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す・る・り   作者: ylang ylang
1/1

「今日、あたしは数学が大嫌いになったの」

JK「するり」の日常です。

「どうしてそれがいけないの?」

あたしは、声を張り上げた。

数人の教師が、面白そうにこちらを見ていた。

正直に申告するけど、あたしは、ちょっと得意になっていた。

誰だって、官吏をやっつけるのは小気味良い。

「と、と、とにかく・・・」

担任はどもっていた。

立ち上がると、あたしの腕を掴んだ。

職員室を出て、どこか他の場所に連れて行こうとしている。

 


担任はウチの学校ではまあまあ若くてクラスの女の子に人気があった。

結婚したばかりだって噂だ。

ルックスも何とかと言う歌手に似ているらしい。

でも、あたしは、この男に大した興味がなかった。

さっき、『職員室まで』という、校内放送であたしは呼び出されたわけだけど、

他の女の子から、羨望と嫉妬の目で見られた。

「するり。ぜったい、コアラちゃんを誘惑しないでね」

と、釘をさす人まで現れる。

 


「するり」は、あたしの本当の名前。かなり変わった名前らしい。

よく言われるけど、あたしの責任じゃない。

「コアラちゃん」は担任のあだな。

かわいいからだって。そんなにかわいいかしら。


かわいいか否かはどうでもいいのだが、担任はあたしの腕を掴んで

ほとんど引きずるように廊下を駆け抜けると、「相談室」と呼ばれる狭い部屋に

入っていった。



進路指導用の部屋で机と書架、それと、安物の応接セットがおいてある。

手を引かれているあたしも、当然そこに入った。

廊下を駆け抜ける時にすれ違った生徒は興味本位な目であたし達を見ていた。

「達」ってくくるのは、なんだか、イヤだわ。訂正。担任とあたしを見ていた。

同じクラスの女の子にもすれ違った。

見ようによっては手を繋いで、密室に入っていく2人な訳で、格好の噂のタネである。

まずいことに「誘惑しないでね」と、言った本人とすれ違ってしまったのである。

相談室の内側からカギが掛かると同時に、廊下で「どういうこと?」と、誘惑しないでねが叫んでいた。

あたしだって、「どういうこと?」状態なのだ。

廊下から、聞こえがよしに訊ねられても困ってしまう。

とにかく、密室はまずい。後で、何を言われるか分からない。教室の平和均衡はとても崩れやすい。これまであたしは最新の注意をはかって、何事もなく過ごしてきたのだ。

  


