止まった時計
さっきまでは近づきたくもなかった前方入り口のドア。
でも、今はゾワゾワとした毛が逆立っていくような感覚はなかった。あの赤いヤツが扉から離れたせいだろう。
オレは先ほどと同じように扉の前に立って、扉に触れる。嫌な雰囲気はするが、それでもさっきまでよりはかなりマシだ。そして、ゆっくりとドアを開いていく。廊下の窓を見ても、赤いヤツはまだ動く気配を見せない。
人間が一人ぐらい出入りできそうなぐらいの幅が開いた。赤いヤツは……、まだ動いていない。
オレは注意しながら、教室から顔を出して廊下を覗き込んだ。
初めてガラス越しではなく赤いヤツを見た。
よく見るオレンジ色の炎よりも赤く、まるで日が沈む時の太陽のような色がゆらゆらと揺れている。
そして、何故かオレは、ソイツと目が合ってしまった気がした。
勿論、炎のようにちゃんとした形もなく、顔も身体もはっきりとわからないような相手だ。目なんてあるわけがない。それでも、オレはアイツと、今、目が合った。何故かそんなことを思った。
赤いヤツはゆっくりとオレに向かってくる。
速度は一定。そしてセツが言ったとおり、あまり速くはない。しかし、距離は短いために割とすぐオレの近くに来た。
すぐに逃げ出したいギリギリまで我慢して、オレはすぐに顔を引っ込めて教室のドアをピシャリと閉める。
がぁんっ!
「うおっ!?」
教室の扉に何かが体当りするような音が響き、扉を抑えていたオレはその音と振動に思わず声をあげる。
それはまるで、誰かが閉まったままの教室のドアに向かって、全力で体当たりした時のような音だった。
暗闇から突如聞こえた音に教室の後方でサツキが短い悲鳴を上げたのが分かる。
だが、これではっきりした。
アイツは何故かこの教室に入れない。幽霊のように壁抜けもできないことは間違いないようだ。
そして、もう一つ分かったことがある。
赤いヤツは炎に似ているが、色が全然違う。薬品を混ぜて燃焼させたらあんな色になるかもしれないが、あんな色の炎は肉眼で今の所見たことがない。
一般的に言われる「赤い炎」は実際見ると赤というよりオレンジ色が近いとオレは思っている。
オレが見ている色と他人が見ているものが本当に同じ色かは分からないけれど、それでもあの赤いヤツを形容するならば、昔、理科の時間に見た太陽の紅炎ってやつに似ている気はした。
でも、その紅炎でもない。
正しくは炎でもないと思う。あれだけ激しく接触したのに、この扉が燃えるような様子はなかった。
扉も抑えているが、熱くなっていない。どちらかと言うと、通常よりもひんやりしている気がする。
それに……、あれだけの音が、爆発音ではなく、衝突音として聞こえたというのがおかしい。
オレは手探りで三人が集まっている教室後方へと進む。
セツとやよいがサツキに落ち着かせようと声をかけていた。
サツキがここまでこういった事態に弱いとは思わなかった。逆にこれだけ混乱したヤツがいるから、やよいもセツも落ち着いているかもしれない。
「セツ、やよい。サツキが落ち着いたら、今度こそここを出るぞ」
自分を奮い立たせる意味でも、オレは少しだけ力強く言葉を口にした。サツキがまた息を呑むような短い悲鳴をあげる。
「このまま、ここにいたいならサツキはここにいるか?あの赤いヤツは入ってこれないみたいだぞ」
「む、無理……」
サツキがガタガタと震えながら小さな声でそう答えた。
確かにこんなよく分からない状況で一人取り残されるのは嫌だろう。
「じゃあ、四人で行動するってことだね」
サツキのすぐ近くでやよいの声がする。どうやら、彼女を支えているのだろう。
「セツ、先に行けるか?」
「構わないけど……、睦月が先陣を切るかと思ってたよ」
「携帯はセツのだ。操作にも慣れているだろ。それにこの中で一番体力があるオレが後ろの方が最悪、囮になってもイケる気がする」
「ムツキ……、歴史上、殿でどれだけの武将が死んでるか知っていてそんなことを言うの?」
「……なんで、武将なんだよ。」
不吉な言葉を口にするやよいにオレは呆れる。
「状況的に撤退戦に似てるから。」
