494話 志願
「あ、やってるみたいだ……!」
次第に道が河沿いから湾曲して逸れ、民家の方角へと別方向から俺が戻っている最中だった。
道の脇に背の高い樹の横にポツンと建てられた小屋のようなものが見え、白い湯気だか煙が立ち昇っている。
換気戸から漂うかぐわしい匂いに釣られ、アスカさんが足早に行く先を急に変えたのに俺も遅れてついていく。
はてさて、一体なんでしょう?
心なしかアスカさんの声弾んでる気が……。
「おばあちゃん。お邪魔するよー」
「あらあら……アスカちゃんかえ? 一昨日ぶりかしらね。いらっしゃい……」
アスカさんが小屋の入口に垂れたのれんを潜って中に入り、すぐに声を奥の方へ掛ける。
するとしゃがれた声と共に、年配のおばあさんが厨房の奥からのれんを掻き分けてお盆を持って現れ、ゆっくりと……だがしっかりとお茶を出してくれた。
「いつものを二人前お願いしていい?」
「いつものね、はいはい。ちょっと待っててねぇ……」
適当な椅子に座ったアスカさんの手招きに従い俺も隣に腰掛け、雰囲気からここがどういうところなのかを俺もすぐに察する。
随分と趣があって、俺の知識としっくりくるもんですな、これは。
甘味処かぁ……。
「団子屋さんですか」
「うん。ここのおばあちゃんの作る団子は美味しいんだ。外に出るとついよく立ち寄っちゃうんだよね」
俺がそう聞くと、アスカさんは湯飲みに入ったお茶を啜りながら答えるのだった。
よく立ち寄るという言葉通り、最早この店の常連なのだろう。アスカさんの馴染み方を見るにそうだろうなと俺は納得できた思いだった。
急な一服があるとは思わなかったが、俺も続いて茶を啜った。
「ふぅ……。大したものはなかったと思うけど、村の居心地はどうだい? 馴染めそう?」
「馴染めてるのかはまだ分からないですけど、雰囲気は結構気に入ってますよ。大分他の街や村とは違っているみたいですが、不思議と落ち着きます」
「へぇ? それなら良かった」
簡素な感想で申し訳ないが、純粋に俺は自分が思ったことをそのまま伝える。
田舎と言えばそれまで。だが野山と河に囲まれ自然と共に生活をする村の在り方もそうだが、なにより人との繋がりが濃いところには惹かれるかな。
これはアスカさんと他の人の関わりを見て思ったことではあるから他人ありきの感想なのが否めないけど……素直に羨ましいと思ったのは事実だ。
住むならこういう人間関係が良好なところが良い。
「まだ大したもてなしも出来なくて申し訳ない。何かしらお礼を考えてはいるんだけど……」
「何度も言ってますけどそんなのいいですって。俺だって自分らのためってのが一番の理由だったんですから。お互い様でしょう」
作戦遂行にあたり、何度繰り返したか分からない会話も慣れたものだ。いくら何も要らないと言ってもアスカさんは引くつもりがまだないらしい。流石に苦笑を隠せない。
ここまで言い分が長いと、恐らく本当に本人の気が済まないのだろう。アスカさんは律儀だからある意味人に甘えるのが下手とも言うのかもしれない。それか不器用とでも言うべきか。
俺的には別にそれが嫌というわけでもないし、むしろ好感が持てる部分でもある。しかし、その分収拾をつけることが難しいのはネックである。
「う~ん、でもなぁ……。カリンだって同じ考えだろうし、そういう訳にもいかないんだよなぁ……」
……あーらら。参ったね、どうも。
いい加減私の方ものらりくらりの術に限界が来そうですよこれじゃ。
この一服の恩で全部チャラにしよう! は流石に無理だろうし。俺が同じ立場でもそうするわな。
上手いこと折り合いつけられんもんかね……。
「君が望むならここに残ってくれても僕は歓迎するよ? なんだったら衣食住も提供するし」
「い、いやー……そこまでされるとこっちが困りますって。有難い申し出ですけど」
「そうかい? 困ったなぁ……」
困るのはこっちだよ。どう反応したらいいんだ俺は。
というかそこまでされたら俺ただの居候てかニートですやん。お返しがでかすぎる。
あくまで俺達がここに滞在しているのは形上そうなってしまっただけだ。旅の目的は別にある。
その目的を突き止めない限り、拠点にするならともかく本腰を据えるわけにはいかない。まだまだそんな段階ではないのだから。
「あらあら? お兄さんここに住むのかえ?」
と、そこにおばあさんがまたお盆を片手にやってくると、興味有り気に俺を見てくる。
「今誘ったけど断られちゃったよ。勧誘って難しいね」
「それは残念だったわねぇ。はい、お待ちどうさま」
「ありがとう」
「あ、どうも……」
アスカさんがくそでか溜息を吐きながら首を振ると、おばあさんは微笑ましそうにしながら机に皿を二つ置いた。
皿には注文した団子が乗っており、串に三個ずつ刺され味付けも三種類あるようだ。目で見ても楽しめるようになっているらしい。
「っ! うみゃ……!?」
「だろう? これがいいんだこれが」
甘いタレ付きの団子を一つ頬張ると、一瞬身体が硬直した。そして口に広がる甘味に舌筒を打ち、頬が落ちそうな幸福感が身体を支配する。
な、成程……これは確かに旨い。旨すぎる……!
