第一〇話 天文十二年五月中旬『危険な香りのする男』
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「連れて参りました」
兵士たちに引っ張られて現れたのは、年の頃一八~一九歳ぐらいの若者である。
身長は隣の兵士たちより頭半分ほど高い。ざっと一七〇センチほどだろうか。
なんとなく細身な気はするが、縄でぐるぐる巻きにされていていまいちその辺はよくわからなかった。
顔立ちはまあまあ整ってはいるのだが、なんともやる気のないとろんとした垂れ目とこちらを小馬鹿にするようなヘラヘラした笑みが、全てを台無しにしていた。
「これが、滝川一益?」
誰にも聞こえない声で、思わずつぶやく。
ちょっと拍子抜けした、というのが正直なところだ。
もうちょっと鋭利な切れ者な雰囲気の持ち主だとばっかり……
「なんでえ、そっちから呼んでおいて、がっがりしたようによぉ」
「っ!?」
まさか聞こえてた!? 普通に五メートルほどはあるのに、あの程度の声を!?
滝川一益ってそう言えば、甲賀の忍びの出って話もあったっけ。
追手を一度は撒いたって話だし、多少、忍の術に心得があるのかもしれない。
「なんだ、その口の利き方はぁっ!? つや姫様相手に無礼であろう!!」
ビリビリビリッ!
わたしの前に立って仁王立ちしていた勝家殿が、一益を一喝する。
うっわぁ、その声量もさることながら、声にこもる気迫が半端ない。
わたしはまだ後ろにいたからともかく、これを正面から浴びた兵士たちがちょっと可哀想だった。
顔面蒼白で歯をカチカチし、ガタガタと体を震わせている。
無理もない。
市江川の戦いでは一喝で万を超える軍勢を食い止めた事は、もはや兵たちの間では「鬼の咆哮」と語り草になっている。
自分たちに向けて言われたわけでもなくても、こんなの真正面から受けたら、普通の人間ならおしっこちびっちゃうって。
「へえ、じゃあどうするってんだい?」
だが、一益はへらへらと軽薄に笑いながら、挑発し返してくる。
あの圧を浴びて、まるで緊張している様子もない。
これは第一印象を大きく修正しなくてはいけないだろう。
さすがは後の織田四天王の一角、とんでもない胆力である。
この一点だけとっても、只者でないことは明らかだった。
「目に余るようなら、俺が罰を下す」
「あんたに出来るかな?」
「無様に捕縛された身で吠えるではないか」
「無様? ははっ」
嘲笑めいた声が響くと同時に、はらはらっと一益を縛っていた縄が地面に落ちていく。
「なっ!? ぐぅっ!」
「がはっ!」
ついで両隣に立つ兵士たちの鳩尾にそれぞれ拳と肘打ちを叩き込む。
そのまま崩れ落ちていく兵士たちから、さらに一益はするっとその手に持っていた槍を奪い獲る。
まさに一瞬の早業だった。
「つや姫様の御前で、少々おいたが過ぎるな」
底冷えするような声とともに、すうっと勝家殿が厳しく目を細め、その腰に持っていた刀を抜き放つ。
うわ、勝家殿、戦闘モードに入っちゃった。
さっきの一喝さえかすむほどの鬼気迫る圧がある。
その巨体が、さらに二倍にも膨れ上がったかのような……
「ほう、さすがは音に聞こえし鬼柴田。あんたならちったあ楽しませてくれるか?」
だが、その鬼の気を一身に浴びてさえ、一益は気だるげな眼のまま余裕の笑みを浮かべてみせる。
ぴしぃっ! と空気が軋むような音がしたような気がした。
周囲の気温が、冗談抜きに二度、三度下がったように感じる。
視界の端では成経も脂汗を流し顔を引きつらせていた。
さすがの傾奇者も、この二大巨頭の圧の前にはいつもの不敵な笑みを浮かべてはいられなかったらしい。
わたしも正直怖すぎて、この場から脱兎のごとく逃げ去りたくはあったが、さすがにそういうわけにもいかなかった。
ごくりとつばを飲み込み、覚悟を決め、
「はいはい、そこまでそこまで!」
わたしはパンパンっと手を叩いて、場を収めにかかる。
よしよし、声は震えてないな。がんばった、わたし!
「しかし、つや姫様の御前での狼藉、到底許すわけには参りませぬ」
刀を油断なく構えながら、勝家殿が不服そうに言う。
うん、その気持ちはとても有難いし、組織の論理としても正しいのだけれど、後の織田四天王がこんなところで殺し合いとか、どっちが勝っても織田家にとっては大損失でしかない。
何事も例外というものはあるものである。
「申し訳ありません。ただここはわたしに預けて頂けませんか?」
「……はっ、貴女がそう仰るのなら」
明らかに納得はいっていないようだが、勝家殿は引き下がってくれた。
途端、周囲を包んでいた重々しい空気が、ふっと軽くなる。
ふう、助かった。あのままじゃろくに息もできなかったし。
もちろん一益への警戒は解いていないが、とりあえず臨戦態勢を解いたことは一益にも伝わったのだろう、
「あん? 鬼と呼ばれてる割には、借りてきた猫みてえじゃないか」
一益もニッと不敵に笑いながら、構えを解く。
その割に挑発するのはやめてほしいけれども。
だが、勝家殿は特に苛立った様子もなく、
「心から敬服している方に、預けろとまで言われたのだ。従わん理由はない」
「……へ?」
一瞬、頭がフリーズした。
なんか妙な言葉を聞いたような?
