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甲州御庭番劇帖  作者: 蕃石榴
壱ノ巻-第一章『竜驤戴天』
39/57

#39 玉響 急「音の聖剣と新藤後国音」

時は2031年。

第22代江戸幕府将軍の治める太陽の国、日本。

此処はその天領、甲斐国・甲府藩。


豊かな水と緑を湛えるこの地は今…


その一割を「彼岸」に蝕まれている。

 急 ~音の聖剣と新藤後国音~


 ─2031年3月28日 13:00頃─


 〔甲府城 本丸地下 管制室〕


「いや〜ん目白〜♡久しぶりじゃないの〜♡ちゃんとごはん食べてる?ちゃんと早寝早起きしてる?」

 そう言いながら狐耳をパタパタさせ、俺に抱きついて頬ずりしてくる御袋。

「あぁ…うん…やってるよ…」


 落ち着いた明るさの証明に、浅黒い木張りの床・壁・天井。

 部屋の前面に取り付けられた巨大なモニターの数々、そして夥しい数の中くらいから小さなモニターが周囲に取り付けられ、複数のモニターを載せた長机が何列も横に並ぶ。


 ここは甲府城本丸の管制室。

 御袋が室長を務め、主に御庭番衆の作戦において情報分析・作戦指示等を行う場所だ。

 藩の機密情報の管理も行っており、ここに自由に出入りできるのは、管制官以外だと藩主や御庭番だけ。


 俺はあることが気になって、御袋に調べてもらおうと思ったのだが…

「目〜白〜♡たまにはここまで顔見せに来てもいいのよ〜ん?ママはいつでも歓迎するわ〜ん♡」

「いや迷惑だろ。」

「いいじゃないの〜♡減るもんじゃないわよ〜ん♡」

 ひたすらベタベタしてくる御袋が鬱陶しい。

 理由は言うまでもないだろう…ここ数週間、市街地での怪魔発生が相次いだせいで、激務が続いて碌に家に帰れていないのだ。


 事件の事後処理だけじゃなく、実はここ最近、新しい術巻も相次いで回収されている。

 特に、虹牙が桃山組本社殿に残していった術巻、石見墺而から押収した術巻…合わせれば十数本にも及ぶ。

 それらの術巻の調査にも時間がかかっていて、余計に手を離せないのだろう。


 結果、御袋は本丸に半ば缶詰状態…顔を合わせるのは3日ぶりだ。

 だからまあ、なんというか…居た堪れなさはあるのだが…

 とりあえず御袋を引き剥がす。


「いや〜ん…冷たいわ〜ん…しくしく…」

「御袋、調べてほしいことがある。」

「ほへ?調べてほしいこと?なぁになぁに〜?」

「さっきの騒動で保護された箏の奏者、京楽天音について…身元を調べたい。」


 ──────


 ─2031年3月28日 13:20頃─


 〔甲府城 鍛冶曲輪 音響室〕


 天音さんの様子はだいぶ落ち着いてきた。

 ひとまずよかったけど…やっぱり、さっき感じた“嘘のにおい”がどうも気がかりで仕方ない。

 だけど、安易に嘘をついていると指摘するのも嫌だ…“嘘のにおい”は直感的に覚えたものに過ぎず、天音さんが嘘をついているという証拠自体はどこにも無いからだ。


 すぐに嘘を指摘はせず、とりあえず情報を集めてみよう。

「天音さん、答えられる範囲で構わないのですが…気になることがあるので、教えていただけませんか?」

「気になること…ですか?」

「はい、もし途中で辛くなったりしたら、答えなくても大丈夫です。」

 天音さんは何か嘘をついている可能性がある…その一方で、自ら悪意を持って嘘をついているようには感じられない。

 追い詰める必要はない。


「あの怪物に遭遇したのは、今日が初めてでしたか?」

「えっ…あっ、そっ、それは…そうです、これまで箏を弾いていて、あんなことが起きたのは、一度も…」

「そうですか…お箏に何かおかしなことをされたことも?」

「身に覚えは…ありません…」

 天音さんは手に持った柱を胸に当て、痩せ細った身をきゅっと屈める。


 “嘘のにおい”は消えない。

