#3 紐絶 急「はじまりの君へ」
急 ~はじまりの君へ~
この世界に生きる命には…大きく分けて、人間・動物・妖怪の三通りがある。
人間というのは、直立して二足歩行する、高い知性を持った霊長類のことだ。
動物というのは、獣・魚・虫などといった、人語を解さない人間以外の生物のことだ。
そして妖怪というのは…人間にも動物にも属さず、奇怪で異常で不可思議な力を持った存在のことだ。
三者の境界は曖昧だけれど、今僕と対峙している怪物のように、明らかに通常の動物では考えられない異常な性質と魔力を持つ生物は「妖怪」と言う。
そして人々は、特に人間の生活圏に危害を及ぼす妖怪を「妖魔」と呼ぶ。
蛞蝓の怪物は口から粘液をダラダラと垂れ流しながら喋る。
「俺はなアァ…山蛞蝓って言うんだアァ…憧れはカタツムリになることッ!殻になりそうなものをいっぱい食べてェ…殻を手に入れたいんだアァ…」
~丁種怪魔~
【山蛞蝓】
小さい頃、ゲッコー師匠と一緒にカタツムリを飼ったことがある。
カタツムリは殻を維持するためにカルシウムが必要で、卵の殻を定期的に与えないと、他のカタツムリの殻を食べてしまう。
山蛞蝓は先程から建物を次々に食べているが、よく見ると建物の残骸は木材やガラスばかりで、コンクリートはほとんど残っていない。
山蛞蝓は、コンクリートのセメントに含まれているカルシウムを食べていたのだろう。
「『水龍奏術』」
下ろしていた左手首を上に曲げ、掌を上にして中指と薬指を曲げる。
すると、僕の掌から水が湧き出て周囲に浮かび、様々な花や葉の模様が描かれた鞠の形にまとまっていく。
「『水鞠』」
僕の様子を見た山蛞蝓は問い掛けてきた。
「お前ェ…“ソウル使い”だなァ…?」
「ソウル?」
噂に聞いたことがある、魂が顕現することで現れるという異能。
上級の侍たちは皆んな持っているらしい。
僕はゲッコー師匠から一般的な魔法について教えてもらっているけれど、それとは別に、自分の身体から水を作り出す“才能”を持っている。
僕がこの“才能”を使う時は周りに炎のようなオーラが立つけれど、このオーラや弱い水鞠は、街の人々にはあまりよく見えないらしい…ゲッコー師匠や廿華には見えるのに。
「よくわかりませんが、僕には生まれつき水を作り出す力があります。」
「そして僕はその水に、圧力を加えることができる…こんなふうに!」
左手の指先に水鞠を一個浮かべ、左手を指鉄砲の形にして、銃を撃つように水鞠を山蛞蝓の飛び出した左眼に向かって弾き飛ばす。
水鞠は飛んでいる途中でパァン!と弾け、飛び散った飛沫が散弾のように山蛞蝓の眼に何個も突き刺さる。
「ぐわあアァ〜!?」
山蛞蝓の眼は青い血を撒き散らしながら破裂し、山蛞蝓は悲鳴を上げる。
「『水龍奏術』…『水鞠・波繁吹』」
その気になれば、蔵屋敷の壁であろうと粉々にできる魔法技。
山蛞蝓は図体が大きく通用するか少し不安だったけれど、無事に眼を潰すことができた。
「こ、こんのガキいィ〜!」
山蛞蝓は口を大きく開いて雄叫びを上げると、僕に向かって何本もの手を互い違いに伸ばしてきた。
僕は後ろにいるお婆さんたちを巻き込まないよう、山蛞蝓の腕の間をすり抜けながら、山蛞蝓の右斜め後ろの町屋の上に向かって跳ぶ。
そして山蛞蝓の顔の右側とすれ違う、その時に…山蛞蝓の右眼をもう一個の水鞠で撃ち抜いた。
「うわアァ〜!こ、こいつ…強いィ…」
眼を押さえて悲鳴を上げる山蛞蝓と、町屋の上をぴょんぴょんと跳ぶ僕の姿を見て、お婆さんは驚いた顔をしていた。
「あ、あの子…すごいわ…何をしているのかよく見えないけど…強いわ…」
これで山蛞蝓の両眼は潰した。
山蛞蝓は顔を何本もの手で覆って、地面を転がり回っている。
カンカンカンカン!
この騒ぎに気付いたのか、火の見櫓の半鐘が鳴り響いている。
見えない壁が何なのかも、この妖魔が何故急に現れたのかも、何もわからないけど…こんな異常な事件には、必ず甲府藩の御庭番と討伐隊がやって来るはずだ。
妖魔は十分弱らせた…後のことは御侍様たちに任せて、僕はお婆さんたちの安全を確保しないと。
火の見櫓の方を向いてそんなことを考えていた、その次の瞬間のこと。
バキッ!
山蛞蝓の太い腕が、僕の胴体を薙いだ。
「うぁッ…!?」
両眼を失ったのに、どうして僕が居る場所がわかったの…?
