契約のススメ
目の前にいる紅い瞳の悪魔はどこか優雅にも見える仕草をしながら、契約を迫る。
だが……。
「うさんくせえ」
オレは心底そう思った。
「む、ムツキ……」
サツキが恐々と声を掛ける。どうやら、思っていたことが口に出てしまったらしい。
『なかなか辛辣で、遠慮のない言葉だね』
「いや、怪し気な通販番組みたいで……つい……」
正直、やっちまった感はある。
だが、今更、取り消すことなどできない。
それでも、ヤツは笑みを崩さないまま、こう言った。
『それでは、これならどうだろう?』
コホンと咳ばらいを一つする。
『本日、おすすめします商品はこちら! この世界で生き延びるための能力を今なら、4つお付けします。特殊能力につき、健康な人間の魂が四千人ほど必要ですが、今だけ期間限定、たった4つ! たった4つの苦痛に満ちた魂だけで購入可能! お買い得価格でご提供致します!! 』
まさによくある通販番組のような口調で、ヤツは笑顔でこうすすめた。
だが、口調はともかく、内容は笑えない。
「苦痛に満ちた魂……だと?」
『人間には過ぎた能力を売りつけるわけだからね。本来なら、1つにつき千人程度の魂が必要かな』
先ほどまでの口調に戻して、紅い瞳を細めながら、ヤツはそう言った。
『慈善事業じゃないんだ。適正な価格提示は当然だろう?』
正直、ふざけるな! と叫びたいが、この状況で、そこまで無謀なことはできなかった。足元を見やがって……。
「そこまでの対価を必要とするその特殊な能力とは……、一体、なんでしょうか?」
意外にも、ファンタジー好きなやよいではなく、セツの方がそこに反応した。
『まあ、簡単に言うと異界に繋がる能力だね』
「「異界に繋がる能力? 」」
セツと、やよいが声を揃えて問い返す。
そこに込められた感情の色は明らかに違う気がするのは気のせいではないはずだ。
『キミたちの今の状態は、異界に肉体が来た状態ではあるけど、魂は完全に繋がっていないんだよ。だから、思念体がよく認識できていない。特にキミたち人間ってやつは、視えないものを理解しない傾向にあるみたいだしね』
「視えないものを理解しない?」
不思議そうにやよいが呟く。
『そう。何か聞こえても、視えなければそこにいないものとして扱う。何かに触れても同様かな。つまり、大本は視覚情報に頼っているみたいだね』
そう言って、翼を広げるかのように両手を広げる。
『ボクにしても、キミたちに姿が視えるようになるまでは、半信半疑だっただろう?「ようこそ」って、わざわざ歓迎したのに、ここにボクがいるとは思っていなかったんじゃないかな?』
「まさか……、あの時点でここにいたのか?」
『いたよ。ここはボクの領域だからね。だけど、あまりにも気付かないから、姿を見せる時の演出には少しばかり凝らせてもらったけど』
クスクスと笑う紅い瞳の悪魔。全てはヤツの手の上で踊らされている感じがどんどん強まっていく。
『ボクが提供するのは、五感である「視覚」、「味覚」、「聴覚」、「嗅覚」、「触覚」と、「発声」を異界に繋ぐ能力だよ』
「五感はともかく、『発声』とは何でしょうか?」
やよいが確認する。オレもそれは気になった。明らかにそれは感覚とは違う機能だ。
『「発声」は「発声」だね。声を出す能力。今のキミたちの声は、思念体には伝わらない。世界がずれているってことは、チャンネルがずれているってことだからね。ボクは合わせられているけど、思念体には多分、異音、雑音に聞こえているんじゃないかな』
「意思疎通をするための能力……、というわけですね」
『いいや。意思疎通には『発声』だけでは、足りないね』
やよいの言葉を紅い瞳の悪魔は即、否定する。
「そうか……。相手からの声が聞こえないと会話にならないですね……」
『さっきも言ったけど、キミたちの大本の情報は視覚情報に頼っている。まず、視界に姿を捉え、さらに相手からの言葉を受け取り、そこでようやく意思疎通の下準備が整うわけだ。つまり、『視覚』、『聴覚』、『発声』が揃わなければ無理だよ』
