498話 VSアスカ③
◇◇◇
「……」
外界から隔たれた昏き深淵にて、それは静かに目を覚ました。
微かに届いた並々ならぬ力に充てられ、ひっそりと仮死していた身体は飢えを覚えたかのように躍動を始める。
「…………!」
錆びついていた四肢が熱を持ち、虚無な思考が生来の獣の感覚を取り戻していく。
その度に生気を送る鼓動は強まり続け、活動の再開を更に加速させていった。
「――オオオォォォ……!」
そして今、半ば成った昏き獣は本能の赴くままに動きを開始する。生存本能は自分の利益のために、ただ元の健全なる形へと成るために最善を尽くす。
「…………」
振動が音となって伝い、遥か下へと上の状況を知らせている。
目指すは遥か上方。そこにあるもの一点のみだ。
これこそが自分の目覚めた理由。今身体が求めた最上の理由なのだと。
伝い匂う極上の撒き餌に導かれ、昏き獣は周囲の全てを貪りながら突き進む――。
◇◇◇
「ぐっ!? ……や、やっぱりこうなるか……!」
「アスカさん!?」
『神化黎明』――。
周囲の空間を歪ませ、空に立ち昇ろうかという『気』の力を放出するアスカさん。
しかし、ここで突然そこに鮮血が入り混じった。
ガクンと身体を崩し、片膝をついて苦悶の表情を浮かべたアスカさんの額からは血が流れ、いつの間にか身体中の至るところから赤い染みが浮かび上がっていた。
「これが……君の普段の状態なの、か……!? 信じられない圧力だ……っ……!」
痛みを堪えて発したアスカさんの口調は固く、そして辛そうだ。
言っている間にもアスカさんの皮膚が新たに裂け、血が噴き出す箇所が増えていく。
「一体どれだけの修練を積めばこの境地に至れるっていうんだ……? 想像もつかないな……!」
「いきなり何事ですか!? 滅茶苦茶血ぃ出てますけど!?」
俺には何が何だか分からなかった。
とにかく、これで心配しなかったら人じゃない。
目の前でいきなり血だらけになられて動揺しないわけがない。親しくなった人となれば驚きと心配は大きく、不安を感じずにはいられなかった。
「平気だ、続けよう……! 追い込まれた時に人は成長の兆しを見る。この機会は逃せないよ……!」
「はぁっ!?」
このまま続けんの!? 正気かオイ!
「覚悟はしてたんだ……『神化黎明』は身体の強化とは別に、場と相手の『気』と同調して相手によりこちらの『気』の干渉を高めるためのもの……! その同調の標準が高すぎれば自分に跳ね返るのは当然さ……!」
「もしかして、こうなるのを分かった上でやったんですか?」
「ああ」
「えぇ……」
動揺していたはずだがその理由を聞いて一瞬思考が止まる。
気が付いた時には俺は盛大な溜息を吐いていた。アスカさんの顔を見ながら。
向上心の塊とは思ってたけどここまでだったかぁ~。あの眼差しガチですやん……。
真の面と目と書いて真面目と読む。言葉の意味って偉大ですね。
対する俺なんか面に目が付いてるだけみたいなもんだ。いやー面目ないッスわ。
……この言い方じゃ目すらねーじゃねーか! 言ってて悲しくなってくるわ。
「アスカさん、アンタ想像以上の馬鹿でしょ……」
「馬鹿だからここまで来れたんだ。自分に必要ならどんな馬鹿な真似にでも踏み切るさ。もういざという時に、自分の力不足で後悔したくない……!」
「力不足、か……」
後悔というのは今回の救出騒動の件に関してを言っているのだろう。
物事全てを自分の力で完結できるならそれに越したことはない。ただ限度というものはある。
その限度に限りなく近づこうと言うだけの話だ。要は努力である。
「時間が惜しい。再開させてもらうよ――!」
