#20 急襲 破「鬼出電入のトム・キャット」
時は2031年。
第22代江戸幕府将軍の治める太陽の国、日本。
此処はその天領、甲斐国・甲府藩。
豊かな水と緑を湛えるこの地は今…
その一割を「彼岸」に蝕まれている。
破 ~鬼出電入のトム・キャット~
─2031年3月10日 16:45頃─
〔徽典館 本館2F 7-1教室〕
左頬が痺れとともにズキズキと痛み、生温かい血がツーッと流れるのがわかる。
き、斬られた…?
式神が接近してきてマズいと判断した僕は、わずか一秒にも満たないうちに鏡を僕と正反対に向けて投げ捨てた。
つまり敵の式神は、僕が鏡を裏返すよりも前に…既に鏡から出てきていたということ。
出てきたのが見えなかった…いや、もしかして、速すぎて目に留まらなかったというの…?
式神はどこへ行ったの?
立ち上がって辺りを見回すものの、周りの景色は相変わらずただの夕暮れ時の教室。
式神の行方はわからないけど…異常事態であることに変わりはない。
蜜樹さんに連絡するため通信機のスイッチを入れ、教室の非常通報ボタンに向かって歩こうとしたその時。
「えっ!?」
廊下側の窓ガラスのうち一枚が揺らめき出し、その中に猫の式神の眼光が見えた。
僕は急いで通報装置へ駆け出す。
ビャアァッ!
でも式神の動きは僕よりも遥かに速くて…僕を追い越して、通報装置を掻き切って破壊する。
さらに式神は、通報装置のすぐ横にある空調の液晶パネルから、僕の顔目がけて飛び出してきた。
ガリィッ!
僕が咄嗟に顔を逸らすと、式神は僕の耳に着いた通信機に鉤爪を引っ掛け、もぎ取っていく。
「うぅっ…!」
痺れる…これは電撃…?
式神は再びどこかへ消える。
通信機に通報装置、外部に助けを求めるための手段を悉く断たれてしまった。
大声で助けを求めるべき?
いや、具体的に何が起きているか伝えないまま人を近付けると、式神による攻撃の被害者を増やしかねない…かえって危険だ。
逃げて大丈夫だろうか?
この式神は突然窓ガラスや液晶パネルから飛び出しては、すれ違い様に攻撃し、そして突然消える。
素早いことはわかったけど、この神出鬼没の能力の発動条件が全くわからない。
そしてあの、目にも留まらぬ猛スピード…おそらくイクチでも振り切れない。
性質も対処法もわからないまま教室から飛び出して逃げようにも、すぐ追い付かれてしまうはずだ。
戦うにしても逃げるにしても、ここは式神の能力を探らずには動けない。
僕がもう一度身を起こすと…
ビュアァッ!
今度は外側の窓に式神の眼光が見え、僕の方を向く。
「『水龍奏術』…ぅあぁっ!」
急いで水鞠を作り出そうとするも、水鞠は一瞬で弾け飛び、掌を斬り刻まれる。
僕がふと廊下側の窓を見ると、また式神の眼光が現れてこちらを向き、次の瞬間には僕の右上腕がザクっと斬れた。
ヒュヒュヒュヒュヒュヒュ…ッ
「うっ、ぐっ、あっ…」
廊下側と外側、向かい合った窓の間を、式神は緑色の火花を散らしながら、猛スピードで飛び交う。
僕はろくに防御の姿勢を取ることもできず、左耳、右肩、左脇腹、右太腿…と次々に斬り傷が増えていく。
「ぐぅっ…!」
そして僕が尻餅をついて、後ろへ倒れ込むと…また攻撃がぴたりと止んだ。
どうして…どうしてまた急に、僕を襲ってこなくなったの?
さっきも僕が床に倒れ込んだ後、もう一度立ち上がるまで攻撃は来なかった。
もしかして、単に襲ってこないんじゃなくて、襲ってこれないんじゃ…?
ふと気になって、ペンケースからボールペンを一本取り出し、机よりも低く放り投げる。
ペンは放物線を描いて、カチャッと音を立てて床に転がる。
ただそれだけ、何も起きない。
次に、ボールペンを机よりも上の高さまで、高く放り投げる。
するとペンが窓あたりの高さに達したところで、バキッと音を立てて真っ二つになった。
やっぱり速過ぎて目で追えないけど、さっきと違って式神の攻撃が来る!
式神の攻撃は、僕の体が一定の高さになると始まる?本当にそれだけだろうか?
