第二五話 天文十二年七月中旬『王道の人』
「どうしてそこまで?」
居住まいを正し、じっと信広殿の目を見据えてわたしは問う。
ちょっとこれは、放置するのはよくない気がするんだよなぁ。
さすがに功を焦りすぎというか。
戦は生死にかかわる。
急いては事を仕損じるともいう。
信光兄さまのこともある。
これ以上身内を戦で失うのは勘弁だった。
「そんなにおかしいですか? 男として、武功を挙げたいというのは至って普通のことかと」
「ええ、それは勿論ですが、信広殿のはそれだけではないような気がしまして」
「……さすがは素戔嗚の巫女様ですね、何でもお見通しですか」
「何でもは見通せません。だからこうして聞いているのです」
「なるほど……」
その言葉とともに、信広殿は瞑目する。
言うべきかどうか葛藤していたようだが、再び目を見開きわたしを見据えて言う。
「母上の為です」
「母君の? 母君は信広殿の出世をお望みで?」
繰り返すが、信広殿は庶子とは言え、まごうことなき信秀兄さまの長子だ。
武名を挙げれば、信広殿が織田弾正忠家を継げる。
そういう野心を子に託している、ということは十分あり得た。
「いえ、母上が想い焦がれてるのは、ずっと父上お一人ですよ」
信広殿はなんとも寂しそうに苦笑する。
それでなんとなく、わたしも察した。
織田家は美形の家系だが、信秀兄さまも端正な顔立ちをしており、その上、富も名声も力も全て持っている。
性格もしたたかであくどい部分とお茶目で憎めない部分があり、そのギャップに入れ込んじゃう女性もそりゃいるよなぁ、と。
わたしの好みでは断じてないが!
「しかし、母上の部屋から、父上の足はすっかり遠のいてしまってまして……」
「あ~……」
眉間にしわを寄せなんとも難しい顔で言う信広殿に、わたしも顔を引き攣らせるしかない。
信広殿ほどの子を産んでいるとなれば、母君はおそらくもう齢三〇は越えているはず。
二一世紀のように、美容品が揃っているわけでもない。
容姿は相応に衰え、信秀兄さまの足は自然と若い女のほうへ、と言ったところか。
二一世紀日本の感覚で言えば、最低のクズ野郎、女の敵以外の何者でもなく、身内でも擁護のしようもないぐらいなのだが、ここは戦国時代。
大名クラスになれば、妻を複数持つのは、むしろ普通なんだよなぁ。
家臣から勧められるぐらいというか。
「決して粗略に扱われてるというわけではありません。過分な化粧田も頂いております。そこには全く不満はないのですが、時々でいいから会って話だけでも、と」
「なるほど……」
信秀兄さまもつくづく罪な男である。
ちなみに化粧田と言うのは、女性に与えられる土地の事である。
信広殿、そして劔神社宮司の信時殿という二人の息子を産んでくれた女性に、信秀兄さまなりには報いているのだろう。
が、女性からすれば、そんなものより好いた男の愛情のほうが欲しいのが人情だよなぁ。
とは言え、男女の仲って一方だけで成立しないというか。
一度離れた心をまたくっつけるってのも、現実的にはけっこう難しいというか。
「今の俺では、父上にそれを言ったところで聞いてはもらえないでしょう。だからこそ、俺は武功を挙げ、父上に認められる将にならねばならぬのです! 『お前の産んだ子は、素晴らしい大将に育った』と、母にお褒めの言葉だけでもかけてあげてほしいのです!」
ほんと母親想いで、健気ないい子である。
信秀兄さまや信長の血縁とは正直思えない。
人間的には本当に好ましい人物なんだよなぁ。
……でもだからこそ、危うく見えてしまう。
戦は読み合い、騙し合い、化かし合いである。
徳川家を翻弄した名将、真田昌幸は「表裏比興の者」と謳われたが、これは表裏があり、卑怯であるという意だ。
かの明智光秀も、「仏の嘘は方便と言い、武士の嘘は武略と言う」という言葉を残した。
戦場で生き残るには、そういう狡猾さが必要不可欠なのだ。
信広殿のこの人の善さでは、羊が餓狼の群れに飛び込んでいくようなものだった。
「僭越ながら、信広殿は戦に向きませぬ。そう素戔嗚尊様も仰っておりました」
意を決し、きっぱりと言い切る。
これは誰かが言ってやらねばならぬことだと思ったのだ。
「っ!? 素戔嗚大神がそのようなことを!?」
「ええ」
わたしが神妙に頷くと、
「…………っ!」
信広殿はなんとも悩まし気に、悔し気に唸る。
これがわたしの言葉という体だったならば、おそらく一顧だにされなかったろうが、素戔嗚の神託と言われると、心揺らぐものがあったのだろう。
若者の心を折るのは心苦しいが、これも彼の為、ひいては織田家の為だ。
