508話 礎の始まり(別視点)
◇◇◇
「お、お疲れ様です!」
「ご苦労。あとそんなに畏まらなくていい、楽にしてくれ」
昼下がりのとある病室を警備する兵が、人の近づく気配に気が付き顔を上げる。
兵は最初は警戒の意識で目を向けようとしたものの、相手の素性に気が付くや否や即座に態度を改め声を出す。
「お身体の方はもうよろしいのですか?」
「出歩く程度であれば問題ない。それより、今入っても問題ないか?」
「ハッ! 誰かいらっしゃるようであれば遠慮なく招いてくれとお聞きしております!」
「そうか。なら失礼させてもらうぞ」
緊張で途端に固まった四肢を気にする余裕もない様子は向こうにも伝わったのだろう。
しかし、気にするなという気遣いがあってもすぐに受け入れることは難しかったようだ。病室を訪れた男も察したのか追及はしなかった。
自身の立場を考えればそれも当然であるのは分かっていたというのもある。
「(う~む。私はそんなに恐れられるように見られているのだろうか? どうしたものか……)」
――が、内心では別の部分を少々気にしてはいたりする。
ただそんな内心を悟られまいと表情は崩さないまま、病室のドアをノックして中へと入って行くのだった。
「『白面』。起きているか?」
「んん? 何やら話し声が聞こえると思ったらこれはこれは……。まさかのロアノーツさんじゃありませんか。こんな格好で失礼。失敬かとは思いますが敬礼するので許して下さい」
フリードとアスカが東の地にて災厄と対峙している同時刻。ロアノーツとアイズはセルベルティアにあるとある病室で対面していた。
ロアノーツを見るや否や手に持っていた書物を膝に置き、患者とは思えぬ速さで敬礼を繰り出したアイズ。一見怪我らしい部分も見当たらず健全であるようにしか見えないが、身体の内面が原因の為それも当然だった。
恐らく全快は近いだろうとロアノーツは内心で考え、特に気遣いは無用だと思い至る。
「認めたくはないが、貴殿くらい気楽な方がやりやすいものだな」
「はい? 今何と?」
「気にするな。ただの独り言だ」
ロアノーツが病室の扉を閉めながら言う。
無礼や軽薄さはあっても、気楽さの前面に出た相手の方が話しやすい。その点アイズは思う部分はあっても、ロアノーツの中では話しやすい部類に入る。
正直に言えば調子に乗るのが目に見えていたこともあり、こちらも本心は語ることはなかったが。
「……」
溜息混じりの顔を上げ、ロアノーツがアイズをじっと見つめる。
知る人ぞ知る先日の騒動も落ち着きを見せ、セルベルティアは普段の日常を取り戻しつつあった。
初めは困惑に包まれたどたどしかった復興の流れも円滑に進み始め、今や元の日常に戻る残りの日数を数えるのみとなっている。
今回の騒動でセルベルティアは甚大な被害を被った。常駐する軍の各部隊に数多くの怪我人が溢れ、街一番の要所とも言える城の至る部分には損傷が痛々しく残った。
しかし、何故こんなことが起こったのか。その事実を誰も記憶には留めていない。あの日の部分のみが街中の人々の記憶からすっぽりと抜け落ち、あからさまに空白となっているのだ。
記憶に欠落があれば大混乱を招くのは必至。ただそれでも大した騒ぎもなく、批判や暴動すら起こらずにいたのには二つの大きな理由がある。
一つはその事態を作り上げた張本人であるアイズの働き。そして二つ目は、一人先走った『英雄』を追ってセルベルティアに帰還した旅のお供である三人。ゼグラム、クロス、レイアの存在である。
彼らなくしてこの歪すぎる現状維持は実現しなかっただろう。
「――さて、その様子だと貴方もやはりこっち側のようですねぇ? 敵意……なさそうですし」
視線を交わしたままの状態でロアノーツから何かを感じ取ったのか、アイズが問いかける。
