第5章 『診断結果:Sunset』
春の最強コーデの君と、夏の最弱汚泥の僕。
禁欲的の語源である、ストア哲学派のセネカは言った。
“愛されたければ、まず愛せ。”
100回目のオナ禁に失敗して自己嫌悪に陥っている男の子が苦し紛れに呻いた。
“愛されることを目的として愛するなんて、愛じゃない。”
Fall in love. 恋に落ちる。
特定の事象に対する表現が、英語と日本語で同じだった時、真理を見たように思う。
そうか、天にも昇るような気持ちだったけど、逆立ちしたまま空から落下していただけだったのか、と気付いた時みたいに。
プールの消毒液の匂いも、ひらひらのスカートも、青春映画も、SNSで流行りの言葉も、この時代に特有のものならば。
この苦しみも、今の時代にしかないものなんだ。
それが、手に入らなかったという苦しみであるならば。
この時代を生きているものにしか、手に入れられぬ喜びというものもあろう。
ハロウィンも。クリスマスも。イースターも。バレンタインも。
ハッピーニューイヤーも、ハッピーバースデーも。
カタカナの日が、待ち遠しくなる日が訪れるまで。
僕は、僕にできることをやろう。
第5章 『診断結果:Sunset』
愛されたければ、まず愛されたいと思うことから。
恋の病でゾンビとなった、患者達へ。
/
秋分の日の前日。
平成最後の夏の、最後の一日。
男「……これでよし」
男はお世話になった家を見回した。
来た時に撮った携帯の写真を見ながら、物の位置が変わらぬように復元をした。
割れた窓ガラスは、少し綺麗過ぎるほどに直してしまったが。
窓ガラスから、鍵をかけずに外に出た。
家の中に貴重品の類は置いていなかったし、明日には親戚が来るので大丈夫だろうと思った。
/
平成最後の夏は終わる。
この夏ほど、人が感傷に浸る季節はそう来ないだろう。
平成最後の秋も、平成最後の冬も、新元号最初の夏も。
平成最後の夏にはかなわない。
きっとこの夏も、全国のおびただしい数の学生が、社会人が、何も成し遂げないまま過ごしてきたのだろう。
それで、よかったんだ。
季節に見合った幸せではなく、自分に見合った幸せが訪れるのが人生なのだから。
季節に合わせて無理やり作り上げた思い出など、心を満たしてはくれないのだから。
一流のレンタル彼女は、それを知っていた。
だからこそ、彼女は、自分と会ってくれた男達に楽しい時間を提供するだけでなく。
いつか本物の彼女をつくろうとする時のために、彼氏としての振る舞い方をさり気なく教えてくれていたんだ。
/
自転車は中古品として引き取って貰った。
そして市内を、朝から徒歩でまわった。
1人で公園を歩いた。
1人でゲームセンターに行った。
1人で映画館に行った。
1人でスーパーを歩いた。
穏やかな気分だった。
これから自分は変われるのだろうと、根拠もなく思った。
幸せが来るのを諦めるということは。
幸せを掴みに歩もうとするきっかけにもなるというものだ。
青い鳥は、元々鳥籠の中にいたのではない。
色々な場所を探し回ったから、鳥籠の中に現れたのだ。
初めから、海岸近くの小さな村に住んで、日が高くなるまでゆっくり寝て、日中は釣りをして、家族や友人とギターを弾きながら楽しい夜を過ごしてきた人の老後と。
大都会での競争で走り続けてきた後に、海岸近くの小さな村に住んで、日が高くなるまでゆっくり寝て、日中は釣りをして、家族や友人とギターを弾きながら楽しい夜を過ごしてきた人の老後では、きっと同じ時間の意味が違う。
この僕でしか、なれない自分というものもあるだろう。
この僕でしか、出会えない人、掴めない幸せというものも、きっとあるに違いない。
男「俺のことは、俺が救ってあげなくちゃ」
男「露骨な言葉で表現するなら」
男「クズの救済をしなくちゃな」
/
男「ここだけは、最後に見ておきたかった」
