#32 曇天 破「雨とコーラと十合技」
時は2031年。
第22代江戸幕府将軍の治める太陽の国、日本。
此処はその天領、甲斐国・甲府藩。
豊かな水と緑を湛えるこの地は今…
その一割を「彼岸」に蝕まれている。
破 ~雨とコーラと十合技~
─2031年3月15日 15:30頃─
〔甲府城 二の丸 医局・二の丸病院 病室〕
大沢さんは、他の仕事があると言って病室を去っていった。
桜華も蜜柑も戻って来ないな…天守広間に行って、そのまま夕斎様たちと長話にでも突入してるんだろうか。
御袋も来てないらしい…こんな時には真っ先に飛び込んできそうだけど、俺に構ってる暇がない程事後対応が立て込んでいるんだろう。
そういえば、つい前に倒した大名飛蝗も、まだ小さな生き残りが甲府藩の各地で見つかっているらしい。
ただでさえそっちの対応だけでも、相当忙しそうだったのに…
全身は痛くて仕方ないが、だからといって動かないのもそれはそれで落ち着かない。
親父のことをここで悩んでいても仕方ないことはわかっている…けど、思考がずっとそこに留まっていて脱け出せない。
ベッドから上体を起こし、しばらく俯いていると、ガラガラと病室の戸が開く音がして、俺は我に帰る。
戸の方へ目をやると、そこに居たのは…
「よっ、目白!任務ご苦労!」
サングラスにジャケット姿の晶印さんだった。
そういえば連勤に次ぐ連勤をこなして、そこから連休を取ってたんだっけ…今日も休みのはずだ。
何の用でここに来たんだ?
理由を訊くまでもなく、晶印さんは俺の前までやって来ると、ウインクして手を差し出してきた。
「動けるか?」
「まあ…全身痛いけど、立ち歩く分には問題ないって言われました。」
「それじゃあ行こうぜ!ほれほれ…」
──────
─2031年3月15日 15:40頃─
〔甲府城 二の丸 医局・二の丸病院 屋上テラス〕
雨足はまだ強く、サーッという雨音に、ひんやりとした風が吹く。
俺が晶印さんに連れ出されたのは、二の丸病院の屋上。
ここには、患者や見舞い客が休憩できる大型の屋根付きテラスがある。
「何がいい〜?おっ!コーラあるぞ!コーラにしようぜ!」
「希望訊いた意味あります?それ。」
自販機の前に来るなり、晶印さんはお金を入れてコーラのボタンを2回押し、にししっと笑いながら缶コーラを2本取り出して見せてきた。
晶印さんは缶コーラを軽くジャグリングすると、1本を俺に向かって緩く放り投げてきた。
俺はそれを受け取ると、缶に弱い電流を通す。
「気持ちは受け取っときますけど、怪我人にコーラって…もうちょっと体に優しいものください。」
「そんなカタイこと言うなって!コーラ程体に良い飲み物もねーぞ?」
晶印さんはそう言って俺を抱き寄せると、ガハハと笑いながら背中を叩く。
「いって…!?そこケガしてるんですよ!」
「あー…悪ぃ悪ぃ、肋折れてたんだっけか…」
この人…絶対、俺が怪我人である事を気にしてないだろ…
「さっきそう説明したでしょ…本当そういうことはすぐ忘れますよね。」
俺の指摘に、あははー…と苦笑しながら目を泳がす晶印さん。
わざわざ俺をこんなとこまで連れてきて何がしたいのか…は、なんとなくわかってる。
「なあ目白…目黒さんのこと、桜華には話してないんだってな。」
「やっぱりその話ですか…はい、あいつには話してませんよ。」
「なんでだよ?」
「なんで?って…そんな簡単に話せるわけないでしょ…それに、話したくもない。」
「まあ…簡単に話せねーのはわかったけど、なんで話したくないんだ?」
「それは…」
単純に話しづらい。
話したところで何か解決するわけでもない。
