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序章 『自殺未遂と単価1万円のボーイミーツガール』

学生時代の夏。空っぽの心を音楽と小説で満たそうとして、失敗に終わった。




男「グボボボボボ!!!!」


バタバタバタ!!


ドタドタドタ!!


ドアガラスが割れた。


カーテンレールがひしゃげた。


生存本能に逆らう状態になると、人間の身体はその状況を乗り越えようと全身で抵抗をする。


心が死を望んだにも関わらず、脳と身体は生き延びようと暴れ狂った。


男「グモモ……!!」


ベルトを首に巻き付けたまま、泥酔していた独り暮らしの大学4年生は床に落ちた。




何のために生きてきたかわからない、23年間だった。


小学校も、中学校も、高校も、大学も。


ぜんぶ、正しくなかった。




恋人が、できなかったのだから。


/



数週間後。


男「よっす」


「あ、男やっと来たよ。卒業式に遅刻なんてさすがだよ」


男「わりぃわりぃ。二度寝しちゃってさ」


「みんな、もう一回写真とろ」


「はい、チーズ!!」


まさかみんな、数週間前に、俺が自殺未遂をしていただなんて夢にも思わないだろう。


馬鹿みたいな話で笑ってくれる男友達と。


やさしく接してくれる女友達に囲まれながら。


あの日、突然の衝動に駆られ、やけ酒をしてしまって。


どういうわけか、この人生を終わらせようとしてしまった。


「じゃあねー!これからも、またみんなで集まって飲みに行こうね!!」


男「おうよ!」


「ばいばい!」


自分を大切にしてくれた人達に別れを告げた。


/



男「ただいま。久々の実家だなぁ」


母「おかえり。4年間お疲れ様でした」


父「お父さんも動画いっぱい撮ったぞ」


母「おやつに葡萄買ってきてあるわよ」


両親ともに仲が良く、愛情をたくさん注いでくれた。


なのに。


男「…………」


この虚しさの正体は。


/


男「ああー。俺の人生」


男「なんにも、なかったな」


小学校で6年間。

中学校で3年間。

高校で3年間。

大学で4年間。

おそろしいほどに長い時間、異性と過ごす機会を与えられていたと言うのに。

俺は、たった一人の女性からも、認められることがなかった。

俺は、誰かにとっての、誰かになることができなかった。




青春は、用意されるはずのものだと思っていた。


小さい頃に見上げていたお兄さんやお姉さんが手に入れていた日常の輝きは、いつしか自分も手に入れるものだと当然のように思い込んでいた。


だが、そんなことはなかった。


自分がそれを欲しいと強く思うだけのことと、それが手に入ることには、関係がなかった。


生きてる価値のない学生時代を生きたおかげで、何のために自分は生きたかったのか一つの答えを見つけた気がした。


男「自分を認めてくれる異性と、たった一人でいいから結ばれたかった」


でも、大学まで卒業した今、何もかもが手遅れだと思った。


/


男はそのまま社会人になった。


信用金庫の営業マンとして働いた。


男「おかしいだろ、今月のノルマ」


カード契約してこい。

旅行の契約してこい。

保険の契約してこい。

金貸してこい。

小規模企業共済の契約とってこい。

年金受給者探して契約してこい。

国債売ってこい。

投資信託売ってこい。

相続関連の話もってこい。


男「自分でもよくわかっていない商品を売らなければいけない。というか、なんで旅行の販売までしなくちゃいけねんだよ」


男「まるで複数の会社で働いているようだ。そのくせ今月で達成しなければならない項目を何一つ達成してない」


男「意味わかんねーな。でも、取れてるやつは取れてるもんな」


男「彼女が一人もできたことのない俺には、やっぱり、無理なのかな」


男「彼女のいるやつなんて、無敵に見えちゃうな」


/


入社してから5年目の7月、転職先も決めないまま男は退職した。


給料は世間的には高い方だったが、貯金額は160万円程度だった。同世代では500万円以上貯めている友達もいる。


自分が何に費やしたか正直なところ記憶にない。ただ、日々溜まるストレスを浪費に費やしていたのは間違いない(アマゾンからしょっちゅうダンボールが届いていたし、スマホゲームでは課金して手に入れたキャラクターがたくさんいた)。



