第二六話 天文十二年七月中旬『素戔嗚のお墨付き』織田信広side
織田信広は、叔母の言葉にただただ衝撃を受けていた。
強くあらねばならない。
ずっと、それこそ物心ついた頃よりずっと、そう信じて疑うことはなかった。
それが武士の家に生まれた男児の務めだ、と。
だが一方で、ここ最近、自らの才能のなさをひそかに感じていたのも、偽れないところではあった。
永泉寺を創建開山した泰秀宗韓を師と仰ぎ学を修め、武芸は父の家臣の中でも三本の指に入る剛勇の士、下方貞清の下で鍛錬に励んだ。
師には恵まれ、努力も人一倍積んできたという自負がある。
そして同時に多大な努力をしたからこそ、薄々とわかってしまうのだ。
天賦の才を持つ者たちの領域に、自分はどこまでいっても届かない、と。
特別、人より劣っているとまでは思わない。
師のおかげも大きいが、人並以上の力量はむしろあると思っている。
ただ、父や弟の吉法師、師の下方貞清のような、敵の弱点、隙、勝機を瞬時に嗅ぎ分ける野生の勘ともいうべきものを、自分は持っていない。
それこそ致命的と言えるほどに、だ。
だから力も技も劣る相手にさえ、勝ち切れない。
競り負けることも多い。
第二次安祥合戦でも、そうだった。
対外的には、本丸を落とし大手柄を挙げはしたが、実際のところは譲ってもらったようなものである。
勝機を捉え突撃の進言をしてきたのは、師にして寄騎でもあった下方貞清だった。
なぜその時が好機だったのか、信広にはわからなかった。
彼に見えているものが、自分には全く見えなかった。
だが、見えないでは済まされない。
自分は庶子とは言え、織田家の長男なのだ。
境目の要衝たる安祥城の守りも任された。
自分がしっかりしなくては、兵の命どころか、領地も民の命も守れない。
なにより、父に自分の力を認めさせることが出来ない。
自慢の息子だと言わせることが出来ない。
育ててくれた大好きな母の願いを叶えてあげることが出来ない。
だから自分は、強く立派な大将にならねばならないのだ。
そう自分に言い聞かせてきたのに――
「僭越ながら、信広殿は戦に向きませぬ。そう素戔嗚尊様も仰っておりました」
叔母の言葉に、信広はそれまでなんとか自分を支えてきた地面が崩れ、奈落の底へと突き落とされたような気分だった。
叔母の言葉は武の神、素戔嗚の言葉である。
そんな叔母に戦には向かぬときっぱり言われ、口では反発しつつも、内心は暗澹たるものが広がっていたのだが、
「わたしが見るに、信広殿は王道の人かと思います」
この言葉は、信広の心に光明を差し込ませる。
覇気に欠け柔弱と劣等感さえ抱いていた自分の性格を、温厚篤実だと、得難き稀有な資質だと、評価してくれた。
人に支えたく、助けたく思わせる。それもまたまごうことなき大将の資質だ、と。
目から鱗とは、まさにこの事である。
そんなこと、考えたこともなかった。
誰もそんな風には言ってくれなかった。
強くなるしかない。
それしか道はないと思っていたのに……。
この叔母は、全く別の道を示してくれたのだ。
「……本当に俺に、そんな大将の資質があるのでしょうか?」
信広は期待と不安に震えた声で、おそるおそる問う。
ずっと自分の非才を嘆いてきた。
そんな才が自分にあるのならば、ずっと感じていたこの断崖絶壁を超えられる。
心が昂りを感じずにはいられない。
だが一方で、心のどこかで囁く自分もいるのだ。
お前は所詮、凡夫なのだ、と。
本当にそんな美味しい話があるとでも思っているのか? と。
身の程をわきまえろ、と。
「ええ、素戔嗚のお墨付きです。自分で何かを為そうとするのではなく、人と交わり人脈を広げ、人を見る目を養い、適任の人を見つけ頼り任せるとよろしいかと」
「っ!」
そんな心を覆い尽くす黒いもやもやを、叔母の言葉はあっさりと吹き飛ばしてしまう。
素戔嗚大神は神話において八岐大蛇を屠った武神であり、現世においても、画期的な道具を生み出し、織田家に勝利と繁栄をもたらす守護神でもある。
そのお墨付きだ。
これほど心強いものはない。
「素戔嗚大神のお言葉なら、従うより他にありませぬな」
信広は晴れ晴れとした顔で笑う。
蒙が拓けた、とはまさにこのことを言うのだろう。
そしてこの薫陶は信広の運命を大きく変え、彼を歴史の表舞台に立たせることとなるのだが、まだまだそれは先の話である。
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12月17日です。
おかげ様で続刊することができました。
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