でも、それ以上に、話したくないと思うのは…
「桜華は…あいつは…甲府と石見の争いに巻き込まれて、家族も帰る家も失った。」
「しかも水の聖剣に選ばれて、御庭番にならざるを得なくて、挙げ句の果てに命まで狙われるようになって…」
「桜華は責任感が強いんです…何の罪もないくせに、平然と他人の荷物を背負おうとする。」
「親父のことを話したら、きっとあいつはまた勝手に背負ってしまう。」
「俺は…桜華に、これ以上苦しんでほしくありません。」
それが俺の正直な気持ちだ。
桜華がこれ以上何か気負う必要はない。
晶印さんは腕を組む。
「そうかぁ…でもよぉ、目白…」
「んなこと言い出したら、お前だって同じだろ?」
「桜華が行方不明になって、目黒さんも行方不明になって…」
そんなことない。
「同じじゃありませんよ…失ったものの数は、桜華の方がずっと多い。」
「俺にはまだ御袋も家も残ってる。」
すると晶印さんはすかさず言い返してきた。
「オレはそうは思わねぇぞ。」
「失くしたモンの数なんて数えて比べたところであんま意味ねぇし、それで苦しみの優劣が決まるわけじゃねぇよ。」
「行方不明だった親父さんが、何故だか敵に回ってる…それだけでもう十分お腹いっぱいだろ。」
「苦しいのは桜華だけじゃねぇ、お前だって苦しいさ。」
「それに、あんま一人で抱え込みすぎると、それはそれで桜華は苦しむんじゃねぇのか?」
「その気遣いが本当にそいつの為になるのか、ってことだな。」
「まっ…実際目白が考えてることはもっと他にもあるんだろうし、オレはお前じゃねぇからそこまではわかんねぇけどよ。」
晶印さんはそう言いながら微笑むと、俺の頭をわしゃわしゃと撫で回してきた。
「あんま浮かねぇ顔すんなって…幸せが逃げるぜ〜?」
「大丈夫だよ、目黒さんのことで苦しいのはお前だけじゃねぇ…だから一人で苦しむなよ。」
デリカシーもないし、察しも悪いし、不器用だし…馬鹿力以外は色々と残念な晶印さんだけど、不器用なりに俺たち後輩と真剣に向き合おうとしてくれる。
俺はよく呆れさせられているようで、その情の厚さに救われてる。
「ほらほら、キンキンに冷えてるうちに飲もうぜ〜♫」
したり顔でプルタブに指をかける晶印さんに合わせ、俺もプルタブに指をかける。
プシュッ
ブシャーッ!
2人で一緒に缶を開けると、晶印さんの持っていたコーラは勢いよく噴き出し、晶印さんの顔面に直撃した。
「どわあぁーっ!?」
「ジャグリングなんてするからですよ…」
「こ、こんにゃろう!不意打ちなんて卑怯だぞっ!」
「自業自得でしょ。」
「うぅ…せっかくのコーラが…半分になっちまったよぉ…」
コーラまみれになってしょぼくれる晶印さん。
その様子がなんだか馬鹿みたいで、可笑しくて…
「ふっ…ふふふっ…」
俺はつい笑ってしまった。
「おぉい!笑うなよ〜!」
晶印さんは恥ずかしそうに牙を剥いて抗議してきたが、すぐにフッと笑みを浮かべてため息を吐いた。
「まあ…笑うくらい元気出たなら、それでいいか。」
「すみません…ありがとうございます。」
俺は晶印さんに一礼すると、コーラを一口飲んだ。
あまり炭酸は好きじゃないが…こういう心が鬱屈とした時に感じるシュワシュワは悪くないかもしれない。
「…なんで目白のコーラは噴かなかったんだ?」
「静電気で気泡を移動させました。」
その後、晶印さんは顔を洗ってくると言って屋内スペースへ入っていき…
しばらくして、桜華と蜜柑がテラスに出てきた。
2人は出口できょろきょろ辺りを見回すと、俺を見つけて駆け寄ってきた。
「目白!」
「目白くん!やっぱり居た!」
やっぱり居た…?
