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甲州御庭番劇帖  作者: 蕃石榴
壱ノ巻-第一章『竜驤戴天』
21/57

#21 急襲 急「瞳に映して」

時は2031年。

第22代江戸幕府将軍の治める太陽の国、日本。

此処はその天領、甲斐国・甲府藩。


豊かな水と緑を湛えるこの地は今…


その一割を「彼岸」に蝕まれている。

 急 ~瞳に映して~


 ─2031年3月10日 17:55頃─


 〔徽典館 本館2F 7-1教室前廊下〕


 教室側の窓にギラっと光る、トム・キャットの目。

 こっちに来る!なんとかしなきゃ!

 トム・キャットの攻撃は今の僕ではとても捌ききれるものではなく、ダメージは回避できないと言っていい。

 それならなるべくHPを稼ぐ手段に出るしかない。


「来て!水桜!」

 すぐにでも来てほしい…

 僕が水桜の名を叫ぶと、トム・キャットの動きが止まり、三而が身を低く構える。

 ところが…


「…あれ?水桜?水桜っ!?」

 何も起きない。

「おいおい…ただの猫騙しか?」

 三而が呆れた顔でため息を吐き、片手を払う仕草をすると、再びトム・キャットが動き出した。


 ヒュヒュッ…ガシュッ!


「ぅくっ…!」

 防御しようと咄嗟に組んだ腕を斬り刻まれる。


 最近わかったこと。

 それは、水桜がかなりの気まぐれ屋さんだということ。

 水桜に出会ってからのこの一週間、名前を呼んでも一度で来てくれることはほとんどなかった…

 それどころか、何度繰り返し呼んでも反応がなく、結局二、三時間経ってようやくやって来たこともあった。

 そして、やって来る時は必ず僕の足元に突き刺さってくるし、決まって不機嫌そうな態度をとる。


 聖剣は心を宿した剣。

 経験の浅い僕が、水桜の信頼関係をまだ十分に築けていないことは理解できるけど…

 いろいろ話しかけてみても、水桜は基本ダンマリを貫いていて、まともに会話が成立することもあまりない。


 たかが一週間、されど一週間。

 持ち主がここまでの窮地に陥ってもなおやって来ようとしないのは、僕を使い手として認めていないからなのか、それとも単に虫の居所が悪いだけなのか。

 いずれにせよ水桜が僕に伝えてくれることはないだろう。


 聖剣が無いなら、牛鬼丸の時のように術巻を駆使する…というわけにも今回はいかない。

 術巻もまた術式を発動するための武器の一つとして、聖剣と一緒にロッカーに保管されているからだ。

 それにもかかわらず、仙太が一寸ボーイの術巻を僕に手渡すことができたのは、登校時に塀の外から敷地内へ術巻を投げ入れているため。

 手荷物のスキャンは各校門で行われるため、そもそも校門を通さずに密輸すれば気付かれることなく敷地内に持ち込めるという寸法である。


 聖剣も無い、術巻も無い。

 この状況下で使えるのはソウル能力しかないけど、高速の波繁吹の弾を叩き落とせるトム・キャット相手に直接有効打を与えられるとは思えない。

 今できることは…


「『水龍奏術』、『水鞠・波繁吹』!」


 パリパリパリィン!


 目前の左右にある窓ガラスを水鞠で撃ち抜き、割っていく。

 式神やその本体に攻撃を当てられないのなら、せめて式神の移動経路を封鎖しておく。

 手詰まりな状況下でも、できる限りのベストを尽くす!


 三而は顎に手を当て、少し目を見開く。

「成る程、破片は外へ飛び出すよう調整して割ったか。」

「賢いな…そうしなきゃ、あの狐共の二の舞だと思ったんだろう?」

 その通りだ。

 トム・キャットは、空調の液晶パネルや水鞠にすら潜り込める。

 鏡面さえあればどんな物にでも移動でき、大きさは問わない。


 もしかしたら管狐兄妹の御両親は、その能力に勘付いて、何らかの方法で設置された鏡を破壊したのかもしれない。

 でもその結果、ガラスの破片を散乱させてしまうと、さらにトム・キャットの移動経路を複雑にしてしまい、ただでさえ速過ぎる攻撃がますます読めなくなってしまう。

 だから、窓ガラスを向こう側へ押すように撃ち抜き、こちらにガラスの破片が飛ばないように割った。


 しかし三而は余裕の表情を崩さない。

「早々にトム・キャットの移動条件を見抜いた事といい、よく観察してるよ…父親譲りの慧眼か、つくづくイヤな気分にさせてくれるな。」

「だがその慧眼、まだ青く甘くて何よりだ…お前の父親なら、そこで一拍も置くことなく次の手に移っているところだが、お前は違った!そこで思考停止だ!」

 三而が声を張り上げていると、トム・キャットの眼光が床に浮かび上がり、僕の斜め上を見つめる。

 僕の近くにある“鏡”は一通り潰したはず…どこを見てるの…?


