第三五話天文十二年七月中旬『泣きっ面に蜂』
「とりあえずやるべきこともやり終えたので、清須に戻ろうかとご御挨……」
「な、なな、なにを仰るのですか叔母上ぇぇぇっ!?」
日も昇り明るくなってきたので、信広殿のところへ帰宅の挨拶に来たら、悲鳴じみた声をあげられた。
え? そんなに驚くことかなぁ?
「これからここもいろいろ慌ただしくもなるでしょうし、もはやわたしのような女子どもの出る幕はないかな、と」
ここ安祥城は、対今川の最前線ともいうべき拠点である。
しかも近々、この矢作川周辺では戦が始まること請け合い。
君子危うきには近寄らず。
とっとと安全な清須城へ退散しようってのは至極当然の思考だと思うのだけど?
「叔母上もお人が悪い。冗談としても酷すぎます。今の俺にそれを笑い飛ばす余裕はございませぬ」
別に冗談を言ったつもりは毛頭なかったのだが……。
とはいえ、酷すぎとまで言われては、それを口に出す勇気はわたしにはなかった。
「いえ、むしろこの状況で、そんな御冗談を吐けるその胆力こそ、兵たちを勇気づけ、奮い立たせるのでしょうね」
いや、さすがに空気読めてないだけじゃないかなぁ?
いったい何が冗談なのか、いまだにわたし、わかってないぞ?
「改めて思い知りました。これが将としての器の差か、と。ですが、おかげで決心がつきました」
一人納得されても困るのですが。
困惑するわたしを、信広殿は真剣そのものな目で見据えてくる。
な、なに!?
「父上が後詰めに来られるまでの間、叔母上にはこの城に留まって頂き、陣代として防衛の総指揮をお願いしたい」
「は……はいぃぃぃぃっ!?」
今度はわたしが奇声を上げる番だった。
「い、い、いきなり何を言い出すのです!? 気は確かですか!?」
「? そんなおかしなことを言いましたか? わたしに戦の才がないと言い切ったのは、他でもない叔母上ではありませぬか。適任の人を見つけ助けてもらえ、とも」
「確かに申しましたけども……」
「ゆえに今、招集できる人材の中で、最も適任だと見込んだ方に陣代をお願いした。筋は通っていると思うのですが?」
「それがわたしというのが……他にも人はおられるでしょう? ほら、下方殿とか」
パッと思いついた名を上げる。
うん、咄嗟の思い付きではあったけど、なかなかいい案ではなかろうか。
某ゲームでは武力八〇超えてたりするし、先の安祥合戦でも一番槍の大手柄を挙げている。
まさにうってつけの人材に思えたが、信広殿はふるふると首を左右に振る。
「いえ、下方は比類なき勇士であり、戦場の勘働きには神がかったものがありますが、血気盛んで戦に呑まれるきらいがあります。陣代を任せるには危うすぎる」
「……なるほど」
実際、史実の下方定清は、大手柄であるはずの一番槍を三〇前後までに六度も挙げていながら、大した出世は遂げていないんだよなぁ。
能力主義の信長のことである。
おそらく下方定清のそういう部分を、しっかり見抜いて抜擢しなかったのだろう。
まあ、あれだ。いわゆる成経の同類って思うと大いに納得できるところではある。
確かに過去二回の戦、どちらでも大手柄を挙げてるし、めちゃくちゃ頼りになる男ではあるんだけど、じゃあ総大将を任せられるかといえば、断じて否というしかないんだよなぁ。
「でも、青山殿や内藤殿など他にも適任はおられましょう」
史実においては、那古野城主である信長に家老として付けられていた二人である。
今世では信長は斎藤道三のところで人質となっているので、代わりに信広殿につけられ、重責を担う立場にある。
筋論から言えば、わたしなんかよりそちらが引き受けるべきだと思うんだけど、
「政務ではとても頼りになるお二人ですが、戦となると失礼ながら少々頼りないというしかありません」
きっぱり言っちゃうなぁ。
でもまあ実際、信広殿の評価はおそらく正しい。
史実では青山殿は加納口の戦いであえなく戦死しているし、内藤殿もパッとした活躍をまるで残していないのだから。
けっこうこの子、人を見る目がある?