実家に帰省すると、親はのんびりしなさいと言ってくれた。


地方公務員の一般職を目指して勉強するから1年間猶予をほしいと言うと、喜んでくれたくらいだった。


しかし、予備校探しも何もしないまま、スマートフォンでネットサーフィンをしているうちに2週間が過ぎていた。


じわり、じわりと、日々焦燥感が募っていった。


それでも、身体に重くのしかかる気怠さによって行動する気にはなれなかった。


時折、階下から両親が自分について心配そうに話し合っている声が聞こえた。


/


男「俺、なんで生きてるんだろうな」


男「何にもない人生だったな」


男「…………」


男「旅にでも出ようかな」


自分探しの旅、とはよくいうが。


男は、全ての知り合いから姿をくらましたいという気持ちが強かった。


男「探さないでください、の旅だな」


旅行に行く旨を告げると、気をつけて気分転換でもしてきなと両親は笑顔で送り出した。


母はどことなく涙を堪えているように見えた。


男「……つくづく甘い親だな」


胸が締め付けられる感じがした。


/


電車を乗り継ぎ、日本国内を行く宛もなく旅した。


九州へとたどり着いたとき、ふと、母方の祖母の家に行ってみようと思いたった。


祖父は10年以上前になくなっており、祖母は2年前から老人ホームで暮らしている。


男「宿泊費を抑えたいしな。ネットカフェで寝ても腰が痛いし」


男「それに、あそこなら、懐かしい気持ちに浸れるし」


男「なにより。人がいないからな」




最寄り駅からはタクシーを使い、山奥へと着いた。


懐かしき、ぼろぼろの木造の家にたどり着いた。


男「この家、今後どうするんだろう。お母さんの兄弟が引き取るのかな」


男「とりあえず中に入るか……って、やっぱり鍵がかかってるか」


男「鍵は誰が管理してんだろ。うちの親戚だよな多分」


無職になってここにたどり着き、しばらく泊まりたいので鍵を郵送してほしい。と電話で伝えるところを想像した。


男「……ねーわ。仕方ない」


男は、石を拾い、窓ガラスを割った。


/


バリン!!と大きな音が山奥に響いた。


注意深く手を差し込み窓の鍵を開けると、キッチンから侵入した。


男「ご近所さんもさっきいなかったみたいだし。大丈夫だろ」


男「はは、何やってんだろ。つい一月前まで、中小企業の社長さんに融資の交渉してたのに。今じゃ自分のおばあちゃんちに、窓ガラス破って不法侵入してんだから」


試しに水道を捻ると、水が流れ出た。


電気のボタンを押すと、明かりがついた。


男「……キッチンのガスはプロパンガスだから関係ないとして。電気と水は多分自動振替で料金を支払ってるんだ」


男「家具にも埃が溜まってない。定期的に叔母さんが掃除しに来てくれてるってことか」


男「まずいな。これいつ帰ってくるかわからないぞ」


自分で割った窓ガラスを見て、じわりと汗をかいた。


焦燥感に駆られながら家の中を歩き回っていると、居間にかけられた1枚の年間カレンダーが目に入った。


男「赤丸が描いてある。スケジュールが書き込んであるな。メモ書きのつもりで書いたんだろうな」


男「うっわ、あぶね!8月19日に丸してある!おととい来てたのか!」


男「次回の訪問予定日は9月23日。秋分の日か」


男「数日泊まるくらいなら大丈夫だろう。極力、電気代とガス代は使わないようにしておかないと」



男は祖母の家に一人で泊まった。


