516話 裏の意思④(別視点)
「ハァッ……ハァッ……! くっ……!?」
「オイオイさっきまでの威勢はどこいったんだよ。随分疲れてるな?」
当初とは打って変わり攻勢に出始めたフリードがマクシムへと問いかける。
対してマクシムはというと全身に切り傷を刻まれて疲弊しており、肩を上下に揺らしながらフリードの猛攻を耐え凌ぐばかりであった。
「兄貴……!」
「お前の相手は私でしょ? はい集中するー」
「次から次へと……っ! チッ、この糞鳥がぁっ……!」
一方でセオドアは憤慨していた。
近距離戦を苦手とするセオドアはフリード達の間合いに入る訳にはいかない為、宣言通り遠距離からの支援に徹しようとしていた。しかしながらそれが思うようにいかない状況がセオドアを焦りと苛立ちを覚えさせ、余裕を奪っていた。
「ほい! ほいっ! あとそこも!」
「(なんなんだこの糞鳥は! パイルがねぇとか言葉を話すとかそんなもんクソどうでもいい……! この俺の術式展開が追い付かないだと……!?)」
一瞬空間がマナの集約によって揺らぎ術式が飛び出すその僅かな瞬間、ナナは待ち伏せていたかのように氷の盾を出現させて術式による狙撃を妨害していく。
最早生まれ持った適性であり才能とも言うべき術式の高速展開。セオドアはまだパイルが開発されるよりも前から術式というものに触れ、その才能を暴力的なまでに使って磨きをかけてきた自負があった。
それがフリードの肩の上にちょこんと居座っただけの矮小な小動物に尽く術式を妨害されるのは自分のプライドが許せず、また認められるわけがなかった。
「どうした力自慢。腰が引けてんぜ――!」
「ぐぉあっ!? (先程からのこの身のこなし、純粋な剣術使いのそれではない……! 【体術】持ちであったか!?)」
縦横無尽に暴れる『羽針』による斬撃の嵐への防御を捨て、カウンターへと出たマクシムが絶好の間合いを位置取りフリードを捉えた。だがその作り出した好機の一撃も虚しく、ハルバードはフリードの残像を掻き消すことしかできない。
理解した時には全てが終了していた。気が付けば足払いにより天地が逆転し、鳩尾が潰される感触と鈍痛と共に身体が吹き飛ばされていた。
「っ!? ヤベェ――」
兄の劣勢を見たセオドアが無理をしてでも援護に入ろうと身体を動かすが――。
「お前は自分の心配をしてろ。『ブラックアウト』、『ブリーズ』」
「なっ!?(闇属性!? こんな夜中で嘘だろ!?)」
「ナナ、少し遊んでやれ」
「ほいさ」
まるで相手にしていない素振りでフリードはセオドアをチラ見すると、左手を使って発生させた黒煙を風に乗せてナナと一緒に差し向ける。
この術式名を聞いた傍からセオドアの危機意識は一気に警鐘を鳴らし、即断と言える対処へと追い込むのだった。
「迫る大気を押し流せ! 『ブリーズ』!」
黒煙が飛来するよりも前に同じ術式を用いて『ブラックアウト』の大気の軌道を逸らし、上空へと誘導しようとセオドアは神経を張る。周囲に気を割く余裕は殆どないが味方がポポと対峙していることは理解している為の最低限の配慮であった。
大気となれば風の赴くままどこに流れて被害が出るか分かったものではない。上空ならばその可能性は抑えられると判断したのである。
「させないよ。『冷断固』」
「っ!? 『生命強化』ッ!」
上方へと流れを変えようとした『ブラックアウト』がまたその軌道を変えた。突如として上空に現れた氷による上蓋の下方への圧力は『ブリーズ』を無視し、破裂する勢いで『ブラックアウト』を周囲に飛散させたのだ。
セオドアは黒煙を防ぐことが叶わず全身に浴びてしまい自身の抵抗力を高める『生命強化』でせめてもの抵抗を試みるが、徐々に身体に痺れが入っていくのを感じていく。
「あれ? ご主人の『ブラックアウト』食らったのにあんまし効いてなさそう……?」
「非常識かテメェら……! お前等の、仲間もいるってのによ……!」
操作された黒煙が瞬く間に晴れていくと、その中からセオドアは目の前を悠長に飛ぶナナに正気を疑う眼差しで非難する。内心では「効いてるわボケ!」と罵倒していたセオドアであるがその言い分にはしっかりした理由がある。
『ブラックアウト』は自分以外に味方がいる状況では使わない方が圧倒的に多い。それは極めて強い無差別攻撃という特性を持つためであり、また制御も複雑極まるという部分が理由の大半を占める。
特に夜間では黒煙は暗闇に溶け込み認識もし辛く、何より術者本人も影響を受けるのだ。状況によっては自爆の可能性を持つ術式を軽い感覚で使う神経がセオドアには理解できなかったのである。
「別に? だってこの程度私達には効かないもん。今の私達の身体はご主人と繋がった仮初の身体だし、ポポの恩恵が全部無効化してくれる。まあ元々魔力の塊みたいなものだからどのみち効かないけどね」