俺が構えるのを待つこともなく、アスカさんが悲鳴を上げる身体を無視して一気に態勢を整えて駆けだした。
時間がないのは見て分かる。『神化黎明』の維持は勿論、肉体的な限界は始まる前から既に終わりが近い。
アスカさん的にはそれだけこの行動に意味があるってことか。言わば本望と……。
「自分の身を省みないのは感心しませんが、まぁそういうのは嫌いじゃない――」
「ハァアアアッ!」
アスカさんが目の前で刀を振り抜く。その速さに俺は多少の恐怖を感じていた。
一挙一動から目を離せば、先に待っているのは死という言葉が当てはまったのだ。
先程とは最早別人の動き。既におかしな強さを発揮していた筈だが、そこから更に二段階くらい先の変化を遂げているように思う。
「――っ!?」
「俺も人のこと言えるような奴じゃあないんでね……!」
剣を振るうにはもう間合いが詰められ過ぎていた俺は、『鉄身硬』で固めた左手で刀を思い切り弾く。
重い衝撃波の発生と共にお互いの身体が反発して後退すると、拍子に足元の泥が飛沫のように跳ねて落ちた。
「……!」
「くっ……!」
態勢を整えながら構えた左手を見ると、思うように力が入らない。
骨が震える衝撃を覚え、次からはもっと強化に力を入れるべきだという判断に至る。
ただの一振りでこれか。俺に近づいたってのは本当みたいだ。
この身体基準に絶華の技が乗ったらどうなるんだ? 想像もつかないな……!
「『歩法・覆林――』」
「……?」
アスカさんの脅威を改め、これまで見てきた技に一層警戒心を強める一方で、突然アスカさんの気配が急激に弱まった。
これだけ『気』? を放出して存在感を露わにし、俺が目を離すまいと集中しているのにだ。
アスカさんの気配を感じない……?
さっきも歩法なんちゃらとか言ってたし、またそれ系の技術かね? 認識をズラす的な。
オイオイ勘弁してくれ。
「咲け! 『百華繚乱』!」
来る――っ!?
「っ!? いつの間に……!」
「こっちに気付いた後でも対処されるのか……!? 完全に後ろを取ったと思ったのにな……!」
目の前で繰り出される飛来する斬撃に目を一瞬奪われた直後、対処の寸前で背後にもう一太刀迫る危険を感じたが正解だった。ゾクリとする感覚がなければ気づけなかっただろう。
既にアスカさんは俺の目の前から姿を消していた。俺の意識から外れた僅かな隙を突き背後に回っていたのだ。この瞬間的な動きを可能にしたのは恐らく『縮地』だ。
正面は『障壁』を張って防ぎ、背後の一太刀に俺は剣で受け止めて押し返す。
どちらも先程とは桁違いの切れ味を誇っているようだった。
今のアスカさんに小手先の技では手痛い反撃を食らうだけだ。
俺も相応の技と魔法で応戦するしかない……! 視界から逃がしたらアウトだ。
「『アクアバレット』! 『トライカッター』!」
弾速の早い魔法とそこそこ広い範囲を攻撃できる魔法を織り交ぜ、アスカさんに向けて同時に放つ。
水の弾丸が数発風を切って直進し、後追いで風の刃が三方向に広がりながら一点に集中する。
その間に俺も距離を詰めるべく前へと駆けだした。
「ハッ! セイッ!」
「っ!?」
歩を進めながら思わず目を見開いてしまった。そのまるで無駄のない動きを見て。
速さも極まっているが、無駄がないことでより速さが強調されている。
この攻撃に対し、アスカさんは『アクアバレット』を全て見切って刀で弾くと、『トライカッター』に至っては斬り伏せることで全て回避してみせた。
そのあまりにも速い剣捌きにも目を見張るものがあるところではあったが、更にそれ以上のある点にも俺は目を奪われてしまう。
ただ魔法を斬ったんじゃない。魔法の現象そのものを斬られてる!?