口の中で溶けた餅とタレがよく混ざって満遍なく甘みが広がって……噛むと同時にするすると喉に流れ込んでいく。
まさに至高! 上品な味! 今まで俺は何故この味を知らなかったんだろう。
アスカさんが贔屓にするのも頷ける。
「私のお爺さんの代から続く味……満足してもらえたみたいねぇ?」
「はい。本当に美味しいです」
「うふふ、良かった。アスカちゃんが連れてきた子なら皆大歓迎よ。きっとお兄さんもこの村が好きになるわ。ゆっくりしていって頂戴ねぇ」
「はい」
そう言うとおばあさんは退がり、再び奥へと戻ってしまった。
この団子だけでもう村のこと好きになりましたわ。歴史が為せる味恐るべし。
今度セシリィも連れてこよう。きっと気に入るはずだ。
「そういえば、話は変わるんだけどカリンと初めて会った時に泣いたんだって?」
「あ、聞いてたんですか。実はそーなんですよ」
残りの団子に手を出して気が抜けていると、不意にアスカさんが思い出したように話題を切り出した。
俺も話しておかないとと思ったまますっかり忘れていたが、この話題はそれなりに気になる点が残っている事項だ。
「カリンさんを見た時、とても他人に思えなかったんですよねー」
「他人に思えなかった、か……」
当時のことを可能な限り思い出しながら、口を空にして思ったことを俺はアスカさんに伝える。
「……んっく。会えたことが嬉しかった……のは間違いないです。初めて会ったはずなのに……。でもそれ以上に、申し訳なさがどうしようもなく込み上げてきて、どうしても耐えられなくて」
「後悔、みたいなものかい?」
「後悔だけじゃなくて、変かもしれないけど全部です。嬉しさ、悲しさ、怒り……色んなものがせめぎあって、その中で一番後悔の気持ちが強かった……って言う方が正しいのかもしれません」
あの一瞬で感じるには多すぎる情報量と感情量。それらは俺の処理能力を上回って一気に押し寄せて潰してきた。
それは冷静になれている今になっても判断や解釈に困る程だ。理解しようとしてできるものではない気さえしてくる。
「あの時、自制が利かなくなる直前……俺の脳裏には誰かが確かによぎった」
「誰か? その人に心当たりは?」
「分かりません。でも女性だったと思います。俺は顔も名前も分からないその人を呼びながら手を伸ばして……そこで映像が途切れちゃって」
「……」
「あとはカリンさんから聞いた通りのことしか話せませんよ。それ以降は今日に至るまで特に何もありませんでしたし、何か思い出したりもなかったです」
「そうか……」
俺が話せることの全てを話し、これらの話をアスカさんがどう捉えるか俺は待つ。
自分の中でぼんやりと幾つかこの原因に当たりはつけているが、アスカさんの意見も参考にしたいところだ。
俺が二人に関係がないとは思えない。
それが、今この時という可能性に限らないのであればな。
「ただの憶測なんだけどさ、君が未来から来たのかもって話がアイズさんからあっただろ? だからもしかしたらさ、未来でも僕らは関わりが深かったのかもしれないなって」
「やっぱりそう思いますよね、普通」
まぁ、そんな気はしてた。
方法はともかく、未来から過去に戻ってやることと言ったら何かの改変だろうか?
そのために俺は時を遡ってきた?