晶印さん、顔を洗いに行くついでに、2人に俺の居場所を教えたのか…バレバレな気遣いだ。
「あ、あの…目白…」
駆け寄ってきた桜華は、俺の目を見て何か言いたげな様子だ。
「どうした…何かあったか?」
俺が尋ねると、桜華は息を整えながら頷いた。
「はい…夕斎様から聞いてきたんです…目黒さんのこと…」
俺から言い出すか否か、それしか考えてなかった。
苦しいのは俺だけじゃない…か。
桜華は真剣な面持ちで続ける。
「目白…確かに僕は、自分のことも他人のことも、何でも背負ってしまいます。」
「目白が僕に負担をかけたくなくて、僕に黙っていることがあるのは理解します。」
「でも…それでも、僕に背負わせてくれませんか?」
「あなたが一人で苦しむよりも、せめて僕はあなたと苦しみたい。」
それは…俺には、随分と重く甘ったるい言葉だ。
まっすぐ見つめてくる、丸く大きく、澄んだ紫の瞳。
「わかったよ…桜華。」
「目白…!」
「ただし…それでも俺は、お前を守りたい。」
パッと顔を明るくする桜華を、俺はすぐに牽制する。
桜華は、俺と蜜柑にとっての“奇跡”。
桜華の居る、いつ壊れてしまうかもわからない日常。
そんな脆い日常を、俺はただ繋ぎ止めていたい。
できれば一緒に苦しもうだなんて…
できない約束をしてしまったかもしれない。
桜華は何も言わず、微笑んで頷くだけだった。
少し毛羽立った空気に、水を差してくれたのは蜜柑だった。
「ところで目白くん、コーラ飲んでませんか?珍しいですね。」
「晶印さんに押し付けられたやつだよ。」
「一口くれませんか?」
「一口と言わず全部やるよ…やっぱり炭酸苦手だし。」
俺がそう言って缶を渡すと、蜜柑は「やったー!」と喜んでコーラを飲み出した。
「桜華、なんかいるか?」
「えっ、買ってもらっていいんですか?」
「いいんだよ、好きなの選べ。」
俺はアイスティーを選び、桜華はメロンソーダを選んだ。
そういえば、桜華の好きな飲み物って把握してなかったな…
──────
─2031年3月15日 16:00頃─
〔甲府城 鍛冶曲輪 音響室〕
「ふぅ〜…城に着替え置いといてよかったぜ〜…」
とりあえず桜華と姫様を目白にくっつけることに成功したオレは、帰るついでに国音の作業場に立ち寄ることにした。
労いに冷たいコーラでも差し入れてやろう。
「おーい国音!いるか〜?」
休暇気分で突撃したが、よく考えたら国音は今日は普通に勤務日だ。
まだ帯那山の件で会議中とかだったりしたかな?
部屋の真ん中の作業台の上には、ピンク色のサーベルナイフが、ランプに白く照らされて置いてある。
「おぉ…だいぶ直ってきたのか?」
近付いて覗き込もうとすると…
バンッ!