「オレは死なねえよ。」
「死亡フラグって言葉を知ってる?」
「そんなの全力で圧し折っとけ!」
オレに怖さがないと思ってるのか、やよいは次々に縁起でもないことを口にしていく。
「あの赤いヤツを見ながら走る余裕が、やよいやサツキにあると思うのか?オレなら、後方を見ながら走ることは慣れてるんだよ」
「ああ、後ろ向きに走るトレーニングをよくやってたもんね。ムツキならあれでもサツキちゃんよりは十分速いか」
「い、いや、流石に完全にバックで走らないけどな。」
真っ暗闇で明かりもなくその走り方はすっ転ぶ気がする。
「で、問題はサツキなんだが……、大丈夫か?」
「ううっ。嫌だけどこんな所に一人残されるのはもっと嫌」
「この先、もっと赤いのが増えるかもよ」
「決心が鈍ることを言わないでよ!!」
やよいはある意味現実的なんだろうけど、気遣いは足りない気がする。まあ、方向性が決まっただけで良いとするか。
「睦月、携帯なんだけど……、スマホも電源は入るんだよね」
携帯の画面を見ていたセツがつぶやくようにオレに声をかける。
「おお。意味ないから切ったけどな。電池がもったいねえ」
「少し、見せてくれる?」
言われるままに電源を入れて、セツに手渡そうとした時、オレはあることに気付いた。
いや、何故、さっき気付かなかったのだろうか。こんなに異常なのに。
「む、ムツキ……、どうしたの?」
「スマホ、アプリ消えてるんじゃないの?」
「お前らも見てみろ。アプリは全部消えてるけど……、この機能は何故か生きてやがる」
ほとんど消失した機能の中で、これは残っていた。
だが、この状態が正しいかは分からない。ただ、疑問が増えただけというか、明らかに違和感しかないのは間違いない。
やよいもサツキも自分のスマホの電源を入れた瞬間、ほんのり明るくなった画面を見て顔をしかめる。
「じゅうさん……?」
「何……これ……」
やよいとサツキが呆然と呟く。それもそのはずだった。
オレが電源を入れた途端、画面に表示された文字。
日付表示すらされていないのに何故か、時計だけが表示されたのだ。
そして、そこには「13:00」。デジタル時計で午後1時を表す数字が示されている。
「13時って……、どういうこと? しかも四人ともってことは……」
「間違いなく今は13時ってことなんだろうな。」
震えるサツキの声にオレはあっさりと答えた。
「そんなわけないでしょ!? 13時でこんなに周囲が真っ暗なんてありえないわ!」
「あるんだから仕方ないんじゃないか?」
アナログ時計が1時で止まり、デジタル時計が全て13時を表示している。しかも動かないことまで共通ときたもんだ。
これらを偶然の一致と考えるよりは、この場所が13時で止まっていると思った方が頭を悩ませないで済む気がする。
「人知が及ばぬことを不可思議っていうけど、本当に不思議な事もあるもんだね。いや~、ビックリ、ビックリ」
「びっくりってレベルの話じゃないでしょ!? なんで、あんたたちはそんなにあっさり順応してんのよ!!」
どこか呑気なやよいの言葉にサツキは苛立っている。
まあ、うじうじと落ち込んでいるよりは良いのだが、流石に煽り過ぎではないだろうか。
「サツキさん、落ち着いて。全ては夢だったとしても、何もしないわけにはいかないよね」
「セツまで……。でも、夢。そうか、これは夢……」
「いやいやいや? そこで夢オチを期待するのもどうかと思うぞ」
さっきの赤いヤツに扉にぶつかられた衝撃。激しい音に震えるドア。あれらを夢だとは思い込むことはオレにはできない。
「本当に夢でも、わたしはあの赤い人に近寄りたくはないなあ……」
やよいの言葉が全てだった。
彼女だけではなくオレも、セツも、勿論、サツキも同じ考えのようで言葉が続かなくなる。
「とりあえず……、予定通り、脱出ってことで良いか?」
「さんせ~い」
「異議なし」
「ゆ、夢でもできる限りの努力はしなくちゃね」
オレの確認に否定する者は、この場にいなかった。
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