赤いヤツ
オレたち四人は、電気を消して教室後方の扉の前に立った。
近くには青いモヤモヤ。教室前方の扉の近くにいると思われる赤い炎はこうしてみると廊下側の窓からもよく見えた。
距離は…………、うん、分からんが5メートルぐらいか?
「ここを開けると……あの赤いヤツもこっちに来ちゃうのかしら……」
おい、サツキ。考えたくはないことを今、言うなよ。
「そうなると思った方が対処しやすそうだね。個人的には獲物が逃げると分かっていたら追いかけてくる可能性は高いと思っている」
おいおいおい、もっと物騒な発言をかましてくれるなよ、セツ。
「だ、誰が開けるの?」
サツキは自分が開けるのは嫌だと言わんばかりの顔でオレを見た。
「わた……」
「オレが開ける」
やよいが立候補しようとしたのを、オレが制止する。
「言い出しっぺだからな。万一、オレがあの赤いのに襲われたら、迷うな。すぐこの扉を締めろ。」
「「ムツキ……」」
「睦月くん」
おおっと、この状況は好感度アップってやつか?三人とも尊敬の眼差しに変わった気がするぞ。
確かに、死地に向かう男ってかっこいい気がするよな。
だが勿論、オレだってやられるつもりでこの扉を開けるつもりはない。
数メートルの距離にいる赤いヤツがどれぐらいの速度で移動するかは分からないが、先ほど外をにいるヤツらを見た限りでは時速150キロを越えているとは思えない。
それなら、扉を締めるという回避行動には間に合うと思っている。
壁抜けとかされたら……、どちらにしてもその場合はオレではどうにもならない。観念するしかないだろう。
そこで、ふとあることを思い出す。
「やよい、幽霊って壁抜けできるんだよな? じゃあ、今のところ教室に侵入しないアイツは人魂とか幽霊じゃないってことか?」
詳しそうなやよいに聞くと彼女は一瞬、目を丸くして叫んだ。
「はうあ! わたしとしたことが……、なんでそんなことすら忘れてたの!?」
「いや、だからってオレの胸ぐら掴むなよ」
まあ、やよいは背がかなり低いからオレの制服のシャツを掴んで上に引っ張ったぐらいで、怖くはないんだが。
サツキの身長なら少し怖いかもしれん。かなり非力だけど、オレより背が少しだけ高いし。
「ああ、ごめん。つい、興奮しちゃった」
やよいは流石にきまずそうに謝る。
「えっと幽霊が壁抜けする話ね。一般的には浮遊霊、地縛霊に限らず、物理攻撃が無効……ってされていたはずだよ。それと同じで壁とかもすり抜けるかな。天井に顔が突き抜けるとか床から手が出てくるとか、ホラーの定番だった気がする」
その言葉で、オレの記憶にそんな知識が思い出される。
そんな状況に至る記憶は残念ながら出てこないけれど、なんとなくイメージできるようになった。
「よし! 調子出てきた!」
やよいが何故かガッツポーズをする。
そんなことで調子が出てくるのはどうかと思うが、彼女が一番怪奇現象に詳しかった覚えがある。少しでも、この状態を理解するためにはやはり、彼女が思い出すことが一番だとなんとなく理解した。
「浮遊霊は浮遊する幽霊、地縛霊はその場に縛られた幽霊ってことで良かった?」
セツもやよいに確認する。
どうやら、忘れた知識を思い出すために必要な言葉は人によって違うみたいだ。オレは地縛霊、浮遊霊という言葉だけではそこまで考えなかったからな。
「うん。浮遊霊はあちこちに出る幽霊。地縛霊ってのは、その土地に強い思いを残して縛り付けられた幽霊。交通事故で亡くなった人が亡くなった病院ではなく事故現場に現れたりするらしいよ。わたしはまだ見たことはないけどね」
その言葉で、事故現場に血みどろの幽霊が出てくる話を思い出した。
あれは……、テレビだったか?
