第二一話 天文十二年七月上旬『鳳凰も水かきする』
更新予定ではありませんが、お盆休みなので
15日にもスケジュール通り更新します。
「こちらが荷之上職人街になります」
「へええ、けっこう様になってきてるじゃない」
案内されたのは街並みに、わたしは満足げに感嘆の声をあげる。
市江島を拝領してすぐに設営を命じたので、もうすっかり形になってきていた。
荷之上城に続く大通りの両脇には、木造のバラック小屋みたいなものがずらっと立ち並んでいる。
屋根なんかも吹き飛ばないようにいくつも置き石しただけ。
台風が来たらすぐに吹き飛びそうな感じで、二一世紀の感覚だとスラムか!? となるが、この時代ではこれが普通である。
現状、本枯節や百景(蒸留酒)、石鹸、醤油などといった我が下河原織田家の主力商品は、清須城の三の丸や、下河原あたりで作っているんだけど、さすがに手狭になってきたってのがあったのよね。
とは言え、製造法が他所に漏れるのは出来る限り避けたいところ。
開けた稲葉地や中村では間者の侵入を阻むのは難しい。
そこで白羽の矢を立てたのが、ちょうど手に入ったばかりの市江島である。
川や海といった天然の要害に加え、輪中なのでぐるりとけっこう堤防がすでに島の至る所に張り巡らせられている。
治水・防衛の為にコンクリート堤防の設営もどうせ必須。
さらに――
「街を囲む堀のほうは?」
「進捗は九割といったところでしょうか」
街自体もしっかり水堀で囲み、侵入を困難にし、入出も二重で管理するという厳戒態勢である。
当然、情報漏洩阻止を徹底するための人員も必要になるんだけど、荷之上は境目の城だからどうせ兵を詰めさせねばならない。
防衛の為の人員にその辺の警邏も一緒にやってもらえばまさに一石三鳥というものだった。
「そう、そこまで仕上がってるなら、職人たちにこっちに移るよう指示を出しておくわ。利玄?」
「はっ、お呼びでしょうか」
「聞いてたわよね? 清須のじぃまで一っ走り伝えてきて」
「はっ!」
頷き、前田利玄は馬に飛び乗り駆けていく。
旅行中にちょっとかわいそうではあるんだけど、小姓衆は連絡伝達が仕事だからね。
「そう言えば、一向宗の様子はどんな感じ?」
ふと思いついたように、わたしは隣を歩く秀隆に問いかける。
これもまた、自分の足で目で見に来た理由だった。
一応書簡で報告を定期的に受けてはいるが、文章では伝えきれないものもあるからね。
「ああ、それですが、一つ大きな動きがありました」
「っ! ……教えて」
わたしは一呼吸置いて心を落ち着けてから先を促す。
大きな動き、か。
悪い事でなければいいのだけれど。
「証恵が大敗の責を取らされ御院の座から引きずりおろされ放逐された事はすでにご報告したとおりですが、本願寺より新たな御院が派遣されてきたとのことです」
「ああ、それなら小猿から報告を受けてる。下間真頼……だっけ?」
「はっ、さすがは姫様。お耳が早い」
「褒めるなら小猿を褒めてあげて」
実際、わたしは下間光頼のこと、全然知らないのよね。
尾張周辺は興味もあって前世で色々調べたけれど、さすがに近畿の方は守備範囲外もいいところだった。
小猿によれば、下間家は一向宗の開祖親鸞の弟子となった源宗重を祖とする一族で、代々本願寺門主の近侍である坊官を務めてきた家柄らしい。
真頼は現在、その坊官の最上位『上座』の位に就く下間光頼の実弟、とのことだ。
兄弟で要職に就けるあたり、なかなか本願寺内での権力・発言力は高そうである。
「私のほうでも今、人を忍ばせて色々調べておりますが、けっこうその辺りでごたついているようです」
「ごたついている?」
「はっ。いくら本山からの出向とは言え、外からやってきた人間に上に立たれるのは、内部の人間にとってはあまり良い気はしませんから」
「ああ、なるほど」
わたしは得心がいったように頷く。
すでに願証寺は創建から半世紀が経ち、彼らなりのやり方なり文化なりがあるはずだ。
一向宗の上層部が血筋による継承が多いことを考えると、既得権益構造があることもまた、想像に難くない。
そこにいきなり見知らぬ人間が我が物顔で乗り込んで来れば、そりゃ反発は必至とだよなぁ。
平成の日本でも、ニッ〇ンとかオリン〇スとか、外人のやり手社長と古参の上層部との間で確執があったって話だし、戦国時代も大して変わらないってことだろう。
まったく人間ってのはつくづく業が深い。
とは言えまあ、
「それはつけ込むしかないわね」
ニヤリとわたしは口の端を吊り上げる。
「本願寺派と願証寺派の対立を煽るんですかい?」
そう問うてきたのは、下河原御庭番衆の下柘植小猿である。
「察しがいいわね、お願いできる?」
「早速手配いたしやす」
言うや、小猿は足早にその場から駆け去っていく。
彼とその子の木猿は『万川集海』で一一人の名人に数えられた忍びである。
後は任せておけば、きっといい仕事をしてくれる事だろう。
「次にぶん獲るのは長島ですかい、姫さん?」
笹の葉をピコピコさせながら、成経が獰猛な笑みを浮かべる。
まったくこれだから、戦闘狂は……。
「あんたにしては珍しいわね、ぶぶー、外れ」
「ちっ、願望はやっぱ外れるな」
つまらなげに成経は舌打ちするも、どこか納得したような口ぶりでもある。
市江川の戦いでは、勘働きが冴えていたし、彼なりに何か掴んだのかもしれない。それの確認といったところか。
まあ、頼もしい限りである。
「下手に攻めたら、一致団結されちゃうからね。内部分裂している時は、火種を煽るだけ煽って、後は放置して自壊するのを待つのが定石よ。いわゆる兵法三六計の九、隔岸観火ね」
「ほおお、なるほどねぇ。色々考えてんなぁ、姫さん」
「そりゃ一応は、領主ですからね」
望んでなったわけではないけれど、わたしには領民たちを守る義務がある。
戦禍に巻き込まれないよう、最低限の事はやっておかないと、ね。
「それに信秀兄さまの狙いは、間違いなく岡崎よ。そういう意味でも、後顧の憂いはしっかり断っておかないと、ね」
長島のある西を見据えつつ、わたしは言う。
片腕たる実弟、信光兄さまを奪われたのだ。
このままなあなあで済ますつもりは、信秀兄さまにはないだろう。
松平との戦は近い将来、ほぼほぼ必ず起きる。
そうなれば当然、今川も出張ってくるだろう。
大きな戦になる可能性は高い。
東に戦力を大きく傾けて、前回同様、後背を突かれたらたまったものではない。
しかもそこはもうわたしの領地なのだ。
転ばぬ先の杖、対立煽ってまとまらないようにしておけば、脅威は格段に減るというものだった。