「ああ。貴殿が作成したという表題と中身が全く違うレポートには目を通させてもらった。……にわかには信じがたいが、本人らの証言があるなら信じるしかあるまい。私も自分の目で見ているから否定できん」
「っ!? ふ、フフフ……!」
ロアノーツの諦めにも似た受け答えに口角を上げるアイズ。満足気な様子を隠そうともせず上機嫌になると、両手を振り上げて思い切り喜びを露わにするのだった。
「いやー安心しました。これでロアノーツさんがそっち側だったら、私今ここでしょっぴかれちゃってましたもん」
「全くだ。とんだ博打に出たものだな」
「こう見えて悪運は強いので。でも多少なりとも確証は持ってましたから妥当だったと思ってますよ」
アイズが肩の荷を降ろすように張り詰めた空気を破ると、釣られてロアノーツもその空気に乗じたようだ。
お互いに警戒していたのが無意味だと分かったのだ。相手が相手なだけに想像以上の緊張感が身体から抜け落ちているようだった。
「それで? 一応はお見舞いのつもりで来てくれたんですよねぇ?」
「うむ。クロス殿達が丁度戻って来てくれていたおかげで一段落ついたのでな。時間の都合もついたので今日こうして足を運んだまでだ」
「それは良かった。今回の我々散々な目に遭いましたからねぇ……。ここでロアノーツさんに許されても、私はてっきり別件で拳骨でもお見舞いされるかもとか思ってましたから。そうならなくて良かったですよ」
「……一体私をなんだと思ってる。――まあいい。貴殿も大分体調が良くなってきたようでなによりだ。これはつまらないものだが……見舞いの品だ」
「やった! ありがとうございます! 何か持って来てくれるとは思ってましたがやはり!」
一先ずは何も心配事の要らなく関係性を喜び、アイズがその喜びのままにいつもの調子の良さを発揮したらしい。
予てよりロアノーツが手に持っていた包みに目を付けると、差し出された瞬間から奪うようにアイズは中身を確認する。その俊敏さは普段から想像もつかぬ電光石火の早業であった。
「ここ数日の間病院食だけじゃ物足りなくってずっと不満だったんですよねぇ。ずっと考え事してたもんですから特に甘いものが欲しかったんですよ――な、なんと!? 最近話題になってたお店の新作菓子の詰め合わせじゃないですか!? 流石ロアノーツさん、マジ神です! センスあるぅ♪」
「病棟で大声を出すな。子どもでもあるまいし」
「はーい」
「(いや、子どもにしか見えんなこれは……)」
アイズの派手な挙動に対し、ロアノーツは忌憚なき意見として内心で呟く。
アイズもそれなりに実際の所良い歳ではあるのだが……その精神はあまりに幼く映る。
ロアノーツはつい先日に若くして大人びた風格を見せる若者を見てしまっていたこともあり、その対比としては適格すぎたのである。
「しかし、こうして貴殿が素顔を晒しているのは少々違和感があるな。私も初めて素顔を拝んだ時は驚いたが……」
「そりゃまぁずっと隠してましたからねぇ。不覚にも見られちゃった以上は隠している意味ももうあまりないですし。それにこんな場所ですから大勢の目にも触れないですし」
――また理由はそれだけではない。
もそもそと口を動かすアイズであったが、これまでは最低限口元までしか見ることの出来なかったその素顔に隔たりは存在しない。
口元から上を完全に晒したアイズの本当の素顔を今ロアノーツは直視していた。
「隠していた理由はやはり……その眼の力が関係しているのか?」
「ええ。ロアノーツさんは大分前から気づいてましたから今更でしょうが、この眼の力を使うとどうしても眼の色が変わっちゃうんです。私この通り糞雑魚じゃないですか? 誰かに目を付けられても困るんで、平和に生きる為に仮面で隠してたのが主な理由です」
「そっちの方がよっぽど目立っていただろうに……」
アイズの言う平和な生き方というものが少しズレているとは思ったロアノーツであったが、そこはアイズの考えなのだと割り切ってそれ以上は口にしなかった。