「敵は一万の大軍。総大将を務めるは黒衣の宰相、太原雪斎。これに抗し得るのは、今この安祥には叔母上ただ一人!」
わたしに関してだけは、どうやら節穴のようだけど!
素戔嗚の巫女などと名乗ってはいるが、はっきり言ってわたしは戦は専門外もいいところなのだ。
実際前々世では、岩村城で大ポカやらかしてるし、市江川の戦いでは、成経や勝家殿が感じ取っていたものを、わたしは全く感じ取ることができなかった。
信広殿同様、戦場の空気、流れのようなものをつかむ能力が、残念ながらわたしにはないのだ。
ただまあ、
「清須の戦いでも、市江川の戦いでも、抜群の大手柄を挙げ、織田の鳳雛の武名は近隣諸国にまで轟いております。叔母上が率いるとなれば、兵たちも大いに奮い立ちましょう。我ながら極めて妥当な人選かと」
これが世間一般の評価、なんだよなぁ。
しかも事実しか並んでいないのがなお一層タチが悪い。
いったい何がどうしてこうなった?
わたしは自領に引きこもって、平穏な暮らしとクオリティオブライフ向上の追求をしていたいだけなのに。
正直、断りたい。
さっさと安全な清須に避難したいところなんだけど、
「無理を言っているのは承知の上です。叔母上、お願いいたします!」
ここまで必死に懇願されると、さすがに見捨てにくいなぁ。
雨に濡れた捨て子犬を無視して帰るような罪悪感がある。
適任を見つけ任せろ、といったのは他でもないわたしだしなぁ。
初めが肝心、成功体験を積ませて、この路線でいいのだと自信をつけさせてあげたいところでもある。
……はあ、仕方ないか。
「わかりました。信秀兄さまが来るまでの間、お引き受けさせていただきます」
「おおっ! ありがとうございます!」
信広殿が喜色満面の顔で、お礼を述べてくる。
なんかちょっと子犬っぽい。
元々童顔な上に、織田家は美形一族だからなぁ。反則的に可愛い。
この笑顔を見れたのなら、引き受けた甲斐はあったかな。
「叔母上がいれば十万の味方を得たに等しい。これで今川など恐るるに足らずです!」
「さすがにそれは言い過ぎかと」
思わず苦笑とともに、わたしは訂正する。
わたしのそれはあくまでメッキだからね。
あんまり大きな期待を寄せられても、後が怖い。
ただまあ、今回はたぶん大丈夫、かな?
さすがにわたしも、大勢の命のかかっていることである。
本当にやばかったら引き受けない。
今川勢は遠江鎮圧からの強行軍だ。
それにより機先は制されたが、その分、兵の疲労や兵糧の面で不安があり、これ以上強引に攻めてくるということもないだろう。
定石的に考えて、しばらくは矢作川を挟んでの睨み合い、様子見の探り合いになるのではなかろうか。
その間に信秀兄さま率いる織田軍の本隊が到着し、わたしは晴れてお役御免……なんて算段をつけていたその時だった。
「お、お待ちください! 信広様はつや姫様とご歓談中で……」
「やかましい! 火急だと言っている」
「すぐ拙者が取次ますので……」
「そんな時間すら惜しいと言っているのだ!」
苛立たしげな声とともに、ドタドタと荒々しい足音が近づいてきて、
「御免! 火急の儀につき、具足のまま推参仕った!」
障子戸が乱暴に開け放たれ、息せき切って現れたのは汗や泥にまみれた鎧武者である。
うわぁ、明らかにただ事ではない。
なんかすっごい嫌な予感しかしないんですけど。
「の、信孝殿、い、いったいどうされました!?」
中腰になって腰の刀に手をかけつつ、信広殿が強張った声で問う。
信孝? パッと思いつくのは信長の三男だけど、彼はまだ生まれてすらいない。
今、この場で信孝といえば、松平家当主広忠の叔父にして、我が織田家の三河侵攻の御神輿、松平信孝殿とみて間違いないだろう。
若いのに眉間にしわがあり、ずいぶん気性の荒そうな御仁である。
信孝殿はどかっとその場に胡坐をかき、なんとも忌々しげに言う。
「どうしたもこうしたもござらぬ! 儂の山崎城に松平勢二〇〇〇が奇襲を仕掛けてきおったのです!」
「はいぃぃっ!?」「な、なんですとぉぉっ!?」
信孝殿の言葉に、わたしと信広殿の驚声がかぶさる。
山崎城っていったら、この安祥城の目と鼻の先である。
なんでそんなところが、いきなり二〇〇〇もの兵に奇襲されてんのよ!?