廃校に着いた。
時刻は17時過ぎだった。
昇降口で靴を脱いだ時、あることに気付いた。
男「靴が置いてある。男性の物と、女の物だ」
ドタドタ、という、騒がしい音が聞こえてきた。
トランクなどの荷物を置いたまま、音のする方へ走った。
教室の中に入ると。
お金持ちの大学生が、黒いワンピース姿の女を地面に押し倒していた。
大学生「俺が、男を教えてやるよ……」
そのセリフを聞いたとき、思わず吹き出してしまった。
/
攻撃的な目つきで見てくる大学生に、男は今日の運転手は自分なんだと嘘をついた。
車が途中で故障してしまい、携帯電話にかけても繋がらないからここまで来たのだと。
事務的な説明を、冗長に一方的に話し続けた。
不器用な人柄を演じて、話の要領を得ない、退屈な言い訳をし続けた。
喧嘩をすることもなければ、警察沙汰にすることもなかった。
大学生は気まずそうに立ち上がると、お金を余分に置いて去っていった。
/
男「別に、お邪魔しちゃったわけじゃないよな?」
女「え、ええ……助かりました」
女の声は震えていた。
男「立てるか?」
男は女に手を差し出した。
女「……はい」
女が差し出した手は、震えていた。
男はそれを見て、差し出した手を引っ込めた。
男「別に、立ち上がる必要もないな」
男「まだ、時間あるんだろ?」
/
ただ、沈黙のまま二人は座っていた。
時間だけがいたずらに過ぎていった。
男がいつまでも黙っていると、女が口を開いた。
女「ここ数日、何をしていましたか?」
男「好きなように過ごしていたよ。考え事を整理したり、運動をしたり。図書館に行って、竹取物語も読んだ」
女「竹取物語ですか」
男「そしてなぞなぞを解こうとしたりさ」
女「なぞなぞ?」
男「出会ったばかりの頃、出してくれただろ」
男「男性の占い師がいた。彼は無料で診断すると言い、通りすがる女性に声をかけていた。ある日、女性が占ってもらうと、マニアックな趣味から家族構成までことごとく内容をあてられた。何故占い師は、女性についてことごとくあてることができたのか」
男「答えはこうだ。男は全く同じ内容の占いを、通りすがる全ての女性に言い続けてきた。そして、それが見事にはまる女性が1人現れただけだった」
男「多分それは、男が自分の好みを凝縮した内容だったんだろうな。自分の理想の恋人とマッチングしたかっただけなんだ。新手のナンパだ」
男「レンタル彼女と真逆だよな。理想を探し続けるか、出会った相手に理想になってもらうか。そして君は、理想を演じる天才だった」
男「君の客になった男は、君しかいないと思うようになる。盲目的になる。だから今日みたいに、危険な目にもあう。あのまま俺が現れなかったら、どうするつもりだったんだ?」
女「……自分でなんとかできましたよ」
男「本当か?」
男は女を乱暴に地面に押し倒した。
女「……何をするんですか」
女のワンピースに手をかけて、目を見つめて言った。
男「抱いてもらえずに寂しいんだろ?あんたが金を渡してる、あの素敵な男からさ」
男の急な態度の変化に、一瞬混乱した表情を浮かべたが。
言葉の意味を理解したのか、女の表情が怒りに満ちた。
/
懐かしい臭いが溢れ出した。
暗い過去、悲しい過去、叫びたくなる過去が男を蝕もうとした。
意識をぎりぎりに保たせながら、男は言葉を続けた。
男「……お前、言ってたよな、大学時代に好きになった人と、結ばれなかった悲しい過去があるって」
男「あの男にお金を払って素敵な時間をやり直して。お前だっていつまでも過去に拘泥してるんじゃないよ。」
女「あなただけには言われたくないって言ってるでしょ!!彼女が出来たことも無いくせに!!」
男「ああ、出来たことも無い」
女「女の子にモテないんだから黙っててよ!!」
男「黙ってたら何も伝えられないだろ」
女「あなたの言葉に意味なんかない。誰もあなたのことを好きにならなかった!!」
