取り引きをしようか
『やれやれ、最近、多いんだよね~。そんなに異世界と繋がりたいのかな?』
紅い瞳の悪魔は、どこか面倒臭そうな口調でそう言った。
だが、それに対して、オレたちは言葉もない。
あの状況では、これしかない! と思い込んでいた。だが、実際、コイツを目にすると、もしかして、他に方法があったんじゃないか? とも思えてしまうのだ。
それだけ、目の前にいるヤツは異質で、不気味な存在だった。
真っ暗なPC教室の中、二つの紅い瞳だけが光っているのだ。その異常さは見ている人間にしか分からないだろう。
『あれれ? 反応がない。ボクを呼び出したのはキミたちで間違いないんだよね?』
その紅い瞳が細められる。
何かを言わなければと分かっているのに、何故か、声にならないのだ。喉からひゅーひゅーと音だけがもれている。
「あ、あのっ!!」
オレの背後から、声がした。
「わ、わたしたちをこの世界に連れてきたのはあなたですか!?」
いつもマイペースなやよいも、本物の人外を前にして、その声がうわずっていることがわかる。
『は? 違うよ』
だが、その問いかけに対して、ヤツはあっさり否定する。
『なんでボクがわざわざ四人も異なる世界に案内するなんて疲れることしなきゃいけないのさ?』
その表情は暗いためにはっきりと見えない。だが、本気で嫌がっているような気がした。
『この世界へ繋がる選択をしたのはキミたちだ。この件に関しては、ボクは何もしていないよ』
さらに、そんな衝撃的なことを告げる。
『キミたちの世界で言う「夕方」にさ。「異世界」の話をしなかったかい?』
「異世界の……話?」
やよいがどこかぼんやりした声で呟く。
「まさか……、学校の……七不思議のこと、ですか?」
『へえ……、「夕方」……、つまり、「境目時」に、よりにもよってそんな話をしていたんだ。そりゃあ、この世界の住人達は大喜びでキミたちを呼んだだろうね』
その言葉で、オレたちの誰もが言葉を失った。
何も考えずにしていた会話。それが、全ての原因だったなんて、誰が想像できただろうか?
『元々さ。キミたちの世界で言う「夕方」って違う世界に繋がりやすいんだよ。ああ、「逢魔刻」って言えば分かるかい?子供たちが最も行方不明になる時間帯だよ』
飄々とした口調だが、どんな表情をしているかは分からない。
ただ、時々、紅い瞳が細められるためか、よりその瞳の紅さが際立つ気はする。
「ふ、普通は夜中じゃないのか?」
その瞳の鋭さに呑まれないよう、なんとか声を絞り出す。少しでも気を抜くと声が裏返ってしまいそうだった。
『ボクたちにはキミたちで言う「時間」というものの概念はない。ただ……、キミたちの世界が、その「逢魔刻」と呼ばれる時間帯に歪みやすいだけだよ』
そう言いながら、ヤツの紅い瞳がオレを見据え、細い三日月のように弧を描いたように見えたのは気のせいか?
――――まさか、笑った?
