魔法使いのおばあさん来て!メモリーを呼び覚まして!
新居は駅から少し遠い。その代わりそれまで暮らしていた、駅チカマンションよりも、部屋数が多くて駐車場が1台分あり、しかも家賃は同じ。
駅近郊の大きめな住宅街を抜けた先にある、ファミリー向けの物件。
彼が私の落とし物を拾ってくれた事が縁結びとなり、この度、結婚をした私達。新居にて甘々な新婚生活真っ最中。クツクツ煮え出来上がる、優しい味のポタージュの様に、とろりと甘い毎日毎夜。
あの時、おとしましたよ。ありきたりなセリフ。振り返り目にした顔。今もしっかり記憶に残ってる。しかも美化されて!
私はおとぎ話のお姫様に、まあ君は王子様になった瞬間。お互い、一目惚れのパワーは凄かった。あっという間に挙式に辿り着いたのだから。
そして今、時々に、仕事で住まいを離れるのは、週末プチ贅沢して暮らす為には必須。お互い行きたくない出張だけど、仕方がない事。
だけどお土産を手にして戻ったら。
盛り上がる私達は新婚生活満喫中。
そんなスイートホームを目指し。
コツコツ、トボトボ、ガラガラ。コツコツ、トボトボ。ゴロゴロ。
キャリーをお伴に、夜更けの住宅街を独り歩く運命を呪う。
「ご苦労様でした。もう少しで終わりそうでしたから、無理してしまいました。遅くまでかかってしまい、申し訳ございません」
「いえいえ、こちらこそ。本日中に終わって助かりました。残業をさせてしまい、申し訳ないのはこちらです」
出張先でのやり取り。
「お帰りになるのは、明日ですか?」
「あ、はい。朝イチで帰ろうかなと。でもまだ間に合うかな、最終より二本早ければ、乗り継ぎできるんですよ」
「うーん。この時間だと空いてるし、急げば、……。駅前でしたよね。ホテル迄、送りましょう、間に合いますよ」
得意先とのやり取りで、乗りたいそれに間に合う事に気がついた私。相手のご好意に甘え、駅の真ん前にある、ビジネスホテルへと送ってもらった。
お礼もそこそこに降り、何も考えずバタバタとチェックアウトを済まし、切符を買って、駅ナカのコンビニで、適当にお土産を仕入れ、ついでに夕食とお菓子とお茶を買って乗った、お目当ての急行。
がら空きの車両。気兼ねせずおにぎりを食べて、お茶を飲んで、お菓子を食べながら、投稿小説サイトで連載小説の続きを夢中になって、読みながら寝落ちして。
たどり着いた某地方の街。そこからギリギリ間に合う在来線の最終に乗り換え、ガタタン、ガタタン、ガタタン。たどり着いたわが町。コンビニが有るのは駅の表口。私が進む反対方向には、住宅街の先、住んでいるマンション迄行かないと無い。
タクシー乗り場、バス乗り場もあるのは表口。バスはもう無い時間。コンビニでジュースを買って飲みながら、小説の続きを読みつつ、タクシーを待っていたけど、全然来ない。
裏に周り、そこから住宅街を抜けると住まいまで早い。いつもなら私は駅までそこを電動自転車を使い、通り抜けている。出張や雨降りは、バスを使ったり、自動車通勤のまあ君が、時間が合えば会社の最寄駅まで送ってくれたり。
少しだけ暗い所があるけど、携帯あるから大丈夫。タクシーを諦め、裏に周るために歩道橋へと向かった。
暗い夜道。四角いブルーライトの光が、キャリーのガラガラ、ゴロゴロ。コマの音が気になる私に、勇気を与えてくれたのは。
ほんの数分。電池マークが赤い警告。赤い警告!少しを知らせるパーセント。
「ええ!嘘ぉ!充電、無くなる!……、あ!切れちゃった。でもでも、この先の公園に電話ボックスあったよね。毎朝見てる」
寝静まった気配が漂いつつある、入り組んだ道に入って間もなし。手の中の長方形の灯りが……、パッ。力尽きた。切れたものは仕方がない。生憎、キャリーの中の予備もすっからかん。なので無用の長物に成り果てたそれを、ポケットに押し込むと、小さな集会所が敷地にある小さな公園へと向かう。
敷地を取り囲む木々。少しばかりの遊具を照らす灯り、赤いペンキで塗られている公園入口のポールが黒く見えるのは時間のせい。その近く、電話ボックスの記憶は確かだった。
あったぁ!私は押し開いて入ると、嬉々として受話器を握りしめ取り上げた。ガチャン。いそいそと小銭入れを取り出し、十円玉を何枚か入れる。
ガチャガチャガチャ……。ブッ!プー、プー、プー。
そして……。え?気がつく。
「え?待って待って。まあ君の電話番号って?なんだっけ?何番?0……?」
頭がフリーズ。真っ白になり、それから、数字がポコポコ生まれて消える。画面の記憶が浮かぶけれど、数字は霞がかかった様に視えない。
固定電話等、引いてない私達。連絡はお互いの携帯か、パソコンのメールのみ。