そんなことまでやってのけるのか……! 否定の力とはまるで別物だ。
「魔法まで自由に斬れるとか聞いてないんですけど……!」
剣を振りかぶりながら、思ったことをアスカさんに聞いていた。
魔法はイメージしたものに魔力を加え、放出することで現実に現象として引き出すことができる。
放出した魔力が尽きるまで現象として現れ続け、大元の魔力が無くなれば魔法は霧散して消えていくのが普通だ。
そう、普通なら斬られただけならまだ残るのだ。何故なら魔力がまだ残っているから。
だが今、アスカさんに斬られた魔法は魔力が尽きるよりも前に強制的に霧散していた。斬られた直後から。
斬られただけならまだある程度は魔法は維持されたままとなるはずなのに、明らかにその感覚が短かった。斬られたのとほぼ同時である。
「君に無理矢理近づいた今、君の『気』であろうと断ち切れる! おかげでよく視えるようになったからね……!」
俺の斬撃を正面から受け止め、斬り結びながらアスカさんが答える。
力押しの俺の剣技はアスカさんにしっかりと重く入っているようで実際は入っておらず、剛の対となる柔の技によって受け流されているようだった。
自分で流れるように繰り出せていると思っている剣が、思い違いも甚だしい虚しさを晒していた。
アスカさんと俺の剣の技術の差が顕著に表れているとも言える。
「――ここだ! 『絶華・椿』!」
「っ……!?」
これはマズい気がする――!?
何度も連撃している内におざなりになっていたのか。アスカさんが刀で俺の剣を受け流すと見せかけ、急に俺の剣に刀の刃を強く押し付けた。
いきなり火花を散らせた刀が剣の上を走り、俺の首目掛けて一直線に向かってきていたのである。
咄嗟に左手で刀を掴みとめようとしたが……それは止めた。
勘というか、悪手に思えてならなかったのだ。
「っ!?」
「あぶねっ――!」
この一閃はそもそも触れてはならないと考え、回避優先で俺は押し付けられた剣を手放して地面に突っ伏すように身を屈めることで躱す。
頭上に火花が舞うのを見届け、そのまま間髪入れずに俺は両手で受け身を取ると、強引に身体を捻ってアスカさんの足を払いに掛かるが――。
「「っ――!」」
俺の反撃をアスカさんは読んでいたのだろう。軽く足を折り、ギリギリ足の当たらない高さに跳ねて足払いを躱してくる。
この刹那の攻防の中、アスカさんと俺の目が合った。
俺にもアスカさんの次の一手が既に読めていた。
「――『絶華・薊』!」
躱された右足がまだ地面に付かない。そんな状況下で、俺の全身をアスカさんの影が覆う。
お互いにすぐ触れられてしまう距離感。ゼロ距離であるのに、俺の態勢はアスカさんとは違って随分遠くに感じられた。
現状最も早く自由に動く目でアスカさんの動きを追うと、両手で刀による下突きが繰り出され、俺の身体を貫かんと向けられていた。
これが他の人なら決着が着くんだろうけど、幸い手は地面に触れている。それに俺には『転移』もある。
まだ終わらねぇ――!
「『転移』――!」
「っ!? なにっ!?」
ザクっと、勢いよく押し込められた刀が地面に突き刺さった。
その切先はそこにあったはずの俺の身体を捉えることはなく、今俺の目の前で空振りした。
俺は『転移』でアスカさんの正面に移動したのだ。
「取った――」
アスカさんが事態に気付き、刀をすぐに地面から引き抜こうとするが遅い。
既に俺の右フックはアスカさんよりも早くその無防備な腹を捉えているのだから。この一撃は確実に入れられる。
この時の俺はそう思っていた。
「まだだ! 『絶華・楓』っ!」
「っ!? なっ……!?」
俺の拳がアスカさんの腹に触れた瞬間、アスカさんが叫ぶ。
本当に僅かに触れた瞬間、拳が身体にめり込むよりも前のタイミングだっただろうか。
何も邪魔するものはないというのに、俺の右腕全体に奇妙な衝撃が引き起こされたのだ。その勢いでアスカさんにあと一歩届かない距離に引き離されてしまった。
は? 何が起こった……!?
