好きなものを忘れる
自分の好きなことを忘れるというのはどういうことだろう?
そして、好きだったことは覚えているのに、その中身を覚えていないって分かってしまっているのはどんな気持ちなんだろう。
ルールを全く知らないのに野球大好きというのとは違う。野球が大好きだから練習したのにそれが無駄になってしまったのとも違う。
「う~ん。怖いとか不思議とかの感情がなくなっているわけじゃないんだよ。だから、さっきのもかなり怖かった」
やよいはゆっくりと何かを確認するように言葉を続けていく。
「すっごく好きな漫画や小説の内容を忘れちゃってモヤモヤした気持ちになっているもどかしさってやつによく似ている」
「それは消化不良になりそうな感覚だね」
やよいの例えにセツも想像できたのか、いつものように笑っていた。
オレも想像してみる。
それは、野球が大好きだったけど、それがどんな競技かを忘れてしまったってことだろうか。だが、それではどうして好きだって思えるのかわからなくなりそうだ。
「ムツキにもわかりやすく言うと、野球を忘れちゃったけど、それが楽しかったことだけは覚えている……、そんな感じかな」
オレの気持ちに気付いたのかやよいがそう口にする。
ああ、そうか。
好きだって気持ちだけじゃなくて感覚的にそのものを悪くはなかったと覚えているから、まだなんとか気持ちを保てるってことか。
「……あたしも、怖い話忘れている気がするわ。夏の特番とか見て、夜、怖かった覚えはあるのに、何が怖かったのか覚えていない」
サツキの台詞に、オレとセツも思わず顔を見合わせる。
多分、お互いに同じことを考えたはずだ。自分の中にも、怪奇現象と呼ばれるような話をまったく覚えていないってことに。
「……それならば、行くしかないな」
オレは一つの決心をした。
「まさか……、例のパソコン教室に?」
サツキが少し、声を弱める。
「いや、図書室」
「「「は? 」」」
「図書室なら、そう言った本の一冊や二冊あるだろ? やよいだって結構、借りてたことは覚えてるぞ。ソレ見れば思い出せるんじゃねえか?」
「呆れるほど、単純ね」
「でも、ムツキらしい」
オレの言葉にサツキとやよいがそれぞれ反応する。ただ、セツだけは少し浮かなそうな顔をしていた。
「睦月の案は確かに盲点だったし、良い考えだと思う。だけど、僕には少し不安もある」
「おう、言ってみろ」
成績が低空飛行を続けているオレよりもかなり頭が良いこいつが感じる不安だ。無視して良いとは思えなかった。
「この教室を出て、いつもの廊下があるとは考えにくい気がする。だから、図書室もちゃんとあるかどうか分からない」
やよいとサツキもその言葉でその可能性に気付いたのか顔を俯かせる。
そのセツの言葉に、オレは入り口ドアにいる赤い炎を思い出したが、それは無視した。だって、考えても仕方ねえし。
「じゃあ、ここにずっといるか? それもムリじゃね?」
「うん」
「それに図書室はムリでも、パソコン教室は行ける気がすんだよ。あちこちにこんだけ分かりやすい跡を残している辺り、その紅い瞳の悪魔に誘われているっぽいからな」
「そういう……こと……なんだろうね」
どう考えてもそうとしか思えない。オレたちの記憶からソイツを除いた怪奇現象が消去されていること。
セツのノートパソコンにその話だけが残っていること。何より、こんなありえないことが起きているってことが「悪魔」って存在の名に相応しい気がする。
「み、皆、夢だってことは?」
「夢なら余計に行動した方が良くね? じっとしてウダウダやってるだけの夢を見せられているのも辛いだろ。」
その場合、誰の夢なのかも気になるが、もし、オレなら……、破滅願望でもあったのかなと考えてしまう。
「分かった。この教室から出よう。でも……、その前に確かめたいことがある」
セツは、教室の入口に向かう。
その行動に思わず息を飲んだが、セツは扉ではなく、電気のスイッチの傍で足を止めた。
カチリと音を鳴らして、教室の電気が消える。すると……、やはり、教室の後方に青いモヤは現れた。
そして、オレは入り口のドアも見る。やはり、赤い炎のようなモノが見えた。
「セツ、その扉をどう思う?」
「扉?」
暗闇の中で聞こえた声。そして短い悲鳴のような息とともに電気が点く。
「む、ムツキ……、今のは……」
サツキが入り口の扉を指さしながらオレを見る。
「ソイツがいるからオレはそっちじゃなくて、後ろの入り口から出たい。それと……、多分、電気は消した方が良いって思うんだが三人はどう思う?」