実際、史実を見ても、信広殿は戦ではいいところ全くなしだからなぁ。
「し、しかし、それでも俺は武功を挙げねば……っ!」
「武功を挙げることだけが、忠孝の道でもないでしょう。わたしが見るに、信広殿は思慮深く、柔和な方です。それを活かしていけば良いかと」
なおも諦めきれぬ信広殿に、わたしは諭すように言う。
「活かせ、と言われましても、今は戦国の世、将たる者が柔弱であっては舐められましょう」
が、そうあっさり受け入れられるものでもない。
効いてはいるようだが、素戔嗚の威光もさすがにそこまで万能ではない、か。
難色を示す信広殿にわたしはくすりと笑みをこぼし、
「別に構わないのではないですか?」
あえてあっさりを装って言ってのける。
信広殿は当然、眉をひそめ、
「構わなくないわけないでしょう。舐められて良い事などありますまい?」
「そうでしょうか? 将たる者には大きく分けて二種類あるとわたしは考えます」
「っ! とりあえず拝聴いたしましょう」
わたしが人差し指と中指を立てると、信広殿が興味深げに食いついてくる。
わたしは中指を畳み、
「一つは信広殿もご承知の通り、ずば抜けて有能な者、です。信秀兄さまや、美濃の斎藤道三などでしょうか。大陸に目を向ければ、楚の項羽、三国志の曹操、今の明を建国した朱元璋などがこれに当たります」
「いずれも歴史に燦然と刻まれた名将たち、ですね」
うん、全員知っているか。
やっぱり真面目で勉強家ではあるんだよなぁ。
わたしも頷き続ける。
「はい。ですが、鎌倉幕府を打ち立てた源頼朝や漢の劉邦などのように、本人はあまり大した軍才は持たずとも、不思議と周りに有能な将たちが集まり、結果天下を獲った者もおります」
これは二一世紀の世界でもそうだったりする。
昔、粉飾決算で捕まって今はロケット開発してる有名経営者も、似たような事を語ってるところが、しばしば動画サイトなどで切り抜かれている。
無能でも行動力だけはある経営者の周りには、不思議と有能な人間がそれを放っておけず集まってきて成功するケースを何度も見ている、と。
わたしはこれにもう一つ、条件を加えたい。
人を惹きつける人間的な魅力がある、と。
そしてそれを信広殿には確かに感じるのだ。
「前者を覇道とするならば、後者は王道。わたしが見るに、信広殿は王道の人かと思います」
「王道、ですか」
「はい、少し接しただけでも、信広殿の温厚篤実なお人柄がわかります。それはこの末法の世では得難き稀有な資質かと」
この言葉は、お世辞ではなく、嘘偽らざる本心からの勧めだ。
ちなみに末法の世とは、釈迦の死後、仏教の教えが衰退し、人々が荒廃し、救いのない時代が訪れる、という仏教の終末思想である。
この戦国時代はまさにそのものと言え、衣食足りて礼節を知る、とも史記にはある。
この柔和でそばにいるとホッとする感じは、平和な二一世紀ならともかく、今は本当に稀少な気質だと思うのだが、
「ただ優柔不断なだけです。俺は果断さに欠け頼りなく、ゆえに人に心配され、舐められる。自分でもわかっているのです」
当の本人は、その価値に全く気付いていないんだよなぁ。
それどころかコンプレックスさえ抱いている感じがある。
時代が時代で、剛毅果断さを求められるところがあるから、仕方ないと言えば仕方ないのかもしれないけれど。
だからこそ、
「人の長所と短所は裏表と申します。言い換えれば、人に好かれ易く、親しまれ易く、信用され易いお人柄、ということですよ」
わたしは長所な側面をとにかく褒めちぎる。
少しでも自信を持ってほしいから、ね。
「先頭に立ち人を引っ張る、道を自ら切り拓くだけが大将の資質ではありません。人に支えたく、助けたく思わせる。それもまたまごうことなき大将の資質かと」
実際、史実でも、信広殿は一門衆のとりまとめ役や、公家や将軍足利義昭との交渉役などを、目立った失態もなく無事務めあげている。
山科言継や吉田兼見といった公卿(従三位以上の公家)とも親しく交わっていたという記録も残っている。
かように史実から見ても、戦場での槍働きよりも、人柄が問われる調整役のほうが明らかに向いているんだよなぁ。
実際にこうして接していても、人柄の良さはよくわかるし、ね。
別に大将だからって戦わなくちゃならないこともない。
源頼朝なんて、もっぱら平家打倒は弟の範頼とか義経に任せていたしね。
勿論、それで士気が上がるとかメリットも多いが、絶対必要というわけではない。
それこそ討ち取られなんてしたら、目も当てられない。
何事も適材適所なのである。