第五六話 天文十二年三月下旬『市江川の戦いその拾弐』
「姫様、勝家殿がどうやら撤退を開始したようですぞ」
「みたいですね」
じぃの言葉に、わたしも頷く。
今、わたしがいるのは、津島湊の物見櫓である。
ここからなら戦場が一望できた。
織田勢が潮が引くように速やかに引き上げていく。
一方、一向宗側の動きは明らかに鈍い。
勝家殿がなにかしらの策をかましたのだろう、実に鮮やかな撤退劇である。
殿とは戦において最も難しい任務の一つである。
それをこれ以上ないほどの出来でやってのける。
かかれ柴田という異名からもわかるように、本来は敵陣への突撃のほうが得意であるにもかかわらず、だ。
やはりさすがと言うしかなかった。
「よし……~~っ!」
わたしは合図の手を上げようとするも、突如金縛りにでもあったかのように、ピクリとも動かせなかった。
「はあ……はあ……」
声も、出せない。出るのは荒い息だけである。
怖かった。
そりゃ怖いに決まっている。
今、わたしが命を下せば、数千人、下手すれば万単位の人が死ぬのだから。
命の重荷が全身にのしかかってきて、耐えきれず膝が笑っていた。
歯もカチカチと鳴る。
正直、全てを放り捨てて逃げ出してしまいたくすらある。
(けど、そういうわけにはいかないでしょうが……っ!)
自らを叱咤し、グッと奥歯を噛み締め、戦場をキッと睨みつける。
そこにはまだ織田兵二〇〇〇がいた。
今はまだ動き出しが鈍いが、そのうち一向宗の追撃が始まることだろう。
そうなれば、陰惨な虐殺劇となる。
勝家殿の、成経の、牛一の、秀隆の、みんなの命が危うくなるのだ。
脳裏を過ぎるのは、天正三年(一五七五年)に起こった岩村城の戦いだ。
上村合戦でわたしに付き従ってくれた遠山氏の一族郎党はほとんど討死するか、焼け死ぬか、信長に処刑された。
夫であった秋山虎繁も目の前で殺された。
たとえこの手が数多の血にまみれようとも、あの時の二の舞だけは断じて演じるわけにはいかないのだ!
「すーはー、すー……利っ!?」
覚悟を定め、小姓の前田利玄の名を叫ぼうとしたところで、パシッとその口元を押さえられる。
じぃ!?
いったい何を!?
「さすがは姫様。良き覚悟です。が、齢九つの女子が背負うには、少々荷が重すぎましょう。こんなものは生い先短い老骨が背負えばよいのです」
「っ!?」
まさか!?
「利玄! 下河原織田家家宰、佐々成宗の名において命ずる! 狼煙をあげい!」
「はっ!」
じぃの命に、利玄がすぐさま反応する。
もう! いつもはそんなきびきび動かないくせして、なんで今日に限ってそんな反応いいのよ!?
瞬く間にもくもくと煙が立ち上っていく。
それを確認してから、
「ご無礼、並びに勝手な事を致しました。いかようにも処分なさってくだされ」
じぃはパッとわたしから手を離し、その場に平伏する。
わたしはハァと嘆息する。
「できるわけ、ないでしょう」
わたしの代わりに、罪を被ってくれたひとを。
もちろん、完全にわたしの罪がなくなることはないけれど、一緒に背負ってくれる人がいるだけで、申し訳ないが気持ちも楽になるものだ。
ったく、もう還暦過ぎたおじいちゃんのくせに、ちょっと格好つけすぎでしょ。
「ありがとう、じぃ」
わたしがお礼を言うのと、ほぼ同時だった。
どおおおおん! どおおおおん!
遠くから爆発音が立て続けに響く。
続けて、ドドドドドドドドドドッと重々しい音が鳴り響いてくる。
佐屋川を堰き止めていた土嚢を、炮烙玉で爆破したのだ。
土嚢とは土を布袋の中に詰めたもので、作り置きしておけば戦時には土塁を迅速に作れたり、川の氾濫用の堤防の材料にできたりと何かと便利なものである。
下河原で温泉を掘る時に、守山で褐炭を掘る時に、大量の土砂が出た。あって困るものでもないので、その土で作っておいたのだ。
備えあれば憂いなしである。
川の水量が減りすぎると敵にバレるので、完全に堰き止めたわけではないが、それでもこの三日間、その辺の農民を総動員して突貫工事で作ったダムには、すでに相当量の水が貯めこまれている。
この辺り、治水オタクの林秀貞殿がいてくれて本当に助かった。
堤防の設営、聖牛なども用いての川の流れの巧みなコントロールは、まさに彼にしかできない芸当だったろう。
後は焙烙玉で土嚢を爆破すれば、布は破れ堤防は容易に決壊し、荒れ狂う水流は下流にあるもの全てを呑み込むだろう。
それこそ百を超える船だろうが、万単位の兵であろうが、だ。
これがわたしの最後の切り札。
国士無双とまで謳われた天才軍略家、漢の大将軍韓信が、濰水の戦いにおいて二〇万もの敵軍を崩壊させた大計略。
いわゆる嚢沙の計である。
今年最後の更新となります。
一年、応援ありがとうございました。
アーススター大賞を受賞できたのも、ひとえに皆様の応援があっての事と思います。
改めてお礼申し上げます。
皆さま、良いお年を!