扉には鍵がかかっている
この向こうから、あの赤いヤツが現れる気配はなかったが、それでも、もと来た道を戻る気にはなれなかった。
いや、だって怖くねえか?
曲がったところを覗いた瞬間に、その場にアイツがいたら。
この場にいた誰もがそう思っていたのか、そこを覗いて確認しようと言い出すヤツはいなかった。
だが、渡り廊下のど真ん中でこうしていても仕方がないので、先に進むことにする。
窓から外を見ると、教室から見た時と同じように、中庭にも、もやもやっとしたヤツらが動いているのが見えた。
黄色いヤツにはまだ接近していないが、同じところをウロウロしているっぽいので、規則的に動いているんだと思う。
赤はなんかランダムっぽいようで、時々、止まったりしているため、その動きはかなり読みにくい。救いは、動く速さが一定のような気がするので、その部分でなんとかするしかないだろう。ただ……、動きにも個体差があるようで、黄色も赤も、速度が速いのと遅いのはあるようだ。
時々、足を止めながら、専門教室棟に入る前のことだった。
ドスンっと後方から重たいものが落ちたような音がして、振り返ろうとしたときである。
「ムツキ、危ない!!」
オレの後ろを怖がりながら歩いていたサツキが、中央部を歩いていたオレを窓に向かって突き飛ばし、本人も勢い余って転んだ。
そして、ペタペタペタペタッ……と、裸足で廊下を駆けるような奇妙な音を立てて、黄色いモヤモヤが先ほどまでオレがいた場所を踏み抜いていく。
その音だけを聞けば子供を考えるかもしれないが、オレのすぐ近くで聞こえたのは明らかに重量級の人間が駆け抜ける音だった。
少年野球時代、ホームでのクロスプレーの際に、キャッチャーから踏まれかけたことを思い出して、オレは思わず右手を引っ込める。
「サツキさん! 大丈夫?」
「さ、サツキちゃん!?」
いや、お前ら。少しで良いからオレも心配してくれよ。気持ちは分かるけどさ。
「あ、あたしは大丈夫。ムツキは無事?」
「おう、無事だ。ありがとな」
サツキが突き飛ばさなければ、オレは、アイツに踏み抜かれていたかもしれない。
「しかし……、今のはなんだったんだ?」
「そこの壁に向かって……、吸い込まれるように消えて見えたけど。」
セツが携帯の光を向けた先には、確かに壁があった。そこには緑色の掲示板があり、セツが言うには、その奇妙なヤツが、それにぶつかるように消えていったらしい。
「黄色……だったよな」
「う、うん。黄色だった……」
オレとサツキは、アレを間近で見たのだ。見間違えるはずはないだろう。
「変な足音がしていたね。裸足で歩くようなペタペタとしたような音がして……」
「はうあっ!」
セツの声に、やよいが奇妙な声を出した。
「今のは、『ペタペタくん』だっ!」
「ペタペタくん?」
「夜の学校で、渡り廊下を裸足で走りぬける少年!」
「は、走るだけ?」
「うん、走るだけ」
サツキの確認に嬉しそうに応えるやよい。暗いため、はっきり見えないが良い笑顔をしていると思う。
「あの重量級の音が?」
ただの渡り廊下を走り抜けたいヤツ?
「あの様子だと、当たったら吹っ飛ぶだろうし、踏まれたら大怪我していたかもね」
オレの言葉に、セツがそんなことを言った。
「でも、消えちゃったね」
そう言いながら、やよいはペタリと緑色の掲示板に触れる。
「お、おい!」
「変な感じはしないから大丈夫だよ」
それでも、変なヤツがそこへ消えていったというのに触れる神経は普通に凄いと思う。またそこから出てきたらどうするんだ?
「ペタペタくんは良いんだよ。でも、似たような話で、もっと怖い系のヤツがあった気がするのだけど……、ちょっとまだ思い出せないな」
怖い系……、その言葉は精神的なものか?それとも物理的な意味か?
