第八話 天文十二年四月中旬『土田御前』
「まあ、つや! 鳴海に来ていたの!」
信秀兄さまに別れを告げ、帰ろうとしていた時である。
本丸御殿の廊下で、弾んだかしましい声にわたしは思わず「うっ」と表情を引き攣らせる。
あまり聞きたい声ではなかったのだ。
「お、お久しぶりです、義姉上様」
わたしはにこやかな笑みを顔面に貼り付けながら、振り返る。
そこにいたのは年の頃は二〇代半ばを少し過ぎたぐらいだろうか、艶やかな打掛姿の妖艶な美女である。
土田御前――
信秀兄さまの正室にして信長の実母である。
その父、土田秀久は美濃国可児郡土田郷を本拠地に、その所領は実に一五〇〇〇貫(三万石)ほどという大土豪であり、また信秀兄さまの母いぬゐ様の兄君でもあったりする。
つまり、義父にして母方の伯父!
土岐家(今は斎藤家)との国境沿いの土豪だったこともあるが、土田家が織田家にとってどれだけ重要視されてきた家か、これだけでもよくわかる。
その娘ともなれば、まさに名実ともに織田弾正忠家の女社会のトップに君臨する女性であり、だからなるべくは仲良くしたほうがよい。
それはわかってはいるんだけど――
「本当に久しぶりね。こっちに来たのなら必ず顔を見せてと前も言ったでしょう?」
「申し訳ありません。信秀兄さまから新領地を賜り、目が回るような忙しさで」
「そうなの? ほんとあの人にも困ったものですね。まだつやはこんなにも小さいというのにそんなに仕事を押し付けて。
(中略・約二〇分!!)
ほんとそういう感じであの人ってば忙しい忙しいとわらわの話を全っ然聞いてくれないのです!」
「それは寂しゅうございますね」
わたしは能面がごとき無表情で頷く。
このマシンガントークぶりがほんっと~~~~にきついのだ。
話の内容も脱線しまくりであっちこっちに飛びまくりで、要領を得ず、何を言いたいのかもわからず、退屈極まりない。
けど繰り返しになるが、彼女は織田弾正忠家のファーストレディである。
そのおしゃべりに下手に口を挟むのは不敬であり、ただただ黙ってこの垂れ流されるマシンガントークを聞き続けるしかない。
さらに酷いのが、
「しっかり責任をもって育てるというから、平手に預けたというのに吉法師は素行が悪くうつけと評判、わらわは初めから申しておったのです。あんな者に我が子を任せるべきではない、と」
「はあ……」
「平手が付けた沢彦宗恩とやらも、ろくな輩ではありません。美濃に行って以来、吉法師はわたくしに便りの一つもよこしません。高僧という話ですが、孝の心一つ教えられぬ。まったく嘆かわしい。親を敬えぬ子がどうして家を守れるというのでしょう!?」
興が乗ってくると心の枷が外れるのか、こんな感じで不満を抱いている他人の悪口がぽろぽろぽろぽろこぼれだすんだよなぁ。
戦国の習いとは言え、腹を痛めて産んだ我が子から引き剥がされ、他人に育てられるというのは、わたしも女のはしくれなので同情はするんだけど、さ。
ただなんかなぁ。
我が子の将来を憂いているとか、遠方に行った我が子の身を案じているというよりかは、自らの恨みつらみのほうが強いように感じるのよねぇ……。
愚痴もストレス発散の一つ、愚痴の言い合いから仲良くなったりすることも多々あるので、決して否定はしないのだけれど……そういうのばっかりだとわたしはちょぉっとげんなりして疲れてしまうのだ。
「わらわがこの手で育てておれば、このようなことには……」
「母上、その……おしっこ」
不意に幼い声が、土田御前様の言葉を遮る。
視線を下に向けると、土田御前様の着物のすそをひっつかんで隠れている、七~八歳ぐらいの小さな男の子の姿があった。
「勘十郎、今わらわは大事な話をしているのです。もう少し我慢なさい」
「でも……」
勘十郎殿が股間を押さえながらもじもじする。
まあ、もうかれこれ二〇分以上は話し込んでいるからね。
小さい子にはもはや我慢の限界だったのだろう。
「いえ、ちょうどいいのでこの辺でお暇させていただきます」
「あら、そう? まだ全然話してないじゃないの」
いやもうマシンガンで話しまくってたって、あなた。
まあ、ほっといたらまじで一刻(二時間)ほどはしゃべり続けるからなぁ。
「わたしも忙しい身ですし、勘十郎殿に恥をかかせるわけにも参りませんから。では」
ペコリと頭を下げて、そそくさとその場を後にする。
ふぃぃぃぃ、脱出成功!