さらに試しに、ボールペンを窓に届かないギリギリの高さに放り投げると…
何も起きず、ペンは床に転がった。
攻撃の条件がわかった。
僕は立ち上がることなく、身を屈めたまま教室の後ろの方へ下がっていく。
式神の出現した状況も踏まえると、攻撃の条件は「合わせ鏡」。
教室の外側と廊下側の窓は、見方を変えれば向かい合わせになった鏡どうし。
式神は鏡の中に潜み、互いを映す鏡から鏡へと高速で一直線に移動し、すれ違い様に攻撃してくる。
合わせ鏡どうしを結ぶ直線上しか移動できないから、それより下にいる僕には攻撃が届かないのだ。
そうとわかれば、合わせ鏡の“範囲”に入らないよう、この教室から脱出するまで。
慎重に後退りし、教室後方の戸に差し掛かった時のこと。
突然教室前方の戸がガラッと開き、黒い背広を着た男が現れ、戸口に凭れ掛かる。
髪を中央に分けた、口元に傷のある、丸眼鏡をかけた老け顔の男。
この男…もしかして…
ハッチとソウカの両親を殺した犯人…!?
男はまるで虫ケラを見下すような、じっとりとした不遜な眼差しで僕を見つめ、口を開く。
「おい小僧、腰を抜かしたまま何処へ行くつもりだ?」
「まさか…逃げようと思ってるのか?逃げられると思ってるのか?」
男の左手首からはチェーンが垂れていて、そこには薄汚れた髪飾りや手毬といった小物が引っ掛かっている。
そしてその中には…小さな麻の手袋も繋がっていた。
「あなたが式神の本体…そして大月で管狐の夫婦を殺した犯人…」
僕は男を睨み付ける。
「夫婦の御遺体の近くになぜガラスが散乱していたのか、ようやく理解できました。」
すると男は腕を組み、フッと鼻で笑う。
「もう気付いてるのか、我がソウル『トム・キャット』の能力に。」
僕が再び口を開こうとすると、男は両掌を前に出して牽制してきた。
「おっと、俺はくだらん問答にダラダラと時間を使いたくない性分なんだ。お前が俺に問おうとしてることを当ててやろうか?」
「俺の名前、目的、そして左手首にぶら下がってるガラクタのことだ…違うか?」
僕がむっと口を噤むと、男は斜め上に目を逸らし、またフッと鼻で笑ってきた。
「一、俺の名前は石見三而。石見宗家の三男、暗殺部隊『落鳥』の隊長だ。」
~石見宗家 三男 暗殺部隊「落鳥」隊長~
【石見 三而】
「二、俺の目的はシンプルだ。お前を消しに来た。それだけだ。」
「三、ぶら下げてるこいつらは、俺が始末した奴等の“遺品”だ。こうやって持ち歩くのが俺の趣味でな…尤も、麻の手袋の奴は殺し損ねたんだがな。」
やっぱりあの手袋は、ソウカの奪われた手袋の片方だ。
殺した相手から、さらにその人の大切な物まで奪い去るなんて…
そんな僕の非難の目線に気付いたのか、三而は左腕を上げて、自らの眼前にチェーンを垂らして話す。
「殺人ってのはな、単に肉体を壊すだけじゃ成し遂げられんのだよ。そいつの精神の在処を…生きていた証まで、しっかりと踏み躙ってやるのが大事だ。」
「器だけじゃなく、魂や記憶の拠り所までちゃんと潰しておく…『命を奪う』とはそういうことだ。」
非道と言う他ない思想に恐怖を感じる一方、徹底した姿勢にはどこか感心すら覚える。
こうして喋っている間も、三而の目はしっかりと僕を捉えている。
これまで戦ってきた妖魔とは違う、明らかに殺しに慣れた人間の、獲物を見定めた豹のような鋭い目付き。
肌がピリピリとする緊張感。
ゴクリと唾を呑む。
「あなた、随分とお喋りなんですね。」
「獲物が逃げてしまってもいいんですか?」
さっさと僕を殺しに来ればいいものを、やたら口数が多いのが気になる。
ここは話を引き延ばして、出方を探ってみよう。
三而は口角を釣り上げる。
「あぁ、そんな心配をしてくれたのか。」
「お前…まだ自分に逃げるチャンスが残っていると思ってたのか?」
「ハハッ…なんにも心配してくれる必要はないぞ…なぜなら!トム・キャットの能力が発動した、その時点で…!」
「俺の暗殺は完了しているからだ。」
その言葉を聞いた僕は、即座に水鞠を三個、床上に生成する。
「『水龍奏術』…『水鞠・波繁吹』!」
「バカかお前は。」
廊下側の窓から外側の窓へトム・キャットが飛び出し、三而に向かって放たれた水の弾丸は一瞬にして掻き消されてしまった。
「欠伸が出るな…その程度の弾速、トム・キャットなら訳なく潰せる。」
僕がすぐに次の水鞠を構えようとすると…左側に構えていた水鞠の中に、トム・キャットの眼光が見えた。
「俺がバカかと言ったのは、俺に豆鉄砲を撃ってきたことにじゃない…折角の安全地帯にわざわざ"鏡"を作ったことだ!」
そうか…水鞠も光を反射する水塊、鏡になる。
それが外側の窓に映ったから、トム・キャットはここまで移動して…!