通りかかる車の前に現れて事故を誘発するとかそんな話だった気がする。うん、あまり思い出したくねえ映像まで出てきたぞ。
「……ってことは、赤や黄色がその浮遊霊ってやつで、動かない青いのが地縛霊ってことか?」
しかし、それだとこの教室にも地縛霊がいるってことになる。それもすぐ近くに。
そこでモヤモヤとした湯気に色がついたようなヤツは、どこかすぐに消えてしまいそうな印象だった。
あまりこの世に執着しないであっさりといなくなりそうな雰囲気だったのが、地縛霊? あまりそうは思えない。いや、元々、霊じゃないのかもしれないけどな。
「イメージ的には逆っぽいけどね」
やよいが言った。
信号機みたいな考え方だろう。青は進め、黄色は注意して進め、赤は皆で進め……ん? なんかおかしい気がする。
「赤は止まれってこと?」
サツキが正しい言葉を口にする。少し、回復してきたらしい。
「いやいや、存在の強さみたいな意味。そこにいる青いのはなんか薄っすらとしているけど、赤いのはすりガラス越しでもその存在をアピールしてるでしょ。それもくっきりしっかりはっきりと」
オレがなんとなく考えていたことを、やよいがしっかりと言葉にする。
考えが似ているみたいでなんか嫌だが、それでも胸にあったもやもやとしたものはなくなる。
「ま、とにかく、今は考えても仕方ねえ。そろそろ覚悟を決めてここを開けるぞ」
そう言いながら、オレは扉の前に再び立ち、手をかける。
オレ以外の三人も息を飲んだのが分かった。
「あ、セツ。ライトはまだ消しとけ」
「でも、見えなくなるよ」
「外のアイツから目を離したくねえ。携帯の光でも姿を消えるならどこにいるかわからなくなるだろ」
そう言って、廊下のすりガラスに目をやる。角度が変わっても見える辺り、かなり入り口に近い位置にいるかも知れない。
「それに、光に向かってこられても困る」
「分かった」
そう言って、セツが携帯の光を消した。サツキが口を抑えて声が出そうになったのを我慢したのが分かる。
そして、オレはゆっくりと扉を横にずらしていく。できるだけ音を立てないように、オレにしてはかなり気を使って。
赤いヤツはまだあの場所から動いてはいないようだ。やはり、動かずにあの場でじっとしている地縛霊みたいなヤツなんだろうか?
扉を少し開けたが、廊下はすりガラス越しでも確認していたとおり、真っ暗だった。
近くに大きな窓があったはずだが、それもよく見えない。なんとなく、オレは廊下の様子を見ようと顔を出した時だった。
「睦月くん、動いた!」
焦ったようなセツの声に、オレは思わず赤いやつの姿を確認もせず、扉を締めた。同時に、勢いよく後方へ体が引っ張られてオレはすっ転んだ。
「いってぇ~」
「ああ、ごめん! 勢い良すぎた」
どうやら、やよいがオレのシャツを引っ張ったらしい。
そして、赤いヤツはというと……、扉を締めた跡も少しだけこちらに向かって進み、後方の扉にかなり近付いた所で止まったようだった。
廊下の窓ガラスにしっかり映っているが、扉には少し届いていない微妙な位置。それはどう見ても人間と同じくらいの炎にしか見えない。
人魂だったらもう少し小さいだろうし、浮いている様子もない。
それはそこにいる青いのも一緒だが、青いのはあまりはっきりとした線が分からないため、小さくも大きくも見えるのだ。
だが、赤いのはあまり大きさに変化はないような気がする。
「なんなんだろうね、アレ……。動くし止まるし、よく分からないや」
「か、壁抜けしてこないでしょうね」
「動きはあまり早くなかったね。僕が歩くより少し早いぐらいだったかな」
三者三様の反応。
オレとしては壁抜けや瞬間移動されなかっただけマシだと思っている。そう考えると幽霊とは少し違うのだろう。
でも……、あまり近づきたくはないという気持ちに変化はなかった。
先ほどは扉のガラス越しだったが、今は廊下のガラス越し。気のせいか距離が近付いてしまった気がする。
「セツ、前方の扉側にもう一度あいつを引き寄せることってできると思うか?」
このまま後方に引き寄せるにも距離が1,2メートル。開けたらすぐ傍にいるだろう。
「動きと速度が同じなら可能だと思う。多少、位置はずれるかもしれないけどね」
「む、ムツキ……。また囮になるの? やめない?」
暗闇の中、サツキは再び震えだしたようだ。時々、ガチガチっと歯があわさるような小さな音が聞こえる。
「そんなこと言ったって、他に方法はねえだろ。お前たちはここにいろ。セツ、少しだけ明かりを頼む。机の距離が分からねえ」
手探りで進むにもここまで暗いとかなり難しい。上靴は履いているが、小指とかにピンポイントで当たると痛いものは痛いのだ。
セツの携帯の明かりは一瞬だけ廊下に向けられ、前方の入り口付近を照らす。あの赤いやつは光を向けられた部分だけが消えた。
「どうやら、光は消えちゃうっていうより隠しちゃうみたいだね。明るい光で除霊ってわけにはいかないのか」
少しずつ知識が増えていく。いや、思い出していくのが分かる。
幽霊は光に弱いとかそんな本当かどうか分からないような記憶の欠片。
だが、忘れてはいけない。これは本当に序章に過ぎなかったのだ。
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