 もしかして天音さん、本当はあの怪魔のことを何か知っているんじゃ…


 あと一つ、気になることがある。

「あの…天音さん…」

「はい…なんでしょうか?」

「天音さんは…なぜ僕の顔を見て、あんな反応をされたのですか?」

 僕が天音さんを助けた時に見えた、天音さんの怯えの表情。

 単に怪魔に襲われ何もかもに怖がる状態だったのか、それとも別の理由があったのか…


「そ、それは…」

 明らかに動揺した様子を見せる天音さん。

「あの時は…ただ、ただ怖かっただけで…」

 明らかに顔が青ざめていき、瞳も肩も震えている。


 “嘘のにおい”は、とても濃く強く漂ってくる。


 やっぱり天音さんは、何か本当じゃないことを言っている。

「天音さん…本当は、僕の姿に見覚えがあるんじゃないですか?」

「っ…!それは…」

 するとガラッと戸が開き、目白が工房に入ってきた。


「桜華の顔に見覚えが…あるに決まってるよな?京楽天音さん。」

 目白はギロッと天音さんを睨み付ける。

 天音さんは蛇に睨まれた蛙のようにその場を動かず、口を横一文字にぐっと結んで、滝のように冷や汗を流し始めた。


「あ…あ…あの…わ、わたし…」


「目白くん、どういうことですか?」

 蜜柑が尋ねると、目白は天音さんの方をまっすぐ見つめたまま、クリップで留めた書類を持ち出した。

「天音さんにはここに来てもらう前、念のため身分証明書の提示を要求したんだ…保険証とか色々出てきたが、電子認証できる類の証明書類は全く無かった。」

「で、気になって、既存の戸籍情報と照合できるか調べてもらったんだが、そもそも京楽天音という人物の戸籍自体が存在しなかった。」

「提出された身分証明書は悉く偽物だったわけだ…天音さん、あんたは何者だ?」


 国音さんの作業の音がピタリと止む。

 目白は声を低くし、天音さんに歩み寄る。

「素性がバレると…マズいことでもあるのか?」

 肩で息をする天音さんは、大きく一息吸って吐くと、口を開いて…震える声で言葉を紡ぎ始めた。


「はぁ…か、隠し通せる…ものでは…ないです…よね…っ…」

「わ、わたし…っ、実は…っ…──


 ───私は五つになるまで、狭い狭い四畳一間の部屋だけで育ってきました。


 入浴する時は目隠しをされて別室へ連れて行かれたので、その部屋から外の世界を知りませんでした。


 適当に与えられたおもちゃで遊ぶのは嫌いで、部屋の中をぐるぐる駆け回るのが一番楽しかったけど…六つになった時、もっと楽しいものを母から教えてもらいました。


 箏です。


 私の父はどこに居るのかわかりません。

 私の肉親は母しか居ませんでした。

 母は普段とても優しく私を可愛がってくれる人でしたが、怒った時はとても怖くて、よくはたきでお尻を叩いてきました。

 はたきが折れるまで叩いて、はたきが折れたら足で蹴ってきました。

 服を脱ぐとお尻は紫色にぱんぱんに腫れていて、座るだけで泣き叫びたくなるくらい痛みました。

 私が粗相をして怒った時の母の様子は、まさに鬼のようでした。


 上等な着物を着た、怖い顔の人たちの前で、母が箏を一人で弾き続ける…その光景が幼い私の記憶にずっと残っています。

 私の家系は代々、ある家御付きの箏弾きを務めてきました…母は、幼い私にその仕事を継がせようと、箏を教え始めたのです。


 箏の練習はとても楽しいものでした。

 私は感覚だけで箏を上手く弾けたからか、箏のお稽古の間は母がとても優しく接してくれたのです。

 私は箏を、優しい母と自分を繋げてくれる、魔法の楽器と信じ始めました。


 ある時、母が、稽古の後、私の部屋に楽譜を置き忘れて行きました。

 譜面に沿って箏を弾くと、とても不思議で綺麗な音色が流れて、まるで天国に居るような心地になりました。


 私はその音色を独り占めしたくなりました。

