#22 囂囂 序「土の聖剣と雁金晶印」
時は2031年。
第22代江戸幕府将軍の治める太陽の国、日本。
此処はその天領、甲斐国・甲府藩。
豊かな水と緑を湛えるこの地は今…
その一割を「彼岸」に蝕まれている。
序 ~土の聖剣と雁金晶印~
僕は硯桜華。
甲府御庭番衆隊員で、藩校に通う中等部七年生。
昨日は恐ろしいことがあった。
藩校内で突然、管狐兄妹の両親を殺害した犯人・石見三而に襲われたのだ。
神速のソウル能力「トム・キャット」を前に絶体絶命のピンチに陥ったものの、勇気を振り絞った作戦でどうにか勝利した。
後からわかったことだけど、徽典館の本館内を点検したところ、本館地下の禁庫に貼られた鎮宅霊符に異常が見つかったとの報告があった。
鎮宅霊符は、建物に貼り付けることで妖魔や不審者の侵入を防ぐ結界を発生させる、七十二枚で一組の霊符の魔導具。
天貝先生たちがよく確認してみたら、霊符に書かれた呪文の一部が書き換えられていたらしい。
原因として考えられたのは、管狐兄妹が校内へ侵入する際、ソウカが言霊で結界を破ったこと。
言霊の強烈な魔力の影響を受け、一部の霊符に埋め込まれた術式が不具合を起こし、結界強度を落としていたようだ。
三而はおそらくこのことを理解した上で、管狐兄妹を藩校に侵入させ、結界が脆くなったところを突いて侵入してきたのだろう。
三而本人の口から詳細を聞くのが一番確実だけど、僕が取り逃がしてしまったのが惜しまれる。
皆んなは僕の命が助かっただけで良いと慰めてくれるけど、御庭番としては失態という他無い。
でも、あの時の僕は冷静じゃなかった。
もしもあのまま、怒りに任せて剣を突き出していたら…
三而に襲われたことよりも、その“もしも”の方がよっぽど恐ろしい。
たとえ三而がいかに卑劣な下手人であったとしても、彼に裁きを下すのは法であって僕ではない。
殺すという選択は間違いで、その一線を越えることを拒んだ僕の選択は正しかった。
今はそう思うしかない…
──────
─2031年3月11日 07:20頃─
〔甲府藩 甲府市 甲斐善光寺〕
甲府は今日も気持ちの良い晴天。
軽快な朝日が、水に濡れた黒緑の墓石をキラキラと照らしている。
墓石には「硯家之墓」の銘。
「おはようございます。お父様、お母様。」
ここは、かつて甲府を守ってきた、今は亡き武士たちが眠る寺院・甲斐善光寺。
お父様とお母様もここに眠っていて、僕は二人の記憶が戻ってから毎朝ここに御墓参りに来ている。
尤も、お父様は激しい戦いの為か、お骨すら残らなかったらしいけれど…
記憶が戻り始めてから一週間と一日、短い間だけどその間にたくさんの再会と変化を経験した。
だから両親には、毎日報告することが絶えない。
「たくさん伝えてやるとよい」と夕斎様も言っていたけど、僕が少しずつ前に進んでることは二人とも喜んでくれてるのかな…?
でもやっぱり、昨日のことは報告できなかった。
情けない限りだけど、二人を悲しませるような報告はしたくない…
…と、くよくよ悩んでいた数分後、それどころじゃない事態が起きた。
──────
─2031年3月11日 07:30頃─
〔甲府藩 甲府市 善光寺三丁目〕
正面入口の南西にある駐車場。
鳴り響く警報音、そして怒号と悲鳴。
僕は蜜柑とともに、聖鎧に武装した状態で、寺に侵入したという墓荒らしと対峙している。
「くそ…運が悪いぜ、昨日兄貴がしてやられたばっかりだったのに…」
身長は170cm後半。
中肉で上下黒のシャツとズボン、頭には黒の目出し帽を被った、いかにも不審者な姿の男。
でも蜜樹さんによると、どうやらこの男はただの墓荒らしではないらしい。
《う〜ん…キミは10年前にも見たことがあるよ〜ん?さっきの“兄貴”とかいう発言も然り、キミは石見宗家の四男だよね〜ん?たしか、石見啓而だったかな〜?》
石見啓而…昨日遭遇した三而は石見宗家の三男だと聞いたけど、この啓而という男はその弟…?