「そこですぐ理解できないのが致命的だったな…頭上にある、常に床を映す鏡の存在を思い付かないとは!」

 常に床を…もしかして!

 僕の頭上斜め後ろ、振り向いた先にあったのは防犯カメラ。

 そのレンズの中に、トム・キャットの小さな眼光が覗く。

 距離は2mもない…ここからだと直接顔を狙われる…!

 でも今気付いたところで、もう回避が間に合わない!


 覚悟して目を瞑ろうとした次の瞬間、ガシャーン!という大きな音とともに、銀色の物体が目の前を横切った。

 銀色の物体はヒュッと風を切り、トム・キャットを跳ね飛ばすと、そのまま壁に突き刺さった。


 その飛んで来方は…間違いない!

「水桜…!」

〈…其方があまりに遅々とする故、仕方なく来てやったぞ。〉

 相変わらず乱暴かつ気まぐれな登場に、紳士的な火麟を見習ってほしい…とは思わなくもないけど、少なくとも声は届いていたらしい。

 本当の本当に切羽詰まった時に、ちゃんと駆け付けてくれた…少し見直しましたよ、水桜。


 三而の側へと跳ね飛ばされたトム・キャットは、「フーッ!」と毛を逆立ててこちらを威嚇しながら廊下の床へ沈んでいく。

 それと同時に、三而は苦しそうな顔で首に手を当てる…

「くそっ…あれが水の聖剣か…忌々しい。」

 蜜柑に教えてもらった…式神は本体の魂の片割れ故に、式神が傷を負うと本体もまた傷を負う。

 今の水桜の突進は、三而にしっかり通ったみたいだ。


〈桜華よ、其方も随分頭が高うなったな…傷を癒すためだけに妾を使うとは。〉

 僕の思惑は、水桜にはお見通しだったらしい。

 聖剣を起動しようにも詠唱の隙を狙って攻撃されるリスクがあるし、聖鎧に武装しようにも術巻が手元に無い。


 とにかく水桜とは合流できた。

 水桜によるオートの自己治癒機能で、ここまでに負った傷はだいたい誤魔化せる。

 でも水桜を手にしただけでは、この戦況は好転しない。

〈この状況、どう打開するつもりだ?〉

「僕に考えがあります。」


 水桜の問いに答えた僕は、三而とトム・キャットからはなるべく目を離さず、廊下を後ろ向きに走り出す…“ある物”を探すために。

「はぁ…?何をする気だ…?変なことをされて任務がグダついてはならん、追えトム・キャット!」

 三而は一瞬困惑した表情を見せた後、すぐに厳しい顔付きをして僕を指差し、トム・キャットを嗾けようとする。


 後ろへ流れていく景色の中、まもなく僕は横目に“ある物”を見つけた。

 それは…

「硯桜華、貴様…何をする気だ…?」

 再び口をぽかんと開ける三而。

 僕が見つけ手に取ったのは…教室側の壁につけられた机の上にあった、黒板消しクリーナー。

 備品を壊すのは忍びないけど…力づくでこじ開け、中身を辺りにぶち撒ける。


 ボフンッ!


 ここのクラスは掃除の時間に中身を捨てるのをサボっていたらしい…大量のチョークの粉が、左右の窓、そしてせっかくピカピカに磨いた廊下の床を真っ白に汚していく。


「おいおい…やはりバカかお前は?」

 せせら笑う三而。

 でも僕はいたって真剣だ。

「そんなにあちこちの鏡を汚しちまったら…トム・キャットはお前の剣に一直線だろうが!」

 廊下の床から再びトム・キャットが浮かび上がり、こちらに狙いを定めてヒュッと姿を消す。


 来る!