 母は血眼で楽譜を探していましたが、私は楽譜を隠して「知らない」と嘘をつき続けました。


 十二になった頃のある日のことです。

 私は不思議な夢を見ました。

 行方知れずの父を名乗る人物が現れたのです。

 父の姿など見たことがない筈なのに、私はその人をだんだんと父であると確信しました。

 父は私に母の箏を持ち、自分について来るよう告げました。

 私は言う通りに箏を持ち、父について行き…そして父に言われるがままに、あの楽譜を開いて箏を弾き始めました。

 父は私に、自由になってほしいと伝えてくれました。


 そして箏を弾き終えた時、目を覚ますと私は彼岸花の畑の中に居ました。

 彼岸花はどこまでも続いていて、でも私の目の前には花が倒れて道ができていました。

 私が箏を持ってその道を進もうとすると、後ろから母の声が聴こえてきました。


 いつもの優しい声ではありません。

 低く唸る獣のような、おどろおどろしい呪いの声です。

「何をしているんだ。」

「早くこっちへ戻って来い。」

「お前だけ幸せになるなんて許さない。」

 花畑の中を駆ける音が迫ってきて、私は…


 私は、箏を抱え、駆け出しました。

 怖くて、悲しくて、心も顔もぐしゃぐしゃにしながら逃げました。

 久しぶりの駆けっこは、母という鬼から逃げるためのかけっこでした。

 私は気付くと見知らぬ街の中に居て、行き倒れたところを、通りがかった人に拾われました。


 私を拾ってくれたのは甲斐三曲団の人でした。

 楽団の人たちはとても優しくて親切で、私の箏を聴いたらとても上手だと喜んでくれて、そして私が失敗しても殴ったり蹴ったりしてきませんでした。


 母のことはもう思い出したくありませんでした。

 私の演奏を聴いて喜んでくれる優しい人たちがいっぱい居る、そんな温かい日常がとても幸せでした。


 でも…ある時、私が風邪をひいて、演奏をやめた時、部屋に置いてある箏から怪物が飛び出してきました。

 怪物は私に絡み付くと、母の声で私を脅してきたのです。


「お前の素性を世に知られるな。」

「あの楽譜を二度と演奏するな。」

「絶対に琴の演奏を止めるな。」


 私は直感しました。

 これは報いなのだ…母を置いて自分だけ逃げ出した、その罰が当たったのだと。

 脅しを受け、甲斐三曲団の皆さんは私の戸籍を公に登録することもできず、私は「京楽天音」という偽名を名乗ることになりました。


 以来私は、どんなに体が悲鳴を上げても、絶対に演奏会を休むことなく、箏を弾き続けました。

 大切な楽団の皆さんを守るために、二度と母の声を聴きたくないがために…──


 ──でも、桜華さん、私…あなたの髪と目の色を見て、思ったんです。」


「あの家に居た人たちと、同じ色だ…私はやっぱり逃げられないんだ…って。」


 僕と同じ色の髪と目…それって、もしかして…


 石見家…?


 すると突然、天音さんの持っていた柱が飛び跳ね、表面に赤い「琴声蟲」という文字を浮かべながら、天音さんの口に飛び込んだ。


「うぐっ…!?あ…うぐ…!」

 胸を押さえて呻き出す天音さん。


「天音さん!」

 僕がすぐ天音さんに近付こうとすると、国音さんの手が襟首に伸びてきて、後ろへ勢いよく引っ張ってきた。

 次の瞬間、天音さんの周囲半径1m程に斬撃が走り、ベンチがズタズタになった。

 国音さんは、蜜柑や目白もいっぺんに引っ張っていたらしい…助かった…


 目を見開いて涙を浮かべながら、ビクビクと痙攣する天音さん。

 その口からは白い触手が何本もヌルヌルと伸びてきて、やがて天音さんの全身を覆っていき、手足の尖った歪な人型へと姿を変えた。


 顔の右側には大きな目玉が一つあり、顔の左上から右下にかけて斜めに裂けたように歯の生え揃った口が開いている。

 姿は大きく変わったけど、この匂い、間違いない…箏に潜んでいた怪魔だ!