ということは、もしかして…
《彼はソウル使いよ〜ん…あの地味な格好は、その発動に必要なもの。》
「あのショッカー戦闘員のなり損ないみたいな格好が…ですか?」
首を傾げる蜜柑。
《彼のソウル能力は“降霊術”…それも自分自身の体を依代として、霊の能力を宿すというもの。そのためには自我を潰すこと…ああやって“何者でもなくなる”ことによって、器を空けておくのよ。》
蜜樹さんの解説に、啓而は堪えきれなかったのか怒鳴り出した。
「おぉーい!その声は新閃家の女狐だな!よくもベラベラと俺の名前やら能力やらを話してくれやがって!」
「そうだよ!俺が石見啓而だ!硯桜華…よくもうちの兄貴の鼻っ柱をへし折ってくれたな!」
~石見宗家 四男 盗掘部隊「夜盗虫」隊員~
【石見 啓而】
「グチグチ五月蝿え兄貴が黙ったのはいいがよ…おかげで俺たちの仕事は倍増だ!あの兄貴は雑用から工作まで色々こき使われてたからな!」
怒鳴り散らす啓而の発言に、蜜柑は思わず感心した様子を見せる。
「へぇ…敵ながらとても真面目な方だったんですね。仕事が倍増するのは辛いと思いますが、今まで代わりにやってもらっていた分の業務なのですから…お返しだと思って頑張らなきゃ!」
両手を握って「がんばれ!」とエールを送る蜜柑に、啓而は目を大きく見張ってさらに怒鳴る。
「うるせー!余計なお世話だ!なに前向きに励ましてくれてんだよ!」
「あぁ…余計に怒らせちゃいました…」
残念がる蜜柑に、僕は小さくため息を吐く。
「そりゃ怒りますよ…」
「まあいいさ、能力がバレてようが構わねぇ…ロードローラーが降ってこようが割れることのない、俺の絶対装甲のソウル能力『降霊亀術』を見て驚きな!御庭番のガキ共!」
何かする気だ!
《敵は推定丙~乙種!石見三而よりちょっと弱いくらいよ〜ん!でも油断しないでスピーディーにとっちめちゃって〜ん!》
「『一巻読了』、『水月・白波の辻』!」
「『一巻読了』、『気炎・漁火の舞』!」
僕と蜜柑はすかさず聖剣を抜き、一気に啓而の元まで距離を詰め、振りかぶる。
同時に啓而が叫んで胸を張ると、体の至る所から銀色の亀甲が浮かび上がり、さらにハニカム状の結界が周囲を包んだ。
ガコオォンッ!
か…硬いっ!
剣が大きく跳ね返り、腕がジンジンと痺れる。
《あちゃー、間に合わなかったかぁ…石見啓而の能力はとにかく硬いんだよね…だから甲州事変の時も、撤退させるのに一苦労したんだよ〜…》
蜜樹さんの通信に、蜜柑はおーっと口を丸くする。
「そんな…そんなの…!やればできるじゃないですか!見かけによらず!」
目を輝かせて褒める蜜柑に、啓而は再び目を飛び出さん程見開いて怒鳴る。
「一言余計だーっ!なに上から目線で褒めてくれてんだこの野郎!」
「蜜柑、どうしましょう…共振を使ってもう一度叩きましょうか?」
どこか小物っぽい言動に反して、防御壁の硬さは尋常じゃない…たぶん牛鬼丸の装甲よりも硬い。
これを破壊するためには、今出せる限りの最大の破壊力…共振の破壊力をぶつけるしかない。
「私も同じことを考えてました!それでは…」
蜜柑が言いかけたところで、突然蜜樹さんからの通信が割り込んでくる。
《ストップ!スト〜ップ!二人とも〜!今すぐそこから10mくらい離れて〜!》
「えっ…蜜樹さん、何を…?」
《とりまはやく〜!》
今すぐというなら質問してる時間はないか…僕と蜜柑は剣を構える腕を下ろし、啓而からサッと飛び退く。
「あ?おい、お前らなんで急に離れて…」
きょとんとする啓而。
すると次の瞬間、啓而の真上に大きな人影が飛び出してきた。
「『羆・巌・拳』!オラアァッ!」
そして荒々しい女性の声とともに、啓而の脳天目がけてヒグマの拳が落ちてきた。
バキバキッ!ズドオォン!
