玄関先のメッセージ
今とても緊張している。しばらく空けていた実家を片付けに行ったのだけれど……玄関に一枚の黄色いメモが挟まっていたからだ。そこには、
「話があります。連絡をください」
そう書かれていた。
(もしかして、植木が邪魔で近隣トラブルなんて、ないわよね?)
実家の庭先には、亡き祖母が育てていたバラの花がある。数年前にだいぶ切り取ったけれど、また鮮やかに咲いていた。蔦は隣の田中さんの家の敷地まで伸びている。
(もしかして、このメモは田中さんのモノかしら……)
添えられているのは電話番号だけ。どうやら携帯のものっぽい。まだ朝早いこともあってか、人は一人も歩いていない。見上げれば薄暗い雲が不安な私を押しつぶすように流れているだけ。
(とりあえず、家の中に入って夫に相談しよう……)
私には頼れる夫がいる。幸い、今日は夫の休日だ。家の留守番をしていてもらっている。相談ならいつでもできるもんね! それに田中さんなら解ってくれるはず。私が子どもの頃から知っているから。
私は夫に電話を掛けた。
――――ぷるるる、ぷるるる……。
(あれ。繋がらない)
まぁ、仕方ないか。何か用事があるのかもしれないわ。
(ここは私が何とかしなきゃ!)
もう一度メモのメッセージを見る。話がしたい。さて、どんな話だろうか。近隣トラブルが大きくなって事件になってしまうことをテレビで見ていたから少しだけ怖い。
(連絡。した方がいいわよね……)
私は意を決して、電話を掛けた。
――――ぷるるる、ぷるるる……ピーッ…プツッ……。
「な、なに!?」
突然機械音が鳴って通話が切れた。動揺していたところに夫から折り返しの電話が来る。私は縋るように夫に経緯を話した。夫は少し険しい声で、
「しばらく外に出るな。こういう類のメモは、業者や強盗が不在かどうかを確かめて挟むことがあるからな。俺もそっちへ行く。気を付けろよ!」
そう言っていた。なんと、黄色のメモは業者か強盗が挟んだものの可能性があるらしい。実家は長屋づくりで玄関までは、窪んだ一本道。扉を開けて侵入されれば、近所の人も気づきにくい。
(ど、どうしよう!)
ゾッとした私は、髪の芯まで静電気を纏ったような感覚になった。運が悪いことに、実家にテレビドアホンはない。のぞき穴しかなかったのだ。
「もし何かあったら、ポリ袋買い忘れたって言うんだ。警察を呼ぶから」
「分かったわ……!」
夫と秘密の伝言メッセージを作ってから電話を切った。
――――ピンポーン。
(!)
ドアホンが鳴った。私はなるべく物音を立てないように玄関まで行き、のぞき穴で相手を見ようとした。
(……なんか、黒い)
真っ黒でぼやけている。古いのぞき穴だから霞んでもいた。私は手先をプルプル震えさせて、怯えていることしか出来なかった。相手はまだ玄関先に居る様子。
(そうだ! 二階からなら犯人の顔が見られるはず!)
思いついた私は携帯機器の動画を作動させて二階へ駆け上った。窓を開けずに、撮影してみる。そこに映ったのは……。
「男の子?」
一人の制服姿の男の子だった。高校生くらいに見える。
「そっか、黒いのは制服の色か。でもどうして実家を……?」
気になった私は、玄関まで行き、扉越しで会話を試みることにした。
「ねぇ、メモを挟んだのは君?」
「はい」
「何の話があるの?」
私が質問をしたら、男の子はこう言った。
「……バラを分けて欲しくて。その、要らないなら欲しいなって」
「どうして?」
「えっと、母の日にプレゼントしたくて。お金無いから……」
あらまかわいい。
私は、微笑ましいと思いながら玄関を開けた。
「はじめまし……っぐ!?」
――――同時に、勢いよく扉が開かれて口をふさがれる。死角に二人の大柄な男性が立っている。それが強盗の類であることは想像できた。
「ごめんねおばさん。僕お金が欲しかったから」
「――――」
完全に死を覚悟した私は、逆に頭が冴えわたってきた。夫が迎えに来るまで現状に耐えよう。そう思ったのだ。両腕を後ろに縛られて、口も塞がれたまま。足は固く結ばれ、身動きが取れない。強盗達は実家を物色している。
(どうしようかしら)
私は犯人たちの顔を見てしまっている。夫が来るまで時間稼ぎをしなければ、殺されてしまうだろう。どうするべきか、必死になって考えた。
――――ぷるるる、ぷるるる……。
(!)
夫からの着信だ! チャンスは今しかない! 携帯に『警察を呼んで』というメッセージを残せれば、事態は好転するかもしれない! 秘密の暗号を使うときね!
「チッ、出ろ。余計なことは話すなよ」
「ええ。でも最後にたわいもない会話はさせて……」
厭味ったらしく笑う強盗犯。携帯機器を確認して私の方へ向ける。口が解放された。夫が、「大丈夫か?」と携帯越しに声をかける。その声に泣きそうになるけれど、私は勇気を振り絞って言った。
「大丈夫よ。ポリ袋買い忘れただけ」
「そうか。わかった、買ってくるから待ってろよ!」
夫はそう言うと、電話を切った。再び口を封じられた私は、時と運に身を委ねた。しばらくすると、ドアホンの音が鳴る。
「コイツの夫ですかね?」
「まぁ、とっつかまえて殺せばいいだろう」
「ですね!」
強盗達が玄関の方に向かう。勢いよく開けられた扉の向こうに居たのは、警察だったようだ。中に入ってきた警官が私の拘束を解いて言った。
「無事でよかったです。良い連係プレーでした。もう大丈夫ですよ!」
私は涙が出た。夫が機転を利かせてくれなかったら。暗号メッセージを考えてくれなかったら。今頃どうなっていただろうか。警察から、「よく分からない電話番号やメッセージには触れないようにしましょう」と注意を受けた。
「わかりました。ポリ袋さま方!」
私がそう言うと、その場にいた警察官たちが笑った。夫は、「やれやれ」と、実家のバラを引っこ抜いていた。
おしまい