「ウアァ…お前が、悪いんだぞ天音ェ…」

「お前が箏を弾くのをやめて、しかも禁忌を口にしたからァ…」

「とうとうワタシを封じる術が解けてしまったんだァ〜!」

 甲高い奇声で喚き散らす怪魔。


 目白は怪魔の方を向きつつ、僕らに伝える。

「おそらく京楽天音の居た“家”ってのは石見家のこと…この怪魔は何らかの機密情報を外部に持ち出してしまった彼女を縛り、それを破った暁には彼女を乗っ取り抹殺するという活動条件を設定されている…それが今んところの俺の考察だ!」

 すぐに蜜樹さんの通信も繋がる。

〈うおおおなんじゃこりゃー!?こんなタイプの怪魔は初めて見たわ〜ん!?〉

「琴声蟲っていうのか…こいつに核となる術巻なんてもんは最初から無かったんだ。理屈は話からねぇが…こいつの核は箏そのもの、本体は破壊される直前で柱に移動していた!」

 目白の推測が正しければ、異例ずくめの怪魔だけど…今は驚いてる場合じゃない、琴声蟲をなんとかして天音さんを助けないと!


 ~甲種怪魔~

琴声蟲(きんせいちゅう)


 琴声蟲は垂直に跳んで、工房の屋根を突き破る。

 目白が急いで琴声蟲の脚を掴み、僕と蜜柑も目白にしがみつく。


 琴声蟲は僕らを振り解こうとじたばた暴れながら、内堀の外の城下町へと落下していく。


 ──────


 ─2031年3月28日 14:00頃─


 〔甲府藩 甲府市 中央二丁目 桜通り中交差点付近〕


 ドスンッ!


 鈍い音を立てて道路に墜落する琴声蟲。


 僕らは墜落寸前で琴声蟲から飛び降りると、すぐさま聖鎧に武装し、三方向から琴声蟲に斬り掛かる。


 ザンッ!


 三人同時に剣を振り下ろした…けど、その場には既に琴声蟲は居ない。


 上に逃げた…!?


 直後、真上から、先端に刃の付いた触手が雨あられのように降ってくる。


 ズドドドドドドッ!


 攻撃が速い!

 虹牙を除けば、これまで戦ってきた怪魔の中で一番速いかもしれない。

 それでいて、地面に穴を開け亀裂を入れるパワーもある…

《簡易魔力測定終わったよ〜ん!推定等級は甲種!晶印ちゃんを呼ぶからみんなそれまで無理せず時間を稼いで!》


 火麟に炎を滾らせ、怒鳴る蜜柑。

「悪しき怪魔め!天音さんを離しなさい!」

 琴声蟲はそれを一笑する。

「クキョキョキョッ!離すかバカ者!この女は自ら受け入れた禁を破り、その報いを受けたに過ぎぬのだぞ!」

 蜜柑は言い返す。

「それはあなたが無理やり押し付けた契約でしょう!恐怖にものを言わせた卑劣な蛮行…許しません!」


「気を付けろ蜜柑!来るぞ!」

 目白が呼び掛けた時には既に、先端に斧のような刃がついた琴声蟲の触手が、蜜柑の目前まで迫っていた。

「『水月・青海波(せいがいは)』!」

 すぐさま触手を斬りつける…けど、弾力が強すぎて、切断しきれない!

「『海嘯撃(かいしょうげき)』っ…!」

 魔力を波打たせ、何度も斬撃を押し付ける。


「グオッ…やっぱり嫌だなその斬撃ッ…」

 琴声蟲の視線は僕と蜜柑の方に向いている。

 目白がその背後を取り、霆喘の刺突をけしかけるものの…再び琴声蟲は姿を消してしまう。


 これが甲種の実力…基礎的な身体能力で追い越されてる!