てか、松平家との間には伊勢神宮の少宮司の立ち合いの下、起請文によって一年の休戦条約を締結していたはず!
そりゃ戦国時代、約束破りなんて横行しているけど、よりにもよって今だなんて。
……いや、今だからこそ、か。
今川家が大軍で押し寄せてきてる今ほど、西三河の領土を取り戻す好機はないもんなぁ。
「衆寡敵せず。とるものもとらず落ち延びるのが精一杯でござった」
「お、御身がご無事でなによりです。し、しかし二〇〇〇もの兵が、いったいどこから……っ!?」
信広殿がそう問うのも、当然だった。
二〇〇〇もの兵が矢作川を越えるには、舟橋を使うか、比較的浅瀬の部分、いわゆる渡しといわれる箇所を通過するしかない。
だが、河口の魚村から船が動いたという報告はなく、また渡し付近の物見からの報告も一切届いていない。
本来ならあり得ぬことである。
だが、わたしには一つ、心当たりがあった。
「おそらく上野城の酒井忠尚がまたぞろ裏切ったのでしょう」
やれやれといった感じで、わたしは言う。
この男、史実においてはその時の情勢に応じてころころと主君を変えまくってるのよね。
そして矢作川上流の渡しは、この男の知行内にある。
渡河した後も、松平勢に領内を素通りさせていたのなら、二〇〇〇もの兵の接近に信孝殿が気づけなかったのも、全て説明がついてしまうのだ。
「ちぃっ! 突然現れたと思ったらそういうことか! あの節操無しめ! 武士としての誇りはないのか!?」
信孝殿が忌々しげに吐き捨てる。
節操無しなのは、織田家を三河に引き込んだ彼もお互い様とは思うのだが、そう言いたくなる気持ちは、よくわかった。
酒井忠尚は四か月前の安祥合戦において、松平家から織田家へ鞍替えしたばかりである。
忠節を誓う起請文を信秀兄さまに納めてもいる。
舌の根も乾かぬとは、まさにこのことを言うのだろう。
ほんと最悪な時に裏切ってくれたものである。
せめてもの救いは、信孝殿が安祥城に落ち延びてきてくれたことか。
彼が討ち取られでもしてようものなら、織田家は三河侵攻の大義名分を失うところだったのだから。
ここから早急に立て直しを……
「も、申し上げます!」
さらに小姓が凄い勢いで駆け込んでくる。
ちょっ、まだあるの!?
ま、まさか……
「矢作川東岸の今川軍が渡河を開始したとのことです」
「いいいっ!?」
やっぱりぃぃぃぃっ!
泣きっ面に蜂とはまさにこのことである。
明らか松平勢と示し合わせての行動よね。
どうしよどうしよ!?
……い、今更、陣代やっぱりお断りしますとか、さすがに言えないよね?
うああああ、やっぱりさっさと清須帰っとけばよかったぁぁぁ!
いつも織田家の悪役令嬢をお読み頂きありがとうございます!
また応援コメントもありがとうございます!
多忙ゆえ返信できず心苦しいのですが、執筆のエネルギーをもらっております。
さて本日、織田家の悪役令嬢第2巻発売でございます。
またコミカライズも決定でございます。
これもひとえにお買い上げくださった皆様のお陰です。
とはいえ、それでもなろうファンタジーに比べると、歴史ものは市場が厳しいのも現実。
引き続き応援いただければ幸いです。
Web版との変更点といたしましては、
河尻秀隆のキャラがWeb版だと弱いと思いましたので思い切ってある属性を追加し、リライトしました。
追加のSSでは信秀と〇〇のエピソードを書かせていただきました。
中盤のあのシーンの補完にはなるのかな、と
Web読者様にもご満足いただける内容になったのでは、と思っておりますのでよろしくお願いいたします!
また書籍1巻もただいまkindle unlimited中でございます。
巻末にはつやの過去編なども書き下ろしてありますので、まだ未読の方はこの機会にぜひぜひご覧になってください。




