第二八話 天文十二年七月中旬『木静かならんと欲すれども風止まず』
「なんですかい、それ? 花?」
ひょいっとわたしの上から布袋の中を覗き込みつつ、成経が訊いてくる。
そう、布袋の中にあったのは、鉢に植えられた、何の変哲もない数本の白い花である。
「そそ、これがどうしても欲しかったの」
伊賀者の小猿に、東三河に忍び込んで盗んできてもらうほどに。
盗みがよくないのは確かなのだが、今は戦国時代。
仮想敵国から重要物資を強奪するのは、むしろ戦略の一つと言えよう。
……盗人猛々しいとはこの事を言うのかもしれない。
「わざわざこんなの欲しがるなんて、意外と姫さんも乙女だったんすねー」
「意外とってどういうことよ。失礼な」
どこからどう見ても、可愛らしい女の子だろうが、わたしは。
「いやぁ、姫さんってまだまだ花より団子って思ってたんで」
「まあ、それ自体は否定しないけどね。実際、これも鑑賞用で取ってきてもらったわけじゃないし」
「なるほど。つまりこれ、美味いんすね?」
成経がじゅるりと舌なめずりする。
「どこまでわたしを食いしん坊だと思ってんのよ! これは木綿の花、服や寝具の材料になるありがた~い花、よ」
わたしは鉢を崇めるように掲げて言う。
木綿――
まだ世間的な認知があまりあるとは言えないが、これから日本全国に爆発的に普及していくことが約束された繊維である。
と言うのも、木綿は保温性が高く、柔軟ゆえ身体を動かしやすく、かつ丈夫で破れにくい。
つまり、鎧の下に着る兵衣として最適!
馬鹿売れするのがわかっているんだし、そりゃわたしとしても早期に入手して量産体制を構築しておきたかったのだ。
「よく手に入れてきてくれたわ、小猿。ちなみにどこにあった?」
「姫様の読み通り、福地村です」
「やっぱりあそこかぁ」
木綿はその歴史自体は古く、平安時代に編纂された歴史書『類聚国史』によれば、八世紀末に崑崙人(おそらくはインド人)によって三河の幡豆郡福地村に種子が持ち込まれ栽培されたという記録が残っている。
ただその時には時代に合わなかったのか綿は日本に定着しなかったらしいが、記録によれば一五一〇年頃には三河で綿織物業が興っており、そして天文一二年の現在では、熱田や津島、清須の市には三河産の綿織物がちらほらと並んでいるのをわたしも確認している。
つまり、綿花自体は三河で栽培が続けられていたのだ。
あるいは人の手を離れて野生化して自生するようになった可能性もある。
そう踏んだわたしは、小猿たち御庭番衆にその周辺を探索に行かせたという次第である。
「でも一発で、これを持ってきてくれたのはお手柄ね!」
写真があれば簡単だが、当然ながらこの時代にはそんな便利なものはまだない。
絵心のあまりないわたしでは、詳細なスケッチを描くなんてこともできない。
安祥城に滞在して、その間にかたっぱしからそれっぽい花を持ってきてもらって、ローラー作戦で見つけるつもりだったのだが、これは実に嬉しい誤算だった。
「一応、念のため、手の者には他にもそれっぽいものは集めさせていますが、そいつは大量に畑で栽培されましてね。すぐピンときやしたわ」
「なるほどね」
わたしも頷く。
すでに商品が湊に出回ってるぐらいだ。
そりゃ大量に栽培されてるよね。
「改めてお手柄だったわ。これが商品化した暁には、『下柘植木綿』と命名致します」
「なっ、わ、我らの名を!?」
「ええ、これはいずれ必ずや、多くの者が買い求めるものとなります。そこに貴方がたの名を付ける意味、わかるでしょう?」
「っ! あ、あ、有難き幸せ! これまで以上に忠勤に励まして頂きます!」
平伏し、感謝を述べる小猿の声は震え、涙で滲んでいた。
忍として、いつも飄々としている彼が、ここまで感情を露わにするのは非常に珍しい事である。
まあ、それも仕方ないことなのかもしれない。
二一世紀でこそ、忍者は世界的にも格好いい存在になってはいるが、戦国時代の武士階級の者たちから見ると、使い捨ての道具、侮蔑の対象ですらあった。
堂々と戦わず、裏でこそこそ何かしている下賤な奴ら。
そういう印象がどうしても先行している。
でも、情報を制する者が戦いを制するのだ。
孫子でもその重要性はしつこいぐらいに説かれている。
彼らの存在は、我が下河原織田家にとって必要不可欠と言える。
そういう縁の下の力持ちたちが、不当に低く見られるのは、わたしとしてはやはり憤懣やるかたない。
正当な評価と尊敬と感謝を受けるべきだというのがわたしの考えである。
とは言え、そうわたしが上から命じたところで、人の心を変える事は容易ではない。
そこで考えたのが、この『下柘植木綿』という名付けである。
『こんな便利で素晴らしいものを利用できているのは、下柘植衆のおかげ』
そういうイメージ戦略で、家臣たちの侮蔑の解消を図ることにしたのだ。
そして情報を専門に操る小猿だからこそ、先の一言でわたしの意図を察し、涙したのだろう。
やはり頭がキレる。頼りになる。
「ええ、期待しているわ、これからもよろしくね」
「はっ、お任せくださいませ! 姫様の目や耳として、時に手足として、お好きにお使いくださいませ! 我ら下柘植一党、子々孫々、末代に至るまでこの御恩、忘れることはございませぬ!」
これからってそんなはるか先までの意味ではなかったんだけど……。
でもまあ、それぐらい喜んでくれてるってことだよね。
よかったよかった。
なんてほっこりしていたその時だった。
ドタドタドタ! と慌ただしい足音が近づいてくる。
何事? と思うのもつかの間、
「伯母上! お休み中のところご無礼つかまつります!」
障子の奥から、緊迫した声で告げられる。
信広殿!?
