第6章 『社会人:Boy meets many girls.』
自分を救ってくれるもの。
それはきっと、現実的な手段。
今笑っている人達は、こんな段階を踏んでいた。
①好きな人に告白し、振られる。
②仲良くなった人に告白し、付き合うが、別れる。
③好きな人に告白し、付き合って、結ばれる。
法則の踏み方の真似をするならば。
・①と②を、出来るだけ短期間で済ませる。
・②の後から③までの期間、好きな分野に浪費をしていると、お互い惹かれ合う人と出会うので、ちゃんと好意を伝え続ける。
たとえその人に、恋人がいようとも。
第6章 『社会人:Boy meets many girls.』
何度でも立ち上がれるよ。
だって、僕らは、ゾンビだもの。
それでも、セックスをお金で買うことを拒み続けた、全ての新社会人へ。
/
ボーイミーツガールが、5千円で買える時代になった。
『私の服装は黒のニット、スカートに、茶色のバッグです!銀座線で来ます!』
秋は夕暮れ。
平成最後の夏から一年が経った。
転職をして、僕は電機メーカーの営業の仕事に着いていた(親は僕が公務員になることを期待していたので残念そうだった)。
今日は仕事帰りに、出会系アプリで知り合った女の子と会う約束をしていた。
「男さんですか?」
女性が少し緊張の表情を浮かべながら尋ねてきた。
男「はい。今日は忙しいのに来てくれてありがとうございました」
「いえいえ、こちらこそ」
男「近くによく友達と行く居酒屋があるんです。そこでご飯食べましょっか」
「わかりました!」
/
この子が初めての相手、ではなかった。
この一年間で、無数の女の子と会った。
合コンをする伝手などないから、初めは友達と街コンによく行った。
恋愛ゲームなんかでは、主人公が普通に女の子と会話をしているが。
そもそも、そういった恋愛を目的とした場で話しかけること自体、ゲロを吐きそうなくらいきつかった。
短い時間でテーブルを回らされて多数の女の子と話すこのシステムは、見た目に冴えない自分には不利にも感じた。
緊張疲れも激しく自分には向いてないと思い、SNSの広告でよく出てくる出会い系アプリに手を出した。
心の病んだ女の子に大勢の体目当ての男が群がる場所、という先入観は誤っていたと認識した。
今どきの出会い系サイトは大手のシステム会社が運営しており、SNSアカウントとの連結認証や年齢確認のための身分証明写真データの提示などを必要とするアプリに限って言えば、サクラやネカマなどがかなり撲滅されている。
レイアウトも洗練されていて、普通の女子大生やOLが無数に利用しており、お見合いサイトをかなり柔らかくしたような印象だった。
1対1でじっくりメッセージでトークを交わしたあとに二人きりで会えるので、相性さえ合えば自分を気に入ってくれる女の子と結ばれやすかった。
自分が始めようと思った大きなきっかけは、実は友が交際している女性がアプリで知り合った相手だと打ち明けられたからだった。
純愛信者の僕には最初こそ抵抗があったが、やってみて、それでも嫌だと思うならやめればいいと思った。
お金持ちは、大金をはたいて20代の女性との交際を求める。
僕たち貧しい20代は、20代の女性とは大金を出さずともデートすることを許される。
20代の特権は、20代の異性と、対等な立場で出会えることだ。
だから、今の自分の年齢でしかできないことはやっておくに越したことはないと思った。
何より、もう過去を振り返るのが嫌だったから。
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僕は変わろうとした。
理容室に行くようになった。
おしゃれな友達にファッションを教えてもらった。
今まで散々馬鹿にしていた、モテルための自己啓発本を20冊近く読んだ。
店員に愛想よく振る舞うようになった。
一番苦手な、女性の目を見て話すということを心がけた。
誰かといる時は、今やっている作業に過集中せずに会話を同時並行するよう心がけた(携帯で地図を見ながら歩いている時なんかはよく方向を間違えたが)。
花屋の前を通り過ぎると、一つは花の名前を覚えるように心がけた。