男「でも俺は、ちゃんと人を好きになった」
女「一方的な理想の押しつけのくせに!!」
男「確かに、全ては勘違いの一言で済まされるような恋だった、結ばれるような恋などなかった。でも、それは偽物じゃなかった」
男「人をちゃんと、一生忘れられないくらいに、好きになることができたんだ。俺は人を好きになれる人だったんだ」
男「それは、俺が俺に、誇っていいことだったんだ」
女「誰も幸せにできなかった恋に、何の価値があるっていうのよ!!」
男「これからは誰かと一緒に幸せになれるよ」
女「誰があなたのことなんか好きになりますか!!お金を払わなければ彼女もできなかったあなたを!!」
女は男を否定し続けた。
これまでに見せたことがないほどの怒りの感情を剥き出しにしていた。
しかし、いつまでも意識を失わない男を見て、女は怯えているように見えた。
/
言葉の途切れた女に、今度は男が語りかけた。
男「叶わなかった恋がある人にしか与えられない、心の機微を見抜く眼っていうのがあるんだよ」
男「生きていく上で、何が大切かわかったんだよ。真実をちゃんと見抜いてあげることだったんだ」
男「相手の言ったこと、行動したこと、それらをそのまま鵜呑みにするんじゃなくて。全身全霊をかけて、相手がどんな人間なのか、相手が隠している善意はないのか、ちゃんと見抜いてあげる力が必要だったんだ」
男「付き合えば付き合うほど、ランクが上がるのは俺たち客だけじゃなかったろ?レンタル彼女達本人も、実績を積み上げることによってランクがあがって、より金払いの良い上席の客を案内されるようになる」
男「青春コンプレックスは繊細だからだ。お金で解決出来ない問題を、それでもお金で解決しようとするお金持ちを相手にするには、繊細さと経験を持ち合わせているレベルの高い彼女を同伴させなくちゃいけない」
男「今以上に稼いで、それで、自分の心を癒やしてくれる男に金をまわすのか。地獄の青春の始まりだな」
女「何よ……何が言いたいのよ……」
男「何が、ここにおはするかぐや姫は重き病をし給へばえ出でおはしますまじ、だ」
男「大学時代の男の子からのお誘いを断ったのも、ピアノの発表会を休んだのも、急激な体調不良なんかじゃなくて」
男「全部、”仮病”、だったんだろ」
パキン。
懐かしい匂いが、砕け落ちた。
女「……あぁ……」
女は抵抗する力を失い、ぐったりと腕を下ろした。
/
男「治療の大いなる第一歩は、病名を告げられることだって言ってたよな。仮病こそ、告げた瞬間に治る唯一の病気だ」
男「なあ。お互いもう、過去から逃げるのはやめよう。あり得たかもしれない過去を振り返り続けて、今を失ってしまうのはやめよう」
男はそう言うと、女の身体から退き、まくりかけたワンピースを直した
男「誰が付き合ってもない女に27年守り続けてきた童貞を捧げるかよ馬鹿」
女「……死ね」
女は震えながらも、上体を起こした。
/
女「半年ほど前、彼が結婚することを知ったんです。結婚式の案内状も届きました。式の日ももうすぐです」
男と女は少し離れた席に座った。
教室で手を繋がなかった日は、この日が初めてだった。
女「どうすればいいと思いますか?」
男「告白すればいいじゃん」
女「よくもあなたが簡単に言いますね。できません」
男「どうして?」
女「結婚するんですよ」
男「振られるなら問題ないじゃん」
女「何のために告白するんですか」
男「自分の気持ちと折り合いをつけるためだよ」
女「それで悲しむ女性が出てくるかもしれないことを、女は望まないんです」
男「それでレンタル彼氏に慰めて貰ってるのか」
女「あなただけには言われたくないですって」
/
男「なぁ。俺も生まれ変わるから、君も生まれ変わってくれよ」
女「生まれ変わるって、何から何に生まれ変わるんですか。人間から鳥にでもなるんですか」
