#2 紐絶 破「ぼくは竜の子」
第一章『竜驤戴天』
~破「ぼくは竜の子」~
〔夢見山山中 硯邸〕
甲府市街の北東部・夢見山東側の山中に、藁葺き屋根のこぢんまりとした邸宅がある。
玄関から少年と少女の話し声がする。──
「買ってくるものは、重曹とクエン酸と洗剤の詰め替えと…」
「あとハイターも足りません。」
「わかりました、ハイターの詰め替えですね…」
僕の名前は硯桜華。
年齢は14歳。
甲府市の外れにある山中に住んでいる。
普通の男の子…と言うと嘘になる。
「兄様…」
靴を履いて戸を開けようと立ち上がる僕の裾を引いて、心配そうに見上げてくるツインテールの少女。
血の繋がらない僕の義理の妹・硯廿華だ。
「ん…まだ何か買ってくるものがありますか?」
「いえ…そうではなくて…その、気をつけてくださいね?兄様、また女の人と間違われて拐われたりするのはいやです…」
廿華は僕が家から出る時は、いつも心配そうな顔をする。
「あぁ…大丈夫ですよ、心配ありませんって。」
心配ないよと廿華の頭を撫でると、廿華は両手を握って体を揺すりながら捲し立ててきた。
「それでも心配なのですっ!その美しく艶がかった、腰まで下ろした長い黒髪!小鹿のように愛らしく長い睫毛!まん丸の宝石のようなお目目!雛人形のように整ったお顔!」
「そして鈴を転がすような声…兄様は誰にも言われなければ、どこからどう見ても美少女にしか見えないのですよ!」
廿華は普段は大人しいが、僕の容姿の話になるとかなり雄弁になる。
苦笑いで返す僕に、廿華は「危機感が足りませんっ!」と頬を膨らませた。
「御守りは忘れてねぇよな?桜華。」
玄関の掛け軸に描かれたヤモリの口が動き、僕を呼び止める。
彼はゲッコー師匠。
僕と廿華をこれまで親のように育ててきてくれた、ヤモリの姿をした妖怪だ。
「大丈夫ですよ、ほら。」
掛け軸の絵に向かって、耳につけたイヤリングを見せる。
イヤリングの紐の先には、ヤモリの形をした飾りがついている。
僕が初めてゲッコー師匠に会った時から、この家を離れる時は必ず肌身離さず着けるように言われている御守りだ。
この御守りにどんな意味があるかは知らないけれど…これは僕とゲッコー師匠の大切な思い出の証だ。
「それじゃあ…いってきます!」
二人の「いってらっしゃい!」という声を背に受け、戸を開いて玄関を出て、正門前の道脇から斜面を見下ろす。
「さてと…はあっ!」
斜面に踏み込み、そのまま鬱蒼とした木々の間を駆け抜けていく。
帰りはともかく、行きにわざわざ歩道を通る必要はない。
街側とは反対向きに開けた歩道を通るよりも、街側の斜面を駆け下りた方が早いのである。
ここ一帯の木々は「背負い林」と呼ばれていて、甲府市街の北部にある興因寺山の東側を中心に、同心円状に木々が斜めに傾いて生えている。
だから街側の斜面は少し見通しが良い。
「よいしょっ…と。」
斜面を抜け、法面をぴょんぴょんと駆け降り、無事に街側の歩道に着地した。
僕は幼い頃から甲府御庭番衆の御侍様に憧れていて、山暮らしの中で鍛錬を重ねてきた。
木々の間を飛び移るなんて朝飯前だし、そこら辺の民家も3階くらいまでの高さならひとっ跳びだ。
御庭番衆に憧れたきっかけはよく覚えていないけれど、かなり昔から大事にしてきた憧れだ。
降りてきた場所は古府中町。
ここからJL(旧国鉄)甲府駅周辺までは2km弱。
徒歩で20分もあれば到着する。
──────
〔丸の内二丁目 生薬屋〕
「まいどあり〜!」
掃除や料理と色んな使い道のある重曹とクエン酸、そして三人暮らしなので大容量の洗濯用洗剤の詰め替え…その他にも少しお菓子なんかを買い足して、お使いで買うべきものはコンプリート!
