六月の花嫁
ジューンブライドというのは6月に式をあげると幸せになれるという欧米の文化らしい。
日本では雨が多く多湿なのでわざわざこの季節に式を挙げることは無かったが、ブライダル業界の戦略により6月に式を挙げることが多くなったらしい。
私は今、その六月の花嫁になろうとしている友人の結婚式に参加していた。
「皮肉なものだよね。この時期は日本じゃあ紫陽花の季節だし」
隣で着飾っている彼女は純白のドレス姿の女性にカメラを向けてそう言った。
この場で相応の格好なのにその小さな手に余るくらいの大きな一眼レフカメラを抱えてしゃがみ込んでいる姿ははしたないという印象が強かった。
彼女が言っている意味は分かる。花嫁の手にあるブーケに紫陽花が使われていたからその話をしたのだろう。
紫陽花の花言葉の一つに「浮気」がある。花の色が移り変わる事からその言葉が付いたらしい。
確かに浮気と名のつく花の季節に結婚式を挙げるなんて皮肉なものだ。あの二人は…新婦の方は仕事柄知っている筈なのにどうしてこの時期を選んだのだろうか。
「そうだね」
カメラを持つ彼女に私はそう言った。
彼女と新婦とは高校時代からの親友だった。それぞれ違う大学に上がっても関係が途切れる事も無くこうして結婚式にも参加している。
「私達もそろそろ本気で彼氏作って結婚にこぎつけないとやばいかね~……あ…ごめん」
「大丈夫。小雪なら見つかるよ」
彼女は私を気遣ってくれたが別に気にしていない。
私はただ、男性に興味が持てないだけだ。
新郎新婦は神父の前で互いの頬に唇を落とす。誓のキスだ。
『私は何ともないのにどうしてそんなに泣くの?』
苦しそうに言っていたあの子の姿が脳裏に焼き付いて離れない。あの群青の少女は私の中でずっと成長が止まったままだった。仕方ない。
あの子はとっくに空の上だ。
あの快晴だった夏の日。私はこれからも一生忘れないと思う。
病室でのあのやり取り、彼女と過ごした日々を。
「私が先に行ってごめんね」
花嫁の近くに私達はいた。披露宴で色々一段落終えると私達は真っ先に彼女の所へ向かい、一緒に写真を撮ろうと近くにいた男性に小雪のカメラで撮ってもらったばかりだった。
「本当だよ!咲夜、なんで彼氏いるって言ってなかったのさ!!」
「ねー」
私と小雪は顔を見合わせる。咲夜はいつにも増して綺麗だと思った。
紫陽花のブーケが鮮やかな青を主張する。まだ色がピンクに変わる前だ。
「咲夜、綺麗だよ」
私は花嫁に笑顔で言う。咲夜は少しだけ複雑な表情を浮かべたがその後ありがとうと答えた。
「所で咲夜、どうして紫陽花?」
小雪はカメラを首からぶら下げたまま、先程から疑問に思っていた事を質問する。
咲夜は少しだけ黙ってから答える。
「確かに、紫陽花にはこの場にそぐわない言葉があるけど……家族団欒に惹かれたからかな…私前から子供欲しいがってたの知ってるでしょ?」
小雪はそっかと答える。色々腑に落ちなさそうな顔はしてるがまあ納得したのだろう。
「梢は…後で行くの?二次会」
咲夜は私に問う。今日はやたら二人は私に気にかけてくれる。確かに事情を知っている二人なら仕方ないのだけれど…
「うん。でも今日あの子の命日だからお墓参りしてからかな」
「私達は昨日済ませたよ。梢も行けばよかったのに」
小雪は頭から爪先まで私の格好を見る。私の服装はシンプルな黒いドレスにベージュの羽織りとアクセサリーで申し訳程度に彩っていた。黒い服は私の趣味ではないからそれを選んだのをやはり二人は不審に思ったのだろう。
地元での挙式だからここからあの子の眠る墓までそう遠くない。
結婚式が終われば私は一時的にアクセサリーを外してから墓地に向かい、その後またセットなどし直して二次会に向かう予定だ。
「当日に行きたかったの。二次会も楽しみにしてるよ。咲夜」
私は笑顔で花嫁に言った。
今日はお日柄も良く、二人を祝福するかのように晴天だった。
早めに結婚式会場から抜けた私は咲夜から貰ったブーケを手にあの子の墓前に立つ。寺の住職が墓の手入れをしてくれているので綺麗になっているが、彼女の両親は既に離婚しているので今年もここに来たのは咲夜と小雪と私だけだろう。
私はもうあと何年あの子の墓前に立つのだろうか。
「咲夜のドレス綺麗だった。2人とも先に来てたみたいだね」
そう言ってブーケを墓前に供えた。彼女が病にかかることが無ければあのようなウエディングドレスを着る機会が会ったのだろうか。若しかしたら彼女の未練の一つにあったかもしれない。
「小雪が言ってたんだ…浮気っていう花言葉があるのにその花が咲く時期にジューンブライドをやるなんて皮肉だって。私はそれよりも浮気と家族団欒の花言葉がある紫陽花そのものが皮肉だよね」
『花嫁衣装ね…着れないのに憧れろっていうの?』
『それでも着たいと思わない?真っ白なドレス』
『入院服も真っ白じゃない』
『ロマンがないなぁ…』
『これだけでも白無垢みたいじゃない?』
シーツを一枚被って見せたあの姿は少しだけ光で透けてベールみたいだった。
私はそのまま跪いて管の刺さった腕をなぞり、手の甲にキスをした。王子様になれるわけじゃないけどあの子にはそういう思い出を作りたかった。ほんの少しだけでもあの子とは心を通わせたかった。
『希、来たよ!ってまた梢とイチャついてるの』
『あ、小雪、咲夜も。二人ともありがとう』
結婚式を挙げた咲夜も彼女の写真を撮っていた小雪も私ほどじゃないけどあの子の見舞いには何度も通っていた。
私達の関係は二人とも知っていた。私達の関係を二人はいじる事は無いけど貶すこともないから私達は少しだけ安心していた。
彼女の余命が残りわずかを噛み締めるように四人で病室を過ごした。
でも私だけ葬式には行かなかった。ただ彼女の呼吸器も点滴も何も無い穏やかな姿が見たくなかったから。
『死んだら…どうなるんだろうね』
『何も残らないんじゃない』
『冷たいなあ』
彼女は不満を打ち消すこともなく旅立った。実は彼女の声を私は忘れつつある。
そろそろ前を向かないと行けないのかな…。
「そろそろ、行くね。二次会も行かなきゃだから」
冷たい石に私は自身の柔らかいそれを付けた。ブーケは置いておこう。
少しだけ色が変わりつつある花を見てごめんねと呟いた。