ドシュッ!
「あぁぅッ…!」
咄嗟に身を翻すも間に合わず、廊下側の窓に向かって飛び出したトム・キャットは、僕の左脇腹を斬り裂いた。
僕がそのままうつ伏せに倒れ込むと、三而はクックッと笑ってまた語り出す。
「ソウルにも色々ある…属性魔法に特化した属性魔法タイプ、式神による物理攻撃を主軸とする近接物理タイプ…」
「俺のトム・キャットは遠隔操縦タイプのソウル…50m程離れた場所からでも、対象を追跡・攻撃できる。」
三而の言葉に、僕は息を切らしながら問い掛ける。
「遠隔操縦というのなら…なぜわざわざ僕に近付くリスクを冒すんですか?」
すると三而は首を振りながらため息を吐く。
「ハァ…そんなことも知らんのか…」
「遠隔操縦タイプは射程が長い分パワーが低く、獲物を仕留めにくい弱点がある。」
「射程とパワーはトレードオフの関係にあるのさ…遠く離れる程パワーは落ちるが、逆に近く寄る程パワーは強まる。」
「俺はお前が術中にハマったのをよ〜く確認してから、より確実に仕留めるためにここまで近付いたのさ。」
僕は三而が語る中、体を引きずって、なんとか教室後方のドアを開ける。
とにかく密室に置かれ続けるのはまずい…
より開けた場所に逃げて、この状況を打開する術を考えないと…
三而の語りは続く。
「それにしても…お前は顔立ちは母親にそっくりだが、しっかりと竜の血を父親から受け継いでるんだな…」
「疼くよ、お前の父親に刻まれた、“コレ”がな。」
三而はそう言って、自身の口元の傷に右手を翳す。
お父様が与えた…?その傷を…?
僕は思わず、戸口に手をかけたところで身動きを止め、三而に問い掛けた。
「あなたは…お父様を知っている…?」
すると三而は突然、物凄い剣幕で捲し立ててきた。
「ああ!知っているとも!イヤという程にな!」
「忘れんよ…あれは硯風弥によって菫が石見邸から連れ出された夜のこと!俺は菫諸共奴を始末しようと、回廊でトム・キャットを放った!だが…!」
「これっぽっちも歯が立たなかった…傷一つも与えられずに、トム・キャットは叩き潰され、俺は命からがら逃げ延びることしかできなかった!」
「お陰で俺は一家の中でも負け犬扱いだよ!屈辱さ…だがあの時の俺に、逃げる以外の選択肢はなかった!」
「生物としての圧倒的強者の風格!その前の俺はたかが鼠一匹に過ぎぬという圧倒的恐怖!」
三而は額に汗を流し、息を切らして一拍置いてから、また喋り出す。
「教えてやるよ硯桜華…お前の両親の誅殺を企てたのは、俺だ。」
ドクンと大きく心臓が鳴り、視界が揺らぐ。
周りの匂いや音が遠ざかり、時間が止まったような感覚。
「覚えているか、硯桜華…お前の両親のこと。」
「お前の所為で死んだんだよ。」
沸騰する二つの感情。
疑問、そして怒り。
あなたは…あなたは…
「お父様とお母様の…何を知ってるっ…!?」
傷の痛みも忘れて、僕は廊下に勢いよく飛び出すと、水鞠を何個も作り出して構える。
すると三而も、両腕を大きく広げながら廊下に出てくる。
「与太話はここまでだ、硯桜華。」
「クククッ…とうとう出てきたな、トム・キャットの“狩場”に…!」
「今回ばかりは藩校のガキ共に感謝しなくてはな…!真面目な掃除の仕事ぶりに!」
僕は「何を言ってるんですか」と言いかけたところで、三而の言葉の意味に気付く。
今日は琳寧が徹底して廊下掃除を指南した…だから、周りの物がうっすら映るくらいに、廊下の床が鏡のように綺麗になっている…!
「四方を“鏡”で囲まれた、この環境こそトム・キャットの独壇場!」
廊下は逃げ場なんかじゃなかった。
三而はただ待っていたんだ…トム・キャットの本領が発揮できる場所へと、僕が移動するのを。
そして…来る!
教室の窓と廊下の窓、磨かれた床…
三面の鏡を、縦横無尽に飛び交って…
トム・キャットが、今すぐここにやって来る!
〔つづく〕
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〈tips:ソウル〉
【soul name】トム・キャット
【soul body】石見 三而
パワー-C
魔力-B
スピード-A
防御力-D
射程-B
持久力-B
精密性-C
成長性-E
【soul profile】
石見宗家の三男・石見三而のソウル能力。
式神はプラズマで構成された猫の姿をとる。
発動場所にある「鏡面」が合わせ鏡の状態になると、鏡の奥から出現し、鏡の近くに居る者を追跡・攻撃する。
鏡面間の移動速度は凄まじく、桜華でも捉えきれない程。
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