ここまではタクシーで来ており交通手段もなかった。


近所には田んぼや民家ばかりで、何十分も歩かないと市街へと出れなかった。


男「金だけは少しあるからな」


男「その他のものは、なんにもないけどな」


/


男「ここ、確か廃校になったんだよな」


深夜。


男は校門を乗り越えて、元々中学校だった校舎に足を踏み入れた。




数日間泊まっただけで、男の生活は昼夜逆転していた。


昼過ぎに目が覚めては、市内まで長時間かけて歩き、必要最低限の生活品の購入や、食事を済ませるだけの日々を過ごした。


夜中に、無性に何かしなければいけないという衝動に駆られて、行く宛もなく歩き出すことがあった。


幼い頃は、夜中に歩く不審者を恐れる立場であったが、今は自分が不審者側なのだという妙な安心感があった。


男「廃校のほとんどは交流施設やら老人福祉施設やら再活用されてるってテレビで見たことあるけど、ここは今何に使われてんだろうな」


/


教室内には月明かりが差していた。


男「小さい頃の俺じゃ怖くて絶対来れなかったよな」


男「いつから夜が怖くなくなったんだっけ。いつから昼間にいる人間の方が怖いと思うようになったんだっけ」


男「いつから、暗闇なんかよりも、自分の闇のほうが深いって思うようになったんだっけ」


男は椅子に座った。


固くて座り心地の悪い、木製の椅子だ。


男「懐かしいな。俺の中学校となんら変わりないや」


男「俺もあの頃から、何かが変わったのかな」


男「あの時なりたかった俺って、どんな大人だったのかな」


男「よく、わかんないけどさ」


男「たった一人でいいから」


男「”彼女”がいて欲しかったよ」


数年ぶりに、涙がこぼれた。


どれだけ上司や客先に怒鳴られても、人格を否定されても泣いたことなどなかったのに。


/


男「……ひどいよ。ひどすぎるだろ」


男「どうして俺だけ、ずっと孤独なままなんだ」


大学時代に特に思っていたことだった。


人の輪に交じろうと、男女が半々のサークルに入った。


そこにはたくさんの男の子がいた。


自分より背の低い男がいて、綺麗な女の子と手を繋いでいた。


自分より頭の悪い男がいて、聡明な女の子と手を繋いでいた。


自分より顔の悪い男がいて、可愛い女の子と手を繋いでいた。


俺は、あいつより背が高く、あいつより頭はよく、あいつよりましな顔だったはずだ。


性格がとびきり悪いというわけでもない。


男「自分よりすべてが劣っている男にも、みんな彼女がいたのに」


男「どうして俺だけ、認めてくれる異性が現れてくれなかったんだ」


/


そのまま机に突っ伏していた。


もう、何もやる気がでなかった。


努力さえすれば、自分が何かを生み出せる人間だと仮に言われても。


それを提供する異性の女の子がいない人生は、あまりに生きるに張り合いがなかった。


夜の静寂が、あまりに寂しかった。





ふと、明るさを感じた。


月の角度が変わり、自分の顔を照らしたのだった。


顔を上げ、黒板を見つめた。


さきほどまで、気づかなかったのだろうか。


黒板にチョークで、こんな文字が書かれていた。


『ボーイミーツガール 一時間10,000円』


文字の下には電話番号が書かれていた。


/


男「……どういう意味だろう」


男「でも、あれか。こんな人気のないところで、女を呼び出すって意味だとしたら」


