第十八話 天文十二年七月上旬『何もわかっていない』
「んー、絶好の行楽日和ねー」
清須城の城門前で、わたしは手のひらで太陽を透かし見しつつ、にんまりする。
善は急げ。秀貞殿の許可も下りたので、わたしは早速、三日で準備を整えて、出立の日を迎えていた。
もちろん、一人と言うわけにはいかないので、
清須城二番家老、柴田勝家。
荷之上城主兼馬廻先手衆筆頭、佐々成経。
小姓衆筆頭、太田牛一。
作事奉行、岡部又右衛門。
御庭番衆副頭領、下柘植木猿。
馬廻先手衆、浅野長勝。
馬廻先手衆、林弥七郎。
小姓衆、滝川一益。
小姓衆、前田利玄。
後は女中のゆき、はる、あきの計一二名に同行してもらうことにした。
お供の数が少ないと言えば少ないが、一騎当千の猛者揃い、野盗の類に襲われても、これならものともしないだろう。
「成宗様も御同行できればよかったのに、残念ですね~」
はるが少し寂しそうにつぶやく。
成宗は今回お留守番である。
わたしに加え家宰のじぃまで不在では回るものも回らないから仕方がない。
「そうねぇ、土産に酒のつまみになりそうなものでも見繕って買っていってあげましょう」
返しつつ、家中の体制の見直しも急務だなぁ、と改めて思う。
じぃももう齢六三。
普通にもう隠居しててもおかしくない年だし、無理はさせられない。
やっぱり家宰の世代交代が必要だよなぁ。なるはやで。
家中統制的には出来れば最古参組から抜擢したいところではあるんだけど……
勲功で群を抜く成経は、メ〇スには政治はわからぬ、だし。
牛一は内政能力高いけど、人望がなく。
長近は人望はあれど、判断力・決断力に欠ける。
となると最有力候補はやはり、中途採用ではあるけど村井貞勝……かな?
まあ、その辺は帰ってからゆっくり考えるとしよう。
「いやぁ、楽しみっすね! 自分、尾張から出たことがないのでワクワクして昨日はもう眠れなかったっすよ!」
弾んだ声でそう言ったのは、前田利玄である。
林秀貞殿の寄騎、荒子城主前田利春の次男……なんだけど、後の加賀一〇〇万石、前田利家の次兄といったほうが通りはいいか。
弟の利家はこの時代を代表する美丈夫と評判だけど、その兄だった利玄もなかなかのハンサム君である。眼福眼福。
「浮かれすぎです、利玄。これは行楽ではなく視察です。ワクワクして眠れぬなど、遊び半分では困ります」
早速、ピシャリと冷や水を浴びせたのは、言うまでもなく直属の上司たる牛一である。
「あ、あはは……」
その言葉に、わたしはこっそり乾いた笑みをこぼす。
いや、だって、ねぇ?
これ、視察を名目にした行楽だからなぁ。
さすがに言えないけども。
ごめんね、利玄。
「さらに言えば、姫様の雑用と護衛が貴方の主な任務。寝不足の注意散漫な状態で、職責が全うできるとでも?」
「も、申し訳ございません! 申し訳ございません!」
牛一の叱責に利玄は先程までの明るく弾んだ様子から一転、たじたじの平謝りである。
牛一って正論で、きっちり詰めてくるからなぁ。
しかも冷たい威圧感もある。
よっぽど怖いのか、利玄は青ざめた顔ですっかり委縮してしまっている。
ん~、これはあまりいい傾向ではないかも?
「貴方の中身の伴わない謝罪はもう聞き飽きました。もっと真剣に……」
「まあまあ。これから出かけようって時に、あんま気分盛り下げるようなこと言いなさんな」
見かねて一益が仲裁に入るも、
「言いなさんな? 拙者は貴方の上役のはず。言葉遣いがなっていませんね」
どうやら藪蛇だったようである。
小姓は行儀見習いなところもあるので、その辺にもきっちり指導を入れさせてるのよね。
「敬意を払うべき方には払いますよ」
おいおい、一益ーっ!?
「……ふむ、つまり拙者には払う価値がない、と?」
「へえ、空気読めないあんたでも、さすがにこれはわかったか。正直これでも通じないんじゃないかと心配だったぜ」
一益はニッと口の端を吊り上げ楽し気に返す。
「参考までに、なにゆえ拙者に敬意を払う価値がないのかお聞きしても?」
だがそこは、その能面ぷりには定評のある太田牛一である。
淡々と、本当に淡々と感情のこもらない平坦な声で問い返す。
「あん? もう言ったじゃねえか、空気も読めねえような無能だってよ」
うわっ、さらに煽ってくの!?
しかし、出かけ前に気分盛り下げるような事を言うなって言ったの、一益、君だよねぇ?
舌の根も渇かぬうちとはまさにこの事である。
風雅を極めるって道を見つけて、多少は大人しくなったみたいだけど、元の喧嘩っ早さ、煽り癖は変わらず、か。
いや、火事と喧嘩は江戸の華っていうし、これもまた粋ってこと?
正直勘弁してほしいんだけど。
「空気を読め、ですか」
牛一が小さく鼻を鳴らす。
その能面には珍しく、嘲笑の色が浮かんでいた。
彼にとっては最も馬鹿馬鹿しい事だったからだろう。
「そんなものを読んだところで、緊張感がなくなり、なあなあになるだけです」
こういう理由から。
そして、実際その通りなことは歴史を見れば明らかだ。
空気に支配され、誰もが間違ってると思いながらも、惰性で変わる事もできず、凋落していった国は、古今東西、枚挙に暇がない。
二一世紀の日本の政治だってそうだった。
「はっ、やっぱあんた、何にもわかってねえな」
一益も嘲笑を露わに鼻を鳴らす。
「わかってない? 拙者が何をわかっていないと言うんです?」
「だから言ったろ。何にもだよ。説明するのもだりぃ」
一益はやれやれと肩をすくめてから、もう興味もないとばかりに牛一に背を向け、
「姫様、あれを筆頭に据えておくぐらいならまだ某の方が適任かと。一月観察させてもらいましたが、あれは人の上に立てる器ではありませぬ。長い目で見た時、下河原織田家にとって害になるだけかと」
酷評とも言うべき進言をしてくる。
しかも、あれ呼ばわりときたか。
さすがは後の織田四天王の一角、相応にプライドが高い。
自分が認めていない者には意地でも頭を下げられないのだろう。
「意見の一つとして受け取っておきます。とは言え、彼が貴方の上役であることも事実。言葉遣いには気を付けなさい。罰として夕餉抜きです」
とりあえずは、無難に返したものの、所詮は一時しのぎ。
問題の抜本的解決には程遠いのは、明らかである。
これは先行き不安だなぁ。
それに……内心、痛いところを突かれた、ってのも事実なのよね。
一益のいう「何もわかっていない」というのは、わたしやじぃが荷之上城の城代に牛一を推せなかった理由そのものであり、危惧していることだったのだから。