浄水器の営業の電話にも丁寧に応えるようになった。
怒りの葡萄の映画もDVDで二回見た。
天気予報を確認する頻度を増やした。
ウォシュレットを使うようになった。
ラーメンの汁を最後まで飲むようになった。
折り紙で鶴を折れるようになった。
意味があるのかわからないこと、むしろ害になるんじゃないかと思うこともたくさん試みた。
どれも、これも、人生を変える決定打にはならなかった。
どれも、これも、けれど今までの僕を変える1歩になってくれた。
恋愛優勝者がこの世界にいるとしたら、ナルシストだろう。
自分で自分にする恋ほど、完全な恋はない。
自分も好きになれない人がどうして他人から好きになってもらえるのか、なんていうけれど。
ぼくらは、自分で自分を好きになることなんてなかなかできないから。
自分が好きな人に、自分を好きになってもらうことで、自分を好きになろうとするのだろう。
自分を救ってくれるのは自分しかいない、なんてことはないけれど。
自分を救ってくれる女の子に話しかけるのは、自分しかいないんだ。
そんな自分になるために、僕は日常の中で、新しい自分探しの旅を続けた。
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地に足の着いた青春。
お金で買った出会いの場。
それで、いいと思った。
きらめくような出会いを忘れず、好きな人を好きでい続けた、過去の自分に、今の自分を見せてやりたい。
呆れた顔、失望した顔、激怒した顔をするだろうか。
今の僕は言い返す。
君は何もしなかったじゃないかと。
誰からも否定されない、成仏できない純愛よりも。
誰からも批判される、成就した恋愛が自分を幸せにしてくれる。
出会い方はお金で買おうが、結局、結ばれるかどうかは人と人との問題なんだ。
いつも幸せそうにしていたやつらを思い出してみろ。
どうしてあんなやつが幸せになっているんだろうという"あんなやつ"になれる方法はただ一つ。
あんなやつが実はそうしていたように、勇気を振り絞ることだ。
振り絞った勇気が散っても、言葉を飲み込むことだ。
ごちゃごちゃ言わずに、踏み出してみろよ。
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「あの、今日は本当にありがとう」
男「こちらこそ。凄い楽しかった」
「私も。凄い話やすかったです。私、どうして小学生の頃の思い出まで語っちゃったんだろう。男さんといると、なんだか懐かしい気持ちになっちゃいました」
女の子は照れ笑いを浮かべた。
「よかったら、また誘ってください」
男「うん。すぐ誘うと思う」
「本当にありがとう」
男「気をつけて帰ってね」
男は手を振った。
しばらく歩き、プラットフォームのベンチを見つけると、座った。
帰りの電車がいくつも通り過ぎるが、全て見過ごした。
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当初は18時集合の20時30分解散の約束だった。
しかし、22時30分まで話していた。
そろそろ解散したほうがいいと思って男が時間を告げると、相手は驚いていた。
会った女の子は、見た目も可愛くて、頭も良く、有名な企業についていた。
男「今日も、上手くいってよかった」
男はベンチに座り続けた。
別に、無理をして疲れたわけじゃない。
男も女の子との時間を心の底から楽しんだ。
ただ、この“一年間”の惨敗続きの恋愛を思うと、よくぞ成長したものだと噛みしめずにはいられないのだった。
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女は星の数ほどいる。
出会い系アプリをやっているときこそ、その言葉を実感する。
だが、その星の数ほどいる女の子から振られ続ける一年だった。
二十六年も避けてきただけのことはある、と思うほど恋愛はうまくいかなかった。
今まで苦手を感じて避けてきたわけだから、いざ踏み込んだところで、うまくいくわけもなかった。
ある女の子にとって絶対しなければならなかった行動が、ある女の子にとってはタブーだったりした。