「勝ああぁぁああ手に触ああぁぁああるんじゃなああぁああいぃッ!」
「うおぉー!?ビックリしたぁ!」
上擦った大声とともに、隣室の扉が勢いよく開き、ポニーテールに革ジャケット姿の長身の男が飛び出してきた。
国音だ。
国音はゼーハーと息を荒くしながら、両手を前に出してオレを牽制する。
「まだ触ってはならないッ…まだ調整中だッ…」
「わかってるわかってる…神経質なんだから〜…」
国音はもともとドが付く程のシャイかつデリケートな性格で、急に刺激されると思わず変に声を荒らげる。
筆頭家老という威厳たっぷりな肩書を持ちながら、街の子供たちからは反応を楽しむためによくイタズラされるちょっと残念なやつである。
こいつとは同時期に甲府城に保護されてから、かれこれ十年以上の付き合いになるが…図体だけは私よりデカくなって、神経質なところは何一つ変わっちゃいない。
「ほらよ、差し入れ。」
「ありがとう…って、コーラ…俺が好きなのはサイダーだぞ。」
「つれねぇこと言うなよ〜、甘くてシュワシュワなのは同じだぜ?」
「なら尚更コーラである必要はないな。」
文句ありげな表情で缶を開ける国音。
「ああそうだ…晶印、十一連勤ご苦労。」
「今更かよ…そういうお前も八連勤目お疲れだな、目指せ二桁!」
「目指してたまるか。」
オレも買い直したコーラを開け、二人で乾杯して飲み出す。
「…にしても国音、アレはぼちぼち直んのか?」
そう言いながらオレが指差したのは、先程の作業台。
「ああ、あと少し…あと少しなんだ…」
国音もそう言って作業台の方を向き、目を細めてフッと笑みを浮かべる。
「帰って来るのが楽しみだぜ…『剣の筆頭』!」
作業台の上に置かれたサーベルナイフからは、わずかにカランコロンと鈴の音が漏れた。
──────
─2031年3月24日 09:00頃─
〔甲府城 清水曲輪 武徳殿〕
魔神・虹牙との戦いから一週間と二日。
藩校が春休みに入る中、ケガがだいぶ回復してきた僕、蜜柑、目白の三人は、天貝先生から「特別指導」の呼び出しを受け、白い道着に着替えさせられて集まった。
千鳥破風付入母屋造の、大きな寺院のような建物。
ここは清水曲輪に設けられた武道場・武徳殿。
東側は板敷の剣道場、西側は畳敷の柔道場になっていて、甲府藩士や藩校の弓剣道部員たちが日々武道の稽古に励んでいる。
北側は大きく開けた縁側となっていて、外は枯山水の庭になっている。
天井の縁の壁には、ずらりと額縁入りの写真が並んでいる…武徳殿は建立から今までおよそ百年間にわたり、優秀な剣道選手・柔道選手を輩出し続けていることで有名なのだ。
北側の天井の縁のど真ん中に飾られた、一際豪華な額縁に入れられた写真。
長い髪を腰辺りまで下ろした、銀髪翠眼の美しい男性。
僕はそれが一番気になった。
ここは蜜柑に訊いてみよう。
「蜜柑…あの写真の人は…?」
「あの方は小笠原長宗様です。」
「小笠原…?」
「全日本の弓剣道部連盟の会長であり、我々弓剣道部の習う剣術・弓術の流派の総師範です。特に弓術の腕前は日本一でして、雨粒一つ一つを正確に撃ち抜き、過去には日本領空に侵入した超音速無人機20機を撃墜した成果などもあります!」
「せ、戦闘機を弓で落としたんですか…!?」
偉業のスケールがお父様や目黒さんみたいだ…
僕が蜜柑の話に驚いていると、戸がガラッと開き、道着姿の天貝先生が急足で入ってきた。
「悪い!少し遅れちまった〜!」
天貝先生は紙を何枚か挟んだクリップボードを脇に抱え、僕ら三人の前に立つ。
「お前ら、ケガの具合はどうだ?」
天貝先生の問い掛けに、僕らは順番に答えていく。
「はい、だいぶ治りました。」
「はい!もう万全に動けます!」
「俺は…まだもうちょっと時間が要りそうです…」
天貝先生は、目白だけ全治二週間のケガを負っていることを忘れていたようだ。
「しまった…そうだ目白、お前だけはまだかかるんだよな…」
天貝先生は咳払いをし、腕を組んで大声を出す。
「まあ…とりあえず始めるとしよう!今日はこの甘いマスクのナイスガイ、天貝恭輔による特別指導だ!」
僕は早速手を挙げる。
「はい、天貝先生。」
「おう…もう“甘いマスクのナイスガイ”はスルーなのな…適応が早すぎるぞ桜華!どうした!」
「特別指導と仰いますが、わざわざ僕ら三人だけを呼び出して“特別”って…もしかして夕斎様から頼まれたんですか?」
「いい質問だ!それをこれから説明しようと思ってたんだが、先を越されたな…その通り、夕斎様から直々に御用命があったんだ。」
天貝先生は大手を広げる。
「これからお前らに教えるのは、対妖魔戦から対能力者戦にまで幅広く応用される、幕臣必修の体術・魔術の混成武術!その名も…」
「『十合技』だ!」
「じゅう…ごうぎ…?」
「おおっ!ついに!」
「特別指導ってそういう意味か…」
あれ?わかってないのは僕だけ?