男「死にたい自分から、生きてて楽しい自分にだよ。ゾンビから、人間に」
女「見栄とプライドと過去への執着でいっぱいのあなたが、変われる未来なんて想像できないですけどね」
男「今からでも間に合うよ」
女「26年間できなかったことを、どうして27年目でできるようになるんですか」
男「26年間悩み続けてきてくれた自分がいたからだよ」
女「あなたは変われません」
男「変われるよ」
女「また反動形成や臆病に襲われて、逃げ出すに決まってますよ。プライドだけは高いんですから」
男「プライドなんか捨てる。ちゃんと勇気を振り絞って立ち向かうよ」
女「それじゃあ証拠に、今からプライドを捨てるようなことをやってみてくださいよ」
彼女はニヤニヤしていた。
いつもの彼女とは違う、試すようないじわるな笑みだった。
/
女「できないならいいですよ」
男「……わかった」
男は、世界一の道化になるときめた。
男は携帯電話を開き、YouTubeのアプリを開いた。
女「何してるんですか?」
男「BGMを探してる。越天楽って知ってるか?」
女「えてんらく?」
男「神社とかでよく聴くプワ~ンってやつだよ。雅楽越天楽……あった」
男「では、はじめさせてもらうよ」
男は教室の後ろのスペースに移動した。
/
男「…………」
女「…………」
夕陽の差す教室で。
仁王立ちしている男が1人と、体育座りをしてそれを見ている女が1人。
緊張感と、奇妙さが入り交じる空間で。
日本古来の笛の音が、沈黙を破った。
男「よーお」
パン!
男は手を叩いた。
女は始まりを感じた。
男「……やあやあ。やあやあ」
ゆっくりと、相撲の四股を踏みながら男は呼びかけた。
男「遠からんものは音にも聞け。近くば寄って目にもみよ」
男「我こそは、貞操貫き27年」
男「童貞大将でござる」
そう言うと、女の周囲を非常に遅い速度で、阿波踊りをしながらまわった。
女「えっ?えっ?」
3周ほどまわると、男は阿波踊りをやめ、急に険しい顔つきをした。
男「……なにやつ!?」
突然、後ろに正拳突きをした。
男は小学生の時に習っていた空手の型を始めた。
男「成敗、成敗、成敗」
仮想の敵を、スローモーションで次々と倒して行った。
/
女は、意味もわからず吹き出した。
男は女の方など目もくれず、次は穏やかな表情を浮かべた。
男「……ついにたどり着いたよ、父さん。アトランティスへ……」
夜の宙を泳ぐかのように、心地よい表情を浮かべて背泳ぎをするかのように歩き出した。
越天楽のBGMが流れる間、男は奇妙な舞で寸劇をし続けた。
女「なにこれ。やばい、やばいですってこれ」
彼女はお腹を抱えて、ケタケタと笑った。
初めて聞く、下品な笑い方だった。
男はその後も、般若のような怒りの形相を浮かべながら屈伸運動をしたり、木の椅子を使ってポールダンスをしたり、常人には到底受け入れられぬ理解不能な空間を創造し続けた。
夕陽が、滑稽なピエロのゾンビを照らし続けた。
女はお腹を抱えて、涙を流しながらひたすら笑っていた。
/
世界一、不器用な時間だった。
バカバカしいだけの、意味のない時間だった。
それでも。
もしも、強く生まれていたら。賢く生まれていたら。愛されるよう生まれていたら。
決して出会えぬ時間だった。
今まで与えられてきた無数の二択を、絶妙な不器用さで全て間違えて来たからこそ出会えた夕方だった。
美しいとただ一度も言われたことのない人生で。
誰かに勝ったことが一つもない人生で。
時折差し伸べられたやさしさを全てはねのけてきた自分が。
27年間生きてきて、初めて、生まれてきたことの意味を理解した。
死にたいだけの人生だったけれど。
この世に未練や執着を抱いて、ゾンビになって生きていてよかった。
憧れたり、嫉妬したり、憎んだり、絶望してきてよかった。
人々が見捨てたこの廃校という地で。