「『水龍奏術』!『水鞠・波繁吹』!」

「『炎獅子演武』!『蛍火・恋しぐれ』!」

 再び跳躍した琴声蟲に、僕と蜜柑は水球と火球の弾幕を浴びせる…けど、琴声蟲の表面の空気が揺らぎ、弾幕が防がれる。


《うーん?あれは…ま、まさかとは思うけど、極小の筵だったりする!?》

 蜜樹さんの発言に、目白は首を横に振りながらため息を吐く。

「ここまで異例尽くめの怪魔なんだ…今更そんなことを言われたって驚かねぇが、厄介すぎんだろ…!」


「クキョキョキョッ!キョエエエェェェー!」

 翼を生やして滞空しながら、再び奇声を上げる琴声蟲。

 すると辺りの地面がボコボコと盛り上がり、様々な楽器の姿をした妖魔が飛び出してきた…能舞台の時と同じだ。


「クキョキョキョッ!3人がかりで擦り傷一つもつけられないとはなァ…不甲斐ない事この上ないなァ!御庭番共…」


 ドムッ


「グエッ!?」

 ケタケタと笑う琴声蟲に、真横から巨大な両剣が突き立てられる。


「さっきからギャーギャーうるせぇぞ、オレの可愛い後輩虐めてんじゃねぇよ!」

 早くも晶印さんが来てくれたみたいだ。


「『疾風怒濤・風巻けよ“神威”』!」

 さらに二枚の乾坤圏がフリスビーのように回転しながら飛んできて、道路上の妖魔たちが次々に切り裂かれていく。

「狗神恋雪、ここにふっかーつ!助けに来たッスよ!みんな!」

「恋雪!あなたも来てくれたんですね!」

 恋雪も駆け付けてくれたみたいだ。


「『鬼術・七十番』」

「『夜を照らして夜より聡く 可惜夜の宿す霽月よ 穢れを映し隔て給え』」

「『閨』」

 目白はすかさず印を結び、閨を展開すると、晶印さんに呼び掛ける。

「気を付けてください!そいつは中に人が入ってます!」


「らしいなぁ!参ったぜ…オレの能力だと震動が内部まで伝わっちまう…中身がイカれちまったらマズいぜ。」

 晶印さんは空を蹴り、琴声蟲を道路へ叩き落とす。


「ならば表面を迅速に焼き尽くします!」

 蜜柑は、磊盤にカッシャロッドの術巻を入れて連装し、火麟の刃を炎を纏ったチェンソーのような回転刃として琴声蟲に斬り掛かる。

 ところが…琴声蟲は突然姿を消した。


「あれ、いない?どこに行って…きゃっ!?」

 突然何も無い場所に斬撃が発生し、弾き飛ばされる蜜柑。

「クキョキョキョッ!この程度でワタシを見失うなんて、視覚に頼り過ぎだよォ!」

 スゥーッと半透明から不透明へ、姿を現す琴声蟲。

 直後に目白から浴びせかけられた刺突の連撃も、体を伸縮させながらそのほとんどを躱していく。

 あのパワーとスピードに加え、透明化能力まで持ってるなんて…


 既に乱戦状態となっている中、さらに招かれざる客がやって来る。

「おいおい、随分ゴチャゴチャして盛り上がってきてんなぁ…俺も混ぜろよ?」

 通りの向こうから黒い煙が立ち込め、その中から現れたのは、マントを背に着た真っ黒な骸骨…空亡!?

「空亡!?目白が倒したはずでは…」

 僕が驚きを露わにすると、道路に着地した晶印さんが琴声蟲の攻撃を受けながら答えてくる。

「そいつぁ不死身なんだよ!全身を細切れにしようが何しようが絶対に死なねーんだ!だから特種なんだよ!」


 空亡は町屋の壁に足を着けて軒を駆け抜けると、目白に向かって大きく剣を振りかぶった。

「よぉ!しばらくぶりだな雷の御庭番!もっかい遊び直そうぜぇっ!」

 前進しながら剣を振り回す空亡に、目白は後退しながら刺突で弾いて対応する。

「今お前を相手してる余裕なんてねぇよ!くっ…前やり合った時より速ぇ…!」


 姿を眩ましながら強力な攻撃を仕掛ける琴声蟲、琴声蟲によって次から次へと湧き出てくる妖魔たち、乱入してきた空亡、まだ避難が完了していない人々…

 戦況は混沌を極めている。


 僕が三味線と尺八の姿をした妖魔二匹を抑えていると、視界の脇で杖を持った男の人が転ぶのが見えた。

「うわっ…ひっ、た、助け…!」

 そこに琵琶の姿をした妖魔が一匹、鋭い牙の生え揃った大口を開けて飛び掛かる。


 まずい、すぐに助けないと…!