「血迷ったな硯桜華!やはりお前は硯風弥には到底届かんバカ息子だ!」

「死ね!お前を殺せば硯家は根絶やし!」

「俺はようやく恐怖を克服し、再びマトモな人生へ歩み出せる!」

 口角を釣り上げて声を張り上げる三而。

 トム・キャットが消えるのに合わせて、僕は水桜を鞘に納め、目をカッと見開く。


 三而の言った通り、僕の周囲の“鏡”は今悉く汚れ、トム・キャットの飛び込める“鏡”は水桜だけになっていた…わけじゃない。

 “鏡”はもう一つあり、水桜を鞘に納めた今、トム・キャットはそこに飛び込むしかない。


 光を反射する物全てを“鏡”というなら…

 人間の瞳も、また“鏡”だ。


「…ぐぅっ!」

 額から鼻にかけて掻き切られたのを感じた瞬間、僕はすぐに左目を閉じた。


「な、なんだと…まさかお前…」

 狼狽える三而を右目で睨み付け、僕は声を張る。

「光を反射する物全てに“鏡”として飛び込めるのなら、この景色を映す瞳もまた“鏡”!」

「そして瞳を閉じれば…反射し合う鏡はどこにもなくなる!僕が左目を閉じている限り、トム・キャットはもうどこへも行けない!」

 ろくに攻撃も回避もできないなら、その性質を利用して閉じこめてしまえばいい。

「だからって眼を犠牲にするリスクを冒すなんてな…お前ェッ!馬鹿どころか頭イカれてんのかァッ!」

 怒鳴り散らす三而。


 睨み合い、一瞬の沈黙。

 僕は真横にあった消火栓のボタンを、拳で叩き押す。

 ジリリリリ!という警報音とともに、ザーザーと降り出すスプリンクラーの水。


 夕陽に照らされ、橙色に輝く水飛沫が降りしきる中…

 直後、僕は壁から天井へ斜め前に駆け上がり、三而の目前へ飛び降りる。

「くそっ…ガキのくせに、一丁前に腹括りやがって…!」

 三而は悪態を吐きながら、上着の背からドスを取り出し、上から落ちてくる僕に斬り掛かる。

 僕は上半身を屈め、両足で着地すると、その反動でドスを持つ三而の右手首を殴り付けた。


 僕を掴もうと飛んで来る左腕を後方へ躱し、さらに前進しながら繰り出される打撃を後退りしながら躱していく。

 右手と両足の打撃は避け、ドスの斬撃には左手へのカウンターを入れていく。

「得物を取り上げたいっていう魂胆は…丸見えだッ!」

 僕が立ち止まって三而の顔にハイキックを入れようとすると、三而はそれを左手で受け止め、ガラ空きになった腿にドスを突き立てようとする。

 僕は翼を出して一度羽ばたき、体を浮かせてドスの攻撃を躱す。


「何っ!?」

 驚く三而の左手をを、体を捻って振り解くと、そのまま両脚で三而の頭を挟んで押し倒す。

 そして両手を合わせて握り込み、三而の顔面に振り落とした。


「ぐばぁっ!」

 三而の鼻が折れ曲がる。

 僕は衝撃で右手からドスが落ちたのを見逃さず、すぐ拾い上げ、廊下の向こうへ床を這わせるように投げた。


 ──────


 このガキ…

 たった一週間前は、聖剣なしでは丁種妖魔にも歯が立たなかったくせに…


 ここで負けてはいけない…

「再び硯家に負けた」という屈辱を、石見宗家に持ち帰る訳にはいかない!


 俺は石見宗家の血統。

 敗走したからといって殺される訳ではない。

 だがそれは肉体の生死の問題でしかない。

 精神は…俺の魂の拠り所は、ここでしくじれば必ず死ぬ。

 これは単なる暗殺任務ではない…俺の“生死”を賭けた闘いなのだ。


 首の上に馬乗りになってきた桜華を両手で掴もうとするも、桜華はすぐに後ろへ飛び退いた。

 すばしっこいガキめ…ここまで手古摺るのは想定外だ…


 だが勝機は十分にある。

 コイツの能力は水鞠とかいう水塊を掌から生成し、それを加圧して発射するというもの。

 しかし、手を忙しなく振るう密着状態の肉弾戦となった今、コイツに水鞠を生成する余裕はない。


 お互い再び起立状態に戻り、俺は先程と変わらず積極的に打撃で攻めていく。

 いくらコイツが竜とはいえ、所詮は侍になって一週間の青二才。

 戦闘経験や技術はこちらの方が遥かに上だ。

 現に俺の打撃に、桜華は対応するのが精一杯と見える。


 そろそろ良い頃合いだろう。

 桜華、お前はすっかり安心している。

 俺から、たった一本ドスを奪った程度で。

 俺の背にはドスが二本差さっている。

 だが一本目を奪われても、敢えてすぐには二本目を抜かなかった。

 俺の打撃への対応に一生懸命なお前は、それが何故かもわからんだろう?