──────
─2031年3月24日 09:10頃─
〔甲府城 清水曲輪 武徳殿〕
世の中には「持つ者」と「持たざる者」が居る。
ソウル能力を持っているかどうか、という意味だ。
ソウル能力を有する人間や妖魔との戦闘において、手数で劣る非能力者は不利。
能力を使用せず、純粋な身体能力や魔力だけで能力者と渡り合う凄い人も居るけど…一般的に非能力者は「弱者」の立場となりやすい。
そこで、能力者との差を埋めるために、日本では古来より様々な戦闘技術が考案されてきた。
たとえば、遺物を利用して造られ、個人のソウルと適合する、聖剣を真似た兵装「魔剣」もその一つ。
また、個人の能力や属性適性に関係なく、呪詛を練ることで様々な効果を発揮する「鬼術」もその一つだ。
そして、これから教わる「十合技」も…
十合技は、体術と魔術を合わせた混成武術。
その名の通り、十種類の技術に分けられる。
各技術に段位があり、天貝先生はそのうち九種類の技の指導資格を有しているそう。
一種足りないことに関しては…なんでも第十の技は非常に難易度の高い奥義らしく、十合技の教育者は奥義以外の九種で指導資格を持っていることが普通とのことだ。
十合技はどの技も、一般的に難易度が比較的高く、全てを極めた者は「超人」とさえ呼ばれる。
そのため藩校だと八年生から教えることになっているらしいけど、虹牙との交戦事件を受け、僕らには急ぎ早く修得する必要があると夕斎様が判断したのだそう。
特別指導というのは、御庭番である僕らへの、十合技の先行指導だったというわけだ。
天貝先生は早速、僕らの前で十合技の実演を始めた。
【第壱技・「震撼」】
「早速だが桜華、俺のパンチをガードしてみろ。」
「えっ…わ、わかりましたっ。」
天貝先生から飛んで来る軽い右ストレートを、僕は腕を交差させて防ぐ。
ドヨオォ〜ン!
するとボヨンボヨンという奇妙な感触が、腕の骨の髄まで響いてきた。
僕の体の中が、振動している…?
「ハハッ、ビックリしたろ?そいつが『震撼』だ。」
「己の筋肉に振動を与え、その振動を拳を当てた相手の体内にまで波及させる…咄嗟の物理的ガードを貫通して打撃できるってわけだ!」
僕の「震透撃」と似ている…けど、こちらは水の有無に関係なく、振動そのものを対象に伝えている。
【第弐技・「貼靠」】
「桜華、もう一度俺のパンチをガードしてくれ。」
「はい、もう一度ですか?」
「ああ、もう一度“同じ力”でパンチする。」
僕は天貝先生から再び飛んで来た右ストレートを、さっきと同じように防ぐ。
ドスッ!
あれ…?
振りも速度もさっきのパンチとあまり変わらないように見えたのに…さっきよりもずっと、重くて痛い…!
「そいつはシンプルに重心を乗せたパンチだが…乗せ方が特殊だ。」
「見ただけじゃわかりにくいかもしれないが、俺の重心は今俺の足元にあるし、俺の拳にもある。」
「これが『貼靠』…魔力で複数の重心を発生させ、その位置を操作する。普通に重心を乗せた時よりも打撃力は高くなるし、安定感も格段に増す。」
魔力による重心の発生…地上で瞬時に重心を発生させることの利便性はもちろん、本来は空気抵抗などを利用しなければ重心軌道を変えられない空中でも自由に重心移動ができそうだ。
【第参技・「剛躰」】
「桜華、次は俺にパンチしてみろ!俺を張っ倒すくらいの一発を寄越せよ!」
「わかりました、はぁっ!」
言われるがままに、今度は天貝先生の胸目がけて右ストレートを撃ち込む。
ゴツッ!