今日は雲一つない快晴で、陽の光を受けた桜がより一層美しく街を彩っている。
できれば師匠や廿華と一緒に甲府城でお花見したかったけれど、二人とも今日は忙しいと言っていたので誘えなかった。
僕はこの季節の甲府が大好きだけれど、残念だな…
あとはこのまま帰るだけ…と帰路に就こうとしていたら、ふと何かを探し回っている様子のお婆さんを見つけた。
お婆さんは杖をついていて、腰もかなり低く曲がっている…相当体が悪いのかな、ここら辺は段差も多いから心配だな…
「あの…何か探してらっしゃいますか?お手伝いしましょうか?」
放っておけるはずがなく、声を掛けた。
するとお婆さんはこちらへ顔を向け、にこりと笑ってくれた。
「あらまぁ、助かるわぁ…実は大事なミサンガをなくしてしまってねぇ。」
お婆さんの言うところによると、亡くなった旦那様に作ってもらったミサンガをベンチに置いていたところ、少し目を離した間に無くなっていたらしい。
今日は快晴で風も弱いので、風で吹き飛ばされた可能性は低い…誰かが持ち去ったのかな?
「おばあさん、少し待っていてくれませんか?」
目視で見つけられなくても、辿る方法はある。
頼るのは、僕の鼻だ。
辺りの匂いを嗅ぐと、お婆さんの匂いの軌跡がいくつか浮かんでくる。
地上を動いてきた大きな軌跡はお婆さん自身のもの、ベンチから空へ向かっていく小さな軌跡は…お婆さんのミサンガだ!
「見つけました!」
「ほ、本当かい?」
匂いの示す先は、すぐ真上の建物2階の壁掛け看板の上。
おそらく巣作りのために鳥が持っていったのだろう。
ぴょんとジャンプして看板の上のミサンガを取り、埃を払ってお婆さんに手渡した。
「はい、どうぞ。」
お婆さんはミサンガを手に取ると、嬉しそうに口を開け、少し涙ぐんで見せた。
「まぁ…!あなたが来てくれなかったら見つからなかったわぁ、本当にありがとうねぇ。」
「いえ…よかったです、大事な思い出を取り戻せて。」
するとお婆さんは、僕に名前を尋ねてきた。
「ぼく、お名前は?」
「硯桜華といいます。」
「あらまぁ、懐かしいお名前ねぇ…それにしても匂いで見つけてくれるなんて…よく鼻が利く子ねぇ」
お婆さんとは帰る方向が同じだったので、丸の内を甲府駅側へ一緒に歩いていると、子供や観光客の人集りに遭った。
「今来てくれた方々のためにもう一度!甲府の伝説!風の二大筆頭のお話をするよ〜!」
竹を割ったような声が響いてくる。
紙芝居屋の公演かな?
風の二大筆頭という単語は…おそらく題目は、甲府で人気の、甲府御庭番衆の活躍を描いた「甲州御庭番劇帖」だろう。
するとお婆さんが、どこか愛おしそうな目をして話し出した。
「懐かしいねぇ…風弥様と目黒様、昔は私と旦那でねぇ、時々お坊ちゃんと遊んであげたりしたのよぉ。」
「とくに硯の坊ちゃんはねぇ、よく泣いて、よく遊ぶ子だったわぁ…」
お婆さんの目は、だんだん寂しそうなものになっていく。
「でも十年前、あんなことがあって…いなくなっちゃって…」
「みんな必死になって探して…私も旦那も血まなこになって探したけど…」
「結局見つからなかったわ…」
お婆さんはミサンガを握りしめ、目に涙を浮かべる。
しわくちゃの顔が悲しみに歪んでいた。
皆んなの話を聞いていると、どうやら風の二大筆頭は決して天上人のような侍などではなく、時間があれば街を出歩き、何か困っている市民を見かけたら自分の労力を惜しまず助けに来てくれ、何の用もなく声を掛けても気さくに返してくれる、頼れる優しい兄貴分のような存在だったらしい。
そんな彼らに生まれた子供たちは、藩の人々にとっての子供のような存在でもあったのだろう。
街ぐるみで愛情たっぷりに育てていた筆頭の息子が、ある日突然事件に遭って消息を断つ…藩民の喪失感は計り知れない。
お婆さんは先程僕が見つけたミサンガを取り出した。
「このミサンガはね、硯の坊ちゃんにあげようって、旦那と一緒に作ったものなのよ。」
「硯の坊ちゃんは死んでなんかないって、私たちは信じて…ずっと渡す時を待っていたのだけれど…旦那は二年前に亡くなってしまったわ。最近お骨も誰かに盗まれてしまって、今ではこのミサンガだけが旦那との思い出なのよ。」