 桜華の目線が完全に俺の左腕に向いたその時、俺はすぐさまドスを抜き、桜華の左頸目がけて振り抜いた。


「ここまで悪足掻き御苦労、褒めてやる…それじゃあな、硯桜華。」

 トム・キャットを閉じ込めるために閉じた左目、お前が自ら作り出した死角。

 そこに予想外の得物による襲撃…致命傷は不可避だ。


 ドスッ!


 廊下に響く鈍い音。

 目に入ってくる大粒の水滴…これはスプリンクラー…?

 俺は…何故、真上を向いてるんだ…?


「ずっと漂っていました…濡れた金属の、わずかな錆臭さ。」

「だからこの時を待っていたんです。」

「あなたが不意打ちに移る時を。」


 コイツ…俺の奇襲を最初から予想して、すぐに身を屈め、俺の顎を蹴り抜いて…

 な、なんだ…揺れる…こんなの、聞いてないぞ…

 俺の思考はそこで止まり、視界は暗転した。


 ──────


「『震透撃』」


 人間の頭蓋骨は、後頭部の部分で頸椎と繋がっている。

 顎に強い打撃を与えると、その繋がった部分を支点とするてこの原理が働き、瞬間的に脳は強く揺さぶられる。

 そこにさらに、水龍奏術で頭蓋内の水分を波動させれば…確実に脳震盪を起こせる。


「『鬼術・二十一番』」

「『巻きに 巻かれよ 平の蟲』」

「『真田縛り』」

 薄く平たいながらも強度の高い魔力の紐で、対象を縛り付ける縛術。


 仰向けに倒れ込み、胴を縛られた三而の喉元に、僕は水桜の鋒を突き付ける。

「ぐひっ…!」

 三而は早々に目を覚ますなり、僕の目を見つめて顔を真っ青にし、追い詰められた鼠のように酷く怯えた顔を見せた。


 〜〜〜〜〜〜

「ここにいるみんな、誰も悪くないんだっていうんならっ…!」

「おれは…おれたちは…!何に怒って、何を憎んだらいいんだよぉっ…!」」

「家も、家族も、みんな燃えて無くなったのにっ!この悔しさを、どこにぶつけりゃいいんだよぉっ…!」

 〜〜〜〜〜〜


 ハッチの言葉が蘇る。

 ハッチとソウカから全てを奪った下手人は今、僕の目の前で身動きを取れなくなっている。


 僕は今、どんな目をしているのだろう。

 僕は今、どんな顔をしているのだろう。


 胸の中を、黒くドロドロとしたものが伝っていく。

 お父様とお母様が死んだのは、こいつのせい。

 ハッチとソウカの御両親が死んだのも、こいつのせい。

 その左腕に提げられた分の犠牲も、こいつのせい。

 今ここで鋒を前に押し進めれば、こいつはその罪全てを贖うことができるのだろうか。


「あ、あぁ…ひぁ…」

 冷や汗を流し、歯をガチガチと鳴らし、眼を震わせる三而。

 その姿に、思わず僕は言葉を漏らす。

「なんですか…その顔は…その声は…!」

「あなたが殺した人たちには、そんな声を上げる暇も無かったんだ…!」

「なのにどうして…!」

「どうしてあなたに、そんなふうに怯える資格がある…!?」


 水桜の刀身に夕陽が差し、僕の顔が映り込む。

 眉間に深く刻まれた皺、長く伸びた牙、そして釘のように細長い瞳。

「…っ!」


 〜〜〜〜〜〜

「腹の底から憎かったとしても、許されざる罪を犯した極悪人だったとしても、僕は…殺すのは嫌です。」

「そうやって、僕にとって“傷付けていいもの”ができた時、本当に大切なものの尊さまで曖昧になっていくのが…」

「それが怖くて仕方ないんです。」

 〜〜〜〜〜〜


 思い出すのは、ハッチに告げた自分の気持ち。

 そして、「兄様!」と笑顔で僕の帰りを迎えてくれる廿華の笑顔が、瞳の奥に浮かび上がる。


「はぁ…はぁ…っ…」

 水桜が手からするりと抜け、カランと音を立てて床に転がる。

 僕はそのまま後ろに尻餅をつき、へたり込んだ。


 サッと血の気が引き、湧き出したドロドロとした感情は一斉に恐怖へと変わる。

 越えてはならない、“暴力の一線”。

 吐いた言葉を反芻し、“本当に大切なもの”を思い浮かべて…

 なんとか踏み止まった。


 カン、カン、カン、カン


 すると何処からともなく鉦鼓のような音がして、目の前にいる三而の姿がパッと消えて無くなった。

「えっ…!?」

 しまった…逃げられた…!?


