510話 修業の日々②
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「さて皆さん。今日のご予定は?」
朝食を済まし、腹を休めるように茶を啜りながら俺は呟くように言った。
それぞれの行動は概ね把握できているのであまり聞いたところで意味のあることではないのだが、最近の朝食後は大体この会話から始まっているような気がする。
ある意味今日という一日の始まりの一言なのかもしれない。
「僕は今日昼までは道場の方に顔を出すつもりだ。リンドウさんに人手が欲しいって呼ばれててね。午後なら空いてるからいつでも鍛錬には付き合えるよ」
「あ、じゃあ午後オナシャス。ボロクソに駄目出ししてくれると助かります」
ちなみにカリンさんのお父様であるリンドウさんだが、俺がアスカさんと立ち合いをしたその日にこの村に戻ってきている。勿論お母様も一緒に。両者とは既に俺もセシリィも挨拶も済ませ見知った間柄となっている状態だ。
余談だがその時はまだ大穴を修復する前だったので根掘り葉掘り事情聴取されたものだ。こちらは事実を言っていただけなのだが、何度同じ問答を繰り返したかは覚えていない。
あの惨状を短い説明で理解などできるはずもなく、また素直に信じるのは難しいから仕方ないことだとは思う。
帰って来てあんな大穴が突然出来てたら目を疑うわな。あれこそ災厄みたいなもんだ。
それにリンドウさんにとってはあの場所は忘れることのできない場所であるようだし。
「理由もなく酷いことを言うつもりはないさ。――でも、変化のことも気になる。改めてフリード君の『気』を視たくはあるね」
ちゃぶ台の対面に座るアスカさんと目が合った。
ジッと瞳の奥底を除くかのような眼差しは俺の『気』を探ろうとしているようだ。しかし様子から俺の綺麗になったという『気』についてはまだ把握しきれていないらしい。固い表情がそのまま変わっていなかった。
「フリード様のご予定は?」
「ちょっとヴェントさんに畑仕事の手伝いを頼まれてるんで先にそっち行ってきます。その後ぼちぼち鍛錬始めるつもりなんで、適当な頃合いに来て付き合ってもらえると助かります」
カリンさんに視線を移し俺は答える。
修業以外に何も予定がないと思いきや、意外にも俺にも予定は何かしらあったりする。
寝食で此処にお世話になっていることもあり、何か手伝いができることは修業の傍らでやらせてもらっているというわけだ。俺も修業の合間の気分転換になるし、誰かの助けになるなら良いことだし苦ではない。
「ヴェントに? ちなみに何の手伝いだい?」
「俺でもできる内容って言ってましたからそんな難しいことじゃないみたいです。雑用とかじゃないですか?」
余程珍しい内容に聞こえたのか、アスカさんが意外すぎるような心情を露わにしている。
ヴェントさんは俺が東に来て初めて会った村人一号さんのことだ。歳も大分俺らと近く、この村の畑作を担う数少ない青年の兄ちゃんである。
散歩中や収穫した農作物のおすそ分けなどをもらう際に会話を交わすこともあり、比較的会話をした回数は多い人だ。そんなこともあって頼みごとをされたわけだが、手伝いの詳しい内容は聞いたりしていない。
というのも大体は聞いてもよく分からなかったりする場合が多いからだ。
それなら現地で直接指示してもらって、できるできないの判断をした方がいい。基本俺がいなくても問題ないような手伝いであるはずだ。今の所無理難題を吹っ掛けられたりしたこともないし。
「雑用でもヴェントが畑仕事で誰かに頼みごとをするなんて珍しいね。自分の畑は全部自分でなんとかするって言ってたのに」
まだ知り合って間もないくらいの俺だがこれには同意できた。
畑仕事に情熱をかなり注いでる人なので色々と意気込むような内容なのだろう。
ちなみに俺はヴェントさんのことを内心では番長と呼ばせてもらっている。一見気さくなお兄さんなのだが畑のことになると人が変わるらしい。まだその様子を見たことはないのだが、アスカさん曰く特に畑を荒らす害獣に対しては容赦がないことで有名なのだそうだ。
なんでも害獣は寄せず逃さず狩り尽くす……とのこと。
畑に足を踏み入れたら最後、害獣は一匹残らず天に召すのだとか……。いやー怖すぎ。死神ですやん。