「あなたの名前を聞いたら、そんなことを思い出してしまったわ…こんな話してごめんねぇ…」
「いえ…お辛いでしょうに…話してくれてありがとうございます」
とはいえ、とても気まずい雰囲気になってしまった…とはいえ話題を切り替えるような場面でもないし…
そんな中、紙芝居屋の語りが続く。
「二大筆頭はいなくなってしまった…だが!その遺志を受け継いで!今も御庭番衆は甲府を守っている!」
「この甲府には…森羅万象を司る聖なる剣“聖剣”に選ばれし6人の剣士がいる!」
「炎の聖剣、雷の聖剣、風の聖剣、毒の聖剣、土の聖剣、音の聖剣!」
「聖剣たちとそれを持つ御庭番の侍たちが!数多の魔の手から甲府を守っているんだ〜!」
紙芝居屋は雄弁に語るが、途中で女児からの質問を受けると歯切れが悪くなった。
「お水は?お水の聖剣はないの?」
「み、水の聖剣…?いや…そういや聞いたことがないねぇ…ありそうだけどねぇ…」
すると、紙芝居屋の観衆の中から、一人鋼の狐面で顔を隠した長身の男がぬっと出てきて、僕の耳に触れそうな距離ですれ違った。
「えっ、なにっ…?」
すれ違い様に感じた、何か獣に顔を舐められたかのような違和感。
思わず振り返ると、男の姿はすでに消えていた。
すると次の瞬間、地面がドンドンと下から叩かれるように揺れ始めた。
突然起きた地震に、街のあちこちから悲鳴や響めきが聴こえてくる。
「おばあさん…!」
僕はお婆さんが転んで怪我をしないよう、咄嗟にお婆さんを抱き抱えるようにして庇う。
「うわあぁ〜!なんだこれはぁ!」
紙芝居屋の悲鳴が聴こえたのでそちらに目をやると、平和通りを北へ逃げようとした紙芝居屋や観衆たちが、横断歩道の辺りで前に進めなくなっている。
彼らが足止めされているところをよく見ると、陽炎のような空気の揺らぎが見え、透明な壁のようになっている。
辺りを見回してみると、透明な壁は街の区画一帯を円状に囲み、空高く聳え立っていた。
もしかして僕たち、閉じ込められた…?
すると通りの南側から、人々の悲鳴と共に、何かがバリバリと音と土煙を立てながら近付いてくるのが聞こえてきた。
振り返ると、蔵二つ分はあろうかという巨体の、人のような手足が何本も生えたナメクジのような怪物が、次々に家屋を薙ぎ倒して自身の口に押し込んでいた。
「くわせろおォ〜!おでに!おでにくわせろおォ〜!」
ナメクジの怪物は喚きながらこちら側へ突進してくる。
紙芝居屋や観衆が尻餅をついて悲鳴を上げる中、僕はお婆さんをそっと降ろして、怪物の方へ歩み寄っていく。
「どけエェ〜!どけエェ〜!メシの邪魔だアァ〜!そこの人間〜!」
「お断りします」
「じゃあ…食っちゃるウゥ!おで、邪魔する人間も食っていいって言われてるウゥ!」
怪物は僕に覆い被さるように立ち上がり、手の一本を僕の頭へ伸ばす。
「…ふんっ!」
僕が思い切り怪物の手へ頭突きをすると、怪物は悲鳴を上げて手を引っ込めた。
怪物の手には二つの穴が開き、そこから血が流れ出ている。
「いだあぁい!な、なんだお前〜!ふ、ふつうの人間じゃないなァ〜!?」
僕は普通の男の子…と言うと嘘になる。
頭から生えた、雲を纏った二本の角。
縦長に開いた瞳孔。
鋭く長く伸びた犬歯。
指先から伸びた鋭い鉤爪。
腰の後ろから伸びた、長く艶々しい尾。
僕は…
「普通の人間などではありませんよ」
「僕はドラゴンですから」
僕は、竜の子だ。
〔つづく〕
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〈tips:人物〉
【硯 桜華】
主人公。
甲府市街の外れの山中に住む少年。
14歳。
少女と見紛う程の可憐な容姿をしており、性格は心優しく困っている人を放っておけない。
幼少期の記憶の多くが欠損しており、人の「思い出」を何よりも尊ぶ信念を持つ。
その正体は竜種の子供。
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