第一話 天文十二年(1543年)三月下旬『東海の覇者、鳴動す』
「やれやれ、三河にて織田家随一の猛将と名高い織田信光めを討ち取ったまではよかったでおじゃるが……のぅ」
パンっと扇子で手のひらを叩きつつ、今川義元はつまらなげに嘆息する。
三河に織田家主力を矢作川の東まで引き付けておいてから、一向宗を蜂起させ手薄となった津島を襲わせる。
津島は織田家の生命線とも言うべき重要拠点である。
奪うまでいかずとも、大損害を与えれば、躍進著しい織田家に楔を打ち込める。
まさに会心の一手であり、少なくとも途中まではほぼほぼ完全に思惑通りに進んでいたのだ。
それが――
「はっ、一向宗勢一五〇〇〇はほぼ壊滅、余勢を駆って市江島、鯏浦島、前ケ須島などを奪い取り、逆に領土を拡げたとのことにございます」
終わってみればこの有様である。
はっきり言って意味がわからない。
織田家は戦力の大半を東に傾けていた。
一向宗の大軍を防ぐ戦力などどこにもなかったはずだったのだ。
「やはり我が覇道の行く手を阻むは、『織田の鳳雛』でおじゃるか」
忌々しげに、義元は吐き捨てる。
二カ国の太守ごときで終わるつもりは、彼には毛頭ない。
男として生まれたからには、やがて京へと攻め上がり、足利将軍家に成り代わり、天下に号令するのが彼の夢である。
その為には、尾張攻略は避けては通れぬ要衝だった。
「はっ、政略のみならず、戦略戦術も恐るべき才を持っております」
先程から報告を続ける黒衣の坊主が、表情を眉間にしわを寄せ厳しくする。
名を太原雪斎。
その知略は蜀漢の名宰相、諸葛孔明に伍するというのは、さすがに身贔屓が過ぎるだろうか?
だが、そう評しても良いほどの才を、彼は発揮し続けている。
義元の師にして腹心、彼の存在なくば、義元は花倉の乱で敗北し、今ごろは骸として大地に打ち捨てられていたことだろう。
彼が前線で指揮を執ったからこそ、乱は瞬時に片が付いたのだ。
河東の乱にしても、圧倒的劣勢の中、被害を最小限に食い止めてみせた。いずれ奪われた河東の地も、取り戻す算段は付いていると豪語する。
実際、その水面下で動いている策略を聞いているが、惚れ惚れするほどだ。
そんな彼がここまで恐ろしいと口にする。
いかに脅威かがわかるというものだった。
「まったく厄介よのぅ。ただの早熟であってくれれば良いでおじゃるが……」
幼少の頃は聡明でも、大人になると凡夫になるのはよくあることだ。
それを是非とも期待したいところではあったが、
「希望的観測に国の命運を預けるなどもっての他。最悪を想定し戦略を組むのが、賢明なる君主というものでございます」
「わかっているでおじゃるよ」
師の繰り言に、義元は苦笑とともに肩をすくめる。
子どもの頃からこうである。
すでに義元も齢二五を迎えたいい大人だ。いつまでも子ども扱いされているようで少々不服ではあるのだが、一方で有難いとも思う。
君主となった自分に、こうもはっきり物申してくれる存在は、もはや雪斎ぐらいしかないのだから。
「ならば……雛の内に早々に片付けねばならん。鳳凰となられては、もはや太刀打ちできぬし、なぁ?」
じろりと雪斎を見据え、義元は普段より低い声で言いつける。
口調も変わり、荒々しい。
公家言葉など所詮は、上洛した時に恥をかかぬために身につけたにすぎない。
ふとした拍子に癖が抜け、その本性が漏れてしまうのだ。
史実においても、当主となるや瞬く間に領土を拡大し、国を富ませ、今川家の最大版図を築き上げた卓越した野心家の本性が。