第二部終幕① 天文十二年三月下旬『東海争乱』織田信秀SIDE
「っ! 信光がっ!?」
その報を信秀が受けたのは、荷之上城を落とし、その余勢をかって鯏浦島へと攻め込んでいた時である。
ここでの戦いも一向宗にもはや反撃するだけの力はなく、手中に収めるのも時間の問題とほくそ笑んでいただけに、まさに根耳に水もいいところであった。
「そ、そんなわけがあるか!? 彼奴は我が織田弾正忠家随一の猛将じゃぞ!?」
信秀は思わず烈火のごとく叫ぶ。
その威に、使番の者は恐怖に顔を青ざめつつも、
「お、お気持ちはわかりますが、ま、紛うことなき事実にございます!」
「なにぃっ!?」
「殿としてその名に恥じぬ奮戦でしたが、かの血鑓九郎に討ち取られたとのことでございます」
「~~っ!! あの幽鬼か!」
忌々しげに吐き捨てる。
受け入れがたくはあったが、一方で納得もあった。
第一次安祥合戦の折に見たあの男の凄まじい戦いぶりは、今も脳裏に鮮明に残っている。
あの男ならばあるいは、と思わせるものを確かに持っていた。
「……信光が死んだこと、真に相違ないんじゃな?」
「はっ、残念ながら……」
「そうか……」
嘆息とともに、信秀は空を見上げる。
脳裏を走馬灯のように過ぎるのは、信光とのこれまでの思い出である。
この戦国乱世、兄弟で家督を巡って骨肉の争いをしている家も少なくないが、少なくとも信秀と信光は普通に仲の良い兄弟であった。
ひとえに信光が野心を持たず、常に一歩引いて兄の自分を立ててくれていたおかげである。
戦えば自分より強いのにも関わらず、だ。
信秀もまた、そんな彼を心から頼みにしてきた。
それが……
「兄より先に逝く奴がおるか、馬鹿者が」
その双眸から、堪えきれず涙が零れ落ちる。
男たる者、将たる者、人前で泣くべきではない。
そうわかっていても、止まらなかった。
ずっと信光は自分の傍らにいてくれると、無意識に思っていた。
それがまさか、こんな突然、いなくなるなど想像もしていなかった。
もちろん、この戦国の世だ。
死が唐突に舞い込んでくることぐらいはわかっている。
それでもあの強壮な弟だけは、自分より長生きするとどこか信じていたのだ。
それがこんなあっさりといなくなるとは……
どうしても、どうしても信じられないし、受け入れたくなかった。
そうしてしばし。
「……松平に首の返還を申し出よ。多少、銭がかかってもかまわん」
信秀はぐいっと目元を手で拭い、使番に伝える。
敵であろうと死者は手厚く遇するのが日ノ本の作法である。
身分の高い将の首は一般的にはまず塩漬けにされ、交渉次第では返してもらえる事も多い。
兄孝行な弟を、敵地に置いておくわけにはゆかぬ。
首だけでも尾張に帰国させ、手厚く葬ってやりたかった。
この後、松平家からは信光の首を返す交換条件として一年の休戦が提案され、信秀はしぶしぶながらそれを呑む。
心情的にはすぐにでも信光の弔い合戦をしたいところではあったが、長島の一向宗蜂起に呼応するように、西三河の一向宗門徒たちも一揆を起こしており、もはやそれどころではなくなっていたのだ。
岡崎よりまずは先に、奪った西三河の安定が急務となっていた。
一方の松平家にしても、目と鼻の先に四〇〇〇以上の兵に陣取られるのは脅威だったのだろう。
若年の当主広忠にしても、家中での求心力を高めるため、織田家の侵攻を跳ねのけ撤退させたという実績が欲しかったのかもしれない。
こうして和議は成立し、伊勢、尾張、三河という三カ国にまたがって起きた一連の戦いは一端の終息を迎え、民たちはホッと胸を撫でおろす。
だがこの平穏がそう長くは続かない事もまた、誰もが薄々と感じとっていた。
そして、その予感は正しい。
此度の戦いは、後の歴史において『東海争乱』と称される大乱の序章に過ぎないのだから。