「あ、あの、心から敬服していると仰いました?」
「はい。言いましたが、何か気になる点でも?」
平常そのものな感じで、勝家殿が問い返してくる。
それが逆に、お世辞などではなく、本心からの言葉というのがわかる。
「い、いえ、何も。あ、ありがとうございます」
ううう~、顔が火照る~。
面と向かってここまで言われると、悪い気はそりゃしないんだけど、さすがにちょっと気恥ずかしすぎるって!
「ちっ、やれやれ、毒気が抜かれちまったぜ」
一方、一益がはああっとわざとらしい溜息とともに、大きく首を振る。
ふぃぃ、とりあえずよかった。
もう勝家殿とは戦う気はなくなったようである。
まったく一触即発すぎて焦ったぞ、ほんと。
「あんたにゃもう欠片も興味はねえが……」
一益はそこで一旦言葉を切り、視線をわたしへと向ける。
すぐにピンとくる。
「なるほど、逃げようと思えば逃げられたのに、のこのこ大人しくここまで連れてこられてきたのは、わたしに興味があった?」
「ああ、尾張に降り立った鳳雛の噂は、近江の地にまで届いていた。一度、その面、拝んでみたくてな」
「ならこんな危ない橋を渡らず、正面から堂々と仕官してくればよかったのに」
清須城にてわたしが仕官募集をしている旨の立て札は、尾張の至る所に立てている。
今、尾張で一番ホットな話題でもあり、さすがに耳に入ってないとは思えなかった。
「最初はそのつもりだったんだが……ついついふらふら~っと花街のほうに、な」
ニッと口の端を吊り上げつつ一益は言う。
全然悪びれた様子はない。
まったくこれだから男ってやつは……。
「報告によれば、清須の賭場でもかなりの銭をスっているそうね?」
「ん? ああ、おかげで素寒貧さ」
ケラケラ楽し気に笑いながら言う。
後悔している様子は微塵もない。
そして無銭で花を買おうとして大捕り物だ。
ゾクッと背筋に寒いものが疾る。
好戦的で享楽的なところは成経にちょっと似ているけど、本質的な部分で真逆に感じた。
あいつはなんだかんだ前向きなのだ。
戦いでも、賭け事でも、勝つ気でやってる。
だが、この男は違う。
どこか破滅的な臭いがした。
「……どうしてそこまで死に急ぐの?」
思わずそう問わずにはいられなかった。
賭けで金をスり、その足で女を買い、当然金は払えず大捕り物。
その上、わたしに無礼な口を利き、勝家殿にも喧嘩を売る。
普通に数回殺されていても文句が言えない状況だった。
「あん? 別に死に急いでいるつもりはねえさ。生きたいとも思ってねえが。ただ、なんつーかな、退屈でよ」
一益は肩をすくめつつ、はあっと嘆息する。
その眼には、ゾッとするような暗い虚無が宿っていた。
「……退屈だから、あえて死地に飛び込むの?」
「ああ、それだけが俺をたぎらせてくれるからな」
言って、一益は凄絶な笑みを浮かべる。
完全にスリルに魅せられている。
やばい! この男には関わるべきではない!
そう頭の中で警報が鳴り響く。
それに素直に従いたいところではあるが、グッとこらえる。
確かに危険な臭いがプンプンする男であるが、後の織田四天王をここで逃すのは惜しすぎる。
男は度胸、女は愛嬌とか言うけれど……
ここは女も度胸でしょ!
「じゃあ、わたしのところに仕官してみる? 退屈はさせないわ」
「へえ?」
わたしの勧誘に、一益が興味深げに眼を瞠らせる。
「こんな俺を雇おうってのか。やっぱあんた、変わってんな」
「よく言われる」
「ふっ、それにしても退屈させねえ、か。いいねぇ、わかってるじゃねえか。……よし、いいでしょう! お控えなすって! お控えなすって!」
「えっ!?」
突然、声を張り上げられ、わたしは思わず面食らう。
そんな戸惑うわたしをよそに、一益は表情を引き締め、中腰になって右手の手のひらを見せるように突き出してくる。
「早速のお控え、ありがとうございます! 遅ればせながら、軒下三寸お借り受けまして、仁義を発します」
仁義?
えっと、これってもしかしてヤクザ映画なんかでよく見る仁義を切るってやつ?
「手前、生国と発しまするは、近江国甲賀郡大原、油日神社で産湯をつかい、流れ流れてこの尾張の国に参った若輩者でございます。姓は滝川、名は一益。以後面体お見知り置きの上、向後万端よろしくおたの申します」
よどみなく言い切るや、一益はニッと口の端を吊り上げてみせる。
わたしも思わず笑みがこぼれる。
「なかなか洒落たことをするじゃない」
「一度、主君と見定めたからには、礼は尽くします」
それまでのべらんめえ口調から一転、丁寧な口調で涼やかに一益は言う。
顔つきも先程までのとろんと寝ぼけた感じから、きりっと引き締まっている。
史実でも、名家である北畠家との外交を担っていたという話だし、粗野に見えても礼法には通じているという事か。
だが、所詮、傾奇者は傾奇者だった。
「あくまで貴女が某を楽しませてくれている限りは、ですがね」
試すような物言い。
慇懃無礼とはまさに、この事を言うのだろう。
おそらく退屈に感じれば、すぐにわたしの下から出奔して消えているに違いない。
だが、未来を知るわたしにはある秘策があった。
ニッと口の端を吊り上げて見せる。
「期待には応えてあげるから、安心なさい」
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いや、マジで本当に「有り難い」ことだよなぁ。