「ぐぶほぅっ!?」
ヒグマの拳は、あんなに硬かった啓而の防御壁を薄氷のように砕き割り、そのまま啓而を地面にめり込ませる。
準乙種の敵が一撃で倒された…僕と蜜柑が唖然としていると、土煙の中から袴姿の大柄の女の人が、エホエホと軽くむせながら現れた。
「ふぅ〜…ったく、朝っぱらから寺で盗みを働くたぁ、とんだ罰当たりなヤローだぜ。」
身長190cm弱はある…とても大柄だ。
ギザギザの歯の、顎の尖った凛々しい顔立ち。
茶色の瞳の鋭い目付きに、背中まで伸びた銀色の髪。
左目の下には、黒いひび割れのようなマーク。
この人、もしかして…
女の人は啓而を片手でつまみ上げると、僕らの方を向いてニカッと笑って見せた。
「ケガはなさそうだな、よかったよかった。」
「…って、まさかオレのパンチにブルっちまって、動けなくなっちまったか?」
「なぁ、姫様…そして、桜華!」
【雁金 晶印】
~甲府藩筆頭家老 甲府御庭番衆隊長~
「“くまさん”が助けに来たぜ!…って言ったら、思い出してくれるか?」
──────
〜〜〜〜〜〜
「おさかなさん!」
幼い頃の僕は、まさに文字通りの「幼竜」。
本能のままに、動くものなら何でも反応した。
特に好きだったのがお魚。
川や池の水面を見てみると、その下を何かはっきりと見えないものが、ユラユラと動いている…
それがたまらなくワクワクして、よく水に飛び込んだ。
キラキラ光る天井、くぐもる音、水中でないと見えない景色の数々…まるで別世界に飛び込んだようで、よりいっそうワクワクした。
だから幼い頃の僕は、水場があればどこにでも飛び込もうとした。
川や池はもちろん、田んぼ、お堀、お魚屋さんの生簀なんかにも、よく飛び込もうとした。
幼児の瞬発力は凄まじく、竜種とあらば殊更に高い。
飛び込みの多くは、甲府最強の一角であったお父様の手によって未然に防がれていたけど、筆頭家臣だったお父様はお仕事もあったので四六時中完璧に僕の面倒を見れるわけではなかった。
お母様は体が弱かったし、使用人の方々は僕のスピードに追い付けなかったし…なので、お父様が居ない時には、家からの脱走に成功してしまう時もあった。
しかしそこは甲府の大人たち、抜け目がない。
お父様が居ない間にもしものことが起きても対応できるよう、御庭番をはじめとする他の侍の方々も協力して僕を見守っていてくれていたのだ。
そんな御庭番のお侍様の一人に、僕が「くまさん」と呼んでいた人がいる。
僕より十歳くらい年上で、かつて畑を食い荒らしているところを捕獲され、夕斎様に引き取られたという、ヒグマの獣人のお姉さん。
晶印さんの言葉を聞いて、僕の脳裏に流れた記憶、それは…
家を抜け出して奥へ奥へと進んだ森の中…
尻餅をついている僕の前には、大きな猪の姿をした妖魔が目をバツにして横たわっている。
その上に巨大な両剣を突き立て、威勢良く胸を張って仁王立ちしているのは…くまさんだ。
何も言えずにぼーっと見つめる僕に対して、くまさんはニカッと笑って見せる。
「桜華!大丈夫かぁ?」
「“くまさん”が助けに来たぜ!」
〜〜〜〜〜〜
──────
─2031年3月11日 08:00頃─
〔甲府城 天守閣 天守広間〕
「はっはっはっ!いや〜ぁっ!良かったぜ桜華!お前がオレのことすぐ思い出してくれてよ!」
晶印さんはがははと豪快に笑い、左腕で僕を抱き寄せ、頭をわしゃわしゃと撫でてくる。