俺の身体が仰け反る程の衝撃だ。まるで身体の内側から何か弾けたような感覚。
力を込めていたはずの右腕全体が完全に力を失い、制御を失くしてしまっていた。
殴ろうとしたアスカさんの身体ではなく、俺の方が殴られたような気分だ。
「……今のは、一体……?」
「……ふーっ……!」
自分の味わったものにイマイチ実感が湧かずにいると、アスカさんは刀を引き抜いて一度身を退いたらしい。大きく息を吐いて仕切り直しているようだった。
その間に俺も一度右腕の調子を確認してみる。
痺れたように何か重い衝撃が残っているのは事実だがそれだけだ。右腕は自由に動かせるし、特に今後の影響もなさそうだ。力も問題なく入る。
「フリード君はさぞ不思議に思ってるだろうね。咄嗟の思い付きでこんな使い方するとは僕自身思わなかったし……」
俺の様子が伝わったのかアスカさんが話しかけてきた。
タネはおおよそ予想が付くが、やはりアスカさんの仕業であったのは確かなようだ。
「……これも『気』だって言うんですか……?」
「うん。『楓』は本来『紅葉』から繋げる絶華の型ではあるけど、今のはどちらかといえば冥華寄りにアレンジさせてもらった」
絶華の型を冥華に……?
「『神化黎明』を使う前、君の攻撃で吹き飛ばされた時に僕もギリギリで反撃させてもらってたんだ。その時に君に刻んだ『気』を解放させてもらったよ。上手くいくかは賭けだったけど」
「どういう意味ですか……?」
「『紅葉』と『楓』は合わせ技。『紅葉』で相手に『気』を刻み、『楓』でその『気』を解き放つ。これは相手に僕から『気』を接触させる必要があったけど、君の方から触れてくれたからね」
「『紅葉』……って、あの時の……? あの一瞬に……?」
思い当たるのはアスカさんを『衝波弾』で追い打ちした時だ。その前に剣で俺はアスカさんを吹き飛ばしている。
確かにあの時何かやろうとしてたような気はするが、それにしたって一瞬の間だ。言い終える前に吹き飛ばしていたはずだった。
あんな僅かな間に仕込まれてたの? 手品師もビックリの早業だわ。
しかも言い方的に失敗してたら俺にそのまま殴られてた可能性だってあったんだから胆力も凄まじい。
ここまで自分を追い込めるような人だ。メンタルは人並をとうに超えているのは当然ではあるのか……。
「もしフリード君に『気』を教えるなら、君は冥華の方が明らかに向いていると思うよ。君に絶華の護身術なんていらないだろ? 冥華は得物も選ばないから汎用性も高いし、君の場合は攻守共に更なる飛躍が望めるはずだ。まさに鬼に金棒だね」
しかも当初俺の『気』を知るという目的通り、俺の適性まで確認していると……。
この人……やっぱりとんでもない。少なくとも想定してた数倍は実力を隠してたろ。
――まあそれもそうか。『英雄』もそうだけど、なんたって『神気』まで扱えるような人だ。
これでとんでもなくないわけがない、か……。
「触れても触れられても駄目。『気』があるものは全部、魔法だって斬られちまう。……これ、どうしたらいいんですかね? 隙がなさすぎるでしょ」
「ハハ、冗談は止してくれよ。どうしたらいいのかなんてそれは僕の台詞だ。『気』が視えても効果がないなんて悪い夢を見てるみたいなんだからさ……! 今の君は悪夢そのものだ」
「あれま。そりゃ酷い言い草ですね。流石に傷つきますよ」
俺が両手を広げて溜息をつくと、アスカさんは苦笑して俺を見つめていた。
なんかドン引きされてるのが心外なんだけど、割と本気でどうしようか困ってんだけどなぁ。
何が起こるか予想できないのは流石に怖いし、既に無傷でいられる保証はどこにもない。正直もう否定の力を使いたいくらいだぞ俺は。
でもアレは大分使ってしまったからもうここぞって時以外では使いたくないし、俺に何か別の力でもあれば――。
『それなら使えばいいじゃない。否定の対となる……もう一つの力を』
俺が当てのない願望を抱いたその時、真新しくも懐かしい声が俺に語りかけた。




