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「ねぇ、河相くん。今日の放課後、空いてる?」

 あの事件から数日たって。昼休み。昼飯を食べようとしていた時だった。おもむろに織部が声をかけてきた。一日の半分が無事終わり、このまま半分も何事もなく過ぎますようにと願った瞬間これだ。俺は神様はいないと確信する。

「……空いてるけど、何か用か」

「用」なんて一つしかない。わかりきっていることだが、俺は努めて冷静に返す。

 ……返せてるよな?声、震えてないよな?

 内心冷や汗でびっしょりな俺と対照的に、織部はあくまで普段通りだ。相変わらず表情の読めない顔で淡々と要件を伝えてくる。

「ちょっと話したいことがあるんだけど、いい?」

「……別にいいけど」

「それはよかった。それじゃあ放課後図書館に来てくれる?私今日図書委員の当番だからさ」

「わかった」

 じゃあよろしく、と織部は踵を返す。その後ろ姿を見送りながら、俺は死刑宣告をされた囚人のような気持ちだった。俺はこれからどうなるんだろう。俺が女装してたということをネタに、脅されたり、強請られたりすることになるんだろうか。そんなわけないだろうと、頭が冷静に否定する一方、人は見た目によらないんだぞ!もう一方が主張する。確かに見た目では織部がそんなことをする奴とは思えないが、如何せん、感情の読めない相手だ、腹の中は驚くほどブラックなことを考えているかもしれない。

 校舎の裏で織部から金をせびられる光景がよぎって、今すぐ死にたくなった。今さらしても遅いのはわかってはいるが、胸の中には後悔しかなかった。やっぱりあの時、外に出るべきではなかったのだ。タイムマシンがあるならば今すぐあの時に戻って、謎の自信に満ちていた俺を殴り飛ばしてやりたい。俺は盛大にため息をつきながら、ずるずると机につっぷした。


 図書室のドアを開けると、すぐ近くのカウンターに織部はいた。俺の姿を捉えると、一緒に居た女子生徒に二言三言話して、こちらに来た。

「わざわざごめんね」

「委員の仕事はいいのか」

「うん。もう一人の子に頼んできたから。……それじゃあ行こうか」

「どこに?」

「あまり人がいなさそうなところ」

 そう言って、織部は歩き出した。一通り校内を見て回り、織部が選んだのは理科室だった。確かに放課後であれば誰も寄り付かないであろう場所だ。つまり俺が織部からカツアゲされても誰も気づかないわけだ……。

 織部は理科室の真ん中あたりまで進み、そこで立ち止まった。くるりと俺の方に向き直り、

「あのさ――」

「たのむ!」

 織部が二の句をつぐ前に、俺は彼女に向かって頭を下げていた。今までこんなに腰を折ったことはないんじゃないかというほど深く。

「この前の夜、俺が女装してたこと誰にも言わないでくれ!この通りだ!」

 誠心誠意、心からの叫びだった。

 少しの間、沈黙が俺らの間を流れた。織部はなんと答えるか。快く了承してくれるか、それとも冷たく拒絶するか。聞くのが怖くて、俺はぎゅっと目を瞑りながら、唇を噛みしめた。

「……やっぱあの時会ったの河相くんだったんだ」

「……へ?」

 返ってきた答えは予想していたものとどれも違って、俺は思わず間抜けな声を出してしまった。

「いや、ね。確かにあの時女装した男の人に会ったとは思ってたけど、それが河相くんだとは確信が持てなかったんだよね。ぽいな、とは思ってたんだけど。だから今日、こうして聞いてみようと思ってたんだけど……。合ってたみたいでよかった」

 織部の答えに俺は愕然とする。あの時バレたと思っていたのは俺だけで、織部はまだ気づいていなかったのだ。つまり俺の先ほどの誠心誠意を込めた叫びは、ただ自分の性癖を暴露しただけで……。

「よし。死ぬわ」

 俺はしっかりとした足取りで窓に向かう。ここは二階だが、下はコンクリートだ。変な落ち方をすれば、一発であっちに連れて行ってくれることだろう。

「ちょ、待って!早まらないで!?」

 慌てて織部が止めてくる。

「止めてくれるな……!俺はもう取り返しがつかないんだ……!」

「そんな二時間ドラマみたいなセリフ言ってないで……。落ち着こう?」

 俺がこんなふうになってるのはお前のせいでもあるんだけどな

 織部は俺を引っ張るようにして窓から遠ざけ、近くの椅子に座らせると、宥めるように背中を撫でた。

「……気持ち悪いだろ。こんな奴が女装趣味だなんて」

 絞り出した声は自分でも驚くほどか細く、頼りなかった。この趣味が周りに受け入れられないのはわかってる。でもわかっていてもやっぱり拒絶されるのは怖かった。

  「……別に気持ち悪いだなんて思ってないよ」

 織部は優しい声でそう言った。顔を上げると、穏やかなまなざしで俺のことを見ていた。

「確かに知ったときは驚いたけど……。それを貶めようとか、馬鹿にしようとか思わないよ。というか、人の好きなものに変とかおかしいとかないよ」

「ほ、本当か?」

「うん」

「本当にそう思ってるか?」

「うん」

 まっすぐに俺を見つめながら、織部はしっかりと頷いた。

「このこと……誰にも言わないでくれるか?」

「もちろん。河相くんが嫌なら誰にも言わないよ」

 そう織部は微笑んだ。……なんだか急に織部が神様のように思えてきた。いやこの場合は仏か。どちらにしろ、織部の後ろに後光が見える。やっぱり織部はいい人だったんだ。さっきまでカツアゲされることを想像していた自分を殴りたい。俺は織部に手を合わせて深々とお辞儀をした。この程度の感謝じゃ足りないぐらいなので、併せて土下座でもしようかと思ったが、さすがに織部に止められた。でも全然大げさじゃないと思う。そのぐらい俺は織部に感謝していた。

 ふと俺はあることを思った。これだけのことをされたのだから、何かしら織部に報いなければならないと。

「なぁ織部。俺、お前にすっごい感謝してるんだ。だから何かお礼させてくれよ。なんでもいいからさ」

 逆に何か受け取ってもらわなきゃ困る。

 そう言った俺の言葉に、織部は少しだけ目を見開き、うーんと口元に手を当てた。

「なんでもいいの?」

「おう」

「何かしてほしい、とかでもいいの?」

「おう!俺にできる範囲だったらなんでもいいぜ!」

 俺は力強くうなずく。織部は俺の救世主だ。何も遠慮することはない。

 胸を叩き、どんとこいと示してみせる。その瞬間、織部の目が輝いた気がした。どこかそわそわしながら、それなら――と口を開く。

「私にもう一度、しっかりと河相くんが女装した姿を見せてくれない?」

「おう!………………ん?」

 俺はいつも大事なところで詰めが甘い――。どうやら一件落着とはいかないらしい。


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