男「援助交際の類か」


男は携帯電話を取り出した。


電池が20%ほど残っていた。


男「初めては好きな人と、そんなことを思い続けてとうとう27才か」


男「もう、どうでもいいよ」


男は電話番号を入力した。


/


男「もしもし。今校舎の中に書かれた番号にかけてるんですけど……」


『お名前と生年月日をお答えください』


男「えっ、いきなり?名前は……」


オペレータの質問に淡々と答え続けた。


『ご予約を承りました。午後16時30分から17時30分までのご利用となります。規約に違反しないよう、くれぐれもお気をつけくださいませ』


男「えっ、規約違反?サービス内容聞いてないんだけど」


男の質問に対して、オペレータの無機質な声が答えることはなかった。


電話の通信が切れた。


男「今の自動音声案内か?こういうサービス利用したことないから勝手がわからないけどさ。それにしても不自然過ぎる」


男「いたずらとか、ワンクリック詐欺の類かもしれないな。やばいな、電話非通知でかけておけばよかった」


男「今深夜の1時だから……半日後じゃんかよ」


男「とりあえず、ここで寝るか」


廃校の教室の後ろ側で、男は床に横になった。


完全な昼夜逆転生活のおかげで、なかなか寝付くことができなかった。


それでもなんだか、この校舎を離れて家に帰る気にならなかった。


結局、朝日が出て、太陽がすっかり上ってきた頃になって。


男はようやく、瞳を閉じた。


/


懐かしい匂いがした。


隣を見ると、小学生の女の子が黒板の前で手に傘を持って笑っていた。


再び懐かしい匂いがした。


後ろを振り返ると、中学生の女の子がパンクした自転車を前に苦笑いしていた。


懐かしい匂いは続く。


前を向きなおすと、高校生の女の子が映画館のスクリーンの前で堂々と話しかけてきた。


花火の音がしたかと思うと、浴衣姿の女の子が星空を指さした。


多幸感で胸がいっぱいになった。


この気持ちを伝えなければいけない。


たった3文字で充分なのだから。


男は彼女らに向かって、叫んだ。


『近寄らないでくれ!!』


男は思わず自分の口を手で抑えた。


女の子たちは、とても悲しそうな顔を浮かべて、男のもとを去っていった。


/


男「うわっ!!」


夢から覚めて、男は目を見開いた。


教室には太陽が射していた。


右手に温かい感触がしていたので、目を遣ると誰かと手を繋いでいた。


上から、美女が覗き込んできた。


男「う、うわぁ!!」


男は身体をのけぞらせた。


ごつん、と、木の床に頭を打ち付けた。


男「いてて……」


女「こんにちは」


男「……何事だ」


女「膝枕をしていたんです。16時30分から始めてもう40分経過しました。さすがに足がしびれました」


女「一日もそろそろ終わりを迎えてしまいますよ」


男は顔をあげた。


頭を整理しようとした。


ボーイミーツガールと書かれた黒板の番号に電話をかけて。


昼頃に眠りに落ちて、目が覚めると、綺麗な顔立ちの女の子がいた。


男は、尋ねた。


男「君は、デリヘル?」


女「いいえ、彼女ですよ」


やけにニコニコと笑いながら、寝ていた男を起こしてくれた。


女「あなたの青春コンプレックスに、潜り込みに来たのです」


女「青春ゾンビさん」


真っ黒いワンピースを着た女性は、はにかんだ。




・・・


“青春コンプレックス”