「君の容姿はここらの人と近いから、まさか僕らの村の子孫だったりしたら凄いな~なんて」
「何でもありですねそれだと。全然実感はないですけど」
「ハハ、違いない」
だって記憶ないんですし。
記憶もないのに過去に戻ってどないせーっちゅーねん。意図が分からんよな。
しかも――。
「俺が記憶がないのは意図的ってオルディスからは聞いてます。でもそれだとわざわざ過去に来た意味が分からなくなるんですよね」
「例の神獣か」
「だってそうでしょ? アスカさんもし過去に戻れたら一体何をどうします?」
「うーん……戻れるなら過去の自分にもっと修業しろって言う、かなぁ……?」
「うっ……。ま、まぁ内容はともかく、何かを変えるために動きますよね」
「そうだね」
過去に戻るという行為は何かを変える目的であると考えるのが自然だ。
理由はなんだっていい。嫌なことをなかったことにしたい。間違いがなかったように修正したい。様々である。
ただ、どれも共通しているのは、本来あった事実に対して有り得ない介入をするという点に尽きる。
何もしなければ同じ結末を辿るだけで意味がない。ただ繰り返すことになるだけだ。
というかアスカさんクソ真面目か。どんだけ自分を追い込むつもりだよ。
修行僧でももう少し煩悩持つわ。
「何かを変えるつもりなら、その変えたいという記憶を失っているのはご法度だ。でも、俺が記憶を失ったのは意図的だと言う。……それなら俺は一体何をしにきたんでしょう? 戻ってくる意味……ありますかね?」
「それを僕に聞かれてもなぁ……」
アスカさんが困惑する姿を見て、俺は聞いておきながら同意しかなかった。
今の俺の気持ちを代弁しているようなものだったからだ。当事者である俺ですら戸惑うのだから無理もない。
「オルディス達は俺の行く末を既に知っている。だから俺が変な真似をしないように行く先を提示して、道を逸れそうになったら助言して……。それでも彼らにとっての間違いを俺が犯してしまうことはあるから、それを君主は必死に修正してくれてる」
「それを聞くと、神獣達は何かが変わってしまうことを恐れているようにも思えるな」
「……と言うと?」
ここで、アスカさんの指摘がやけに耳に残った気がした。
気が付けば俺はすぐに聞き返していた。
「例えばさ、もし今の君が本当に未来から来たのだとしたら、今僕が生きているこの時間を過ごした上でここにいるってわけだろ?」
「そう……ですね」
まぁ簡単に言えば人生二週目みたいなものか?
アドバンテージとしてはチートクラスの状況ですね、うん。
記憶がもしあったらそれを活かしてやりたい放題ですわ。最善の結果を掴むために奔走してるに違いない。これまでも。
「当時も未来から来たとかそんな意識があったのかは分からないけど、どっちにしろ君はその当時の経験を経た上で存在しているんじゃないのかい?」
「っ――!?」
「そうだとしたら……元々の、本来在るべき行動や結果を残さないと今の君は生まれない。過去が未来があるから残っているなら、未来だって過去が在って初めて生まれるだろ?」
「あ……」
まさに目から鱗だった。お茶を飲んでいて開いた口がそのまま塞がらない。
この考えが本当なら前提そのものが覆る。
だとしたら、俺の今の立場って相当マズくないか?
実際どういうことになるのかは不明にしても、何をするにしても本来と違うことをすれば最早アウトじゃないか!?
俺の人格形成や能力に関わる部分は勿論、歴史を変えてしまったりした時なんか目も当てられない。取り返しがつかなくなってしまうわけで……。
そうか……オルディスの言ってた君主が全力で対応してくれていることってのは、俺の存在の維持……! 『流れ』に反することで発生する不条理の内容はそういう……!?
多分俺はもう小さな、些細な部分は在るべき形から逸れているんだ。だからオルディスは俺の気持ちのままに進めって言ったのか……! それが本来在るべき形に最も近くなると思って。
その方が俺の行動も把握しやすいし、なにより制御もしやすい。
だって俺は基本的に単純だからな。難しく考えて動けるような頭はしていないし、記憶を失う前の俺もそう考えたのだろう。
あの時言ってた意味が今ならよく分かる。あの時は未来から来たとは思ってすらいなかったからな……。
「そう仮定すると、未来の記憶を保持しておくのは只の枷でしかない。本来と違う結果を招く最大の要因になり得るだろうからね。特にフリード君の場合は運命を捻じ曲げるだけの力があるわけだから。容易に変わってしまうことが予想される」
「……」
「神獣達が君の行く末を知っているなら何かを変えることは勿論できるのだろうけど、逆を言えば何も変えずにすることもできるってことだ。だから、君が過去に戻ってきたのはもしかすると特に理由がなかったりする……のかもしれない」
「っ!?」
なん、だと……!?
