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ここ最近、俺は今まで自分が失敗したときのことを振り返ることが多い。あの時こうしとけば……とか、こうしなければ……とか。そんな途方もないことばかりを考えている。そして、こういうことを考えている時の俺は、大体現実逃避をしている時だ。何か受け入れられないことがあると俺の脳は過去にシフトするのだ。
だって認めたくないだろう。女装した俺を真剣に見つめるクラスメイトの存在なんて。
河相くんの女装姿をもう一度見たい。
それが織部にお願いされたことだった。当然俺は拒否した。見せるものではないから、と。だが、この前に「なんでもいい」と言っていたことがマズかった。
「でもさっき、なんでもって言ったよね」
織部に「え?」というような顔をされれば、俺はもう頷くことしかできなかった。
そこからは呆けている俺を置いてけぼりにして、とんとん拍子に話が進んでいった。いつの間にか俺は週末に織部の家に行く約束を取り付けられていた。
「忘れないでね」
そう釘を刺して、織部はどこか軽い足取りで去っていった。織部の後姿をぼうっと見送りながら、やっぱり織部は神でも仏でもなかったなと思ったのだった。
そして当日。約束の時間帯に待ち合わせ場所に行くと、織部は既にそこにいた。もし、いなかったらそのままばっくれようとも考えていたのだが、事はそうも上手くいかないらしい。そもそも、この場所に来た時点で、俺の負けは確定しているようなものだった。
家に向かう途中、織部は両親は夜遅くまで帰ってこないから、バレる心配はないという旨を伝えてきた。その時、初めて俺は女子の家に上がるということ、しかも彼女と二人きりということに気づいた。だが、今の俺はその事実があってもテンションがあがることはなかった。
(これが彼女の家にお邪魔するとかだったら、こんな気持ちじゃなかったんだろうな……)
いったい誰が女装するためにクラスメイト、しかも女子の家に上がるだなんて思うのだろうか。
織部の家に着き、俺を部屋に案内するなり、
「それじゃあ、さっそく女装してくれる?」
と、「じゃあさっそく脱いでくれる?」ばりの気軽さで織部はそう言ってきた。どこぞのAVかよと思わなくもなかったが、ここまで来た俺は抵抗しようという気もなく、むしろ逆にやってやるというようなやけくそな気持ちだったため、大人しく従った。そして冒頭に戻る。
(ある意味、一種のプレイだよな……)
俺は思考を放棄した頭でそんなことを考えた。と、いきなり織部がしゃがみ込み、俺のスカートの裾をつまんだ。
「おおおおお、おい!ストップストップ!!」
「?どうしたの?」
「どうしたのじゃねーよ!うら若き乙女がそんなことしちゃいけません!」
「あぁ、ごめん。ちょっと素材が気になって……。てか、うら若き乙女って、なんだか大正の人みたいだね」
ふふ、と織部が笑う。
言ってる場合かよ……。思わず盛大にため息をついてしまう俺をよそに、織部は何かに納得したように頷き、
「ちょっと待ってて」
と部屋から出て行った。ほどなくして織部は数枚の服を抱えて戻ってくる。
「河相くんさ、こういうの好きじゃない?」
そう言って、その服を俺の前に広げて見せた。
なぜわかったと言いたくなるほど、それは俺の好みに当てはまっていた。ふわふわでひらひら。そんな擬音がぴったりと当てはまるような服。俺は胸をときめかせずにはいられなかった。
「当たり、みたいだね」
織部の声は嬉しそうに弾んでいた。
「これ、着てみてよ」
思ってもみない言葉に、俺は思わず勢いよく織部を見てしまった。
「え、でも」
「いいからいいから」
織部は俺に服を持たせ、問答無用で隣の部屋に押し込んだ。これは織部の服なのか、とか、サイズが合わないんじゃないか、とか言いたいことはたくさんあったが、着替えたら教えてねという織部の言葉にとにかく着てみることにした。
着替え終わったと告げると、織部は部屋のドアを開けた。一度、上から下まで俺を見て、
「うん。似合ってるね」
と満足そうに微笑んだ。
「それじゃあ、こっち来て」
織部が手招くまま、先ほどの部屋に戻ると、机いっぱいにメイク道具が広げられていた。呆気にとられる俺を、座るように促し、
「なんかアレルギーとかある?」
「いや特に……」
「それじゃあ、やってもいい?」
「やるって……」
織部が俺に髪を上げるバンドを手渡す。
「かわいい服を着るなら、自分もかわいくしなきゃね」
メイクの道具を構える織部の目は、きらきらと輝いていた。
***
目を開けて。その合図でまぶたを上げると、そこには見知らぬ姿が立っていた。
「これが俺……?」
鏡の中の俺は、全くの別人だった。今までテレビやネットの中でしか見ることができなかった俺の理想像がそこにいた。メイクをすることでこんなにも変わるのか、と俺は驚く。
「かわいい……」
俺は思わず呟いてしまっていた。かわいい。心からそう思った。自分のことをこんなに素直にかわいいと思ったのは初めてのことだった。
「気に入った?」
織部がそう俺を覗き込む。俺は何度も頷いた。
「すげぇよ……。魔法みたいだ」
俺は鏡から織部に視線を移す。
「ありがとな、織部」
「喜んでくれたようでよかった」
そう織部は微笑んだ。普段の織部からは想像できないほどの満面の笑みで、しかもあまりに嬉しそうで、俺は思わず固まってしまった。
そんな俺の表情を見て、織部はハッとした。照れくさそうに視線を逸らすとまた元の表情に戻った。
「……私、自分が選んだ服を、他の人が嬉しそうに着ているのを見るのが好きなの」
織部は小さく呟くようにそう言った。
「河相くんに会ったあの夜。私あの一瞬で、この人に似合う服を選んであげたいって思ったの。だから河相くんがあの張本人だってわかったとき、絶対に逃しちゃダメだと思って。思わず女装してだなんてお願いしちゃった」
さっきまでの強引さはどうしたのやら、織部はいきなりしおらしくなる。
「ごめん。結構嫌な思いさせちゃったよね」
織部は伺うように俺を見た。なんだかその様子がおかしくて、俺は思わず吹き出してしまった。
「お前、あれだけ好き勝手にしといて、それはないだろ」
「うっ……。ごめん」
「いや……。俺もこんなにしてもらって嬉しかったし」
織部が悪人じゃないって、三回目の正直でわかったし。
「ありがとな」
佇まいを正し、しっかりと彼女を見据えてそういうと、織部は目を見開き、一瞬目を泳がせた後、はにかんだ。
「ねぇ、また今度私に服を選ばせてくれない?」
帰り際、織部は俺にそう問いかけた。
今回の件でわかったが、この事ではっきり言って、俺にデメリットは何もない。俺はうんと頷いた。
「俺からもお願いする。俺、織部が選んでくれる服、好きだし、参考にしたいから、またしてくれるとありがたい」
織部の目がまたキラリと瞬いた。
「ありがとう。それじゃあ、また誘うね」
「おう。……あ、でも他の奴には多言無用で頼むぜ」
「わかってるよ。私たちだけの秘密だね」
織部はいたずらっぽく笑った。
その後、俺はまた織部の家で女装することになるのだが、その姿のまま、外に出ることになるのは……また別のお話。