「魔力……? 言ってる意味が分かんねーな」
「あー……うん。はいはい」
魔力という馴染みのない単語に首を傾げるセオドアを見て、ナナは説明するのが面倒だと会話を放棄する。
「ウォオオオオッ――!!!」
「「っ!?」」
そんな時だった――。
周囲に木霊する野太い唸り声。音圧と共に耳をつんざく声量が戦場を一気に駆けていく。
音の震源を向けばそこには天を仰いで闘気を迸らせるマクシムがおり、全身に力を漲らせていた。
「フゥウウウウッ――!」
「(『戦士の咆哮』……斧と戦士のスキル持ちか。多分どっちも極めてるだろうな)」
まるで煙を吐き出しそうな勢いの肺活量を見せるマクシムに対し、フリードはその急激に高まっていく『気』の変化にいち早く気が付いていた。
『戦士の咆哮』は自らのスタミナを犠牲に身体能力を無理矢理引き上げることが可能な近接スキルの一つだ。戦士としての力を極限まで磨いた者にのみ扱うことができ、一度発動すればまさに鬼神の如き力を発揮することが可能な前衛職の一つの到達点とも呼ばれている。
ただ扱いは極めて難しく、制御を誤れば永続的に効果が続き衰弱して死に至ることもある危険性を孕んでおり、完全に制御するにはかなりの月日を必要とする程でもある。
「シッ――!」
「(速度が増した!)」
フリードと視線の読み合いの末、僅かに指を動かそうとしたフリードよりも早くマクシムが動き出す。ただでさえ素早い動きをしていたというのに、瞬き一つで姿を見失いかねない速度を以て。
僅かにだがフリードの眉が反応した。
「ッ――!」
「(『縮地』まで使えんのか! やるねぇ……!)」
牽制目的の『羽針』で迎え撃とうと羽の陣形を変えたフリードであったが、その動作の完了を待つことなく視界からマクシムを見失う。そしてその極端な動きの正体を察し、予想よりも満足して薄く笑うのだった。
「『豪鬼奮迅』!」
フリードの背後を取ることに成功したマクシムが僅かな隙の間に全身に力を溜める。得物を握る腕や踏ん張る足腰から浮き出た血管からは血線が飛び散り、次に繰り出す一撃の凄まじいまでの威力を軽く想像させる。
自身に多大な負担を強いて放つマクシムの力技だ。
「――『鉄身硬』」
「『ギガストライク』! ――ッ!?」
完全に不意を突いたはずだった。少なくともマクシムの中では。実際それは間違いではなかったが現実が事実を嘘だと否定する。
ほぼ反射的行動を取ったフリードに振り向きざまに向けられた手。ハルバードと素手という勝敗が明白な激突は有り得ない音を立てて弾かれ、マクシムの経験を踏みにじり常識を打ち砕く。
「(渾身の一撃だぞ!? それを素手でだと……!?)」
反動で受けた衝撃が握力を弱めて手の感覚がぼやける中、マクシムが反撃を恐れ言葉に出来ぬまま連撃を続けていた。そしてその手応えのなさに絶望を植え付けられ、目の前にいるフリードとの距離が一気に引き離される錯覚を覚えていく。
普段そこまで変化しない表情には徐々に引き攣りを見せ始め、人ならば誰しもにも存在するある予感を大きくさせるには十分であった。
「うわぁ、考えるより先に身体が動くってあんな感じなんだろうなぁ……。やっぱり私要らないんじゃ――ちょっ!?」
「逃がすかよ!」
別サイドの攻防を一時傍観していたナナが自分には到底真似が不可能だという感想を抱きつつ自分の必要性を疑問視していると、いつの間にか周囲に展開されていた複数の術式に襲われ一部が翼を掠めて動揺が走った。
ナナとて棒立ちしているわけではない。常に飛び続けた状態かつ巨大化していない状態での被弾であったため、セオドアの正確な術式の扱いにナナは驚かされる。
「あっぶな!?」
「さっさとテメェを潰してあっちに加勢させてもらう!」
怪我こそないが自身の身体に生やした羽が千切れるように飛散し、若干飛行に乱れの生じるナナ。その僅かな乱れを見逃す程セオドアは温くはない。
一時的にナナの妨害網を搔い潜り、その防御を食い破る為の一芸を繰り出す。
「簡易極式・『嵐牙』」
「(マズイ!?)」
千差万別なる大小様々な術式が次々展開されナナの姿が覆い隠されていく。
そのあまりの手数の多さにナナは身を守らざるを得なくされ、自身の身体を『結晶氷壁』で覆って防護することに決めたらしい。そのままポトンと地べたに結晶ごと転がり落ち機動力を手放した。
「へぇ、鬼さんだけにお兄さん。結構やるね?」
「テメェもな。小せぇナリしてとんだ食わせもんだったぜ」
攻撃も受け付けないが逃げることも叶わない。八方塞がりの状態に持ち込まれたナナが素直に感心したようにセオドアに言う。
一方で攻撃の手を緩めず継続し続けるセオドアもナナを称賛して肩を撫でおろしており、ようやく追い詰められたことに安堵している様子だった。一時の優位にようやく流れ出る額の汗を拭い、勝ち誇ったように強気に出る。