「おい桜華〜!大丈夫かぁ〜!」

 後ろからドタドタという騒がしい足音と、天貝先生の大声が近付いてくる中、僕は座り込んだまま辺りをきょろきょろとするしかなかった。


 ──────


 ─2031年3月10日 18:10頃─


 〔徽典館 体育館裏〕


 人気のない体育館裏の草むらの上に、突然胴を縛られた三而がパッと現れる。

「ぐぁ…はぁ…はぁ…!」

 未だ冷めやらぬ恐怖に息を切らす三而の上にかかるのは、氿㞑の影。

「おやおや…黒豹を呼び戻したつもりでしたが、鼠が帰ってきましたねぇ。」

 氿㞑は仮面にあいた暗い目の穴から、黄色く丸い瞳を光らせ、それを細めて愉快そうにせせら笑う。


「氿㞑、貴様…!」

 恨めしそうに睨み付ける三而を、氿㞑は爪先で突っつく。

「居たなら助けを寄越せば良かったのにとでも?いやいやぁ…暗殺部隊の隊長ともあろう御仁が、まさかこんな一介の陰陽師の手など借りようとは夢にも思うまいと…そう、私なりに(おもんぱか)って差し上げたのですよ?」

「あらあら眼鏡まで割られてしまって、なんと無様な…フフフッ…」


 呻き声を上げる三而を他所に、氿㞑は振り返って桜華の居る方向を眺める。

「硯風弥の忘形見…なかなかどうしてしぶといですねぇ、面白い。」


 ──────


 ─2031年3月10日 19:00頃─


 〔甲府藩 笛吹市 八代町(やつしろちょう) 高家(こうか) 小山城(こやまじょう)


 ここは笛吹市の中心部の丘陵にある城・小山城。

 その客室の一角の、半露天風呂。


 モクモクと立つ湯気の中で湯を浴びているのは、筋骨隆々ながらも豊満な肢体の、背丈六尺は超えようかという若い女。

 女は立ち上がると、ゆさゆさと体を揺らして(ひのき)の湯船に入り、一気に首元まで浸かった。


 ザブンッ!


「はあぁ〜…!十連勤後のアッツアツの風呂は…骨身に染み渡るぜぇ〜!」

 すると湯船の縁に置いた風呂桶の中から、雅楽のような通知音が鳴る。


「うおぉいっ!マジかよー…せっかくようやく一息つけるってのにさぁ〜…」

 女はげんなりとした様子で風呂桶からスマホを取り出し、画面を眺め…少しして勢いよく湯船から立ち上がった。


 ザバァッ!


「は…藩校に襲撃者だぁ!?」

「こりゃあ…こんなとこでプカプカしてる場合じゃねぇ!」

 女は早足で浴室を出ると、急いで着物を着付け、大きなボストンバッグを肩に掛ける。

 そして、ロッカーから1m以上はあろうかというバスターソードのような大剣を取り出して背負い、城門を飛び出した。


「待ってろ雲母(きらら)…オレの可愛い愛息子!」


 女の名は「雁金(かりがね) 晶印(しょういん)」。


 甲府藩主・飯石夕斎に仕え、甲府藩の武士の頂点に立つ侍。


 甲府の二大筆頭、その一人である。


 〔つづく〕


 ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─

〈tips:人物〉

石見(いわみ) 三而(そうじ)

 甲府藩転覆を狙うテロ組織「石見宗家」の三男で、同組織の暗殺部隊「落鳥」の隊長。

 35歳。

 暗殺対象は身だけでなく精神や尊厳まで徹底して蹂躙すべきというモットーを持ち、始末した相手が大切にしていた物を汚損した上で左手首のチェーンに掛けて飾っている。

 桜華の父・硯風弥には18年前の交戦を経て深いトラウマを負っており、風弥の死後も癒えることなく、息子である桜華を抹殺することで克服しようとした。

 桜華との戦いにも敗北した結果、トラウマは以前にも増して深刻化し、いよいよ再起不能となった。

 ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─

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― 新着の感想 ―
わせ鏡から始まる不意打ちの恐怖、正体を現す石見三而の狂気、そして桜華の決死の応戦と心の葛藤まで、緊張感が途切れず読める章ですね。 トム・キャットの能力の仕掛けや廊下の鏡面を活かした戦闘描写も巧み。 …
今回は踏みとどまったけれど一度黒いものを感じ取ってしまうとそれとも戦わなきゃいけなくなるから これからどうなるのか気になります! そして背丈六尺のお姉さん!!
桜華の「敵を倒すためなら自分の片目をダメにしても」、という「勝つこと」に対する執念というか精神力が、明確になりましたねw同時に、自分の中にも「黒い感情がある」と言うこともwこれからの桜華は、身体・退魔…
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