「えへへっ…夕斎様のおかげですよ。」
夕斎様は首を傾げる。
「うん?儂か?」
僕は晶印さんの丸太のような腕にしがみつきながら、夕斎様の方を見て話す。
「そうですよ、夕斎様のおかげです。」
すると蜜柑が人差し指を立て、僕に話しかけてきた。
「そういえば桜華くん、最近はヒントを与えられてから思い出すまでが、だいぶ早くなりましたね。」
蜜柑の言う通り、この一週間のうちに、昔お世話になった人たちのことをだいぶ思い出しやすくなってきた。
その理由はたぶん、夕斎様の思い出話だ。
「僕がここに来る度、夕斎様がいろんな思い出話をしてくださるので…そのおかげか、最近は皆んなのことをより早く詳しく思い出しやすくなってきているんです。」
夕斎様は小刻みに頷き、嬉しそうに笑みを浮かべながら腕を組む。
「おお…そうか、お前の記憶を取り戻すための、何か助けになればと思うてやったことだが…よかった、役に立てているのだな。」
「ゲコッ(でもだいじょーぶ?桜華…思い出すたびに頭いたそうにしてたけど…)」
伏せた姿勢で、心配そうに喉を鳴らすアズマ様。
確かに記憶が戻る度に頭痛は起きるけど、この一週間でその頻度や程度もかなりマシになってきて、最近は少しピリッと電気が走ったような感覚がする程度まで大人しくなっている。
ちなみに医局でちゃんと経過観察はしてもらっているけど、そちらでも現状大きな問題はみられないとのことだ。
「大丈夫ですよ、最近はちょっと痛い程度ですし…すごく苦しかったのは、お父様とお母様のことをはっきり思い出した時くらいでしたね。」
僕がそう言うと、アズマ様は頭をもたげて嬉しそうに鳴いた。
「キュキュゥッ(それならよかった〜、でも辛かったらちゃんと言うんだよ?)」
「晶印ちゃんはいいな〜?私なんて藩校での管狐侵入事件があったりしたから、ちゃんと思い出してもらうのに2日もかかっちゃったのよ〜ん?」
アイスティーの紙パックに挿したストローを咥えながら、目を細めて不満を漏らす蜜樹さん。
「あっはは…そりゃあ寂しかったっすねぇ…」
晶印さんが苦笑いで返すと、夕斎様もやれやれと苦笑しながらため息を吐いた。
「蜜樹よ、それはもうよかろう…もう桜華はお前のことも思い出したのだし、国音や晶印にだる絡みするでない。」
夕斎様に咎められた蜜樹さんは、狐耳と尻尾をピンと立てて、膨れっ面になってバタバタ腕を振る。
「なによー!夕斎様だってすぐ思い出してもらえたくせにー!私の気持ちなんて誰にもわかんないわよ〜!」
「…っていうのは置いといて、桜華くん、姫様、晶印ちゃん、朝早くからお疲れ様よ〜ん♡」
「なーんの!あれしきの三下、片手でダウンさせるだけっすよ!なーんにも疲れるこたぁねぇっす!」
晶印さんはそう言うと、右腕に小さい岩のような力こぶを作ってみせる。
「問題は強さよりも不可解さだよ、何がしたくってあんな悪趣味な真似しやがったって話だよ。」
今回逮捕された石見啓而は、甲府征服を企む反幕テロ組織・石見宗家の四男。
同組織の盗掘集団「夜盗虫」のメンバーで、夜盗虫は専ら遺跡調査地からの遺物などの盗掘を生業としているらしい。
でも今回啓而から押収された盗品の中には、異物は一つもなくて…代わりに大量の骨壷とそれに入った人骨が見つかった。
そんなに大量の人骨を集めて、いったい何がしたかったんだろう?
