旅は道連れ世は情け?
「ええ?!それってつまり僕を女の子と勘違いしたって事?」
こっくりと、申し訳なさそうに頷くラゾワに、セインは耳まで赤くし、海賊たちとキャルは、堪えきれなくて笑い出す。
呼び止めてみたら男だったから、引っ込みが付かなくなって、とりあえず絡んでみたらしい。
「僕ってそんなに女顔かなあ?」
「ああ!いやほら!遠目だったし斜めから見たし!」
落ち込んでゆくセインに、ラゾワが慌てて言い訳をする。
「キャル。君、笑い過ぎ」
「ご、ごめ、だって、くくくっ、お腹イタ、た、助け、くぷぷっ」
確かに、線が細くて整った顔立ちのセインだが、女性に間違えられるとは。
「悪かったよ、あん時は」
「良いですよ、もう。悶着もありましたが、結果的にはキャルも無事でしたし、こうして島に乗せて行ってくださっているわけですから」
そう言って、笑ってくれたセインに、ラゾワは何度も詫びた。
酒盛りもひと段落ついたところで、キャルは船の手摺りに寄りかかって、空にぽっかりと浮かぶ月を眺めていた。
「どうしたの?」
自分の着ていた上着を、小さな肩にかけて、セインはキャルのふわふわの金髪を撫でた。
そっと見上げてくる瞳は、吸い込まれそうなほどに大きい。
「月」
彼女はそう言って、海を指差した。
真っ黒な海原に、キラキラと波に穏やかな光を映し、月が姿を崩してそこにあった。
空の月と海の月。
波が船板を優しく叩く音だけが聞こえる。
「綺麗だね」
ポツリと、呟いた。
「そ?」
「うん」
キャルの髪の色みたいだ
セインはキャルの横顔を見下ろした。
先ほど自分を見上げた瞳は、今はもう水面に浮かぶ月を写している。
少女の小さな手に握られて、封印から醒めたのはほんの数ヶ月前だというのに、もう随分長く一緒に居るような気がする。
何百年も生きて来て、何千、何万という人々と出会っては別れているというのに、この感覚は不思議で仕方がない。
五百年前、生きることしかできない身体で、死のうと自身を封印した。
あの絶望の中で、二度と再び、この目を開くことはないだろうと思っていた。
それなのに。
深い眠りの中で聞こえた声は、あまりにも優しくて。
「セインはかわいそうだから、あたしが争いのない国へ連れて行ってあげる」
セインの実情を知った後、彼女は泣きそうに笑いながら、無邪気に言った。
「早く見つかると良いわね」
月を見ながら、キャルが言った。
「…うん。そうだね」
争いのない国などあるはずもないのだと、セインは承知の上で、キャルと共に旅に出た。
貧富の差もなく、飢えることもなく、争いもない。
伝説の楽園、エルドラドを目指して。
幼な過ぎる提案は、賢い彼女らしからぬものではあったが、それでもキャルらしいといえばキャルらしかった。
「朝にはエルグランド島に到着するらしいよ」
「そんなにかかるの?すぐ間近に見えるのに。案外遠いのね」
月光に照らし出された島は、出航してからあまり大きさが変わっていないように思える。
「風がないでしまったから、少しかかるそうだよ。ラゾワが言ってた」
「船って、大きくてもやっぱり風がないと動かないのね」
キャルはあくびを噛み殺すと、ぐいっと背伸びをした。
「じゃあ、寝ることにするわ」
目を擦る仕草が、年相応で可愛らしい。
「さっき、部屋を用意してもらったから、案内するよ。君のカバンも置いてあるんだ」
明日になったら、島へ降りて、なんでも良いからキャルが喜ぶことがあれば良い。
伝説の島だというなら、綺麗な光景なんかが見られたら。
例えば今日の月のような。
そうして少し、エルドラドに近づけるならそれも良い。
セインはそんなことを思いながら、船底へ続く階段を、うとうとし始めたキャルを抱えて降りて行った。
「キャル、島に着いたよ」
翌朝、キャルはセインに起こされた。
まだ全然眠り足りなくて、まぶたが痛かったが、寝ているわけにもいかないので無理やり身体を起こした。
「今日は良い天気だよ。と、言っても、お日様も昇り切っていないから、断言はできないけどね」
セインが言った通り、甲板に上がってみると、昇り始めた太陽が、水平線から光を散らして空を赤く染め始めていた。
「…朝焼けなんて久しぶりに見たわ。たまには良いものね」
目をこすりながら、キャルは姿を現し始めた太陽を見つめた。
その太陽とは逆の方向に目を向けると、船を固定させるための怒りを投げ込む音や、ガラガラと小舟を下ろす音やらが、あちらこちらから聞こえる。
帆は既にたたまれていて、頭上に括り付けられていた。