あたしは、担任の手を振り払うと、鍵を開けて廊下に出ようとした。

担任がそれを阻止する。

ますます、密着する。非常にまずいシチュエーションだ。

「するり。話を聞きなさい」

担任はあたしを名前で呼ぶ。

あたしの名字は「田中」と言った。

クラスに「田中」が3人もいるもので、彼は混乱を防ぐために「するり」と呼ぶのだけど、

女子生徒の中で名前で呼ばれてるのはあたしだけなのだ。

まあ、その辺が彼に憧れる女子生徒の嫉妬を買ってしまう要因らしい。

「するりが騒ぐから、事が大きくなるんだ」

担任は、肩を掴んでそう言った。

「とにかく、そこに座りなさい」

担任は顎でソファを指した。


とりあえず、従った方が良さそうである。

あたしは素直に従った。

座るときにスカートのボックスプリーツをきちんと揃える。

そうしないと要らないしわが着いていて、

夜中にアイロンと格闘をしなくちゃならなくなる。

あたしは、一番可愛らしく見えるスカート丈と身支度に余念がない。

担任の視線を膝に感じる。



あたしは、上目遣いでにらみつけると、

「用件を言って下さい。いつまでも、ここに2人でいるのは噂のタネだわ」

と、啖呵を切って見せた。

そして、これが適切でないことをすぐに思い知らされた。

「そうだ。若い男の教師と女子生徒が密室にいたら不自然だろう。

するりもそれが分かっているなら、なぜ、国語科準備室に入り浸る」

言っていることはすぐに分かった。


こういうとき、素直に謝ってしまうのが得策かもしれない。

でも、あたしは、謝らなかった。

謝ったら、自分自身を切り捨てるみたいであたしがかわいそうすぎる。

「だから、それがどうしていけないの? ちょっと質問があったから、行ったまででしょ」

そして、付け加える。

「下司の勘ぐりだわ」

付け加えてから、顔が熱くなった。

それは下司の勘ぐりじゃなくて、およそ当たっている事実なのだ。

多分、担任には見られてしまったに違いない。

ノックもなしに国語科準備室に入ってきたのだから。


あたし達は、慌てて部屋の両端まで離れたけど、それがますます確信させる。

あたしは、さっきまで抱擁していた男が狼狽しているのが情けなかった。

でも、そんな風に否定してしまうと、今のあたしには何も残らないことも確かなので、

『意外と小心でかわいい一面』と善意に解釈してあげることにした。

あたしは、持ってきた教科書を掴むと「ありがとうございます」

と、言ってその場を離れた。

とても白々しい。


その後、彼と担任は何か話をしていたに違いない。

その内容をあたしはまだ知らない。

だから、担任の誘導尋問に掛かってはいけない。



心臓が破裂しそうだった。

そのくせあたまの一部分がはっきりと醒めていた。

好きに料理してくれていいと考えたり、何とか、逃げなくちゃと考えたりしていた。

スウィッチを何度もぱちぱちと入れ直して、壊れていく。

「下司の勘ぐりでもかまわないが、わたしは、するりの将来を慮って注意する。

もう、国語科準備室に一人で行ってはいけない。

もし行くなら、誰か友達を誘いなさい。誤解を招くだろう」

あたしは約束できなかった。

「わたしが解らなくてする質問です。

友達に時間を割いて貰うようなことではありません」

詭弁だった。

でも、国語科準備室には、もう行きません。と、答えるよりはましだと正当化する。

「ならば、質問は職員室で行いなさい。そう、小嶋さんにも伝えておきましょう」

担任の顔が険しくなる。

そう、わたしが、国語科準備室で甘えていた男の名前は小嶋と言うのだ。

名前を言われたら、悲しくなってきた。危うく涙がこぼれそうになった。

でも、涙ぐんでしまったことには代わりはなくて、

それだけで、担任がどんな事実を知っているか、

あるいは、あたしがどんなことをしていたか知らしめるようなものだった。




「実は、昨日、するりのおとうさんが夕方やってきて、ここで話をしたのだ」

初耳だった。

「最初は、わたしと教頭とするりのお父さんで小1時間ほど話をした」

最初はというところが引っかかる。

「何の話を?」

あたしは下を向いたままそう質問した。

質問したついでに指先でこぼれそうになった涙をさりげなくぬぐった。

もとい、さりげなくぬぐったつもりだった。

「泣かないで聞いて欲しい」

担任は長いため息混じりに話し始めた。


「『小嶋と言う教諭はどういった人でしょう?』そう、聞いてきたんだよ」

まぁ、予測はついていたので、あまり驚かなかった。

あたしは父と仲が悪い。

その父がやることは、すべて、あたしの気持ちを逆なでする。

一瞬、『どうして、あたしに直接聞かないのかしら?』と不満に思ったけど

あたしが素直に父と話をするとは思えない。

それ以前の問題であたし達親子はもう、ここ1年以上ろくに話をしていない。

父としては妥当な行動だろう。

 


「教頭がね『30歳になったばかりですが知識の広い、大変信頼の厚い教諭です』

と答えていたよ」

わたしの恋人と担任はたまたま年が一緒だった。

「『娘が信頼以上のものを感じているらしいのですが、

小嶋教諭はいかがなんでしょうか?』

・・・そう、率直に聞いてきたよ。実際、僕は慌てたね」

急に、担任の一人称がわたしから僕になっていた。

きっと、本当に慌てたに違いない。

「それから、小嶋君も呼んでね。4人で話し合ったんだ」

知らなかった。さっきだって、国語科準備室で彼は何も言ってなかった。

「その時は小嶋君はするりのことをこう言った。

『大変魅力あふれる生徒の一人です』」

あたしは吹き出した。

だって、なんだか、中学校の英語の教科書に出てくる直訳みたいで、

実感のない言い回しなんだもの。


「お父さんは『それだけですか?』って、聞いてきたよ。で、小嶋君も付け加えた。

『そうですね。とても気になる存在なので、

授業が始まるときに最初に彼女がいるかどうか確認してしまいます。

授業をしていてもつい彼女だけを見てしまいます』って、言っていたぞ」

彼の言ったことは嘘じゃない。

確かに、授業の時に彼はあたしだけを見ている。

あたしはそれが嬉しくて、そして、満足していた。

だけど、あたしは絶対目を合わせないようにしていた。

わざわざ、周りに悟られるようなことをしないほうがいいに決まっている。

それにしても、そんなことを正直に父に言ってしまうなんて! 