啓而は拘束後すぐに取り調べを受けているけど、骨壷盗掘の目的については話したがっておらず、理由は今のところ不明だ。
「昨日会った三而といい、石見家は悪趣味な人ばっかりですね…」
「ミサンガをくれたおばあさんも、緞炉さんも、この前に家族の御骨を盗まれたと仰っていました。関連はあるんでしょうか?」
僕がそう言いながら晶印さんの腕を脱け出すと、晶印さんは顔を顰めて唸りながら腕を組み直した。
「あるかもわかんねぇなぁ…うちの雲母も似たような被害に遭ってんだよ。」
晶印さんの話に、蜜柑は悲しそうな顔をして首を横に振る。
「お気の毒でしたよね…例によって御骨は行方不明のままですし。」
うん?聞いたことのない名前が出てきたけど…
「あの、晶印さん…“きらら”って、どなたのことでしょうか?」
僕が尋ねると、晶印さんはハッとした顔をする。
「あっ…ぉあっ!そうだったそうだった、お前は知らねーんだったな!」
「雲に母と書いて雲母、オレの愛息子さ!」
ま…愛息子…!?
晶印さんにお子様がいるの!?
すると後ろで「おーい!」という蜜樹さんの声とともに、襖がガラッと開いて、シャツとズボンを着た黒髪の小さな男の子が駆け込んできた。
男の子は僕の蜜柑の間を一直線に抜けると、晶印さんの胸に思い切り飛び込んだ。
「おかえり!ははうえーっ!」
元気いっぱいに笑顔で声を上げる男の子を、晶印さんは目一杯抱きしめて頬ずりする。
「おぉーっ!雲母〜!会いたかったぜぇ〜っ!いい子にしてたかぁ〜?」
「うん!さっき林間合宿から帰ってきたんだよ!先生からお利口さんって褒められたんだ!」
「おぉ〜!そりゃあえらいぜ雲母!オレが居なくても一人でお泊まりできた上に、お利口さんでいたなんてホントーにえらい!母上も誇らしいよ!」
晶印さんは男の子を抱き抱えたまま、こっちを向く。
「紹介するぜ桜華、こいつがオレの息子、雁金雲母だ。ほら挨拶しな。」
男の子は晶印さんに抱えられたまま、僕に向かって深くお辞儀してきた。
「雁金雲母です、はじめまして桜華…おにいちゃん?」
【雁金 雲母】
~甲府藩筆頭家老家 雁金家長男~
「硯桜華です。よろしくね、雲母くん。」
「それにしても晶印さん…いつの間にお子様をもうけられたんですか?結婚はいつ頃に?」
二大筆頭はどちらも独身と聞いたけれど、あくまで表向きの情報でしかなかったんだろうか?
