異音から始まる世界
それは突然やってきた。
日暮れ時に鳴り響くチャイムの音。
「え? もう、そんな時間?」
それは、音に反応してサツキが顔を上げるとほぼ同時だったと思う。
不意にチャイムが音を外し、いつもと違う音程を奏で始めたのだ。
「な……、何!?」
「この音は……?」
やよいとセツも教室の端にあるスピーカーに目をやる。
鐘の音は変わらないとか、途中からいきなり変わった音程の狂いに酷い違和感があったことも気になるが、ソレ以上に、通常は1フレーズで鳴り終わるはずのチャイムは何故か鳴り止まなかったのだ。
それどころか、徐々にそのテンポを上げていく方が明らかに異常事態だろう。
さらには、そのチャイムの音に合わせるかのように、この教室の電気も点滅し始め、まるで先ほどまで話していた怪奇現象のようだ。
怖い話をしていると霊が集まりやすいという話をしていたのは誰だったか……って、それもここにいるやよいじゃねえか!
こんな時にもツッコミを入れたくなる自分のサガを呪いたくもなったが、現状、それどころではない。
チャイムの音はしつこいぐらいに続けるし、壊れたように点滅フラッシュを続ける電気も目に痛い。オレは思わず、教室の入口にある電気のスイッチに手をやる。
元々、チャイムの音は、校内放送のように音量調整することはできないが、電気ならなんとかできるはずだ。
左手で目を押さえながらもオレがスイッチを押すとカチリと音がして、何故かチャイムの音が止み、教室も真っ暗になってしまった。
だが、時間的にこれはおかしい。
日暮れ時ではあったが、一気に視界が暗闇にとざされるほどではなかったはずだ。明らかな異常事態だったが、何も見えない状態ではどうすることもできない。幸い、オレの手元に照明のスイッチがある。これを押せば明かりが点く……はずだ?
だが、オレの視界には何か不思議なものが映し出された。教室の後方にぼんやりと揺れる青いモヤモヤした何か。それが陽炎のように揺らめいている。
「な……、なんだ、アレ?」
思わず、声に出していた。
「睦月くん?」
セツがそれに反応したようだが、暗闇のために表情は見えない。
「教室の後ろに何か……いる。」
指で指し示したが、多分、誰にも見えてないだろう。全く明かりがない世界では目が慣れるまでにかなりの時間がかかる。
「後ろ?」
やよいの声が思ったより近い。でも何故かいつも以上に低い位置から聞こえたのが不思議だった。
そして……。
「何?あの靄……」
その声にいつもの明るさはなかった。
誰かが動く気配がして……、机に当たったようだ。聞いていた自分まで痛くなるような衝突音がした。
それと同時に……。
「キャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
教室に響き渡る女の声に思わず、オレは電気のスイッチを強く押すことになった。
その途端に教室は明るくなり、モヤモヤしたモノは消えてしまう。
「つ、点いた?」
スイッチを押せば明るくなる。それは普通のことなのになぜか驚いてしまう。
「は、早く点けなさいよ! このバカ!」
サツキは強がっていたが、息は荒く、涙目になっていた。どうやら、先ほどの悲鳴の主はコイツらしい。
「い、いや、この状況だと電気のスイッチも点かない展開だと……」
「ホラー映画の見すぎよ!!」
そんなことを言われても、状況的に仕方ないだろう。
このスイッチを押しても状況が変わらないなんて絶望しかない。だから、すぐに押すことができなかったオレの気持ちも察して欲しい。
サツキに食ってかかられるオレの横にやよいが近づき……手を伸ばした。オレに……ではなく、その背にあった照明のスイッチへ。
カチリと音がして、再び、教室に暗闇が落ちる。そして……再び、現れる青いモヤモヤ。相変わらず、動く様子はなかった。
「やっぱり……」
「バカ! なんで消しちゃうの!!」
サツキの怒りが今度はやよいに向けられる。
やよいは、教室の電気とモヤモヤの関係を確認しておきたかったのだろう。だが、サツキは、恐怖心の方が先立っているようだ。
彼女の怒りの矛先は逸れたが、オレはそれどころじゃなかった。
オレのすぐ近くには教室入り口のドアがある。そのドアにスリガラス状になっている部分があって、誰かが来た時にはぼんやりと人影が映るようになっているのだが、そこに何か不自然な色合いをしたモノが見えている気がするのだ。
それは、いつも見える人影とは違っている。
ホラーでよくあるような黒い影とも違うのは幸いだったが、赤くぼんやりとしていた。まるで、教室後方にいる青いモヤモヤが赤く、明るさも強くなったかのように。
しかし、教室後方のものとは違い、色が赤いためか、まるで炎のように揺らめいていた。火事とかではないと思う。
だが、問題はそこではない。
それは何故か、見ているだけで震えがくるようなものだった。教室後方にある青いモヤモヤしたものとは明らかに種類が違う気がする。
それは、明るさの強さか、別の理由からかは今のオレには分からなかった。
「やよい……。悪いが、電気、頼む」
思わず、そう口にしていた。
「うん」
どこか明るいやよいの声とともに、教室の明かりが復活する。こんな普通のことに酷く安心感を覚えた。
後ろの青いモヤモヤはまた消え、そして、教室のドアのガラス部分は黒くなっている。そのことから、廊下も闇に閉ざされいることが分かった。
そこにいた赤いモヤモヤも見えなくなっている。
「廊下も……暗い」
なんとなく、それだけを呟いた。
赤いモヤモヤについては……、目に焼き付いたように、目を閉じるとしっかり浮かんでくるのだが。
「確かに暗いね。あっちも明かりつけてみる?」
「やめろ!」
やよいのどこか呑気な声に、思わずオレは声を荒げてしまった。
「「む、ムツキ? 」」
やよいとサツキの声が重なる。
どちらもオレの名を呼んだのが、その声色は全く違うものだった。
やよいは純粋にオレの言葉に疑問を持ち、サツキはオレの声の強さに脅えている。
オレは、あの赤いモノに近付きたくはなかったが、それをコイツらに言っても大丈夫かどうか、ちょっと判断ができない。
この様子だとサツキは必要以上におびえるだろうし、やよいは逆に好奇心から近づいてしまいそうな気もする。
「外も暗いみたいだよ。それに変なモノが動いている」
どこか微妙になってしまった雰囲気を変えようとするようなセツの声に、オレたちは身体ごと窓へ向く。
窓の外には、真っ暗な校庭が広がっているはずの場所に、不自然なほど明かりがなくなっていた。
普通なら暗くなっても、街の明かりが見えたり、安全のために近くに防犯灯だってあったはずだ。
それに、停電なら学校という施設は最低限の非常灯がつくようになっているはずなのに完全に何もない。
いや、正しくはセツの言ったとおり、何かが動いているのだけが分かる。
先ほどまで見えていた青くモヤモヤしたもの。黄色くゆらゆらしたもの。そして……、赤くメラメラしたもの。
色は青、黄、赤の順に濃くなっており、青だけじっとその場から動かない。
黄色はなんだか規則的に同じ場所を動いている。見ているだけで嫌な気分になる赤は、困ったことに妙に活発な動きを見せていた。
「な、何……、あれ…………」
窓に手をやりながら、サツキが呆然と呟いた。
そんなのオレだって聞きたい。明らかに外に広がっている景色は、いつもの校庭ではないのだから。
どうして、こんなことになってしまったのか。
そんな基本的な問いかけに答えてくれる人間など、この場にはいなかった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。