廃校で出会った女から、男は症状を告げられた。


ありきたりに浮かぶ真夏の象徴への殺意。


それは白い入道雲。


プールの消毒液の匂い。


真夏のアスファルト。


椅子の裏に吊るされた雑巾。


掲示板に刺された画鋲。


給食袋をかけるフック。


線路の上を歩く、麦わら帽を被った、ワンピースを着た少女。


手に入れたかった、二度と手に入らない青春。


「あの時ああしていれば」


同性の親友もいた。


尊敬できる先生もいた。


愛情深い親もいた。


なのに、振り向いてくれなかった、たった一人の女の子。


隣にあの人がいないというただそれだけで、人生は絶望そのものだった。


「だから、今から過去をやり直してみませんか?自分の未来と引き換えに」


次回『持てる者のプライド。モテない者のプライド』


あり得たかもしれない過去は、諦めるには美しすぎた。



/



女「どうされました?具合が悪いなら保健室に行きますか?」


男「あの、質問があるんだけど」


女「どうぞ」


男「君は、俗にいう、レンタル彼女なの?」


女「はい、あなたの彼女です」


男「でもお金はかかるんだよね」


女「一時間につき10,000円頂いています」


男「それで、何をしてくれるの?」


女「こうやって、一緒にデートに行くことになります」


彼女は手を差し出して、手をつないできた。


何かのイベント事を除いては、初めて女の子と手をつないだ瞬間だった。


男「…………」


しかし、男は手を振りほどいた。


男「ぼったくりにもほどがあるだろ……」


男は頭を抱えた。




/



男「いくつか言っておきたいことがあるんだ」


女「なんでしょう」


男「俺は自意識が過剰な人間だということだ。これは君を傷つけたくないというよりは、俺が傷つきたくないから言うんだけど」


女「何でも話してください」


男「俺は、それなりに賢い人間だと思ってる。幼い頃から読書をしてきたし、男子の間ではそれなりに上手なコミュニケーション能力を発揮してきた。仕事でも個人と法人相手に様々な営業をかけてきた」


男「だからプライドがある。今まで女の子とまともに関われなかったのも、このプライドの大きさが原因だったとさえ思うほどにね」


男「今こうして手を繋ごうとしてくれても『この子は金銭の支給と引き換えに、恋愛の疑似体験という役務の提供をしようとしているに過ぎない』と頭の中では冷静に考えている。俺の場合、ドキドキしないどころか、少し虚しささえ感じる」


男「君はマニュアルに従って俺を落とそうとしてくれるだろうけど、おそらく俺はそれにのめり込むことができない」


男「だから、悪いけど、君が望むような良い彼氏にはなれそうにない」


女「では、ここで問題です」


男「問題?」


/


女「男性の占い師がいました。彼は通りすがる女性に声をかけて、無料で診断を行っていました。ある日、女性が占ってもらうと、マニアックな趣味から家族構成までことごとく内容をあてられました。何故占い師は、女性についてことごとくあてることができたのでしょう?」


男「ええー……」


女「時間切れです」


男「はやいよ」


女「第二問。このノートには何が書かれているでしょう?」


そういうと、女は黒色の背表紙のノートを取り出した。


男「なんだそれ。名前でも書くと人を殺せるのか」


女「平成3年10月31日生まれ。経済学部出身。元信用金庫営業マン。男さん、お答えください」


男「……俺の個人情報か」


女「お見せもお答えもできません」


男「学歴も職歴も伝えた覚えないぞ。1日で調べたのか?中身を見せてくれよ」


女「駄目ですよ。個人情報保護の世の中ですから」


男「俺の情報だろ」


女「でも、これで安心したでしょう?あなたは私の理想の彼氏になろうと頑張らなくたっていいのです」


女「私が、あなたの望むような、理想の彼女になるんですから」


女「男さん、これからよろしくですよ」


彼女は再び手を差し出した。


男はその手を弱い握力で握り返した。


男「……はいよ。ところで、さっきの占い師の問題の答えは、その男が興信所の社員か探偵かなんかだったからか?」


女「答えは、運命の人だったからですよ」


男「なんだそりゃ」


女はニコニコと笑っていた。


/


女「さて、まだお時間がありますよ。何かお話したいことはありますか?」


男「お話なんかしないよ。さっきも言ったけど、君の理想に彼氏にはなれない。今まで散々プライドを保ってきたのに、君に負けるようなことはしたくないんだ」


女「負けるとは?」


男「君を好きになるということだよ」


女「好きになっちゃいそうですか?」


男「自分の思っていることを口にだすのは一種の逃げだよ。プライドが高い人が使う言い訳の手段だ。ある意味、それはのめり込まないように気をつけるという決意表明でもある」