城主自らとか、とにかく相当の事があった事はもはや明白だった。
「問題ありません! それよりいったい何があったのです!?」
早速わたしは問う。
正直ヤバい予感しかしない。
領内のどこかで一向宗が蜂起でもしたか?
それとも、わたしの留守中に清須で何か問題でも起きたか?
「上和田城より急使が! 至急後詰めを乞う、と」
「はあっ!?」
わたしは思わず素っ頓狂な声をあげる。
上和田城は、矢作川の東にある城で、来たる岡崎侵攻の為の織田軍の橋頭堡と言える。
敵方の松平家からすれば、喉元に突きつけられた刃物のようなもので、早々に取り戻してしまいたい気持ちはよ~くわかる。
が、今はまだばりばり休戦協定の期間中だ。
「短気を起こしたものね。父清康譲りの気性の荒さが出たといったところかしら」
まあでも、飛んで火にいる夏の虫とはまさにこのことだった。
一応、今回の休戦協定は、中立の立場にある伊勢神宮に仲介をお願いし、天照大神に起請文を捧げている。
それを破るなどという暴挙に出れば、一向宗や吉良家、今川家といった同盟国も参戦に二の足を踏みかねない。
戦には大義名分が大事だからだ。
松平家単体が動員できる兵力なんて、どう頑張ったって三〇〇〇ぐらいがせいぜいだろう。
今の織田家の戦力をもってすれば鎧袖一触……
「いえ! 上和田城に押し寄せてきたのは松平ではなく、今川です! その数一〇〇〇〇!」
「え、えええっ!?」
思わずわたしは目を剥く。
今川って、つい先月、遠江を制圧したばかりじゃない!
まさかそのまま西進したってこと!?
あり得ない! 少なくとも普通なら有り得ない。
新たに手に入れた領地と言うのは色々危険であり、領内の地形地理を把握し、領民を手なずけ、と本来はやる事がいっぱいで、すぐさま戦など尋常の沙汰ではない。
――ないのだが、だからこそ敵の裏をかける、か。
「兵は詭道なり。織田包囲網に引き続き、またしてやられたわね……」
苦々しげに、わたしは唸るしかなかった。
一〇〇〇〇もの兵を集めれば、普通ならこちらもその動きに気づく。
気づかないわけがない。
だが、あくまで遠江の反乱鎮圧の為の軍勢であり、今は治安維持の為に留まっているのだろうと思い込まされていた。
まさか三河にまで攻めあがってくるなど、青天の霹靂もいいところである。
松平家とは来年春までの休戦協定を結んでいるが、今川家との間にはそんなものはない。
完全に盲点を突かれた格好である。
「言うなれば、太原雪斎流の西上作戦といったところかしら、ね」
非常によく似た状況に、苦い記憶を思い出さずにはいられなかった。
西上作戦は元亀三年(一五七二年)に武田信玄が行った徳川領への電撃的な侵攻作戦である。
あれも最初は北に進軍して仇敵である上杉に向けての軍事行動と錯覚させ、仲裁役を務めていた信長の説得に応じて軍を退いたと見せかけて、そのまま軍を転進して徳川領に一気に雪崩れ込み、織田・徳川の不意を見事に打ってのけた。
その結果、前々世のわたしが城主を務めていた岩村城にも武田勢が押し寄せてきたわけで、わたしの運命を激変させた因縁深い戦役だ。
現状、完全に機先を制された織田家は迎撃態勢がまるで整っておらず、このままでは史実の徳川家同様、領土を好き放題食い荒らされかねない。
お気楽な旅行のはずだったのに、いつの間にやら大ピンチもいいところである。
一寸先は闇、とはまさにこのことだった。