「痛っ…!?」
か、硬い…!
まるで岩を殴ったような硬さだ…
「皮膚組織の隅々にまで魔力を行き渡らせ、鎧を着込むイメージで固める。」
「これが『剛躰』!相手からすりゃ鉄を殴ったようなもんだ…防御とカウンターを一体にした技になるぜ!」
そういえば僕が虹牙の脚を蹴った時も、虹牙の脚は鎧を着ていてもなお凄まじい硬さで、びくともしなかった。
あれも剛躰を使っていたのかな…?
【第肆技・「龍翔ノ舞」】
「いいか?俺の脚に注目だ。」
天貝先生はそう言うと小高く垂直跳びし、空中で脚を素早く振ってさらに跳び上がった。
そしてまたタン、タン、タンと空中を跳ねていき、少しして着地した。
…どうなってるの?
「あの、天貝先生…今、空中でジャンプしたんですか?」
「おう、その通りだ。」
「どうやって…?」
「そりゃあ、空気を蹴って跳ねるしかねぇだろ?」
天貝先生によると、これは「龍翔ノ舞」という技。
形の無い空気の中に“面”を見出し、それを蹴ることで空中を舞うように飛行できるのだそう。
より長時間の滞空には高いセンスが要求され、苦手とする門下生の多い技の一つだという。
【第伍技・「散力」】
「よーし、また俺にパンチだ桜華!」
「またですか?」
これで三度目。
剛躰の実演時と変わらない勢いで、天貝先生に右ストレートを撃ち込む。
シュルルッ…
天貝先生が僕の拳を掌で受け止めたのに、不思議とほとんど手応えは感じられなかった。
まるで力が散り散りになったかのように…
「こいつを『散力』という。受けた物理的な力を発散して、打撃を無効化する防御技だ。」
虹牙の脚を蹴飛ばした時も、力が散らされて手応えが感じられなかった…あの時も散力で受け流されていたということ?
【第陸技・「聴勁」】
「『聴勁』は端的に言うと“全集中”!攻撃や防御ではなく、精神を統一して五感を超強化する技だ。」
「実演してもわかりにくいし、鍛え方も坐禅とかになるから、ここでの実演・練習は難しいんだよな。とりあえず存在だけは知っててくれ。」
天貝先生によると、聴勁の練習となる修行自体は八年生以降の武術授業に組み込まれるそうだ。
【第漆技・「撥空」】
「おらよっ…と!」
天貝先生が突然張り手を素振りすると、その直線上に居た僕は後ろへ軽く吹っ飛ばされた。
「うわっ!?」
天貝先生は、僕の手を引っ張りながら説明してくれた。
「『撥空』って技だ。空気を押し飛ばすイメージで、魔力と打撃を撃ち出す。」
「するとロケットパンチみてぇにリーチが伸びる!中距離攻撃にもフェイントにも使えて便利だぜ。」
打撃武器にも応用可能らしい…剣で試すとどうなるのかな…?
【第捌技・「影送り」】
「桜華、今度は俺に向かって『波繁吹』を撃ってくれ!」
「危ないですよ?」
「なんの!先生を信じろ!」
波繁吹は、威力を高めれば簡単な石壁も破壊できる技…生身の人に当たると危険だけど、大丈夫かな?