女「おプライドがお高いんですね」


男「プライドが高い人ほど、女性の前では無力だと思うけどね。自尊心を利用されるだけだ。キャバクラに大金を注ぎ込む馬鹿なオヤジがいかに多いか」


女「注ぎ込めるほどの大金をお馬鹿な人は稼げないと思いますよ。キャバクラ嬢に大金を注ぎ込むその行為自体が、お金を稼ぐ能ある人だと証明しているわけですから」


男「じゃあなんで能あるオヤジたちは大金を実らない恋に注ぎ込むんだ」


女「あなただって、脳内に浮かぶ実らなかった過去の恋の回想に時間を注ぎ込んでいるそうじゃないですか」


女は黒いノートを、パラパラとめくりながら言った。


男「どこまで書いてあるんだよそれ。それにしても、お客様に対して失礼な口利きだな」


女「いいえ、お客様ではなく私の彼氏ですよ。お客様は神様ですが、彼氏は対等な人間ですから、失礼な口も利きますよ」


男「あんたは彼氏に会話料を請求するのか?」


女「デート代は全部彼氏持ちとなりますね」


男「良い商売だな」


女「何がでしょう」


男「たった1時間話すだけで1万円。こんな原価のかからない商売があるかよ。あんただって、プライベートでは男友達や彼氏と何時間でも話すのに、お金は取らないんだろう?」


女「ですから彼氏からは一時間につき1万円を貰っていますって」


男「はいはい、設定を守るプロ意識は認めるよ」


/


男「でも、何から始めればいいかわかんないよ」


女「元々違う目的で呼んだみたいですしね」


男「悪かったよ」


女「では、何から始めれば良いかについて話し合いましょうか」


男「何から始めればいいんだ?」


女「私との恋愛です。簡単でしょ?」


男「疑似恋愛で時間を重ねるだけなんて虚しいだけだ」


女「脳内で好きな人を思い浮かべるのも疑似恋愛ですが、あなたは毎日夢中になっていたみたいじゃないですか」


男「俺の何を知ってるんだよ」


女「これから知っていきます。私はあなたと会ったのが今日が初めてですが、あなたの彼女です」


女「これってすごいことですよ。だって、女の子が告白を断る定番の言葉は、”あなたのことをまだよく知らないので……”ですもの」


女「つまりですよ。女の子は知ってからしか相手を好きにならないんです。お互いを知るために付き合うなんてことしないんです」


女「一目惚れであろうが。ハンカチを拾って貰っただけであろうが。女の子がその人との交際を認めているのなら、それはもう、ある程度自身を捧げてもいい相手だと知っているということになるんですね」