僕が尋ねると、晶印さんは首を横に振って答えた。
「あーいや、結婚はしてねぇんだ。雲母はオレが孤児院から引き取った子でな…雲母の実の両親は、雲母がまだ一歳にもなってねぇ頃に事故で亡くなっちまってよ。」
「そっからはオレが育ててんだ。今年で8歳だぜ、大きくなったよなぁ…まだまだ小さいけどな、オレと同じで勉強も武道も成績優秀なんだぜ?えらいよなぁ!」
結婚はしていなかったとはいえ、まさかあの晶印さんが子供を持つだなんて…
何もあり得ない話ではないけど、年の近い姉のような存在に家族ができるって、なんだか不思議な感覚だ。
雲母くんのことを自慢げに話す晶印さんの顔は、本当に誇らしげで愛おしそう。
僕のことをよく褒めてくれたお父様の表情の記憶が重なって、とても微笑ましく思えた。
──────
─2031年3月11日 09:00頃─
〔甲府藩 甲府市 愛宕町 長禅寺〕
「そしたら母上がドカンと一発!素手でクマをやっつけてくれたんだよ!」
「おぉ〜…盾の筆頭様の怪力は噂通りなんですね。兄様も力持ちで、この前私に突っ込もうとしてきた猪を受け止めて、掬い投げしてみせてくれたんです!」
片や母、片や兄を自慢し合う少年少女。
僕たちが居るのは、甲府城の内堀から東に400m程離れた場所にある寺院・長禅寺。
雲母くんの御両親はこの寺の墓地に眠っていて、僕と蜜柑は啓而絡みの仕事で同伴できなくなった晶印さんの代わりに、雲母くんの御墓参りについて行くことになった。
そこに、夕斎様に招待されて甲府城に遊びに来た廿華も加わり、四人で長禅寺に来ることになったのである。
なんでも晶印さんは十連勤後だったらしいけど、さらに業務があると決まった時は「大丈夫」と笑っていながらも、だいぶ顔がやつれてたような気がする…本当に大丈夫かな…
ちなみに目白は、今日は朝早くから江戸へ出掛けている。
僕の段位が駆け出しの己位、蜜柑の段位が丁位なのに対して、目白の段位は丙位。
これは単独任務が許されるラインで、武術・魔術ともに一線級の実力を認められている証拠だ。
丙位を超えると任される案件もより広く多くなる…僕と再会した時も、目白は大月での任務帰りだった。
ここで晶印さんの話に戻ると、二代筆頭の晶印さんや国音さんに至っては、段位は最高位の甲位だ。
そこまでくると、どれだけ多くの重い案件を任されるのか…もはや想像がつかない。
優秀になればなるほど多くの仕事を任され、その分多くの人の役に立てる。
いつかはお父様のような御庭番を目指す僕にとって、段位アップは持続的な課題となっていくわけだけれど、目白や晶印さんのように仕事に追われる忙しない生活を送りたいかと言われるとモヤモヤする。
わがままを言っちゃダメだけど…お父様も二人みたいに忙しかったのかな…?
「二人とも自慢話に花を咲かせて、結構気が合うみたいですね。」
「それにしても桜華くん、猪を止めてしまうなんて…すごいパワーですね!」
ぼーっと考え込む僕に、蜜柑が話しかけてくる。
「あっ…あはは…猪に関しては咄嗟の行動が掬い投げになっただけで、本当は刺激しないように離れるのが無難です。」
その話題を出されるのは恥ずかしいんだけどな…僕は苦笑いで返した。
するとその時、寺の隣の建物の上に、狐面を被った袈裟姿の人影が立っているのが見えた。
視界に入れた途端、全身に走る悪寒。
この感覚…知ってる、ミサンガをくれたお婆さんと一緒に居た時、紙芝居屋の前を通り過ぎた狐面の男だ。
なんであんな場所に…僕が目を凝らすと、狐面の男の方向から呪文が聴こえてきた。
「『…結び 開け 羅刹と骸 囲め 絡めよ 四百を一手に…』」
「『開』」
なんだかわからないけど…これは、まずい!