『ま、いいや。ボクとしては、呼ばれた以上、自分の仕事を果たすだけだ』
そう言いながら、ヤツが指を鳴らした……のだと思う。
それと同時に、一斉にPC教室の明かりが点き、周囲や相手の様子がはっきりと見えるようになる。
オレたちの前にいた紅い瞳の黒い影もその姿を現す。
白い肌、男にも女にも見える整った顔立ちなのに、適当にザックリ切ったような黒髪という微妙なバランスの見た目。
そして、印象的なのは、ギラギラした紅い瞳と同じくらい紅い唇。牙のような歯は見えない。尻尾や角、翼と言った分かりやすい付属品はないが……、どうしても気になってしまう部分があった。
「なんで、男子の制服なんだよ」
思わずそう突っ込まずにはいられなかった。
ヤツは、何故かこの学校指定の制服を着ていたのだ。
『え~? この国の学校生活に、制服は基本だって聞いてるけど』
「生徒はな!」
『ああ、こっちの方が良かった?』
そう言いながら、一瞬で着替える。……この学校の女子生徒の制服に。
それが妙に似合って見えるから腹立たしい。
「男子か女子かはっきりしてくれ」
今、言うべきはそんなことではないはずなのだが、オレはそう言うしかなかった。
しかし、姿が見えるせいか、妙に力が抜けたのは確かだ。
『ボクは人間の性では分類できないよ。強いて言えば、無性……が近いかな』
ヤツは自然に「人間」という言葉を使った。つまり、人間ではないということに間違いはないのだろう。
当り前だ。
普通の人間の瞳は暗闇で光ることはない。夜に目が光ると言われている動物だって、完全なる闇の中で発光させることなどできないはずなのだ。
『そんなことより、商談に入ろうか』
「商談?」
『そう。商談、ビジネス、取り引き』
そう言いながら、目の前の人間ではない存在は、両手を広げた。
『キミたちは、ここではない世界から来た人間だ。だから、この世界のことについて、全く何も知らないってことで間違いないかい?』
「そうだな。確かに何も知らない」
『だから、取引をしよう。ボクが少しだけ手を貸してあげる。その替わり……』
紅い瞳の悪魔は微笑む。
『キミたちが死んだ後、その魂をボクにちょうだい?』
まるで、無邪気な子供がおやつをねだるかのようなノリで、悪魔はそんな取引を持ち掛けた。
普通なら、「ふざけるな! 」と叫ぶだろう。
だが、相手は人間ではない。この状況で断ることなんてできるのか?
『おや? 即答するかと思ったけど……、意外とキミたちは慎重なんだね』
不思議そうにヤツは言った。
『うんうん。即断即決は悪くないけど、時として悪手となる。そして、契約の中身を知らないで決定付けるのはただの愚者だからね』
闇の中とは違って、明るいためかその表情がくるくる変わるのがよく分かる。
『それならば、商人としてのボクの腕の見せ所だ。まずは、セールストークといこうか』
「せ、セールストーク?」
この場に相応しくはない言葉にオレは思わず声に出してしまった。
『そうだよ。ボクは商人だからね。この商談の利点をちゃんとキミたちに伝えなければいけないんだ』
そう言って、目の前の紅い瞳の悪魔は笑顔でこう切り出した。
『このままだとキミたちは無駄に死ぬよ』
空気が凍るとはこういう瞬間を言うのだろう。
一瞬で、空気が冷え、オレたちは身動き一つできなかった。
『気付いているだろ? このままじゃ、キミたちはこの世界にいるあの「思念体」に触れるだけで簡単に死ぬ』
「『思念体』?」
その言葉を反射的に返す。
『そう「思念体」。人間の記憶、想いが形になった状態かな。ああ、具体的には、妄執、執着、怨念、怨嗟、呪詛、悔恨ともいうかな』
記憶や想いが形になった状態……。そう言えば聞こえは良いが、後半に続いた言葉で、ろくなモンじゃないことぐらいはよく分かる。
「幽霊……、いえ、怨霊みたいなもの……、ですか?」
やよいが、ヤツの言葉に反応した。
『ああ、それは分かりやすいね。彼らの多くは肉体を持つ魂を羨む死霊に近い存在だから』
「あの青や赤のモヤモヤしたものは……、やっぱり……」
そのやよいの呟きに「思念体」とやらがナニを差していたのかを理解した。
アイツらはやっぱり良くないモノだったのだ。しかも、触れるだけで、簡単に死ぬとかマジか!?
『キミたちの瞳にどう映っているかまでは分からないよ。ただ、異なる世界の住人であるキミたちでは彼らの本当の姿も見えず、声も聞こえないということぐらいはボクでも知っている』
そう言いながら、ヤツはその紅い口の端を歪めてこう言った。
『さあ、意味のない無駄死にを選ぶか。それとも人間らしく無様に足掻くか。キミたちはどちらを選ぶ?』
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