アイズを理解できていればこれまでに苦労などしていない。そんなこれまでの経験が根底にあるため諦める決断は早かった。
「しかし随分あっさりと話すのだな? あれだけ散々揺すってものらりくらりとしていた貴殿が……。とんだ気の変わりようではないか」
「うんむ……ひょっと事情が変わりまひへ……」
「……時間はあるから少しゆっくり食べろ。別に急かしているわけではない」
「ふぁい」
口いっぱいに頬張った菓子を咀嚼する様子はまるでリスのようであり、その間抜けな面が折角真面目な話をしようと思っているロアノーツの調子を狂わせる。
そんなアイズの様子に呆れて何も言えないロアノーツだったが、これまで頑なに明かさなかった秘密をここにきて急に微塵も隠そうとしない今のアイズには疑問しかなく、また違和感しか感じなかった。
その心境の変化をロアノーツが聞くと、アイズは態度を変えぬままに応じ口の中のものを飲み込むと同時に答えるのだった。
「――ふぅ。今回の件でね、私は色々思い知ったんですよ。この先、自力で生き残るには限界があると。もうその為に動き出す必要があるんだってね」
「どうした急に?」
ふざけた態度を改め、視線を伏せて拳を握るアイズ。
その普段からは想像の出来ない神妙な雰囲気は一気にこの場の空気を変えたらしい。ロアノーツもすぐに耳を傾ける準備に入らされていた。
一瞬静まり返った病室の音を乗っ取るかのように、窓の外からは様々な音が入り込んでくる。
「時に神様。貴方は私の言葉を信用していますか?」
「誰が神だ」
「では菓子神様」
「普通に呼べんのか貴殿は。というかいきなりなんなのだ?」
「今私は重要な質問をしています。答えてください」
「む……」
ロアノーツに視線を戻すなり、いきなり奇妙なことを言い出すアイズにロアノーツは困惑した。そして重要と言う割に随分と茶化してくることに納得のいかないロアノーツだったが、渋々反論の声を吞み込んで真面目に返答するのだった。
「そうだな……貴殿のことは誰に対しても偏見を持たないという点では信用、している。自分の欲望を優先して誰彼構わずに迷惑を掛けるという部分は流石に信用できないがな」
信用という言葉も一概にひとまとめにできるものでもない。部分的に捉えるなら全てにおいて信用できる者などほぼ存在しえない。
ロアノーツはアイズのことを信用している部分もあればしていない部分もあると回答する。
「アハハ、そうですか。――十分ですよ。私もロアノーツさんのことは信用しています。今回の一件でそれは確かなものとなりましたのでねぇ」
「おい。先程から一体貴殿は何が言いたい?」
「いいえ。別にロアノーツさんが身構えるような深い意味なんてありませんよ。要は話した理由なんてたったこれだけだってことなんです」
すっきりした表情のアイズとは対照的に、徐々に険しさを増していくロアノーツの表情は対比そのものと言えた。
意図の分からない問答はアイズの常套手段である。ロアノーツがその部分に警戒してしまうのも無理はない。
「私は勿論、レポートを呼んだロアノーツさんも既に手遅れも同然。私達はこの世界の真実に触れてしまった……。この世でごく限られた異分子である我々が信用できる方というのがどれ程貴重であるのか……ロアノーツさんならば分かるでしょう?」
「それは……」
――が、その次にはアイズの言わんとしていたことをすぐに察したのか、ロアノーツの表情からは険しさは薄れていく。
その理由はやはり、今回の問題の日に既に自分に宛てられていたであろうレポートの存在である。
世界の意思とそれに連なる大いなる存在。アイズが自分に向けて発信した信じがたい未知なる事実は存在する説明が出来ない。それ故に実体のないそれは読めば読むほど馬鹿らしく、しかし自身の中にあった世間とのズレに不思議と共感を覚えさせるものであった。
