後編
こちらは銘尾 友朗様主催『冬の煌めき企画』参加作品となります。全部で三部作構成となっております。こちらが後編となりますので、どうぞ最後までお楽しみいただければ幸いです。
「花梨ちゃん、考え直してよ! いくらなんでも危険すぎるよ!」
久しぶりの外の景色は、なつかしくてにじんで見えた。でも、今はそんなことを気にしているひまはない。サンタさんを探さないと!
「カイナデ、あんたは戻ってよ! そうしないと、あんたまで消えちゃうじゃないの!」
「おいらは大丈夫だよ、おいらは別にトイレ専門の妖怪ってわけじゃないからさ。でも、花梨ちゃんは別だよ! 花代ちゃんから聞いてなかったの?」
もちろん知ってる。花代お姉ちゃんが口を酸っぱくしていっていたことだもん。
「『トイレの花子さん』になったからには、トイレから出てはいけない。出たとしても学校の中まで。学校の外へ出ると、だんだんと空気に溶けて消えてしまう、でしょ」
「そうだよ! 空気に溶けて消えちゃったら、成仏することもできないんだよ! トイレの花子さんは、百年経てば成仏できるんだ! でも、成仏する前に消えてしまったら、たましいは完全に消滅しちゃう! つまり、本当に死んじゃうってことなんだよ、ねぇ、花梨ちゃんってば!」
それも知ってるわよ! 花代お姉ちゃん、耳にタコができるくらいに何度もいってたんだから。
「わかってるわ。でも、このままお姉ちゃんの夢を壊すなんて、甘い夢を見させて、それをなかったことにするなんて、そんなのわたし、耐えられない! 消えてしまってもいい、消滅してもいい、でも、せめてお姉ちゃんには、お姉ちゃんだけには、ママに会ってほしいのよ!」
『カレーににんじん入れるママなんてきらい!』
わたしが生前、ママと最後にした会話だった。怒って家を飛び出して、左右をよく見もせずに走っていって、わたしはトラックにひかれたんだ。名前に『花』が入っているから、わたしはトイレの花子さんになれた。でも、本当はトイレの花子さんなんかじゃなくて、悪霊になりたかったんだ。ううん、悪霊でもなんでもよかった、だって現世にいればもう一度、ママにあやまれるかもしれないから。
「ママに会えない、ママにあやまれないことが、どれだけ悲しいことか、わたしわかっていたはずなのに、それなのに……!」
ママに『きらい』なんていうわたしは、きっとサンタさんが来てくれるような、いい子じゃないんだろう。でも、それでも、わたしはサンタさんにお願いしたいの! たましいが消滅したっていい、成仏して生まれ変わるなら、一生分のクリスマスを全部なしにしてもいい! だからせめて、せめてお姉ちゃんを……。
「お姉ちゃんを、お母さんに会わせて!」
わたしのさけびは、星も見えない闇の中へ吸いこまれていった。答えの代わりに、ちらほらと雪が降ってきた。ゆうれいとなったからだにふれると、雪は溶けずにそのまま素通りしていった。もうほとんど時間はないみたいだ。
「花梨ちゃん、今なら間に合うから、お願いだよ、戻ってよ! ねぇ!」
こんなところであきらめるなんて、そんなことできない! わたし、悪い子だったけど、ママを悲しませる悪い子だったけど、でも、ママのこと世界で一番愛してた! ママが大好きだった! だからわかるの、お姉ちゃんがお母さんのことを大好きだってことも。会いたいって思う気持ちも。だから――
「花梨ちゃん!」
高度がだんだんと下がってきた。もう浮いているんじゃない、落下しているんだ。さっきまで楽に飛べていたのに、今はもう飛びかたも思い出せない。わたしはこのまま、消えてしまうんだろう。それならそれでいい、だけど、わたしの願いだけは――
――翌朝――
「花梨や、花梨や、のう、花梨や! わらわは会えたのじゃ、母上様に会えたのじゃ! ……花梨?」