でもやらないと実演が前に進まなそうなので、撃ってみよう。
得意げに腕を組んで仁王立ちする天貝先生に、指鉄砲を向ける。
「『水龍奏術』…『水鞠・波繁吹』!」
ヌルルッ…
「えっ…?」
放たれた水飛沫は、天貝先生の体の表面を転がるようにして、明後日の方向へ流れていく…
見たことがある。
虹牙に「波繁吹」を撃った時も、水飛沫は虹牙を避けるようにして軌道を逸らして飛んで行った。
天貝先生は腕を組んだままだ。
「魔力には“流れる方向”がある…体の表面に張った魔力の方向を操作して、飛んで来た魔法を受け流す!」
「『影送り』という技だ。」
すると目白が口を挟んできた。
「魔神・虹牙も、影送りを使って魔法攻撃を受け流してきました。」
「しかも反応が異様に速かった…いや、もしかしたら常時発動しているのかもしれない。」
天貝先生は苦い表情で答える。
「虹牙について話は聞いてる…」
「もしも正体が目黒さんだとすれば、練度が高いのも納得できる…あの方は十合技の『全皆伝者』の一人だからだ。」
十合技はただでさえ基本を覚えるのが難しく、極めるとなればさらに困難度が上がる。
十種の技全てで免許皆伝を達成する人は滅多にいないけど、風の二大筆頭は二人とも全皆伝達成者らしい。
お父様も目黒さんも、本当に規格外なんだ…
【第玖技・「穿嘴」】
「とあっ!」
床の上に置かれた一枚の厚いガラスに、拳を当てる天貝先生。
バキャッ!
するとガラスは当然割れる…けど、割れ方がなんだかおかしい。
拳よりもずっと小さい穴が空き、そこからひび割れている…まるで何かが刺さったかのようだ。
「こいつは『穿嘴』…打撃の形を千枚通しみたいに尖らせるイメージで放つことで、ピンポイントに力を集中させる技だ。」
「…とまあ、通しで実演してみたが、十合技ってのはこういうもんだ。わかったか?」
「「…」」
黙りこくる僕と蜜柑。
正直ついていけなかった…理屈や感覚はわからなくないけど、自分がそれをできるイメージがよく湧かない。
「先生、質問です。」
すると目白が手を挙げ、目を細める。
「どういうスケジュールで桜華と蜜柑に十合技を教える気ですか?まさか俺も含めて、この春休みの間に詰め込む気じゃ…」
「もちろんだ!そのための特別指導だぜ?」
意気よく答える天貝先生に、げんなりした表情を見せる目白。
「マジですか…」
ちなみに目白は、丙位の武士として既に十合技の手解きを受けているらしく、穿嘴のみ修得済とのことだ。
「あとお前らには、十合技に加えてもう二つ覚えてもらいたいことがある。」
「あと二つ…ですか?」
天貝先生の言葉に僕が首を傾げると、ガララッと道場の入り口の戸が開く音が聞こえてきた。
音のした方向を振り向くと、そこに居たのは…
白と浅葱の雲が描かれた狩衣のような着物。
両胸に一つずつ、そして背中に一つ大きく、金色の葵紋が描かれた黒い羽織。
真っ白な髪の毛は腰辺りまで伸び、陽の光に照らされて眩しく輝いている。
睫毛の先まで白く眩い…そしてその隙間からは、翡翠色の瞳が覗く。
身長は187cm程…かなり長身の男性。
この人は…道場に飾ってある写真の…
「御無沙汰している、天貝殿に、御庭番の御三方。」
「江戸幕府勘定奉行・シン陰流総師範…小笠原長宗です。」
【小笠原 長宗】
~江戸幕府 勘定奉行 / 小倉藩 筆頭家老~
小笠原長宗様…!?
〔つづく〕
─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─
〈tips:武術〉
【十合技】
対妖魔および能力者戦のために開発された、体術と魔術の混成武術。
九種の基本技(震撼・貼靠・剛躰・龍翔ノ舞・散力・聴勁・撥空・影送り・穿嘴)と、一種の奥義から構成される。
幕臣には必修の武術であるが、難易度が高く、全ての技で免許皆伝を達成した者は過去に数える程しか居ない。
甲府の風の二大筆頭である硯風弥と新閃目黒は、十種全皆伝の達成者である。
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