ロアノーツはレポートに記載されていた症状を発症していない自分がいることで頭ごなしに否定する考えが浮かばず、気が付けば何度もレポートを読み直してしまう程だった。
まるで軍が抱える禁忌に触れる事項と同等か、それ以上のものであると。
ロアノーツの様子の変化を確認したアイズは準備を待っていたかのように、この続きを述べていく。
「理由は違くとも私も貴方ももうこの問題に無関心ではいられない。責任感の強い貴方のことだ。今、軍と彼等……どちらに天秤を傾けなきゃいけないのか悩んでるはずです」
「……」
「身の振り方を考えなければいけないのですよ。場合によっては私達が彼等と同じ立場になりかねない可能性さえある。そこで同じ境遇同士でつるもうとするのはそんなにおかしな話でもないでしょう?」
「……かもしれないな」
「というわけで、腹を割って話すなら自分から! ってね……。まあ私なりの誠意です」
基本群れを拒み一人で行動することの多いアイズだが、今回ばかりは単独では危険だと判断しての事であった。
自分から情報開示をしてみせたのもその価値があると判断した上でのことで、普段ならば有り得ないアイズなりの譲歩と言えるだろう。
軍の中でもかなり有力な立場にあり、世界の意思についてを知りながらもその意思の影響下にいないロアノーツは今のアイズには非常に価値ある存在でしかない。
そのために、確実に自分の味方でいてくれる者との明確な繋がりをすぐさま持っておきたかったのである。
「……フッ。まさか貴殿からそのような単語を聞くことになるとはな……。しかし、彼等と協力関係にあったのだから有り得ないことではないか」
「信用の置ける人達になら私だって誠意くらい見せますよ。しかもそれが確実に信用が置ける人達であるのが分かりきっていたのなら尚更です」
「つまり、私は彼等と同等であると貴殿は思っているわけか。……貴殿から言われても素直に喜べんな」
「む。まったくロアノーツさんってば……。フリードさんと違って初々しさがなくてなんかつまんないです」
「うるさい」
フリードと結託した時、彼は周りに信用の置ける存在が皆無という状況から戸惑いの反応を見せていたのが記憶に新しい。
その一方でロアノーツはほぼそのような感情が見られないのがアイズには不満だったらしいが、「うるさい」の一言で一蹴されてしまう。
「――まあ貴殿の誠意は分かった。しかし協力したところでどうするというのだ? 軍と彼等の両方に手を貸すというのは自殺行為と私は考えているが?」
「ええ。私もそれについては同意見です。片方に肩入れするだけでも大変なのは今回の件で身を持って経験しましたんでねぇ。命がいくつあっても足りゃしないでしょう。玉砕覚悟の大勝負にしかならない」
「うむ。この大きすぎる歪な問題に中途半端に介入するのは愚策。必ずどこかで取り返しがつかなくなるはずだ。意思とやらがどんな性質を持っているのかはまだ推測の域を出ぬのだろう? 不確定要素も可能性として残ったままだ」
「ええ、ええ。そうなんですよホントに……。どっちも勢力が大きいだけにどっちについても地獄が待ってるのが明白だ。困りましたねぇ」
ロアノーツの真っ当な言い分に対して否定もせず、むしろ同意を示すアイズが何度も言い聞かせるように頷く。
「ですから、どうせ地獄ならその二択を捨てて一番マシな手段を取りません? 言うなれば第三の道を」
「なに?」
そしてアイズが次に口にした言葉にロアノーツは自分が揺れ動くのを感じるのだった。
静かに沸き立つ期待にも似た高揚は単なる勘によるものか。ロアノーツの意識がアイズの言葉に全神経を傾けた。
「軍に入った身でありながら彼等と繋がりがある私達だからこそできる選択です。お互いの目的にも叶った第三の道を作るんですよ。我々で……!」
ロアノーツは今のアイズに普段の適当な姿ではなく、冗談でもない本気さを感じたのだった。