花代は興奮した様子で、寝床としているトイレの床から起きあがり、花梨のすがたを探しました。しかし、自分の後継者で、『トイレの花子さん』見習いのすがたは、どこにも見られませんでした。
「なんじゃ、花梨のやつ、もう起きていたのか? さては、こわっぱどもが『冬休み』なるものでいないことをいいことに、学校内を遊びほうけておるのじゃな。困ったやつよ。……じゃがまぁ、今日は大目に見てやろうかの」
花代は着物のすそで、そっと目をぬぐうと、ふわりと宙に浮かんで花梨を探しにトイレを出ました。……ですが、花梨のすがたはどこにも見当たりませんでした。それでも花代は、花梨を探していつまでも飛び回るので、いつしかこの学校では、トイレの花子さんの代わりに、着物姿で飛ぶゆうれいが、怪談として語り継がれることになるのでした。
――花梨の家――
「……なぁ、和花、その……いいにくいんだがな、もうカレーは作らないでいいだろう?」
花梨のパパは、台所でカレーを煮込むママの肩にそっとふれて、気づかうようにいいました。
「ダメよ! だって花梨は、花梨はにんじんきらいだから、だから、にんじん入ってないカレー作ったら、戻ってくるから……」
「和花、いい加減目を覚ますんだ! 花梨は、花梨は帰ってこないんだ、もう、帰って……」
それ以上は、パパもなにもいうことができませんでした。ママの肩を抱き寄せて、パパも肩をふるわせて泣いています。と、そのとき、きらきらとカレーになにか、光の粒がこぼれ落ちたように見えました。ママが驚き顔をあげると……。
――ママ、きらいなんていってごめんなさい。わたし、ママの作った料理、にんじんが入ってたって、全部大好きだったよ。ママのことも、パパのことも、大好きだったよ。だから、ママ、パパ、泣かないで。サンタさんが、わたしにも素敵なプレゼントをくれたの。こうしてママにあやまれて、それに、わたし、生まれ変わってもいいっていってくれたの――
「花梨ちゃん……? 花梨ちゃんなの?」
――ママ、わたしね、生まれ変わっても、きっとママのもとに生まれてくるよ。パパとママの子供として生まれてくるよ。そのときは、にんじんだってちゃんと食べるから、だから、泣かないで、ね――
「本当に、本当に花梨なのか? 花梨、どこにいるんだ?」
――ごめんなさい、すがたは見せることはできないけど、でも、きっとよ。きっとまた会えるから。ママ、パパ、大好きだよ――
パパとママの顔に、光の粒がこぼれ落ちました。かじかんだ手に落ちる雪のような、優しい温かさを感じました。
――十年後――
「花梨のやつ、まさかいいつけを破って、外に出たんじゃないじゃろうな。カイナデに聞いても、なんにも知らんというし、いったいどうなってるんじゃ。……わらわはお前に、まだ礼をいっておらんかったのに。母上様に会えたのも、母上様に詫びることができたのも、すべてお前のおかげだというのに。わらわはあれから、『くりすます』になるといつも、『さんた』とやらに、お前と会えるように願っているんじゃ。それなのに、どうして会えんのじゃ。どうして――」
「よかったぁ、やっぱりまだここにいたんだ。わたしがいなくなったから、研修も終わってどこかに行っちゃったんじゃないかって、心配してたんだよ」
初めて見るはずだけど、昔から知っているトイレのドアの向こうに声をかけた。その懐かしい声も、もちろん今のわたしには聞こえる。だってわたしは、一度ゆうれいになって、そしてまた生まれ変わった人間だもん。
「……なんじゃ、今の声は? いや、このたましいは、まさか、そんな……」
「十年越しになっちゃったけど、ようやくいえるね。メリークリスマス! 花代お姉ちゃん!」
ママに作ってもらった、にんじん柄の手さげぶくろを持って、わたしはドアの向こうの、なつかしい半透明の顔に向かって笑いかけた。