何が正解で、何が不正解なのか、てんでわからなかった。
見た目が冴えないにしても、あまりにも尽く振られ続け、出家でもしようかと本気で悩み始めた頃。
大して自分からは好きにならなかったものの、好意を示してくれた女の子がいた。
水族館でデートをして、夕食をとって、帰りの道端で告白をした。
そして、よろしくおねがいしますと言葉を返してもらえた。
初めて彼女ができたことに、喜びがとまらなかった。
2日間くらい、上の空だった。
この子を一生大切にしていこうと思った。
しかし、1月後には別れてしまった。
もっと、心の底から好きだと思える相手と出会いたいと思った。
男「中学生、高校生、大学生でも真似しづらいような、人工的な出会いの場を利用した20代後半の恋愛」
男「いつかこの恋愛期間にも期限は訪れるのだろう。それが、35才とか、36才とか、いつの年齢かはわからないけれど」
男「今しかできないことは、今やらなくちゃ」
男「生き急ぐよ。生きてるんだから」
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男はLINEの画面を開いた。
今日会った女の子だけでなく、6人近い女の子とメッセージのやりとりをしていた。
出会い系アプリを4つも同時進行していたら当然だ。
オンリーワン中毒の自分は、別に不特定多数の子と遊びたいわけじゃない。
浮気したいとも、いたづらに交際人数を増やしたいとも思っていない。
いつか結婚式を迎えた日にも、相手の親御さんにも自分を祝ってくれる友人にも全く後ろめたくないような、真っ当な恋愛に極力近づけたい気持ちが強かった。
ただ、女の子に不慣れな自分は、とにかく量をこなすという過程が、第一志望の女の子と巡り合う上で何より大切だと思ったのだ。
男「今の人達は頑張ることに疲れてしまったなんてよく言うよ。苦痛に耐えてるだけで全然がんばってないよ。昔の俺だってそうだ」
男「頑張ってまで欲しいものを探しても見つけられなかったから疲れてるだけで」
男「そのために生きると誓うものが現れたら、徹夜でも土下座でも決闘でも望んで何でもできるんだ」
男「人から嫌われてもいいなんて言ってる場合じゃない。人から好かれるために死ぬほどがんばるときなんだ」
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乙女の柔肌に触れることを、許されるということ。
それは男として認められた瞬間と言ってもよかった。
そして、月日が経過するにつれて、男は女性に許されることが増えていった。
レンタル彼女をしていた女の気持ちが,今更にわかった気がした。
僕にはこの子しかいない、と男子に思わせる罪な女の子には、無数の男性が他にいる。
レンタル彼女があらゆる話題に対応できることの答えは単純だった。
あらゆる男性から、あらゆる話題を振られるからだった。
男は、出会っては次に繋げることもできず、初対面の無数の子と食事をともにしてきた巧妙か。
あらゆる話題に対応できるようになっていた。
流行りのYouTuberも、御朱印集めも、医療事務員の悩みも、痴漢の多い路線も、フィットネスクラブについても、男は一通り自然と知識を身に着けていた。
あの時ああしておけば、と長年引きずるほどのエピソード記憶力を持つ男にとって、一週間前の失敗を翌週改善することは容易だった。
毎週が恋愛のPDCAサイクルをまわす連続だった。
さらに、男は女の子に容易に惚れやすかった。
小学時代から無職になるまでに5人の女の子に対して思った「俺にはこの子しかいない」と思う感情を、この1年間で6人ほどに抱いた。
短期間で今まで以上の恋愛を高速にサイクルさせていた。
話題も、喜怒哀楽の表情も、本音も建前も、あらゆる女の子のパターンを頭に叩き込んだ男は、相手の女の子を満足させる振る舞いで応えられるようになった。
理想の男を演じることができるようになっていた。
男「ノイローゼになりながら、よくここまで女性に向き合い続けてきたよ。レンタル彼氏でもないのにさ」
男「むしろ、レンタルゾンビかな」
男は自分の独り言に苦笑しつつ、帰りの電車に乗った。