そんな疑問を浮かべながら、僕は斜め下の町屋の壁に叩きつけられた。
山蛞蝓の怒号が響き渡る。
「よくも眼を…眼をやってくれたなアァ…!この小僧オォッ…!」
「げほっげほっ…あっ…!」
息が苦しい…
そして、何かが耳から外れた気がして、右耳に手をやると…ゲッコー師匠から貰ったヤモリの御守りの紐が千切れている。
ヤモリの飾りは道の真ん中へと落ちていて、僕に迫ってくる山蛞蝓に踏み潰されてしまった。
「おでは鼻も利くんだアァ…オマエの匂いはすぐ覚えたからァ…眼なんかなくたってオマエの居場所はわかるんだアァ!」
「でも痛エェ!痛えよオォ!こんな思いをさせたオマエはアァ…タダじゃ済まさなイィ…」
山蛞蝓はそう言うと、僕とは反対の方向へ踵を返す。
その方向にいるのは…
「待って…ダメっ…!おばあさん…!」
山蛞蝓からお婆さんまでの距離は10m程…いくら御庭番や討伐隊がすぐ来てくれるとしても、この距離では助けが間に合わない。
「うぅ〜ん…?なんだアァ?これはアァ…」
山蛞蝓はぬるぬると粘液を帯びた手で、お婆さんが落としたミサンガを拾い上げる。
「なんだアァ…ただの糸クズかアァ…」
山蛞蝓を引き止めようと、僕は声を絞り出す。
「やめ…ろ…!それは糸屑なんかじゃないっ!お婆さんの、旦那さんとの…大事な“思い出”なんだ…っ!」
「10年間ずっと…渡す相手が生きて帰ってくるのを待ってるんだ…!旦那さんが亡くなった後も、ずっと…!」
僕の抗議に振り向いた山蛞蝓は、拾い上げたミサンガを口に放り込むと、ゲラゲラと粘液を撒き散らしながら大口を開けて笑った。
「なんだそりゃアァ?思い出なんざ何の腹の足しにもならないじゃないかアァ!」
「思い出は…思い出は、その人の生きてきた掛け替えのない時間の証だ…!命と同じくらい大事なものなんだ…!だから…!」
行かなきゃ…お婆さんとその思い出を守らなきゃ…でも、体が思うように動かない。
さっきの山蛞蝓の一撃は強烈で、僕は肋を何本か折られて、肺に骨が突き刺さっているらしい。
息がうまくできなくて、咳き込むと真っ赤な血がべちゃりと出てくる。
だんだん目の前の景色が霞んでいく…
意識が遠くなっていく…
こくんと首から力が抜け、ずるずると壁から体がずり下がっていくとともに、左耳のヤモリの耳飾りの紐も千切れる。
そういえば今日、僕の誕生日だったな…
こんな日にこんな事になるなんて…
ゲッコー師匠、廿華、ごめんなさい…
猛烈な眠気に抗えず眼を閉じようとしたその時のこと。
「生きて」
ひどく懐かしい女性の声に、ハッと目が覚める。
さらに次の瞬間、何か空に小さな点が見え、街を囲む見えない壁を突き破って…
ヒュドッッ!
「うわあぁっ!?」
山蛞蝓の体を切り刻んで、僕の顔の真横に勢いよく突っ込んできた。
恐る恐る真横の何かに目をやると、刃渡60cm程ある青みがかった打刀が、壁にヒビを入れて突き刺さっていた。
〈手に…妾を手に…〉
〈妾を手に取れ…〉
先程とはまた別の、女性の声が頭の中に直接響いてくる。
「僕に…僕に、話しかけてるの…?」
〈硯桜華…そうだ、其方のことだ。〉
頭の中に響く声は、僕の問いに答えてきた。
僕は壁に突き刺さった剣の柄に触れる。
「もしかして…この剣が…あなたが喋っているの…?あなたはいったい…」
〈妾は“水の聖剣”…硯桜華…妾はどうやら、お前が目覚めるのを待っていたらしい…〉
──────
桜華が水の聖剣を名乗る刀剣に襲われる傍ら、山蛞蝓に襲われかけていた老婆は何かに気付いたような顔をし、近くの紙芝居家の肩を掴んで揺らした。
「な、なんだいお婆さん…どうしたんだい…?」
戸惑う紙芝居屋に、老婆は息を切らしながら言葉を紡ぐ。
「あの子、あの子よ!さっき…さっき、あの子、自分のことを“硯桜華”って言ったのよ!」
老婆の口から出てきたその言葉に、紙芝居屋は目を見張った。
「な、なんだって…硯…桜華だって…!?」
老婆は頷き、ぼろぼろと涙を溢す。
「名前をしっかり聞いたわ…聞いたのに、どうして気付かなかったのかわからないけど、あの子は確かに言ったわ…あの子は…私がずっと待ってた…」
──────
〔夢見山山中 硯邸〕
桜華が水の聖剣を名乗る刀剣に触れた頃、硯邸の部屋にいたゲッコーはふと何かに気付き、街側の窓から外に目をやった。
「そうか…桜華、“あれ”は壊れちまったか…」
「とうとうその時が来たってことだ…お前が何者か、皆が思い出す時が…」
甲府の“時間”が、再び動き出す時が。
〔つづく〕
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〈tips:聖剣〉
【聖剣】
太古から世界に伝わる、災禍を退け安寧を齎す聖なる剣。
世界を構成する各属性を司り、全部で20本ある。
劇中における日本最古の書物「古世記」によると、世界を宇宙に留める楔の役割を担うという。
人類有史の数万~数億年前から存在したと推定されており、製造者は少なくとも人類ではないようだ。
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