昨夜にあれだけ騒いでおいて、その手際の良さに感心するばかりだ。
「よお!早いじゃねえか」
「タカ。おはよう。これから仕事?」
声をかけて来た禿げ頭に、セインが気安く返事をした。
「ダンナに手伝ってもらって、昨夜のうちに下作りはしておいたからな。おかげで楽だったぜ。お礼に美味いもん食わせてやるから、楽しみにしといてくれよ」
いつの間にやら、セインと打ち解けていたらしい禿げ頭に、キャルはハッとした。
「…ちょっと待って」
「ん?」
「今の会話からすると、あのタカっていうのが、この船の料理人ってこと?」
キャルが眉間に皺を作る。
「うん。料理長だって。昨夜の料理、美味しかったよね」
嬉しそうに頷くセインに、キャルは様相はしていても、やっぱり驚いた。
人は見かけによらないというが、まさにそれだ。
「あの歯抜けの禿げ頭が、料理長…」
ひょろりとして、格好といい、体格といい、どう見ても下っ端にしか見えないタカだ。
そんな男が、昨夜の料理を作っていたとは思えない。
見た目も綺麗で美しく、内容も凝っていたし、手間暇かけて作られていることが分かる上に、正直に美味しかった。
「朝食も楽しみだね」
ホクホクと、セインは嬉しそうだ。
「…そうね。って、え?ご飯食べていくつもり?」
意外だ、というようなキャルを、セインは訝しげに見やる。
「だって、楽しみにしてろって言っていたんだから、僕らの分も作ってくれているんだよ?食べなきゃ失礼じゃないか」
「そりゃあ、そうだけど。だってもう島に着いているのに、時間がもったいないわ」
「だめ」
急に、怒ったような声を出すセインに驚いて、彼を見上げた。
珍しく、目が据わっている。
「な、何よ」
「キャルは育ち盛りなんだから、ご飯は、特に朝食はきちんと食べなきゃ駄目」
ずい、と、顔を近づけて言い聞かされた。
「分かったわよ。そんなに怒らなくても良いじゃない」
キャルはセインのこんな顔を、あまり見たことがなかった。
驚きと戸惑いで、つい拗ねてしまう。
そんな子供っぽい自分が、時々嫌になる。
「…ごめんなさい」
素直に謝るキャルの頭を、セインは優しく撫でた。
「僕も言い過ぎた。ご飯を食べたら、船長にお世話になったお礼をしに行こう?」
「うん」
時々、気が逸って今回のように食事を抜こうとしたり、やらなきゃならないことを後回しにしようとしたりすると、こうして怒られている気がする。
あまり無いことなので、気が付かなかったけれど。叱ってくれる人がいるのは、なんだかくすぐったい気持ちになる。
「俺に挨拶なんざいらねえよ?恥ずかしくなっちまう」
ぬう、っと現れたギャンガルドに、セインは眼差しを冷ややかにした。
「ずっと聴いていましたよね。嫌な人だ」
「え?そうなの?」
気付いていなかったキャルは、先ほどの自分も見られたのかと、ぼっと顔が赤くなった。
「気付いていたのか?流石だな。いや、すまねえ。やっぱりあんたたち二人は見ていて飽きねえなあと思ってな」
キャルを下がらせたセインに、ギャンガルドは片手を上げて敵意は無いことを示す。
「おいおい、勘違いしないでくれよ。飯を食いに全員を呼びに来たら、あんたらの声がたまたま聞こえただけさ。聖剣はとうに諦めてるぜ」
「そういうことにしておきましょう」
まだ目を逸らそうとしないセインに、ギャンガルドはため息をついてみせる。
「例えここでキャルちゃんとお前さんを引き離せたとして、その後、どう考えてもアンタが俺のいうことを聞くようには思えんのだがね?」
「それもそうですね。よくお分かりで」
にっこりと微笑んで、ようやく自分から視線を外したセインに、ギャンガルドは粟立っていた肌をさすった。
「おー、怖えったらありゃしねえよ、まったく」
各国の首領から恐れられ、荒くれ者の海賊たちをまとめ、海原を駆け巡り、海賊王とまで言われる自分が、これほど恐怖を覚えるとは。
「普段んお間抜けな眼鏡の兄ちゃんと、どっちが本当のアンタなんだい?」
その質問には、当人のセインではなく、キャルが答えた。
「何言ってるの?セインはセインだわ」
「…そりゃ、そうだ」
大賢者・セインロズドをして、ただの人、と言ってしまえるこの少女は、間違いようもなく、封印から彼の剣を解き放ったのだと、あまりにも簡単に答えるキャルに、海賊王は納得した。
「おっと、いけねえ。タカのやつに怒鳴られちまう。さ、飯だ飯!悪いが通りすがりに他の奴らにも飯が出来たって、教えてやってくれ」
そう言うと、側にあったロープを器用にスルスルと、登って行ってしまった。