自分と手を繋いでくれた女の子を、心の底から笑わせることができたのだから。
/
女「わ、わかりました。まいりました。降参です」
男「プライド捨てたのわかってくれたか」
女「ええ、ええ。でも、これを見て恋に落ちる女の子はいないですよ」
男「そりゃあ参ったな」
夕日が照らす廊下を、黒いワンピースを着た女と男は歩き出した。
二人は手を繋がなかった。
男「最後の日くらい、女子高校生の制服と赤いランドセルを身に着けて貰って、自転車の後ろに乗せて星を観に行きたかったな」
女「そういう変態行為はあなたにぞっこんの彼女でもつくってお願いしてください」
男「俺にぞっこんな彼女なんて未来に実在するのかな」
女「いると思いますよ。でもいいことを教えてあげましょうか?」
男「どうぞ」
女「背が高くてイケメンの彼氏と初体験を済ませています」
女はニヤニヤしながら言った。
男「いじわるなこと言うなよ」
女「だってあなたは彼氏じゃありませんもの」
男「その背が高くてイケメンな彼氏は、黒いワンピースの女の子には金でももらわないと一緒に過ごさないわけだ」
女「ムカつくことを言い返すようになりましたね」
男「だってあんたは俺の彼女じゃないからな」
女「ムカつくことだらけですね」
男「叶わぬことだらけだしな」
/
男「もしもさ、これから先に俺のことを好きになってくれる異性が現れても」
男「俺は、その人が青春時代を異性と過ごしたことに嫉妬して、別れてしまうのかな」
女「急に弱気になるんですね。この前ネットサーフィンをしてたら、こんな書き込みがありましたよ」
女「婚約者の夫が謳歌してきた過去の青春時代を思うと結婚がつらい」
女「もしもあなたと結ばれる人が、あなたと同じような過去を送ってきた人ならば、あなたの青春が空っぽだからこそ救われる女性もいるということじゃないですかね」
男「空っぽ同士に満たされるカップルか」
/
女「男さんが好きだった人は今頃どうしていますかね」
男「さあな。でもさ、昔好きだったその人が今現れても、なんで好きになったのかわからないと思うよ」
女「よくある話ですね」
男「過去のゾンビの俺に言ってやりたいよ」
男「夏祭りだのクリスマスツリーだの、手をつなぐ純情だの色々言ってるけど。お前はつまるところ、その青春時代に、その子とセックスしたかっただけなんじゃないの?って」
女「別にいいじゃないですか。御セックスしたいと思ってたことくらい」
男「ひねくれた青年は過度に性欲を否定するもんなんだよ」
女「どうでもいいですね」
男「な。どうでもよかったな」
男「仲良くなりかけた異性をいつまでも引きずるのはさ。その人以上に優れた女の子とセックスできない状況だからなんだ。その人以上に優れた女の子とセックスできる関係になれば、過去の恋愛なんて良い思い出として引き出しかゴミ箱に投げてしまえるものなんだよ」
女「純愛主義者とは思えない発言ですね。こういう話の場合、いくら美少女をとっかえひっかえ抱いても過去のたった1人が忘れられなくて満たされない、というものじゃないんですかね」
男「それは、手に入れたくても手に入れられなかったものを、手に入れたくないと決めつけて、手に入れられるようになった時が来ても手に入れようとしない人たちの話だよ。過去の敗北を認めることになるから」
男「すっぱいぶどうが落ちてきたら、俺は拾う人間になるよ」
女「美少女をとっかえひっかえ抱いて満たされたい宣言ですね」
男「1人と出会えれば満たされるよ」
女「相変わらず中途半端な男です」
/
男「人生うまく行かないもんだな」
女「全くですよ」
男「今日も大嫌いなことを、大好きな人と語り合うのが夢だったんだっけ」
女「ええ。叶わぬ夢です」
男「せめて、大嫌いなことを、大嫌いな俺と語り合おうよ」
女「面白いですね。夏への未練は薄まりそうです」