僕はすぐに振り返ると、廿華と雲母くんに手を伸ばそうとした…けど、時既に遅し。
僕と蜜柑の眼前に筵の壁が現れ、廿華と雲母くんは壁の向こうへ隔てられてしまった。
「廿華!雲母くん!」
僕の呼び掛けも虚しく、筵の中にはたちまち濃い青紫の霧が立ち込め、廿華と雲母くんの姿は霧に飲まれて消えてしまった。
「蜜樹さん!蜜樹さん!筵が発生しました!場所は愛宕町ニ〇八・長禅寺付近!目の前で廿華ちゃんと雲母くんが筵の中へ…!」
すぐさま通信機の電源を入れ、蜜樹さんに状況を報告する蜜柑。
《聴こえてるわよ〜ん!突然で悪いけど二人とも!すぐ突入してちょ〜だい!》
「『鬼術・七十番』」
「『夜を照らして夜より聡く 可惜夜の宿す霽月よ 穢れを映し隔て給え』」
「『閨』」
「『鬼術・十番』」
「『天ノ戸開き 月夜もすがら 静かに拝む 天岩戸を』」
「『岩戸神楽』」
僕と蜜柑は交互に鬼術を発動し、閨を張るとともに結界に侵入口を作る。
穴からはドロドロと紫色の霧が漏れ出してきて、前方を確認することができない…
聖鎧に武装すると、蜜柑が手を差し出してきた。
「桜華くん、離れると危険ですので、ここは手を繋いで侵入しましょう。」
僕は黙って頷き、蜜柑の手を掴むと、足を揃えて穴へと踏み込む。
《うわわ、すっごい霧だねぇ…これじゃ前が全然見えないわ〜ん…》
やっぱり何も見えない…逸れないよう手を繋いでいるのは正解だった。
文字通り一寸先も見えない霧の中、まともに周囲を視認できない中でどうすれば筵の主を見つけられるだろう?
筵に入って二、三分くらいが経った時のこと。
《ん…?待って二人とも!四時の方角、何か近付いてきてるわ!》
蜜樹さんの警告した方向に振り向くと、鼻先が触れそうな位置に、ヌルヌルとした“何か”が迫ってきていた。
僕と蜜柑はすぐさま飛び退き、剣を正眼に構える。
手足がなく青白い人間の胴体。
上半身から長く伸びる、ぬめりを帯びた目鼻のないウナギのような頭。
下半身から長く伸びる、ぬめりを帯びた青黒く尻尾。
頭は両肩から一本ずつ、頸からは三本束になって伸びている。
全身には白い横縞模様が走り、不気味に艶を帯びている。
そして、人の体とウナギのような体の繋ぎ目はボロ布で覆われていて、体高は2mくらいある。
一番真ん中の頭が、びっしり生えた鋭い牙を見せながら口を開く。
「ニュルンフフフ…さっそく強そうな獲物を二匹も見つけてしまいましたなぁ…」
間違いない、これは怪魔…
「あなたがこの筵の主ですね。」
僕が尋ねると、怪魔はぺこりとお辞儀をし、どこかセールスマンのような口調で意気揚々と答える。
「はぁい、そうですとも!先に名乗らず申し訳ない…私は四叉野槌と申します。以後お見知り置きを…」
~乙種怪魔~
【四叉野槌】
「な、何の生き物でしょうか…この…ヘビ…?」
蜜柑が首を傾げながら呟くと、四叉野槌は怒鳴り散らした。
「ぬわーっ!蛇などではなーいっ!失敬な奴めっ!」
どこからどう見ても、蛇の怪物にしか見えないのだけど…何が気に入らないんだろう?
《簡易魔力測定完了!敵の推定階級は乙種よ!二人とも交戦に入るのは待って!》
乙種は国レベルの脅威を示す階級…山蛞蝓や牛鬼丸はもちろん、三而なんかよりも強く、己種と丁種の二人での対処が難しいことは明らかだ。
でも廿華と雲母くんを助けるためには、一刻も早くこの怪魔を倒さないと…
焦りで手に汗が滲み始めたその時、後ろからズズズ…と何か重い物を引き摺る音と、ズシズシと重く低い足音が近付いてきた。
振り向くとそこに居たのは…
身の丈程ある巨大な大剣を引き摺り歩く、晶印さんだった。
ボンボンと体から音を立て、周囲の霧が払われていく。
フーフーと荒い吐息が聴こえ、目付きは見たことない程に鋭く血走り、食い縛った口の端からは鋭い牙が伸びて見える。
「な、なんですかアナタは…」
