第十一話 天文十二年五月中旬『飢えを満たすもの』滝川一益side
滝川一益は近江国甲賀郡大原村の土豪、高安一勝の次男としてこの世に生を受けた。
滝川の姓は、父、一勝が嫡子範勝に家督とともに居城櫟野を譲り、自らは滝城に移りそう名乗った事に由来する。
幼い頃から一益は文武に優れ非凡な才能を発揮していたが、齢一〇を数える頃にはどこか慢性的に虚しさを覚えるようになっていた。
刀も槍も弓も兵法も、出来ると言えば出来る。
人並み以上どころか、いずれも天賦の才があるとまでよく言われたものだ。
だがどれも、一益にとっては何一つ楽しみを見出せないのだ。
「つまらない、ただただ面倒くさい」
やっていても、そんな感情だけが心を支配する。
当然、やる気も出ない。
ただの義務。
そんなものが続けられるはずもない。
そんな彼が唯一、生を感じられるのが戦場だった。
生きるか死ぬか。
そのひりつくような緊張感が血沸き肉躍らせ、楽しいと感じさせてくれる。
だが、戦国時代とは言え、だいたいは小競り合い、牽制のし合いがほとんどだ。
それすら年に数回あるかないか。
一年の大半は、つまらぬ日常でしかない。
「何か……何か俺の心を沸き立たせるものはないのか!?」
そんな飢えの果て、いつしか彼は賭場に出入りするようになっていた。
勝てば総取り、負ければ全てを失う。
その鉄火場は戦場と近い臭いがして、一益はすっかりのめり込んでいく。
だが、それも長くは続かなかった。
心とは裏腹に、彼は勘働きが優れていた。
負けそうな時は、背中が教えてくれる。
数をこなせばこなすほど、その精度は上がっていく。
一年もすると、賭け事さえ彼の心を満たしてはくれなくなっていた。
勝つとわかっている勝負ほど、つまらぬものは彼にはなかったのだ。
「もっとだ、もっと俺を楽しませろ!」
いつしか賭場ではわざと負けるようになっていた。
そうして因縁をつけ騒動を起こし、喧嘩に明け暮れた。
血と暴力だけが、心の飢えを満たしてくれた。
しかしすぐにそれは父や兄の知るところとなり――
「この一族の面汚しが!」
「もはや目に余る。死んでその罪を償え!」
「あぁん? 上等だぁ!」
一益は叔父を斬り殺して、故郷を出奔する。
つやの噂を聞いたのは、その道中のことである。
特に行く当てがあったわけもなし。
とりあえず噂で聞く限りでは相当に面白い女傑である。
興味を惹かれ尾張くんだりまで足を運んだのだが……
「なっ!?」
女中に案内された鳳雛殿の奥座敷で、一益は思わず唖然と目を見開く。
部屋そのものは、何の変哲もない。
ごくごく普通の書院造の部屋だ。
一益が目を瞠ったのは、その開かれた障子戸の先に広がる光景だった。
「う、うつくしい……っ!」
そこに広がっていたのは、素晴らしいとしか言いようのない庭園だった。
池には花菖蒲が浮かび、その傍らには見ごろを迎えた紫陽花が花開いていた。
木々や灯籠なども、絶妙な位置取りで配置されている。
なんとも目に楽しい光景であったが、まだそこは序の口だった。
カコーン!
「っ!?」
突如、池に添えられた竹が動き出し、なんとも小気味のいい音を響かせる。
思わずぎょっとそちらを凝視する。
竹にちょろちょろと水が注がれていき、しばしの後、
カコーン!
また竹が動いて下にあった石を叩き、小気味の良い音が響き渡る。
(な、なんだ……っ!? この心の奥底から湧き上がる感動は!?)
この音を聞いていると、なぜか心が洗われるような気がした。
心の中に渦巻く飢えや虚しさ、苛立ちが、霧散していくのを感じる。
いつまででも聞いていられそうだった。
「気に入った? それ、鹿威しって言うの」
呆然と聞き入る一益に、得意げにそう声をかけてきたのは上座に座るつやである。
「ししおどし……」
まったく聞き覚えのない言葉であった。
それもそのはずである。
鹿威しは江戸時代の文人、石川丈山が鹿や猪、鳥などの野生動物を追い払うために考案したもので、それが風流として流行ったのは、実に今より一〇〇年以上先の話である。
一益がその存在を知るはずもなかったのだ。
「ほら、いつまでも立ちんぼもあれでしょ、ほら、座って座って」
「はっ」
数歩進み、部屋の中央、つやと差し向かいとなる位置に腰を落とし、胡坐をかく。
すると女中がしずしずと歩み寄ってきて、一益の前に膳を置く。
「こ、これは……っ!?」
その膳に並んだものを見るや、一益はまたもや目を剥く。
庭園、鹿威しにも目を奪われたが、衝撃はそれ以上だった。
そこにあったのは――
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