491話 厳しき教え 出会いを糧に
「ロアノーツさん、知ってるなら教えて欲しい。『英雄』は何か身の内側に化物を飼っていたりしませんか?」
思い切って俺はロアノーツさんに聞く。
今更隠し事をされる心配は杞憂というものだろう。
「化物……? 身の内側ということはつまり、彼の本性という意味か?」
ロアノーツさんが俺の言ったことの意味を難しく考えたのか、少し要領を得ていない様子の返答をする。
本性ね……ある意味その捉え方も考えられる可能性の一つではあるのか。
う~ん、伝えるとなると案外難しいな。二重人格と言われたら完全に否定できるものでもないし、『英雄』である彼が元々備えていた気質であるならそれまでになってしまうわけで……。
客観的に当時の一部始終を語るとすれば有り得ない話ではない。その人の本性を見抜けでもしない限りは分からないことである。
だが、アレに関しては違うと俺は断言できる。
何故なら俺自身も似た状態にあったから。俺の場合は特別抵抗感があったわけではないけれど、自分の意思に反して身体の自由が効かなくなるという点は『英雄』と類似している。
俺のこの考えもまた、あの時は客観的に捉えていたからこそできるものである。
「えっと……本性とかではなく、別の存在が身体の主導権を握ると言いますか……」
「身体の主導権を……? つまり、操られていたのかということか?」
「あ、そうですそうです。ないですかね?」
首を縦に振って正解を伝えると、ロアノーツさんは安堵のような納得した様子を見せる。
俺も似た気持ちで更にその続きを促した。
「……他者を操る力など、これまでに私が知ってきた知識の中にはない、な。唯一、天使がそのような力を持っているという話程度しか知っておらん」
「……」
話題が少し逸れて天使の話となってしまったので、思わずセシリィの方に俺は目を向けてしまった。
するとセシリィが今の発言を否定したがるのを我慢し、顔を若干強張らせていた。
どうやら話をややこしくさせないためか口にして否定するつもりはないらしい。だがれっきとした偽りの情報に対し不満は抑えられても気分は良くないのは当たり前で、その気持ちは十分に分かる。
「『白面』なら或いは……そのような術を知っているやもしれぬが――フッ、勘違いするな? 天使にそのような力があるとは思っていないさ」
「え?」
お? その理由は如何に……?
セシリィの些細な変化にロアノーツさんが勘付いたのか、自分の言葉を訂正してセシリィに安心が与えられた。
当の本人は勿論のこと、これには俺も驚きを隠せない。
「未だに提唱を続ける者がいることは事実だが、天使にそのような力がないことはとうに知っている。これまでの事例のいくつかで、腑に落ちない疑わしい報告を見てきたからな。無理矢理こじつけたとしか思えんものも中にはあった」
「っ……ロアノーツさん、貴方もしかして……!」
「そのような力があれば我々など相手ではないはずだからな……。本当に、馬鹿馬鹿しい限りだ」
弱々しくあるものの、溜息をつきたくなる仕草で心情を語るロアノーツさんを見て、俺とセシリィの中でこの人に対する印象がここで更に変わった。
突然降って湧いたこれでもかという豪運に、俺は思わず薄笑いを浮かべてしまいそうになる始末だった。
不幸も突然降りかかるもんだけど、幸運にも同じことが言えるんだよなぁ……今みたいに。
……それとこの御方やっぱり鋭いわ。未来視も込みで。
アイズさん……本当にこの先大丈夫か? 理詰めされてロアノーツさんに泣きながら降参する光景が浮かんでくるんですけど。
マズい情報とか漏らさないよな……? まぁ俺らのことはともかく、あの人が秘密裏に抱えてる研究成果とか。
取り置きしてある成果で暫くの間飯に困らないくらいって言ってたしな……。
「話を戻すが、操られているという可能性は薄いのではないか? エイジ殿には特別な加護がある。自分を害するような術を受け付けはしないはずだが……」
「そうなんですか?」
「もしそれでも可能だとすれば、恐らくエイジ殿の力を上回る程の力を持った者という線しかほぼ考えられまい? ――例えば、其方のような存在などのように」
ロアノーツさんが俺のことを指して言う。
アイズさんの持つ『眼』の発動条件を仮定にした場合、俺と同等以上の力のある存在というだけでほぼ対象は絞り込めてしまう。
つまり、神獣以上の力を持つ存在が関与しているということになるからである。
神獣以上……なんだそりゃ。まさか神だったりしてな……。
まぁその場合は邪神の類の方になるんだろうけど。
あと聞きたいことは――。
「――もう少しだけ聞きます。普段の彼はどんな人物ですか? 最初対峙した時、彼からは強い正義感を感じました。純粋無垢な心も持ってる様にも思いましたが」
「うむ。大方合っている。そして……非常に好奇心旺盛でもある」
好奇心旺盛、か……。
流石にアイズさん程ってことはないだろうけど、彼自身が自ら何かに手を出した、或いは出してしまった線もあるのか……。