彼は本当に大学をご卒業になったのかしら?と、疑いたくなる失態だ。


「それ以上、話すことはなくてね。『教師の良識に期待いたします』って、

立ち上がって、帰っていったんだ」

あたしにとって、教師の良識なんてどうでも良かった。

彼があたしのことをトクベツに好きでいてくれることが大切なのだから。

「それでね。休み時間にするりが国語科準備室に行ったときに、

事実を確認したかったと、言うわけだよ」

合点がいった。担任の好奇心は満たされたに違いない。

「今なら、何もなかったように振る舞える。

わたしだけの胸の内にとどめておきたい。

だから、もう、国語科準備室には行くんじゃないぞ」


ハイとは、答えられない。あたしにとって、彼はすべてなのだから。



「先生。それって、デバガメよね」

あたしは、カタカナの所に少しアクセントを付けて言う。

「そう言う問題じゃないだろ? これは君の一生の問題なんだぞ。

言いたくはないが、知れるところに知れたら、するりだって少なくとも停学だ。

小嶋君はうっかりすると諭旨免職だ。それくらい、分かるだろう?」

これまでの社会的な事例をひもとけばそうなりそうな気がする。

でも、あたし、分からない。体感的には分からない。

不満そうにしているのが担任に伝わったらしい。

「不満だろうが、分かって欲しい。いや、分からなくても、

そうしなければいけないんだ」強い口調でそう言った。


「あたし、ヤダ」

そう告げたら、ぽたぽたと涙が出てきてしまった。

大急ぎで立ち上がって後ろを向いたけど、遅かった。後ろを向いたまま続けた。

「だって、小嶋先生を好きなの。誰よりも好きなの。

あたしが先生を好きだと言うことで誰にも迷惑をかけていないでしょ。

あたし、先生がいなくなったら、また、ひとりぼっちになっちゃうもの」

 


担任は言葉を選んで諭し始めた。

「でも、その。なんだ。学校で、『そんなこと』しちゃまずいだろ」

百も承知だった。

「『そんなこと』って、キスしただけよ」

担任の生唾を飲み込む音が聞こえてきた。

「それは十分に『そんなこと』だろう。ここは勉学に勤しむところで・・・・」

「学校じゃなければいいの? 往来でも? ホテルでも?」

ここでも、カタカナにアクセントを付ける。

「高校を卒業してからにして貰えないかな? その時は、僕は何も言わないよ」

また、一人称が僕だ。きっと、狼狽してる。

「でも、きっと、小嶋先生に会えなかったら、高校なんて卒業できない。

彼が、彼だけがあたしの心の支えなの」

それは、ほとんど本心だった。

誰にも言ったことのない本心を言い切ったら、安堵と共に嗚咽まで溢れてきた。



担任はあたしの前に回り込んできた。そして、両方の掌をあたしの肩にそっと載せた。

「するりは、これを乗り越えればもっと強くなるよ」

そう、ありきたりの説教を始めた。ブラウス越しに担任の体温が伝わってきた。


今だ!


あたしは、素早く顔を上げると担任の首にしっかりと腕を回して抱きついた。

そして、担任の耳元で囁く。

「でもダメ。強くなんてなりたくないの。ずぅっと彼に守って貰うの。

そうでないと、生きてる意味が分からなくなっちゃうの」

声と心がビブラートする。


担任の手があたしの腰のあたりに来たと同時に担任を突き飛ばした。

そして抱きつくときよりももっと素早く、相談室の内鍵をはずして、廊下に飛び出した。


廊下は明るい午後の光でいっぱいで、あたしの影がタイルの上で踊っていた。

上履きのゴム底が廊下のタイルの上でキュっと笑った。

教室に戻る途中、突き飛ばしたときの担任の赤面した顔を思い出した。

なんだか、晴れ晴れとしてきて


「いっちょあがり」


と、心の中で快哉を叫んだ。

教室では、すでに午後の授業が始まっていた。

後ろの扉から入っていくと、一斉に振り返ってあたしを見た。

誘惑しないでねが、心配そうにあたしを眺める。

誘惑するつもりはなかったのよ。本当に。でも、仕方なかったの。あれはある種の正当防衛なの。

あたしは無言で、目線を誘惑しないでねに注いだ。


あたしの登場でスポットライトを失ってしまったのは、今の授業の講師である。

2次関数の数式を黒板に途中まで書いたところで彼の手は止まっていた。

 背の低い数学の教師にとって、黒板の上の方は背伸びをしながら書かなくてはいけなくて、その体制で止まっているのはいろんな筋肉に不可がかかったに違いない。

控えめに言って迷惑そうな顔で、めがねの位置を直しながら数学教師は言った。

「はやく席に着きなさい」


それで、あたしは、数学って色気のない学問ね、つまらないわと、思ったの。


         -「するり」高3の春・おわり-






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― 新着の感想 ―
[一言] 作品読ませていただきました。 主人公のキャラクターがいいですね。 描写も丁寧でひきこまれる感じです。 青春ですね。
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