男「なるほどな。じゃあ、1時間で1万円をわたしてくれる相手は、自身を捧げてもいい相手だと知ったわけか」


女「まぁまぁ。私の使うかぼちゃの馬車の交通費を奢ってるのだと思って」


男「シンデレラか」


/


女「好きな人とやってみたかったこと、私とやってみたらいいんですよ」


男「急にそんなこと言われたって」


女「それじゃあ、次会う日までに考えておいてください」


女がそう言うと、夕焼け小焼けのメロディーが田舎の山奥に流れ出した。


女「17時30分を告げる防災行政無線です。良い子も悪い子もお家に帰らなければなりません」


男「定刻になったのか」


男は財布から5千円を取り出した。


男「釣りはいらない」


女「足りませんよ」


男「え、だって、20分間だろ、あんたと会話していたの」


女「あなたが寝ているときから膝枕をして手を繋いでいましたよ。きっかり1時間です」


男「わかったって。払うよ」


/


女「言いたげですね」


男「何を?」


女「この1万円があれば、何ができただろうって言葉です」


男「ああ、ちょっとね」


女「1万円のあなたにとっての最善の使いみち、教えてあげましょうか?」


男「頼むよ」


女「私とデートすることです」


男「はぁ?」


女「それではまた明日!」


そういうと女はてくてくと、教室を出ていった。


男「お、おい!」


靴下のまま昇降口まで追いかけると、校庭には黒塗りの自動車が駐車されていた。


女はそれに乗り込み、どこかへと消えてしまった。


夕方の廃校に、男はひとり取り残された。



/



女「こんにちは」


教室に入った女は男のそばにより、いきなり手を繋いだ。


女「また呼んでくれたのですね、嬉しいです」


男「昨日は何が何だかわからないまま終わっちゃったからな。それにしても、また手をつなぐのか」


女「また手をつなぐんですよ」


男「手を繋ぎながら話すのって慣れないんだけど」


女「男性は2つの処理を同時に行うのが苦手だっていいますしね」


男「そういう問題じゃなくて」


女「どちらかしかできないなら、手を繋いでてくださいね」


男「しゃ、喋れるよ」


/


男「聞いちゃいけない質問だって思うけど聞いてもいいかな?」


女「聞いちゃいけない質問だった場合怒るので大丈夫です」


男「どうしてこの仕事をしてるの?」


女「それは彼女に、どうして俺の彼女になってくれたの?って聞くのと同じことですよ。やりたいからですよ」


男「娯楽でやってるって解釈でいいの?」


女「彼氏と会うのは確かに娯楽といえば娯楽なのでしょうね」


男「曖昧な回答は困るな。俺は命がけであんたを呼んでるんだよ。1万円っていうのは大金なんだ」


男「失業保険が支給されるまで3ヶ月かかるみたいだし、その間俺は貯金だけで暮らしていかなきゃいけない。あんたに貢いでいたら、あっという間に貯蓄が尽きる」


女「でも、お金で買えない価値を、お金で買えるチャンスがまわってきたのかもしれないですよ」


女「今から過去をやり直してみませんか?自分の未来と引き換えに」


男「餓死しろってか」


女「思い出でお腹いっぱいにさせましょうよ」


男「ああいえばこう言うやつだな」


女「ああいえばこう言う彼女です」


/


女「ところで、私としてみたいことは決まりましたか?」


男「……うーん」


女「悩み中ですか」


男「無いとは言わないんだけど、それが何なのかわからない」


女「でしたら、過去の思い出しごっこしませんか?」


男「なんだよそれ」


女「あなたには忘れられない女の子達との思い出があるはずです。あのときああしておけばよかったって後悔しているシーンがいくつも。それを一緒に振り返るんです」


男「過去の傷口を舐めるのを見させてくれってか。そもそも、一度傷跡がふさがった傷口を舐めるのに、意味なんてない気がするが」


女「他に何か良い提案がありますか」


男「俺に、彼女ができるように、いろいろ教えるとかどうだ」


女「彼女ならここにいるじゃないですか」


男「そうじゃなくて。旅の恥はかき捨ての精神で言うけど、26才にもなって今まで1人も彼女が出来たことがないんだ。彼女の作り方がさっぱりわからない」


男「だから、こんな俺もさ、女の子と付き合えるように……」


女「最低です!!彼女を目の前にして浮気宣言だなんて!!」


男「今そのプロ意識はいらないから!」


/


女「浮気はだめですよ!」


男「そんなのわかってるって」


女「でも、どうして駄目なんでしょうね」


男「はい?」


女「それは、私の遺伝子が、生存することを望むからなのだと思います」


男「急に生物の話か」


女「私とあなたの間に子供が生まれたとして、あなたが私以外の女性と関係を持ったら、私と私の子供に与える食料が少なくなってしまうじゃないですか。だから浮気は許せないのだと思います」


女「逆に考えるならば、浮気を許せなかった人達が、長い淘汰の歴史の中で多く生き残ったというわけです」


男「浮気を許容する文化のある国もたくさんあるだろう」


女「さて、どうだか。私は日本以外の国が実在しているかさえ疑っていますもの」


男「海外行ったこと無いの?」


女「ありますよ。オーストラリアです」


男「あるのかよ。どこ行ったの?」


女「その質問に答えられる一般人の方をとても尊敬してしまいます。私は旅行先でどこを見に行ったのか、覚えた試しがありません」


男「旅行が嫌いなの?」


女「脳内で考えることが好きなのです。あまりに好きすぎて、どこへ行っても考え事に夢中になるあまり、自分が今どこを歩いているかそもそもわかっていなかったのです」


/


男「なんだそりゃ。まあ、俺も旅行は嫌いだったけどな」


女「そうなんですか」


男「旅行にいっても楽しくないのは、どこにいってもこの自分だからだ。自分探しの旅に逃げるような奴は旅行に向いていないんだ。今いるコミュニティで輝いているような奴が、旅行に行っても楽しめる」