「それで、セツくんはどこに行くつもりだったの?」
先ほど先導したセツの迷いのない走りに、やよいも気付いていたのかそんなことを尋ねた。
「最初は……、職員室が良いかなと思って」
「「「職員室?! 」」」
セツの意外な言葉に、オレたち三人が反応する。
「いや……、ここがいつもの学校かは分からないけど、教室に鍵がかかっていたら困ると思って……」
「あ、そうか。普通、教室以外は鍵、かかっているね」
「例のPC教室も図書室も使用時間帯以外は基本的に鍵がかかっていたはずね」
「そうなのか?」
「「知らないの? 」」
オレの言葉にやよいとサツキが同時に聞き返した。
「知るわけねえだろ?使う時はいっつも開いているんだから」
使わない時間帯のことなどこのオレが知るはずもない。
「職員室なら、この学校の全ての鍵があるはずなんだよ。専門教室、部室棟の部屋も含めてね」
「部室棟もか!?」
部室棟はこの校舎から離れた場所にある。そんな所まで、教師たちって管理しているのか?
「体育館やプールもだったと思うけど……」
なんてこった。掃除などはオレたち生徒にさせておいて、鍵の管理は、ほとんど教師がしていたとは……。
「そんな理由から、職員室に向かいたいけど良いかな?」
「「賛成」」
やよいとサツキは賛同するが、オレは少し気が進まない。
職員室にあまり良い思い出がないのだ。
「睦月くんは?」
「鍵を探すためだ。仕方ねえ!!」
「いや、探すまでもなく、いつもの場所にちゃんと保管されているとは思うけどね」
どうやら、セツは鍵の場所に心当たりがあるようだ。こんな時、教師に覚えの良い優等生は頼もしいと思う。
そんなわけで職員室に向かうことにした……が、その前に……。
渡り廊下を曲がってすぐの場所にあった「被服室」の扉に手をかける。やはり、鍵がかかっているのか強い手応えがあり、全く動かなかった。
なんとなく、扉のすりガラスを覗き込むと、青いモヤモヤがゆらゆらと揺れているのが見える。
どうやら、ここもあまり安心できないことはよく分かった。恐らく、どの教室も一つぐらい、あのモヤモヤしたよく分からないモノがいるのかもしれない。
他の教室も恐らく、鍵がかかっているだろう。
そうなると……、職員室はどうだろうか?
全ての鍵がそこに集まると言うのなら、その場所こそ厳重に守られているのではないのか?
「睦月くん、どうしたんだい?」
考え込んだオレに気付いたセツが、声をかけてきた。
「いや、普通は職員室こそ、しっかり鍵がかかっているんじゃないか?」
オレは思っていたことを口にする。
「そ、そうよ……。職員室には電子キーがあって、パスワードを入れなきゃ、入ることができなかったはず」
オレの言葉に、サツキが思い出したかのように反応した。
電子キー? そんなのあったか?
そう疑問に思ったが……、言われてみれば、電卓のようなモノが入り口に張り付いていた気がする。あれって、鍵だったのか。
「わおっ! 暗号で鍵を開けるなんて、ホラーゲームみたいだね」
やよいがどこか嬉しそうに言う。
「いや、この状況でホラーゲームなんて言うなよ」
シャレにならねえ。
そして、何度でも復活できるホラーゲームと一緒にするな。オレたちの命はたった一つなのだ。
「職員室、入り口の鍵については、多分、大丈夫なんじゃないかな」
オレたちのやり取りを見ながら、セツは笑いながらそんなことを言った。
いつも思うが、こいつのこの自信はどこから来るのだろう? オレと頭の出来が違うから、オレには分からないことも分かっているのか?
「じゃあ、セツくんのその言葉を信じて、職員室へGO! だね」
やよいがいつものように明るく言ったので、その勢いにつられるようにして、オレたちは職員室の入口へ向かって、移動したのだった。
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