男「お得意の好き避けだよ。見るからに美しいものを否定するだけ。糖度100%のすっぱいぶどうだ」
女「私からいきますね。終電の改札前で別れを惜しむカップル」
男「小学校の夏休み最終日。終わっていない宿題」
女「浮かれた顔で一本締めをする大学生のサークル集団」
男「中学校の夏休み最終日。終わっていない宿題」
女「自転車で二人乗りをして下校する制服姿の学生」
男「高校の夏休み最終日。終わっていない宿題」
女「ベンチに座ってイヤホンを片方ずつ差して音楽を聴く男女」
男「大学の夏休み最終日。終わっていない課題」
女「どんだけ宿題に追い詰められてきたんですか」
/
男「なあ、これからもあの男にお金を払い続けるの?」
女「さて、どうしましょうかね」
男「やめるべきだよ」
女「そうでしょうね」
男「レンタル彼女もやり続けるの?」
女「さて、どうしましょうかね」
男「極めるべきだよ」
女「そこはとめないんですね」
男「君には、男の子を現実で幸せにさせようという意思を感じたから」
女「危険な目はもう懲り懲りですけどね」
男「君と出会った男の人は、君以外の女性の人と、人生をやり直す意思を得られるから」
女「へえー、そうですか」
男「そうだよ」
/
女「男さん」
男「はい」
女「明日、告白してきます」
男「お金を払ってデートしてる男に?」
女「いいえ。本物の人です」
男「そっか」
女「彼は、婚約者です」
男「うん」
女「昔ずっと好きだったって伝えます」
男「うん」
女「でも、幸せになってくださいって伝えます」
男「そうか」
女「私も頑張るから。男さんも頑張ってくださいね」
/
男「女、一ついいかな。大事な話があるんだ」
女「はい」
男「好きでもない人から言われても、何の価値もない言葉かもしれないけど」
男「俺は、君のことが好きだ。俺と、付き合ってください」
女「……そうですか」
男「…………」
女「ごめんなさい」
女「好きな人がいるんです」
男「うん。知ってる」
女「…………」
男「あのさ」
女「はい」
男「今まで、好きでいさせてくれてありがとう」
男「幸せになってください」
男は女に微笑んだ。
夕焼け小焼けのメロディーが流れた。
防災行政無線のチャイムが、平成最後の夏に、別れを告げた。
/
黒塗りの車が迎えに来た。
女「それじゃあ、さよならです」
男「ちょっとまってて」
男は財布を取り出そうとした。
しかし、女がその手を抑えた。
女「今日は、あなたの彼女じゃありませんでしたから」
男「……つい。悪いくせだな」
女「次会う女の子にも、貢ぎ過ぎちゃ駄目ですよ」
男「はいはい」
女「それでは、さようなら」
男「ああ。さよなら」
女が車に乗り込んだ。
一つ気になる事を思い出して、男は問いかけた。
男「あのさ!」
窓から顔を出して、女はこちらを振り返った。
男「あの黒いノート、何が書かれてたの?」
女はニッコリと笑って答えた。
女「なーんにも!」
男「はぁ?」
女「ばいばい!」
/
廃校に、男は1人取り残された。
秋も近くなり、肌寒さを感じた。
誰もいなくなった校庭で、男は叫んだ。
男「何が平成最後の夏だ、うるせーばか!!」
夏だけが、青春の季節かもしれない。
学生だけが、青春の時代かもしれない。
けれど。
好きな人が隣にいる時間に、勝る時間などないのだろう。
過去がそうであったように。
未来においても。
男「このままの自分じゃ、このままなんだな」
男「変わらなくちゃ」
あるがままの自分には、あるがままの鳥しか来ない。
カラスと結ばれてもいいのならゴミのままでもよいけれど、青い鳥と結ばれたければ逞しい樹になるしかない。
努力に見合った人生ではなく、魅力に見合った人生があるから。
男「純愛主義者のふりをしてたけど。5人も好きになってたんだもんな」
男「運命の人はいる。ただし、多数」
男「失恋したって。いくらでも、やり直せるよ」