一縷の望みをかけて携帯を取り出すが、真っ暗な長方形の画面。希望のない真っ暗な長方形。薄ら明るい様に感じる、長方形のボックスの中で、電話番号がわからない私。自分の番号すらわからない。
ぐるぐる回る頭の中に出てくるのは。
固定電話しか無い、祖父の家の電話番号。幼い頃に住んでいた、前の前の実家の電話番号。今では他人の家の番号。
思い出そうとする。
プー、プー、プー、プー、プー、プー、プー
虚しい音が耳に入る。途切れのないそれ。
ふぐ……。カシャン。ガチャ、ガチャ、ガチャ、ガチャ
ガチャン。
諦め受話器を置く、十円玉の音立て落ちる音が、私に絶望を知らせている。
グキュルルル。お腹が鳴く、私も泣いている。十円を回収し、ポケットに押し込むと外に出た。直立不動の時計がある。見上げると。
シンデレラの魔法が解けて元の身なりに戻り、馬車はカボチャに戻り、鼠は散り散りに走り去り、彼女は片方残った、ガラスの靴を手に下げ、明日のスープにしようと、地面に転がっていたカボチャを拾い上げ小脇に抱えると、裸足で森をタッタタッタと駆けていた時刻。
森を抜けた先にそびえ立つお城では、きっと騒ぎになっていて、舞踏会は大騒ぎのうちに終わってて。ガラガラ、ガラガラ。招待客が帰ろうと森の道を通り過ぎる度に、彼女は早く帰らなくちゃと、ハッとして。
住んでる家に、森の中を抜けて帰るの。意地悪な継母達が、きっとぷりぷり怒りながら、帰って来るまでに辿り着こうと。
魔法使いのおばあさん。家に辿り着くまで私に、少しでいいの。お出迎えしないと、きっとお義母様に怒られるから、先に辿り着けるだけの時間をちょうだいと、祈りながら。
彼女はカボチャとガラスの靴の片っぽを抱え、ざわざと森の中を駆ける、夜更けの時。
私はゴロゴロ、ガラガラ、響く音にドギマギしながら、寝静まった住宅街を、忍んで歩いて帰らなければならない、夜更けの時。
あの時。正しい判断をしておけばよかったのだ。サプライズなんて考えず愛しの夫『まあ君』に、
「今ね、駅前。迎えに来て、えへへ、驚いた?うん。早く終わったから、片して帰ってきたの。週末、家でゆっくりしたいから」
なぁんて、甘く言えばそれはもう、嬉しそうな顔をして、ホクホクと迎えに来てくれたのだ。それか、ものすごく遠回りになるけれど、明るい表通りを歩けば、コンビニもちょこちょこあったのだ。
使い果たしてしまった、バッテリー。しかしコンビニには、充電器用の乾電池が並んでいるのに。よく考えるとタクシーも拾えた気がする。
まだ、ここからしばらく歩いた先に建つ、私の新居。愛しのまあ君は既に夢の中だろう、そういえば、寝る前の電話、してないや。今になり思い出した。
心配してないかな?彼を思うと涙が滲む。
おバカさん。おっちょこちょい。今日に限っていつまで待っても、タクシーの姿は皆無だった。運のない私。
グキュルルル。食べた夕食はきれいさっぱり、消化された。食べる物ならキャリーの中に、駅ナカで仕入れた、ホタテの紐と貝柱の干物、真空パックされた、焼き竹輪なんてものが入っているけど。
まあ君!私の今の危機を察して、住宅街の公園前迄、愛車で迎えに来て!お願い!通じて!テレパシー。念じているけど。無理だと思う。私もまあ君も霊感皆無だもん。
サプライズなんて考えず、明日の朝イチで帰って、駅まで迎えに来てもらって、そのままドライブに行っても良かったのに。
私。バカだよ。電話番号覚えていないなんて。自分の番号も、変わった実家の固定電話の番号も、携帯番号だって、誰ひとつ出てきやしない。
まあ君、お父さん、お母さん、妹のかの子、まあ君のパパさん、ママさん、私のおじいちゃんおばあちゃん、従兄弟に友達、仕事先。誰も名前しか出てこない。
メモリーに入ってる名前しか!出てこない。
画面の記憶しか出てこないなんて。数字はどこ!
番号は今も変わらない、祖父の家の固定電話の番号しか出てこない。だけど時代だから、祖父母も携帯を持っていて、今はそっちばっかりだけど。
早く仕事が終わった運命を呪う私。戻ってきた曜日は金曜日、歩いている今は土曜日、明日になってるのは日曜日という並びを呪っている私。
ラブラブな新居に早く帰りたい!なんて馬鹿な事を考えた、私は私を呪っている。
ワンワン!ワンワン!!
静寂を破るような犬の声。公園の入口に立つ私の気配を察し、吠えているのかしら。きちんと並んだ街灯、防犯の為に外灯がポツポツ小さく丸く明るい中を、家に帰るために歩こう。
おバカな私は歩くしか手がない。
ああ!魔法使いのおばあさん。居るのなら私のところに来て!
そして、頭の中にきっと入っている、まあ君の電話番号を呼び覚まして。
記憶を思い出させて、お願い!
今なら公衆電話の前なの。
終。