四叉野槌が尋ねようと声を掛けると、晶印さんは大口を開けてそれを掻き消すように怒鳴った。
「一ッッ!!邪悪で非道な悪い奴にゃぁ…」
「ニィッ!!震えて揺れる大地の怒りをぉ…」
「三ッッ!!ぶつけてやるぜ!問答無用ォッ!!!」
身動きが取れない。
地面の小石がカタカタと音を立て、空気がバリバリと揺れる。
な、なんて迫力…
晶印さんは「金剛武神伝」と書かれた灰色の術巻を取り出すと、大剣の持ち手のスロットに入れる。
「『忍風』ッ!」
そして武装の呪文を唱えると、全身に無骨な灰色の鋼の装甲が纏わり付き、端々が角ばった重戦士のような甲冑に変化した。
胸のど真ん中には大きな金色の花菱紋。
さらに晶印さんは大剣を両手で頭上に高く持ち上げると…
「『千巌万壑ッ!ブッタ斬れェッ!“積土”ォッ!』」
勢いよく地面に振り下ろした。
大剣は地面に蜘蛛の巣のように大きな亀裂を刻むと、ガチガチと音を鳴らしながら持ち手側にも伸び始め、やがて晶印さんの身の丈すら超える巨大な両剣となった。
刀身の表面には薄い六角形の紋様が描かれていて、刃の部分は赤く発光している。
〈積土両断!金城湯池の両剣が、南方より絶大なる一撃を振り翳す!〉
これが甲府藩二代筆頭の一角、盾の筆頭の持つ“土の聖剣”…!
~怒巌剣~
【積土】
晶印さん、怒ってるんだ…
雲母くんを、自分の命よりも大切な息子を、自分の目の届かない所で奪われて…
「…ォオッ!」
晶印さんは雄叫びを上げ、両腕でグルグルと積土を回す。
地鳴りとともに凄まじい風が吹き、僕と蜜柑は近くの木にしがみつく。
ゴゴゴ…という音ともに大きくなっていく地響き。
やがて晶印さんの真上に、筋骨隆々とした巨大な鬼神のような腕が、10m以上はあろうかという巨大な積土を片手に持って現れた。
「え、や、ちょっと待っ…」
四叉野槌は制止を呼び掛けようとするも虚しく…
「うおぉ…ッ!!『大・撃・断』ッ!!」
晶印さんはそう叫ぶと、積土を思い切り正面に振り下ろす。
それと同時に、真上に現れた巨大な積土が、四叉野槌に向かって勢いよく振り下ろされた。
ドガアァーーーンッッッッ!!!!
後ろの小山が真っ二つに割れ、四叉野槌の居た地面は縦長に大きく陥没した。
「そ、そんな…乙種が…一撃で…!?」
僕はただ驚嘆するしかできない。
何もできなかった僕と蜜柑の目の前で、乙種の怪魔は呆気なく、一撃で葬られた。
「ふぅ…さて、あとは廿華ちゃんと雲母を助けに行くだけ…あぁん?」
晶印さんは積土を背負い直し、聖鎧を解除したものの…怪訝な表情で空を見つめる。
違和感。
立ち込める霧は消えず、筵の壁もそのまま。
《んんん?あれれ?おかしいなぁ…怪魔の生体反応はしっかり消えてるんだけど、なんでぇ〜???》
怪魔を倒したはずのに…
どうして筵が消えないの…!?
〔つづく〕
─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─
〈tips:人物〉
【雁金 晶印】
甲府藩の現筆頭家老の一人で、通称「盾の筆頭」。
26歳・エゾヒグマの獣人。
身長189cm・筋骨隆々とした厳つい外見に違わず、豪放磊落で威勢の良い女傑。
何かと不器用ながらも面倒見は良く、相談にも親身に乗ってくれることなどから、桜華や蜜柑たちからは姉のように慕われている。
幼少期に自分一人を残して群れが全滅し、遠路はるばる甲府に迷い込んだところを捕獲され、飯石夕斎に引き取られた過去を持つ。
桜華の父・硯風弥はかつての先輩にあたり、御庭番の侍として徹底的に指導を受けてきたことから、強い畏怖と尊敬を向けている。
好物は炭酸飲料だが、よく開ける時に噴きこぼしてしまう。
─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─
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