ、ダメです!危険です!その剣から離れてください!」
「その剣は…一般的なヒト科霊長類には抜けません!」
後ろでびしょびしょになった姫様が、僕に引き返すよう強く呼び掛けてくる。
それでも僕は柄から手を離さない。
「ひ、姫様…!僕は…僕には、まだやり残したことがあります…!」
「あの怪物は…山蛞蝓は!おばあさんの…おばあさんのミサンガを飲み込んだ!」
「僕はあのミサンガを取り戻さなきゃいけないっ…!」
僕が必死に発する言葉に、姫様は首を左右に振って答える。
「そんなもの…と、人の大事なものを言い捨てるのは良くありませんが…でも、今はそんなことを気にしている場合ではありません!あなたの仰るお婆様なら既にあちらで保護しています!もう大丈夫です!君がこれ以上命を懸ける必要はありません!」
僕はさらに姫様に言い放つ。
「それじゃ…それじゃダメなんです!」
さっき頭を過った「生きて」という、ひどく懐かしい声。
最初は誰かわからなかったけど…少しずつ思い出してきた…あの声は…
あの声は、僕のお母様の声だ。
あの声は、僕の思い出の声だ。
まだほとんど思い出せない。
でもはっきりとわかることがある。
僕は大事な思い出を奪われた。
生きていた思い出、祝われた思い出、愛された思い出…過ごしてきた掛け替えのない時間の思い出を、奪われた。
「姫様…僕は、僕はさっき、怪物に耳飾りを壊されました…!あれは大事な僕の“思い出”だった…幼い頃、両親を亡くした僕を拾い育ててくれた人との大事な“思い出”だったんです…!」
「あのおばあさんのミサンガも同じです…!おばあさんは渡す相手が生きていると信じて…十年間ずっと信じて待っていた…!あれはおばあさんの“思い出”…その10年を生きてきた証…即ち魂の欠片なんです…!」
水の勢いはますます強くなって滝のようになり、いよいよ目を開けることすらできなくなる。
姫様に止血してもらった傷が激しく痛み、また血が吹き出そうになる。
それでも…この手は…離さない!
「大切な思い出を奪う権利なんて誰にもない…!誰にも奪わせない!」
「僕が取り戻す!おばあさんの“思い出”を!」
柄から片手が離れかけるも再び両手で強く握りしめ、足をさらに大きく広げて目一杯踏ん張る。
肋に走る激痛に歯を食いしばって堪えながら、全身の筋肉を振り絞って刀剣を引っ張る。
「う゛うぅ…!ぐうぅ〜…ッッッ!」
〈フン…たいした男の子だ。〉
〈赦そう、妾を手に取ることを。〉
優しい声色が頭の中に響いた次の瞬間。
柄を引っ張る手が突然軽くなり、僕は柄を掴んだ両手を上に掲げた状態で、後ろへ尻餅をついた。
水が壁から斜め上に向かって噴き出し、雨のように降り注いできた。
頭をぶるぶると振って、浴びた水を払い、両手で掲げたものを見上げると…
そこには、水をアクリルのように纏った、蒼白い刃の打刀があった。
刃には流水と桜の紋様が描かれていて、快晴の陽光を浴び、揺らめく水面のように光を反射してキラキラと輝いている。
あまりの美しさに、僕は息を呑んだ。
~水龍剣~
【水桜】
〈我が名は水龍剣・“水桜”…希望と吉兆の聖剣。〉
〈主よ、契にあたり、汝に問う。〉
〈“我を手にして何を斬る”?〉
〔つづく〕
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〈tips:鬼術〉
【鬼術】
属性・種族の特性や適性を問わず、唱文を詠み上げることで発動できる一般魔法。
基礎から応用まで、零番~九十九番の100種類の魔術が「鬼術教本」に収録されている。
用途によって十番ごとに分類され、番号が大きくなる程難易度が高い傾向にある。
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