#1 紐絶 序「鏤骨」
壱ノ巻『甲府御庭番衆篇』
序 ~ 鏤骨 ~
時は2031年。
第22代江戸幕府将軍・徳川斉昭の治める太陽の国、日本。
此処はその天領・甲斐国甲府藩。
その面積は凡そ四千平方キロメートルに及ぶ。
天領であるが甲府藩の大名預地であり、徳川と武田の血を引く藩主・飯石夕斎の治める水と緑の国である。
—2031年3月3日—
今日は雲一つない快晴で、街も賑やか。
ここ甲府市街は甲府城の城下町として、主に二~三階建てまでの町屋や蔵屋敷が軒を連ねる、伝統的な町並みが広がっている。
もちろん内部構造には現代の建築技術が使われているし、地面はアスファルトで舗装されている。
それでも景観保護の規定に基づき、城下街は鉄道駅も含めてレトロモダンの雰囲気を保っていて、どの場所からも「舞鶴城」こと甲府城がはっきりと見えるようになっている。
今年は暖かくなるのが早く、3月上旬というのにもう桜が咲き乱れている。
城下町は一面美しい桜色に染まっていて、早いながらも春の訪れを感じる。
カァン!カァン!
城下町の通りに拍子木の音と、紙芝居屋の大声が響く。
「よってらっしゃい〜!みてらっしゃい〜!」
「今日もやるよ〜!甲府の守護神!伝説の二大筆頭の〜お話〜!」
紙芝居屋の自転車の前に子供や観光客がわらわらと集まってくると、紙芝居屋は得意げに胸を張り、自転車に載せた箱舞台を開いた。
紙芝居の題目は「甲州御庭番劇帖」。
紙芝居屋は観衆に問い掛ける。
「みんな、かつて甲府を守ったという守護神…その名前を知ってるかい?」
すると、子供たちは手を挙げながら口々に答え出す。
「はい!はい!にだいひっとう!」
「ふうやさま!めぐろさま!」
紙芝居屋は笑顔で答える。
「そのとおり!この甲府最強の二大筆頭、風弥様と目黒様だ!」
さらに男児が口を出す。
「知ってるよ!どっちか一人だけでもこの甲府をブッ飛ばせちまうくらい強い人たちだろ!」
紙芝居屋はそれにも答える。
「そうだそうだ!二人の活躍はこの甲府じゃあ必修教科!だが今日は他所からやってきたお兄さんお姉さん方のためにも、まずどんな伝説なのかおさらいするよ〜!」
紙芝居屋は、題目の書かれた紙を後ろへ送り、得意げに語り始めた。
──時は二十世紀の末…江戸は相次ぐ災害・暴動・疫病により政がぐらつき、民は混乱していた。
混乱は江戸幕府の天領・甲府にも及んだ。
しかし、多くの国々で大名から民の心が離れていく中、甲府は違った。
心優しき我らが藩主・飯石夕斎様は、身も心も削って困り果てた民を一人でも多く救わんと駆け回った。
甲府の人々は兼ねてから結束が強く、食う物も、着る物も、寝る場所も、なんとか互いに分け合って、苦境を乗り越えようとした。
ところが…問題はそれだけではなかった。
妖魔…そう、この世に根ざす魑魅魍魎が、この時を逃すまいと跳梁跋扈を始めたのである。
藩が弱るということは、藩を守る武士たちも弱るということ。
混乱した世の中では、悪さをする妖魔やそれに便乗する賊に武士たちが押されてしまい…それまで平和な日々を送っていた甲府の人々は、一転して毎夜のように略奪に怯える生活を送ることになってしまった…
民の絆でなんとか命を繋ぎ止めていた甲府藩も、これにはじりじりと追い詰められていき、やがて城の周りでしか安全に夜は過ごせないというところまで来てしまう。
四百年続いた歴史もとうとう此処までか…そう思われた矢先のこと…
甲府藩に、二人の若い侍が現れた!
一人は、異界からこの甲府へ突然現れた、人の姿をとる竜神様・硯風弥様!