セオドアは術式に対する理解が深く、本来一つのパイルに付き一つずつしか展開できない術式を一度に複数展開することが可能である。その特性から状況に合わせて複数の術式を組み合わせることも可能であり、本来成し得ない効力の術式を生み出すことができる稀有な存在なのだ。
緻密なマナ操作によって可能にしたその技量は決して真似出来るようなものではなく、セオドア固有の特殊能力と言って差し支えない。
そんなセオドアが得意とするのは術式の超高速展開だ。緻密なマナ制御で鍛え上げられた処理能力は異常な域に達しており、限りなく低い術式を絶え間なく展開することによって相手を物量で攻めて動きを封じるのがセオドアの常勝パターンとなっている。
先程ナナに尽くその物量を捌かれてしまって憤慨こそしていたものの、内心ではナナに自分に近い能力があるとセオドアは親近感が湧いていたりするのは誰も知らない。
「手間かけさせやがって。じゃあな糞鳥」
「(あーどうしよ。ちょっと参ったなー)」
だが情けは無用。親近感よりも前に舐めた真似をされたという事実が全てを丸め込む。
セオドアが一際複雑な単体術式を更に別に展開し始めたのを見たナナは少々困った様子で打開策を探るしかなかった。
ナナは魔力以外に関わる能力は基本そこまで高くないのだ。時点で素早さに優れているがこの場にいるレベルの者達で比較すればそれも並に留まり、巨大化も覚醒も果たせない現状ではステータスに難がある。
「――なにやってんだナナ」
「ッ――!? な、に……!?」
この状況を見かねたのか、そこへ一瞬にして助けが入る。まるで通りすがる風のように自然に。
セオドアが突然身体を硬直させ目を見開き、遅れてやってきた激痛のする箇所へと目を向ける。
視線を向けるまでもなく確認できる細い棒状に伸びた金色の針が二本腹部へと突き刺さり、煌々と血の滴りを照らしていた。
「セオドア!?」
「ご主人!」
互いの陣営から二人の喜びと悲痛の叫びが重なる。
セオドアが震える身体で針の飛来した方角を確認するとフリードがマクシムを至近距離から爆炎に包む衝撃の光景が映った。そして晴れた爆炎の中から真っ先に覗くのは殺意の籠ったフリードの目だ。
目を逸らしても逃れられぬ強制力を秘めた強い感情が別の針となってセオドアを射抜く。
「(あの状態の兄貴相手にこっち気にする余裕があんのかよ……!? 化物か!)」
常に向けられている殺意に気圧されたセオドアが一瞬グラついた時だった――。
「オイ。うちの子に何してくれてんだ?」
「な――!?(『転移』!? それとも『縮地』か!? 避けられな――)」
予想だにしない唐突なフリードの介入が思考を白で埋め尽くす。既に懐に入り込まれ攻撃の構えを取ったフリードに対し、セオドアは言葉を発する余裕すら与えられなかった。
「『掌底裂衝』」
「がっ――!?」
唯一許されたのは苦悶の声のみか。
即ゼロ距離から右手を腹部に押し込まれ、セオドアの肺から無理矢理血玉と共に空気が吐き出される。留めきれなかった衝撃が背中を通過し、真空波となってセオドアの背を突き破るように飛び出していく。
「『掌底双覇衝』」
「ッ――ブフッ!?」
攻撃はそれだけに留まらず対となる左手を更に追撃で押し当て、フリードは直に練り上げた『気』をセオドアに流し込む。意図的に膨れ上がった『気』が膨張し炸裂すると、セオドアの全身の皮膚が裂けて血の雨が降り注ぎフリードの全身を汚す。
吹き飛んだ先では吐しゃ物を盛大に吐き出しながらセオドアが蹲り悶絶していた。
まだ随分と粗が目立つ技術であるそれは、原理はアスカが扱う『紅葉』と『楓』の性質に近い。
「危なかったぁ~。ご主人ありがと~!」
「油断厳禁。最初言ったろうが」
「う~……ごめん」
一難去ったことで救助されたナナがフリードの方にすぐさま飛び乗って感謝する。フリードは呆れたようにナナの額を指先で小突くと、ナナは珍しく落ち込み姿勢をとにかく低くするのだった。
真の主人ではないとはいえ叱られるのはナナには結構堪えているらしい。
「まあいい、反省は後だ。――次来るぞ」
「え? っ……!?」
ナナが顔を上げたその時、より濃密な殺気と魔力がこの場に充満していく。空間を水で満たしたように重苦しい空気が呼吸を阻み、平常心を狂わすのをナナは感じた。
「ようやくきたか。思いの他時間掛かったな」
「な、なにアレ……?」
この状況を事前に知っていたかのようにフリードが落ち着いた様子で呟くが、ナナは一人置いてけぼりを食らう。
二人の身体中を徐々にひりつくような痛みが走り始め、殺意の渦中へと引きずり込んだ。
※10/9追記
次回更新は数日中を予定してます。