「やれやれ、相変わらずかしましい方っすねー」
少し離れてから、両耳から丸い木片をスポンスポンと抜きつつ、そう言ったのは護衛の成経だ。
いくらうるさいからって、当主の奥方の話を耳栓して聞き流すとは、相変わらずの傾奇者っぷりである。
まあ、気持ちはすごいわかるけど。
「そうね、でも今回はかなり早く済んだから、勘十郎様々かな」
わたしも苦笑とともに肩をすくめる。
勘十郎殿がいなかったら、マジで半刻、一刻コースだった。
そういう意味ではマジで助かったと言える。
「ははっ、ちげえねえっすね。ただ、ん~、しかしあれで同じ父母とは思えねえなぁ」
口元に手をやりつつ、成経が眉をひそめる。
誰の事を考えているのかは、すぐわかった。
「ああ、吉法師殿?」
殿なんて付けたくはないけど、一応は主君の子どもだからね。
壁に耳あり障子に目ありである。
「ええ、俺と兄貴も同腹ですが全然違うし、そんなもんっちゃそんなもんなんでしょうけど……虎の子っつーよりはありゃ猫の子って感じっすかね?」
「ここ鳴海よ。滅多なこと言わないの」
「おっと、やべやべ」
ぱしっと成経は自らの口を手で押さえるも、隠す前の口元がニヤついていたのをわたしは見逃さなかった。
まったく悪ガキなんだから。
まあ、それはともかくとして、猫の子、か。
ほんとこいつは勘がいい。
当たってると言えば、これ以上ないほどに当たっている。
幼名、勘十郎。
長じての名は、織田信勝。
信長の同腹の兄弟であり、倍の兵力、智将林秀貞、猛将柴田勝家を要して国を割るも、稲生の戦いで信長に敗れた男である。
品行方正で礼儀正しく、家臣たちの評判も良かったそうだけど、こと戦国大名としての資質においては、信長に大きく見劣りするのは結果からも明らかだった。
そして実際に接した印象でも、確かに成経の言う通りであった。
母の陰に隠れ、おどおどしている様は、まさしく借りてきた猫である。
「まだ齢七つ。これから次第でしょ。ほら、『男子、三日会わざれば刮目して見よ』って言うし」
口ではそう言いつつも、半ば以上、自分に言い聞かせる言葉であった。
今生でも、わたしと信長は反りが合わない。
むしろ前々世より敵視されていると言っていいだろう。
まさしく不倶戴天と言うしかない。
となると後々起きるであろう織田弾正忠家の家督継承に関して、わたしは信行を支持するしかない。
ないんだけど……
このなんとも頼りない神輿で、果たしてあの戦国の覇王に勝てるんだろうか?
はなはだ不安でしかなかった。
改めて
『織田家の悪役令嬢』一巻、本日発売でございます!
書籍版のメリットといたしましては、
・月戸先生の美麗でキャラクターをつかんだイラストの数々で、web版より臨場感が上がっております!
カラーイラストは表紙とはまた違う、つやの桜色の打掛姿を仕立てていただきました!
・地図やつやの屋敷図なども掲載!
・書籍版の書き下ろしとして、つやの過去編を掲載!
読めばより主人公の解像度が上がり、本作が楽しめるかと!
・初版限定の同梱SS『尾張の虎、鳳雛を拾う』も1本、書きました!
他にも昨日述べた各種書店向け購入特典SSも3本あります! お好きなものをどうぞ!
・大筋は変えておりませんが、いくつか加筆修正をしてクオリティアップ。
などでしょうか!
web版を読んだ方にも損はさせない出来になったな、と自負しております。
また続刊が出せるか否か、コミカライズにgoサインがでるかどうかは割と1巻の売り上げにかかっております。
作者的に過去一なぐらい書いてて楽しい大好きな作品ではありますが、
歴史ジャンルというのはやはり従来のなろう系より厳しい部分もありますので、盛り上げにご助力いただければ幸いです。
よろしくお願いいたしますm(_ _)m