――まあなるようになるっしょ。
今度は俺が視線を女性陣へと向けて聞いてみる。
「二人の今日の予定は?」
「私は昨日少し身体を動かしましたので大人しく家事でもしていようかと。まだ療養が必要みたいですので」
「むしろなんで身体動かしちゃったんですかって言いたいですけどね」
「全くだ。本調子じゃないことくらい分かってるだろうに」
「あはは……。その、日々修練に励む皆様を見てると私も身体を動かしたくなってしまいまして……」
「まだ無理しちゃ駄目ですよ。ようやく日常生活が問題なくなってきたくらいなのに」
俺とアスカさんからは呆れ、そしてセシリィからも心配する声が飛ぶ。カリンさんも返す言葉もないと苦笑いで肩身が狭そうに縮こまっていた。
意外にもカリンさんはお茶目な人だった。いつもは凛とした雰囲気からくる印象が先行しがちだが、親しい人らの間では結構こうした一面も出すことがあるようだ。
ただそれでも慈愛の剣聖であるのは変わらない。人なのだからこういう一面もあって当然だろう。
……むしろこの方が個人的にはポイント高い。多分アスカさんもそう思ってると思われる。
「腕が鈍ってしまわないか心配になってしまうんですよね。やはり日頃の積み重ねを怠るとすぐに錆びてしまうので……」
「よく言うよ。久々に刀を振ってみて……アレだろ?」
不安そうなカリンさんの声に対し、白い目でアスカさんが隣の部屋の巻き藁を指差した。それに釣られて俺も視線を移す。
……うん。やっぱそうですよねー。
何がそうかって、この何も違和感がないことがもう凄いんだわ。神業すぎる。
「アレがどうかしたんですか?」
キョトンと、セシリィがよく分からなそうな反応をする。
事情を知らない者であればこの反応が普通なのだ。
「やっぱり何も知らないとセシリィちゃんのその反応が普通だよなぁ……。実はさ、あの巻藁は昨日カリンが居合の試し斬りに使ってるんだよ」
「……? でも、使ったような形跡ないですけど……?」
アスカさんの言葉にジッと目を凝らす様に巻藁を観察するセシリィだったが、何がおかしな点なのかは見つけられずにいるようだった。俺も知らなければセシリィと同じ反応をしていただろう。
「それ、斬られてるんだよ」
「へ?」
「斬られて寸分もズレることなくそのままを維持してるんだ。どんなに刀の扱いに慣れた達人でも僅かにズレるはずなのに、だ。これで腕が鈍ってるわけがない」
「ええっ!? アレ斬れてるんですか!?」
セシリィが巻藁を二度見して驚きの声を上げた。
「そうでもありませんよ? 思った以上に力んでしまいましたし」
「うわぁ……なんか言ってるよこの人」
アスカさんがカリンさんへ向ける白い眼差しが止まらない。カリンさんもカリンさんで真面目に言ってるから尚の事質が悪い。
事の経緯を話すと、カリンさんは久々に身体を動かしがてら試しに刀を振ってみたらしい。
するとなんということでしょう。大分感覚が鈍ってしまったと言っていたが、斬った巻藁が1ミリもズレることなくそのままの状態を維持しているではありませんか。まるで刀身が巻藁をすり抜けたかのようであります。
ちなみにこれ、前日の夕方の出来事です。夜通しでこの状態を維持していたということになります。
「全然分からない……。あの、これ触ってみても?」
「うん。どうせもう使えないし片付けなきゃいけないからいいよ」
静かに直立不動を維持する巻藁に違和感は皆無だ。置物の様に部屋の中央に置かれ鎮座している。
「――わっ!? カリンさん、やっぱり凄いですね……」
ゆっくりと近づいたセシリィが恐る恐るその身に触れると、巻藁の中腹部に途端に切れ込みが入った。そしてバランスを崩して折れるように畳にボトリと落ち、転がるのだった。
セシリィがカリンさんのことを驚きの眼差しで見つめ、目を何度もパチクリさせている。
う~む、これは『剣聖』ですわ……。いきなり斬れたみたいに見えたし。
というかこれで鈍ってるの? この状態でさえ剣の腕ならアスカさん以上な気がするんですけど……。
この二人、最早最強夫婦やん。こんなの東の地域は安泰みたいなものじゃないか。
互いの背中を守って戦う姿想像したらダブル主人公そのもので笑うわ。……いや、強すぎて笑えないんだけども。
俺は改めてこの二人がとんでもないと思い知った。