三人は顔を見合わせる。
「うん、後ろから出よう。電気も……、ムツキの言うとおり、消した方が良いみたいだね。なんとなくだけど、そこのモヤとか炎とか……、あんまり良くない気がする。」
やよいが最初に口を開いた。
「そんな……、暗闇なんて怖いじゃない。」
サツキがその意見に反対する。
「でも、サツキちゃん。視界が闇に閉ざされている方が、青いのも赤いのも多分、黄色いのも見えると思う。外を見た限りでは青いのは動かないけど、黄色いのと赤いのはなんか動いてるし」
やよいの言うとおりなら、教室にいたのが青いので良かったのかもしれない。だが、そうなると入り口の赤い炎が動かないのはどういうことなんだろうか。
「そこの赤い存在はもしかしたら出待ちみたいなものかもしれないね。」
「出待ち?」
セツの言葉にサツキが反応する。
「僕たちが出てくるのをそこで待っている。そんな気がするんだ」
「……参考までにセツくんはそこから出たらどうなると思う?」
「これが本当に怪奇現象みたいなものだったりするのなら、あまり良い結果にはならない気がするね」
そう言いながら、セツはいつものように微笑む。
「いや、そこで笑顔はある意味、こえ~よ、セツ」
「でもでも! 暗闇を進むなんて危ないんじゃないの? さっきから何度か消されるたびに机や椅子に当たるんだけど……」
サツキはあまり移動したくないようだ。
だが、このままではどうにもならないし、移動するなら全員一緒が良い。一人だけでは何か遭った時に助けも呼べないからな。
「…………携帯は?」
やよいの言葉で、オレたちは同時に制服のポケットを捜索し始めた。
何故、この存在を忘れていたのか?オレの制服には間違いなく、小さな小型家電があったというのに。
「……通じないな。」
電源は入った。
だが、セツのノートパソコンのように何もなかった。電話帳がないのが痛い。
いや、それより、オレのゲームアプリの数々はどこに消えたのか?課金こそしていないが、それなりに時間はかけたのに。
試しに、「110」とダイヤルしたが、コール音どころか話し中にもならない。電波が届かないとかのアナウンスもない。それなのにバッテリーが「100%」と表示されているところがかえって腹が立つ。
「ううっ。懐中電灯のアプリを入れていたのに~」
「電源が入るから少しの間、光るだけマシかな」
悲観的なサツキと楽観的なやよいの声がする。
「セツは?」
「僕のはスマホじゃないせいか、ちょっと違うみたいだよ。ダイヤルできないのは一緒だけどね」
そう言うと、ガラケーのセツはライトを光らせた。
「ノートパソコンもタブレットも持ってるから機種変更しなかったけど・・・、それが良かったみたいだね」
ダイヤルボタンを長押しするとライトが点灯するタイプだったようだ。
時間は30秒ぐらいらしいけど、結構、明るい。見直したぞ、ガラケー機能!
「よし! これで戦えるね!」
「そ、そうね!」
「やよい、サツキ……。お前たちは何と戦うつもりなんだ?」
いつものノリに戻りつつあるやよいと、僅かながらも明かりを見たことでホッとしたのかつられるサツキ。まあ、じめじめうじうじしているよりはずっとマシなんだけどな。
「あ、移動するなら荷物持ってこ」
やよいが自分のカバンを机に上げ、中身の確認をする。
「ソーイングセットと応急セット。ないよりかはマシかな」
そんな言葉を聞き、オレたちも荷物の確認をした。重いカバンの全てを持ち歩くのは難しいかもしれないが、中身を選別するのは確かに良さそうだ。
「サツキちゃん、そんなにいろいろ持っていくの?」
「だって、これとかすっごい頑張ってとったのに~」
サツキが握りしめているのは、ゲームセンターにありそうな景品っぽいぬいぐるみだった。
他にもジャラジャラ付いていて、カバンは飾りを付けるために存在しているような気さえした。
その中の一つに人の骨格を模したものがあり、それがゆらゆらと踊っている。どこか呆れたように見ていたやよいが、それに目を止めた。
「動く……、骨格標本」
それは小さな呟きだったがオレたちにとっては大きな衝撃だった。
やよいが口にしたのは、この学校にある噂の一つ。「真夜中に踊り出す骨格標本」というものがあったのだ。
そして、彼女はサツキのその人形を握りしめてキリリとした顔で言った。
「もしかして……、これは…………、記憶を取り戻す旅?」
あまりにも場違いな発言に、その場にいた人間が脱力してしまったのは言うまでもなかった。
ここまでお読みいただきありがとうございました。