一人は、かつて徳川幕府に抗った高家の若君、人呼んで韋駄天・新閃目黒様!
二人の侍は嵐を起こす魔法を操り、阿吽の呼吸で不埒な妖魔や賊を悉く成敗!
二人は夕斎様に忠実な右腕・左腕として、戦いだけでなく藩の生活をどんどん立て直していった!
心優しく器量もよし!甲府に平和を取り戻してくださった二人の筆頭家老様を、民は心の底から感謝し、甲府の守護神と呼んだ!
二大筆頭様の活躍は甲府に留まらず!
二人は江戸幕府の若年寄として上様にも直接仕え、日の本に蔓延る悪を次々に成敗していった!
神様すらも震え上がるといわれるその強さは全国に轟き、二人は「風の二大筆頭」と畏れられたのだった!
しかも二人は後に綺麗な奥方と結ばれて、それぞれ硯桜華様・新閃目白様という御子をもうけられた!
夕斎様が養女に迎えれた姫君・飯石蜜柑様と共に、三人の御子は甲府の公子様として民に愛されながらすくすくと育ったのである!
風弥様と目黒様は引き続き妖魔や賊たちを退けながら、それぞれ御子のお世話もされていたのだからすごい!
少し話がそれかけたが…かくして硯風弥と新閃目黒の「風の二大筆頭」は、甲府の生ける伝説として、今なお民の敬愛を集めてやまないのである!──
紙芝居屋が一通り話し終えると、拍手が湧く中、観客の子供が一人口を挟んできた。
「どうして風の二大筆頭様は、いまこの甲府にいないの?」
それまで上機嫌に話していた紙芝居屋は、途端に顔を歪めてしまう。
「それは…それはな…」
すると観衆の後ろの方から、やや甲高い男性の声が割り込んできた。
「話せば良いではありませんかぁ…何か不都合なことでもあるのですか?」
男は鉄製の狐面を被っており、観衆の前の方へ割り入ってくると、紙芝居の続きを語るように話し始めた。
──「甲州事変」、今から凡そ10年前の事件。
反幕武装勢力「石見家」が、太古の神々が遺したという聖なる呪物「遺物」に基づく兵器を用いて、甲府市全域を襲撃した事件。
突然夜襲を受けた硯風弥は、妻の硯菫と共に殺害され、一人息子の硯桜華は行方不明…
新閃目黒も重傷を負って筆頭の座を退き、翌年に石見家の調査に出たのを最後に行方不明…
多くの市民が遺物の魔力を浴びることになり、戦いの影響で甲府市街は壊滅的な被害を受けた…甲府藩の真の悪夢ではありませんか。──
男は、話を聞いてぐずり出した子供の頭に手を置く。
紙芝居屋は、男に向かって不機嫌そうに軽く怒鳴る。
「おい兄ちゃん!うちの仕事はみんなを笑かすことなんだよ!お客を泣かせてんじゃねえ!こりゃ営業妨害だ!」
しかし狐面の男は飄々としている。
「笑わせることが目的だと言えば…都合の悪い過去には嘘を吐いて良いと、貴方は思うのですねぇ…随分な立派なことじゃないですか。」
紙芝居屋はぐぐ…っと唇を噛む。
「な、何が言いてぇ…!」
狐面の男はクスクスと笑って返す。
「この世は綺麗事ばかりでも汚れ事ばかりでもない…清濁併呑して歴史を語り継げない貴方は、語り部として三流ということですよぉ。」
狐面の男はそう言うと、笑みを浮かべながら観衆の中を抜けて歩き去っていった。
甲府の“時間”は、10年前から止まったままである。
〔つづく〕
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〈tips:舞台〉
【2031年の江戸幕府】
劇中の日本は、1603年に成立した江戸幕府が、1867年の大政奉還がある事由から無効となり、2031年まで存続している国家である。
現在は開国しており、科学や文化は現実世界と同等かそれ以上のレベルにまで発展している。
そしてこの世界には、魔法が存在する。
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