男「どこに行っても、自分の居場所を感じられるような恋人がいるからな。恋人がいないと一人旅も楽しめない」


女「一人旅は一人では楽しめないなんて、通なことを言いますね」


男「こんなひねくれたことを言ってるから俺は人生の一人旅をすることになったのかもな」


女「おっ、座布団2枚」


男「いらないわ」


女「そうでしたね。座布団1枚」


男「誰がお一人様だ」


/


男「さっき考え事ばかりしてたって言ってたけど、何を考えていたんだ?」


女「思い出せません」


男「じゃあ何の思い出もないじゃん」


女「私はそこでも何かを考えていた、という事実があれば大丈夫なのです。赤子時代に思い出がないことを嘆く人はいませんが、みんな赤ちゃんに戻りたいって言うでしょう?安心感の体験は心に残っているのです」


男「赤ちゃんに戻りたいなぁ」


女「追加料金100万円になります」


男「誰も赤ちゃんプレイしたいなんて言ってねえよ」


/


男「話が逸れたな。というか逸らされたな。それで、なんだったっけ」


女「あなたの過去を振り返るお手伝いはもちろんします」


男「はい」


女「新しい彼女をつくるアドバイスというのは、私にはできません」


男「ええー!」


女「当たり前です。どこの彼女が、彼氏に浮気の方法を教えてあげるんですか。そんな心構えじゃいつか大切な人と結ばれても見捨てられますよ。私を大切にすることだけ考えてほしいものです」


男「レンタル彼女は特別だろ。頼むって。今年の夏中にはつくりたいんだ」


女「どうしてですか?今好きな人でもいるんですか?」


男「そういうわけじゃないんだけどさ」


男「今年って、平成最後の夏だろう?」


男「平成3年に生まれてから、一度も恋人と夏を過ごせないまま、平成を終えてしまうなんて寂しすぎるじゃないか」


女「…………」


男「自分勝手なのはわかるよ。自分のコンプレックスのために季節を選んで彼女をこしらえようだなんてのは失礼だってこと」


男「でも、これが本音なんだ。女の子だって、クリスマスとか、バレンタインの前に彼氏がほしいっていうじゃんか」


男「俺だってさ。一度でいいから、彼女と、彼女とさ……」


/


女「…………」


女「大丈夫ですよ。彼女なら今ここにいます。何回でも言いますよ」


女は男と繋いだ手に、ぎゅっと力を入れた。


男「期間限定じゃないか」


女「何事も期間限定ですよ。平成だって期間限定です。人間の寿命だって」


女「どうせ終わるものを無価値だというのなら、すでに終わっていた青春を取り戻したいと嘆くのはますますおかしいことですよ」


女「一朝一夕には終わりませんが。少しずつ、あなたの青春の傷跡をなぞっていきましょう」


男「一朝一夕どころか、一夕だけだけどな」


/


男「まぁ、俺が全財産を失う前にリハビリが終わることを祈るよ」


女「そうですね、うかうかはしていられません。青春を急いでかき集めなくてはいけませんね」


女「まずは花火とプールと肝試しと映画と遊園地と……」


男「詰め込みすぎかよ。青春を満たすなら計画的に」


女「青春は計画的に、ですか。いいですね。平成最後の夏は、計画的な青春を」


男「どこから手を付ければいいのやら」


女「そうですね。恋愛は初歩から始めるのが一番です」


男「というと?」


女「小学生からやり直しましょうか」

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