「3つも……」
『キミたちに渡せるのは、共通する4つの能力。そして、能力の管理を担当する人間をそれぞれ決めてもらおうかな』
「能力の、管理担当?」
なんだそりゃ。
『そう。その能力の管理担当者というのは、発信装置みたいなものだよ。その人間が近くにいれば、能力は問題なく使えるけど、その人間から離れたり、互いに意識が薄れたりすると、その能力が弱くなるんだ。これは、人間の脳の構造上、仕方ないと思ってくれるかな』
「その能力の管理担当者を、全て1人に統合させることも可能でしょうか? それも、人間の構造上、難しいなら仕方ないのですが……」
セツが奇妙なことを確認する。
「いや、発信装置……いや、発信者を1人だけにして、残り3人を受信専用機……じゃない、受信者にしても良いけどさ~。それって、かなり大変だよ?」
「た、大変……?」
ヤツの意味深な笑みにビビりながらも、サツキが問い返した。
『その発信者が死んだら、生きている他の人間たちも能力がなくなるってことだからね。だから、親切なボクは前もって担当の分割をお勧めするよ』
突っ込みどころの多い言葉を実に良い笑顔で言い切りやがった。
互いの意識が薄れるどころか、無くなれば、能力もなくなると言う。「発信装置」や「受信機」と言う言葉はある意味分かりやすかった。
「確かに担当を四分割した方が良いことは分かった」
『死を前提とした話なのに、簡単に納得するんだね』
「……いろいろと考えられるほど、オレの頭は良くねえんだよ」
『なるほど』
頷きながら、笑顔で納得しやがった。それはそれで妙に腹が立つのは何故だろう。
『それで、どの能力を受け取るか決めたかい?』
コイツ……、既に能力を売りつけることを決定した気になっている。
その今一つよく分からない能力が、この状況でどんな風に作用するかも分からんが、確かに今の状況で生き抜くのは無理だろう。
だが、オレの中で何かが騒めいている。
コイツに会ってから……、いや、このPC教室に来る前からずっとだ。頭のどこか遠いところで警報のようなものが鳴り続けている気がする。
「支払方法は?」
『ああ、気になるのは当然だね。対価はキミたち4人の『苦痛に満ちた魂』って言ったから』
そう言うと、コイツはオレたち4人にそれぞれ視線を流す。
『この契約書にサインをするだけで契約は完了する』
「それは、支払方法じゃねえ」
思わずそう口にしていた。
いや、誤魔化された感じがしたのだ。
『キミはせっかちだね。今から説明するよ』
オレの言葉に気を悪くするかと思えば、紅い瞳の悪魔は、そんな様子も見せなかった。
「ムツキより、気が長いよね。悪魔さん」
「悪かったな」
こっそりとオレに囁いたやよいの言葉に少しムッとする。確かにオレの方が気は短いとは思う。
『支払方法は、キミたちが死んだ時に、ボクがその魂を回収に行くだけ。ね? 簡単だろ?』
「それだけ聞くと、契約書にサインした瞬間、オレたちはお前に殺される気がするんだが……」
『…………キミは時々、頭が良いね』
否定はしなかった。
『だけど、残念ながら、それだと契約としては不十分なんだ』
「不十分?」
『ただ殺されただけじゃ、苦痛に満ちてないだろう?』
「いや、殺されたことがないから分からんが、殺されたなら、それなりに苦痛に染まるんじゃねえのか?」
『だから、それじゃあまだ足りないんだ。必要なのは、精神が強く、諦めず、しつこく、心を折らずに藻掻き続ける魂。だから、拍子抜けするぐらい、あっさりいただいちゃ、全然、美味しくないんだよ』
紅い瞳の悪魔はそう言い切る。だが、先ほどと違い、口元は弧を描いているが、その瞳は笑っていなかった。
この言葉の意味。
後に、それをオレたちは、身を持って理解することになる。
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