 一瞬皆んなの様子を見回すと…恋雪は五匹くらい妖魔を引きつけ、目白は空亡の相手を余儀なくされ、蜜柑と晶印さんは琴声蟲の対応にあたっている。

 ここは僕が行くしかない。

 抑えていた妖魔二匹を横一文字に一太刀で斬り捨て、真後ろに空を蹴って突進しつつ、水鞠を構える。

「『水鞠・波繁吹』…あっ!」

 そこでタイミング悪く、真ん前の地面から突然飛び出してきた妖魔に水鞠が当たってしまった。

 琵琶の妖魔の下が、男の人の頭に垂れ落ちている…しまった、もっと地面の匂いに気を付けていれば…このままじゃ間に合わない…!


 琵琶の妖魔が男の人の頭を咥え、顎を閉じようとしたその時…


 ドンッ!…カランコロン♫


 鈴の音のような余韻を持った銃声が響き、琵琶の妖魔の頭が破裂した。


「え…今のは銃…?」


 ドンッ!ドンッドンッドンッドンッ!


 恋雪の引きつけていた妖魔たちも、次々に頭を撃ち抜かれて倒れていく。

 この銃声はいったいどこから…?

 その音の鳴る方へ目を向けると、見えたのは…

 通りの向こうから歩いてくる、ジャケットを着た、腰あたりまで垂れたポニーテールの、かなり背の高い男性らしき人影。

 まさか…

「国音、さん…?」


 いくら筆頭家老とはいえ、国音さんは聖剣を持たない刀鍛冶のはず。

 怪魔討伐の最前線までやって来るのは危険だ。


「国音さん危険です!ここは僕らに任せて…」

 僕が声を張ってそう言いかけると、国音さんはニコリと微笑み、人差し指を口元に立てた。

「シーッ…これより開演だ、お静かに。」


 開演…どういうこと…?

 首を傾げる僕の前で、国音さんの左手には二の腕程の長さのあるサーベルナイフが握られていた。

 刀身は濃いめのピンク色で、側面には付け根から鋒にかけて五線が引かれ、五線を六等分する点にホイップクリームとイチゴのような装飾が描かれている。

 それぞれの装飾の中心には、一つずつ大きな音符のマークが刻まれている。

 これって、もしかして、聖剣…?


 国音さんは「お菓子な魔女のスイーツハイム」と書かれたピンク色の術巻を剣の背にあるスロットに入れると、持ち手についた引き金を引いた。

「『忍風』」

 プォーン!というレゲエホーンの音とともに、突然上から国音さんへ向けてお菓子の家が落ちてくる。

 直後に斬撃が走ってお菓子の家が解体されると…その中から、聖鎧に武装した国音さんが現れた。


 ピンク色の下地に…

 板チョコのような胸板、ビスケットのような肩当て、ロリポップの模様にマーブルチョコが付けられた腕や脚の装甲。

 すごい、全部お菓子だ…じゃなくて!


「く、国音さん…聖剣を持ってらっしゃったんですか?」

 甲府の御庭番なのだから驚くべきことではないけど、これまで国音さんは怪魔討伐にも参加してこなかったし、蜜樹さんと同じように聖剣を持たない御庭番だと勝手に思っていたけど…

《紹介を忘れてたんだけど…国音くんは立派な聖剣の使い手よ〜ん!ただけっこう前に聖剣が盛大に破損しちゃって…修理に時間がかかってたのよ〜ん!》


「『繁絃急管(はんげんきゅうかん)・弾けろ“神樂(かぐら)”』!」

 国音さんが始令を唱えると、神樂の刀身がキラキラと煌めき出し、またカランコロンと鈴が転がるような音が鳴る。

〈神樂斉奏!甘〜いお菓子な銃剣が、魔法のリズムでメロディーラインを刻み込む♫〉


~鈴声剣(りんせいけん)~

神樂(かぐら)


