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織田家の悪役令嬢 ~今世はのんびり過ごすはずが幼くして『女孔明』と呼ばれてます~【1巻好評発売中!】  作者: 小鳥遊真
第三部 東海争乱編②

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間話 天文十二年五月下旬『もう一人の虎』???side

 駿河(するが)蒲原(かんばら)城――


 富士川のそば、東海道と駿河湾を望む小山の頂きに築かれた城である。

 現在、この富士川を境目にして西を今川家が、東を北条家が支配しており、この蒲原城はまさに今川の東の領土防衛の最前線とも言うべき重要拠点であった。


 現在の城主は、蒲原氏徳(うじのり)

 蒲原氏は今川家の庶流にあたる名門で、氏徳は当主義元の母方の伯父に当たる人物でもある。

 まさに今川家一門の重鎮中の重鎮であった。


「おお、遠路はるばるよくおいでくださった。義元様に代わり厚く御礼申し上げる」


 その氏徳が、その男の来訪を告げられるや、自ら城門にまで出向き、深々と頭を下げたものである。

 いかに氏徳と言えど、万が一にも彼に非礼を働くわけにはいかなかったのだ。


「出迎え、痛み入る」


 ガチャっと鎧を鳴らしながら、静かで落ち着いた声で若武者は言う。


「っ!」


 瞬間、氏徳は蛇に睨まれた蛙のごとく、全身を強張るのを感じた。


(な、なんじゃ!? ま、まさか怯えているのか、儂は!? こんな若造に!?」


 氏徳は既に花倉の乱、河東の乱という二つの大戦を乗り越えてきた歴戦の将である。

 特に河東の乱では敗戦であり苦しい状況の中、蒲原城はこれ以上の北条の侵攻を食い止める戦いの最前線ともなっていた。

 死線をくぐったことは、一度や二度ではない。

 にも関わらず、この青年と体面していると、我知らず歯がカチカチとなり、カタカタカタと身体が震え出してしまうのだ。


「どうされた? 顔色が悪いぞ? 体調がよろしくないのならば、私の事は良いから、とく休まれるとよい」


 青年が優しく気遣いに満ちた言葉をかけてくる。

 だが、氏徳の恐怖は収まるどころか膨らむばかりだった。


 若武者はまだ年は二〇を越えたばかりといったところか。

 その眼は理知的な光を称え、パッと見は物静かで温和そうな青年である。

 ともすれば頼りなくすら見えかねないのに、なぜか何か絶壁の谷底を覗き込むかのような、そんな根源的な恐怖を氏徳は若武者に感じてしまうのだ。


(これが甲斐守護、武田晴信か)


 氏徳は思わずゴクリと唾を呑み込む。

 二一歳の時に、今川義元と謀って父武田信虎を駿河に追放し、甲斐の国主を乗っ取ってみせただけのことはあった。

 大人しそうに見えても、その内には鋭い牙と胆力を隠し持っているということなのだろう。


 今川家が持つ兵力のほとんどを今、西の遠州征伐へと傾けているが、これほどの男が、三〇〇〇の軍勢をもって蒲原城に詰めてくれているのなら、いかな北条といえど富士川を渡ってこようとはするまい。

 今の北条家は雪斎和尚の根回しにより、まさしく四面楚歌の状態にあり、昨今、良好な関係にある武田とまで矛を交えるのは是が非でも避けたいはずだからだ。


 まさしくこれ以上の盾はなく、頼もしい限りではあるのだが、とは言えそばにいるとその覇気に寿命が縮まるのも事実である。


「ありがとうざいます。それではお言葉に甘えさせていただきます。城内にお部屋をご用意させていただいておりますので、小姓の者に案内させましょう」

「あいわかった。養生致すがよい」

「ははっ、では失礼致します」


 頭を下げ、氏徳はそそくさと退散を決め込む。

 彼はこれ以上の出世は望んでいない。

 悠々自適に楽しく日々を過ごせればいいのである。

 君子危うきには近寄らず、だ。


「友好国ゆえ押さえたのだがな。見抜かれたか」


 氏徳の背中を見送りつつ、晴信は苦笑する。

 自分なりに優しく撫でるように接したつもりなのだが、ああまで露骨に怯えられると、少々悲しくなってくる。

 まあ、もうそういう運命(さだめ)と割り切ってはいるが。


「殿の覇気は尋常ならざるものゆえ。押さえても隠しきれるものではござらぬ」


 傍らに立つ小兵が周りに聞こえぬよう声を落として返してくる。

 名は、山本勘助。

 年はもう四〇は過ぎているだろうか、肌は色黒で、片目が潰れており、他にも顔や手に無数の傷が目立つ。

 右足も不自由なのか引きずり、指も揃っていない。

 まさに五体不満足、その痛ましさに顔をしかめる者は少なくない。


 この駿河の国主、今川義元もその一人だ。

 重臣である庵原忠胤と朝比奈信置、二人の推挙がありながら、その異形を嫌い、召し抱えようとはしなかった。

 なんとも勿体ない事だと、晴信は思う。


「最近は隠すのがけっこう上手くなったつもりなのだがな。なかなか眼の良い御仁だ。さすがは要衝、蒲原城を任された御仁といったところか?」

「一眼二足三胆四力。兵法の要諦です。一があるのは素晴らしきことなれど、二三四が物足りず。一城の主には少々器量不足かと」

「ふむ、なるほどな。覚えておこう」


 想定以上の答えに、晴信は満足げに頷く。

 蒲原氏徳の一城の主の器量があるとは、晴信も思っていない。

 あえて勘助を試したのである。

 

 眼とは洞察力。

 足とは足捌き、転じて相手に気づかれぬよう、あるいは相手の裏をかき、自分に有利な状況を作り出すこと。

 胆は物事に動じない平常心、困難に立ち向かう勇気。

 力は将本人の武勇といったところか。

 晴信の考えとも概ね一致する。


 やはり当意即妙なこの男との会話は趣があって実に面白い。

 これほどの洞察力を持ち兵法、機智に長けた男は、そうそうおらぬ。

 というのに、たかだか容姿ごときで遠ざけるとは、義元の器量も知れたものだと嘲笑を禁じえない。


(やはり今川家で真に警戒すべきは、あの神算鬼謀の悪徳坊主か。今の俺では敵わぬ……とまでは言わぬが少々分が悪いな)


 自分にはまだあそこまでの老練さはない。

 花倉の乱をわずか半月で終結させ、河東の乱でも北条の大侵攻を劣勢の中、河東の地を奪われるだけに食い止め、先の戦いでは五カ国連合による織田包囲網を構築した。

 三つ者(スパイ)によれば、河東の地奪還の為、関東の方でも色々と根回しをしていると聞く。

 どれも実に惚れ惚れする手腕であり、学ぶべきところが実に多そうである。


 後に武田信玄の名で後世にまで名を轟かせることになる彼であるが、この時の彼はまだ二三歳の若造に過ぎない。

 だが、その若さとこの飽くなき向上心こそが彼の強みと言える。

 優れたものはたとえ他国のものだろうが、敵であろうが、貪欲に吸収し己の力へと変えていく。

 若き虎は着々とその牙を研いでいた。

 いずれこの戦国の世に武田の名を轟かせんがために。



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