「何かを変えるためじゃなく、過去に戻って来ること自体、君の意思とは関係のない必然だったのかもしれないって考え方もできるんじゃないかなって思ったんだ。結局戻ってきた理由がハッキリしてない以上はね」
驚きの連続に思考が塗り替えられていく。これまで溜め込み、まとめ上げた考えの羅列が一掃されて頭の何処かへと追いやられる。
ただ戻ってきただけならそうだろうな……。
何もしちゃいけないのが正しいだなんて、想像もしなかったわ。
記憶を失った上で、何かを成さなければならないと思い込んでた。
「フリード君? お、おい……大丈夫かい?」
隣でアスカさんが俺の顔を覗きこみ、肩に触れた。
気が付けばいつの間にか視界が下がっていることに気が付き、我に返ったように顔を俺は上げた。
「……えぇ。今までの俺はなにをしてたんだって思っちゃって……」
「僕なんかの考えで戸惑わせちゃったらゴメンよ。そんなつもりはなかったから冗談半分に聞いてくれたらよかったんだけど……」
そうもいかんだろうに。それにしちゃ妙にリアリティある説明だったぞ。
俺はアスカさんに力のない苦笑で返すことしか出来なかった。それだけ自分の中で納得してしまっていたためだ。
完全に盲点だった。何かを変えるものだと固執していたら出てこなかった考えだ。
何も変える必要がないという可能性。それなら未来の記憶を保持したままであるのは確かに余計な枷でしかなくなる。
良いことも悪いことも全て受け入れて未来の俺がいるわけで、もし悪いことを全て排除しようものなら結果は大きく変わってしまう。この俺という存在は生まれない可能性が濃厚となってしまう。
……今一度、考えた方を見直した方がいいなこれは。
早めにフォンに会いに向かった方がいいかもしれない。
「結論を出すには憶測の域を出ませんが、妙に納得できた気がします。多分、次会えるのはフォンでしょうし、この考えを切り出してみます。ちゃんとした返答がもらえるかは分かりませんけど、試してみる価値はあると思うんで」
「そう? ならちゃんとした真実が分かるといいね。そのためなら幾らでも相談に乗るから……いつでも言ってくれ」
「ありがとうございます。心強いです」
アスカさんは自信なさ気に、だが力になってくれると申し出てくれた。
それが俺にとっては非常に頼もしく、本心から感謝を述べたくなる程に。アスカさんを兄貴分のように見たくなってしまう衝動に駆られていた。
「それにしてもさらっと神獣に会いに行くって言うなぁ君。普通は会えるようなものじゃないと思うけど」
「まぁまぁ、それは放っておいてくださいよ。そこは俺! なんで」
「なんだよそれ。でも納得だ」
少し緊張していた空気を二人で壊し、止めていた団子に再び手を伸ばした。
その間特にこれ以上会話することはなく、存分に今を堪能したのだった。
「ふぅ……」
やがて口の中の後味も引けてきた頃になり、俺は思い切ってまるで違う話題を振ることにした。
今の話を聞いた手前でどうかとも思うが、これで彼らが介入してこないのであれば押し通すつもりだった。
これは俺にとって必要な、奴への対抗手段の一つになると考えて。
「アスカさん、さっきと話変わるんですけど……一つお願い聞いてもらえませんか?」
「ん?」
残った茶を啜るアスカさんが俺の方を向く。
そこで畏まった様子の俺に若干目を丸くしたようだったが、俺は構わずに口を開いた。
「アスカさんが使う『気』についてなんですけど」
「お? 急だね。それがどうしたんだい? なんでも聞いてくれよ」
「俺もそれを学びたい。一から教えてもらえないですか?」
膝に手を置き、俺は頭を下げてお願いした。
恐らく『気』の最高の使い手であるアスカさんへと。絶華と冥華の二大流派を振るう、この上ない適任である人へ。
否定の力による自己強化は有限だ。いずれ俺の元からはなくなり使えなくなってしまう。
その点、『気』による自己強化は永続に使うことができる。
誰かから借りた力でもなければ授かったものでもない。俺が学んでモノにすることで何度でも使うことができる。
力を不自由なく使えるようになる。それこそが本当の自分自身の力と呼ぶべきものなのだ。
奴との再戦は必ず訪れる。来たるべき時に、必ずだ。
俺はそれを宿命のように確信している。
肝心のその時になってもいつまでも誰かの力に頼るだけでいては駄目だ。奴なら対策してくるだろうし、そもそも俺が戦ったのは奴本体ではないのだから。
俺も……自分で強くならないと。
「昼前の君の集中を見て、そうなんじゃないかって気はしてたよ。――僕も君が『気』を操る姿は見てみたいし……いいよ。僕の『気』の全てを叩き込もうじゃないか」
特に介入はなかった。
頭上でアスカさんがどんな表情をしているかは見えないが、俺にはニッと笑う姿が容易に想像できた。
『自分の信じた道を失わずに突き進め』
これが俺の進むべき道だ。
別に構わないんだよな? 皆……。