 国音さんは僕の頭に右手を置く。

「桜華、お前は突然御庭番になったというのに、この短い間でよく頑張って成長している…これまで指を咥えてそれを見守るしかできなかったこと、本当にすまなかった。」

「だからこの言葉を贈らせてほしい。」

 国音さんはキッと目付きを鋭くし、僕の肩を握る。

「ここからは私に任せろ。」

 国音さん…ただでさえいつも大きなその背中が、よりいっそう大きく見えた…そんな気がした。


「おぉ国音!ったく、どんだけ待たせんだよ!もう大丈夫なんだろうな!?」

 嬉しそうに大声を出す晶印さんに、国音さんはクスッと笑う。

「フッ…心配しないでくれ、聖剣を持てない間の体力維持のためと、お前の筋トレに付き合わされるのはもうごめんだからな。」


 次の瞬間、国音さんは突然背後に剣を振り抜く。


 ザザザッ…ボトボトボト…


 すると、先端に刃の付いた白い触手が三本、宙を舞って地面に落ちた。

「ギョアーッ!?な、なんでわかった…」

 悲鳴を上げながら姿を現わす琴声蟲に、国音さんはニヤリと笑みを浮かべ、トントンと自分の耳を指で叩いた。

「丸わかりだ、なにぶん私は耳が良いものでな…」


「ギイィ…ナメるな!」

 歯を食いしばって怒りの表情を浮かべ、さらに先端に斧の付いた触手を四本生やして振り回す琴声蟲…残像ができる程の猛スピードだ。

 国音さんは飄々とした態度のまま、まるで指揮棒を振るように剣を振り、次々と襲い来る触手を難なく受け流していく。


 互いに攻撃のペースがどんどん加速し、数秒かけて目にも留まらぬ速さになったところで…

 国音さんが琴声蟲の目の前に鋒を突きつける形で、突然応酬が止まる。


 バサバサバサッ…


 先程まで大暴れしていた琴声蟲の触手がだらんと地面に垂れ、何本もの細いささくれのように分かれた。

「ウッ…つ、強いィ…」

 息を切らし、目を見開いて震える琴声蟲。


「国音!そいつの中には人が入ってる!気を付けろよ!」

 目白と一緒に空亡を抑えながら、晶印さんが国音さんに声をかける。

「わかっているとも…この目で見た、この耳で聴いた、そして…『楽譜』は完成した。」

 が、楽譜…?


「早ぇな、もう完成したのか…!」

「国音さん流石です!」

「もう大丈夫ってことッスね!」

 目白や蜜柑、恋雪まで感心してるみたいだけど、僕、何もわからない…


《『楽譜』っていうのはねぇ〜、国音くんの聴覚とソウル能力を活かした独自の戦闘計算式よ〜ん。》


 琴声蟲は攻撃を再開し、触手をさらに五本伸ばす…しかし、国音さんは何か呟きながら、触手を伸びる途中で次々に斬り落としていく。

「A, Cis, B, C…」


《国音くんのソウルは『ポップスター』、自分や他人の発する音をいろんな形で具現化できる能力よ〜ん。国音くんの『楽譜』はその応用で、聴覚で敵の攻撃の律動を読み込んで譜面上の音符に変換して、それを弾くイメージで迎撃&相の手で反撃することで敵を翻弄するのよ〜ん♫》


「Fes, D, G, Ais…」

 国音さんが呟いてるのは、もしかして音階…?