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この世にスマートフォンがあっても。
東京スカイツリーがあっても。
人工衛星があっても。
核兵器があっても。
結局、好きな人と結ばれるには。
男「自分が、勇気を出して、声をかけるしかないんだ」
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女の子なんて、みんな青春を謳歌してきたものだと勝手に思い込んでいた。
これは、喜ぶべきことなのか、それとも憂いてあげるべきことなのかはわからないけれど。
今まで出会ったたくさんの、見た目の可愛い社会人の女の子でも、恋愛経験のほとんどない子は多かった。
女子一貫校育ちだったり、引っ込み思案であったり、単に理想が高かったりと様々だが。
どうして私が青春できなかったのか、わからなかった私達はたくさんいた。
青春ゾンビにもメスという性別はあって
『手に入れるべきであった青春』
『異なる選択をした自分が過ごしていたであろう時間』
を思っては、23才頃から取り戻そうとする子も多かった。
もちろん、わがままな子、欲張りな子、否定しがちな子、など、こんな人に恋人が出来ない世界でよかったと思うほどひねくれた女の子もいたけれど。
どの子といた時間も、どれも大切な思い出だった。
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そして、好きな人の、好きな人になれた日は訪れる。
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「……行きたくない」
個室の漫画喫茶でアニメの青春映画を観終わると、彼女は僕の膝に頭を乗せてずっと動かなくなってしまった。
男「時間だけど、延長する?」
「泊まる」
男「泊まる?明日会社だよ?」
「……言ってみただけじゃん」
彼女は不機嫌そうに答えた。
偏差値70位上の中高一貫の女子校を出て、中堅の私立大学に行き、東証一部上場のメーカーの総合職に就職を果たした努力家だ。
そんな彼女の知性は、男と二人きりの時だけ著しく落ちた。
そして男もそれを愛おしく思った。
髪の毛の色は茶髪で、爪は赤いマニキュアが塗られていて、初めて待ち合わせ場所で会ったときはこんな子が自分を好きになる可能性などあるのだろうかと疑問に思ったほどだった。
人を見かけで判断してはいけないというのは本当だった。誰が自分を好きになってくれるかなど検討もつかない。
一回目は居酒屋でご飯を食べた。二回目は美術館に行った。三回目は食べ歩きをして、ゲームセンターで遊んだ帰りに告白をした。
どんな恋愛本にも恋愛指南サイトにも書かれていないようなコースだった。でも男は、この子とは良い関係を築けるのだろうなと、1日目の帰り道に感じていた。
もしも、何かの選択が違っていて。
この子と小学校、中学校、高校、大学で出会っていたとしたら、きっと結ばれなかったであろうことを思うと。
この子と会ったのが今でよかったと、心底思った。
今まで想いを寄せていた小中高大の人と付き合えていたら、この子と出会うことさえなかったのかと思うと。
何もなかっただけの過去に、感謝せずにはいられなかった。
「男くん」
男「何?」
「親の愛情に浸されて育ったホルマリン漬けの10代に、恋人なんてできるはずもないんだね」
それがさっき観た映画の感想なのかどうかはわからなかった。
/
二人は外を出て、渋谷駅へと向かった。
「もうすぐハロウィンだね。男くんはどんな仮装するの?」
男「ハロウィンの渋谷だけには行かないよ」
「マジレスはいいから。ねえ、どんな格好するの?」
男「ええ、じゃあ、青春ゾンビ」
「なにそれ。こわそう」
男「学生服をいつまでも脱げないゾンビだよ」
「ちょっと爽やか味あるじゃん」
男「そっちは何の格好するの?」
「じゃあ、青春ヴァンパイア」
男「なにそれ」
「こんなのだよ」
ガブリ、と女は男の肩を噛んだ。
男「いててて」
何もなかった日常は、何でもない日常に変わり、何にも替えられない日々となった。