 国音さんはただ剣を振っているんじゃなくて、この戦いを「演奏」しているんだ。


 琴声蟲は次第に身動きを取れなくなり、国音さんの乱れ斬りを一身に受け続けるだけとなる。

「アァ…嘘だ…攻撃が何も届かない…自由に動けない…どんどん体がァ…天音から離れていくゥ…何もできないィ…」

「人には音楽を強請る割に、貴様は音楽の力というものを何も理解していなかったらしいな…これから貴様を殺すのは、紛う事なき音楽の力だ!」


 ズルッ…


 そして琴声蟲の身体は螺旋状に解かれるように斬り裂かれ、中から意識の無い天音さんが現れた。

「天音さんっ!」

 僕は慌てて天音さんを抱き止める。


「マダ…マダ…逃ガサ…ナイ…」

 地面に落ちるも、すぐに身体を起こして天音さんの方へと伸びようとする。

「逃がさない…それはこちらの台詞だ。」

 しかし、そのすぐ背後には国音さん。

「キョエェッ!?」

 短い悲鳴を上げる琴声蟲。

 国音さんが鋒をくるくると振り回すと、五線が螺旋を描きながら、解けた琴声蟲の身体を締め上げて一塊にしていき…

「『一巻読了』…『フリット・(オン)・トリオンファーレ』!」

 まっすぐ刺し貫いた。


「ギョ…エェ…」

 琴声蟲だった白い肉塊は黒い煤となって崩れていき、召喚された妖魔たちも次々に炎を上げて消え去っていった。

《チョーナイスファイトよ〜ん!よくやってくれたわ〜ん!国音く〜ん!最高の演奏だったわよ〜ん♡》


【甲種怪魔 琴声蟲】

 ─成敗─


 天音さんには特に大きなケガは見当たらず、心音もするし体温も温かい。

 気は失ってるけど、ひとまず命は無事みたいだ…よかった…


 崩れ落ちた琴声蟲の体から、パチンと音を立てて柱が飛び出す。

「これがあの怪魔の核か…」

 国音さんがそう言って柱を受け止めようとした、次の瞬間…


 パシッ


 国音さんの顔前で柱を手に取ったのは、黒い鎧武者…

 虹牙…!いつの間に…!?


 凄まじい威圧感で、身動きが取れない。


 虹牙は柱を握り込んで国音さんに背を向けると、低くざらついた声を発する。

「空亡…帰るぞ。」

「はぁ〜?まだまだ全然満足できてねーんだけど…はぁ、わかったよ…」

 目白や晶印さんと剣をかち合わせた状態のまま固まっていた空亡は、怠そうに首を回して剣を下ろすと、不貞腐れた様子でその場を離れて虹牙の後を追いかける。


 二人はそのまま通りを西の方へ歩いていき、少しすると黒い煙に包まれて姿を消した。


 また、逃してしまった…


 ──────


 ─2031年3月28日 17:00頃─


 〔甲府城 鍛冶曲輪 音響室〕


「これで修理はほぼ完了だ。」

 そう言って、作業台の上に箏を差し出す国音さん。

「あぁっ…ありがとうございますっ!」

 天音さんは涙を流し、国音さんに向かって深々と頭を下げる。


 天音さんはあれから程なくして目を覚まし、幸いにもケガはほとんど無かった。

 身分証明書が偽造であったこと、本当の名前のことを楽団の方々も含め誰も思い出せないことなど…色々問題は残っているけど、ひとまず城でしばらく面倒を見ることにしたそうだ。


「早速弾いてみるか?」

 国音さんの提案に、天音さんは何度も首を縦に振った。


 夕刻の静かな音響室内に響く、柔らかく澄んだ箏の音色。


「ふふ…能舞台で演奏していた時とはまるで違うな、この音は…自由だ…」

 耳を澄ませながら、そう呟いて微笑む国音さん。


 暗く狭い部屋に閉じ込められ、そこから逃げ出してもなお呪いに縛られ続けた天音さん。


 そんな彼女が、ようやく呪縛から解き放たれ、奏でる音色には…


 確かに“自由のにおい”がする…そんな気がした。


 〔つづく〕


 第一章『竜驤戴天』終


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〈tips:聖剣〉

 聖剣No.9

鈴声剣(りんせいけん)・『神樂(かぐら)』】

 世界の楔となる20本の聖剣の一振で、音の聖剣。

 現在の所持者は新藤五国音。

 始令は「繁絃急管・弾けろ〜」。

 刃渡30cm程のサーベルナイフ型銃剣で、ピンク色の刀身に菓子と音符の装飾が描かれている。

 約200gの超軽量を誇り、剣撃・銃撃の衝撃が内部の空洞を反響することで音を発し、発する音には魔力に付与された術式を中和する作用がある。

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― 新着の感想 ―
全部読んでから各話の感想を改めて書こうと思ってたのですが恋雪が出てきたので書きたくなりました。恋雪ちゃん可愛い!やったー!! 国音さんのソウルかっこいいな…音楽関係で優雅ではなくてかっこよさを感じられ…
国音さんが聖剣使いだったこと以上に聖剣がファンシーすぎてめっちゃびっくりしました…! でも音を使う攻撃大好き。かっこいい。強い。 そして天音さんが狭くて暗い場所から逃げ出した後も縛られていた呪縛からよ…
憑依された天音ちゃんが、無事無傷で救出されてよかったです〜 (憑依され方がエロい〜。むしろ好き\(//∇//)\) 恋雪ちゃん、キター!!って思ったけど出番少なくてメインが国音さんだった(^◇^;)…
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