人を疑うことを知らなさそうな子どもである印象のこともある。誰かに唆されての行動もワンチャンあるなこりゃ。
「その際急に別人に豹変してしまうような話を聞いたりしたことは?」
「ないな。至って温厚そのものだ。常日頃から明るい笑顔を振りまいていると聞く」
「では彼の能力は? 剣技を含め、空間を斬り裂いたり、未知のおぞましい黒い波動を操ったりは?」
「……なんだそれは。そんな話は聞いたことがない、な……。特別強力な固有の力は持っているが……」
「ここからなら見えてたかもしれませんが、さっき彼は大規模な結界を展開しました。あの黒い鎖で覆うような結界です……。あれのことはご存知ですか?」
「なに……!? アレは『英雄』が……!?」
「ええ。その様子だと知らなさそうですね……」
立て続けに質問を重ねていくと、最後はロアノーツさんは信じられないような顔で驚くのだった。
オルディスより聞いた彼らよりも高次元に位置するという創造主。そのような存在がいるなら神がいても不思議じゃない。
当時はむしろその創造主が神なのではとも思ったが、それはオルディスの口からハッキリと否定されてしまっている。
だが実際にそれに近しいと思しき奴がいるわけで、そんな奴が何故認知もされずにこの次元に野放しにされてるんだ? それが一番よく俺には分からない。
俺がこれだけ神獣達にマークされてるのにな……。
この時、俺はこのことがおかしいと思うよりも何故かマズイと感じていた。
大した差もなければ大した理由でもない。……だが、どこか引っかかるような違和感である。
そう、まるで認知されないみたいな? 上手く言えんけど。
「色々参考になりました。ありがとうございます」
「なに、ただの事実を言ったまでのことだ」
何か進んだ訳ではないものの、抱えていた疑問の幾つかは解消され次の疑問へと変わった。
しかしここではこれ以上のものはもう得られないだろう。
姿形がどうであれ、『英雄』の意思と関係なしにあの化物が好き勝手をまた働くというなら見て見ぬフリはできない。それだけ奴は危険な存在だ。
どんな意味かは大方予想できるとして、『器』には適さないと言って見限っていた様子だから『英雄』に執着するということはもうないと思いたいが、用心しておくことに越したことはない。
だからこのことは俺もロアノーツさんに言っておくべきだ。
「ロアノーツさん。事実という点を踏まえ、俺からも貴方に……いや、軍にお伝えさせてもらっても?」
「……それは?」
忠告という形でな。
正体が掴めていない以上、俺にはそうとしか言えない。
「もし今後『英雄』の身に何か変化があったりするようであれば、それは多分『英雄』自身じゃない。その時は何があっても絶対に敵対しないことを忠告しておきます」
「どういうことだ……?」
「アレは誰にも止められない。始めからそうであるように生まれたような存在ですから」
「待て、意味が分からないぞ」
意味が分からなくて当然だ。存在から意味が分からない化物なのだから。
ロアノーツさんが俺に落ち着けと言っているような気がしたが、それ以上に説明のしようがなかった。
「俺にも分からないことが多過ぎて説明できるものじゃないんです。ただ、奴は滅びたわけじゃない。またどこかで必ず、何かしらの形を伴って現れるはずだ。その時に敵対しないだけで構いません」
「突然そのようなことを言われてもな……」
「奴に貴方の命を無意味に奪われないための忠告です」
「……」
「……忠告はしましたよ」
ロアノーツさんが眉を曲げ、恐らく思考を張らせているのだろう。小難しく困惑した顔をしている。
不安を募らせるだけの意味深な台詞に思われていそうだが、俺は言ってからそう思わせておくのも悪くはないのかなと思っていた。
というのも、要は『英雄』の動向を気にしてもらえればそれでいいのだ。変化に気付ければ命を拾うし、気づけなければ命を捨てる。これはそういう話だ。
あくまで奴に対する対処法であって対抗策ではない。
「――アスカさん。行きましょう。ここでやることはもう済んだ」
「え? ああ……」
さて、そろそろ頃合いだな。
これ以上はロアノーツさんにも無理をさせてしまう。
アスカさんに言葉を掛け、出立を呼びかける。
やることもなくここに長居しても危険なだけだ。少しでもセルベルティアから距離を離し、東に向けて俺らは進まなければならない。
あまり人の目に付くのもよくないため、道中は街や村で宿を取らずに野営を張ると事前にアスカさんとも話してある。そのポイントを確保するための時間も必要になるので、時間はあればあるほど良いし、無駄にはできない。
「『剣聖』さんの方はお願いします。俺はセシリィ抱えるんで」
「了解だ」
そう言って俺はセシリィの手を取ると、身体を手繰り寄せつついつも通り持ち上げた。
自分で言うのもなんだが慣れたものだ。抱えられるセシリィも抵抗感を感じないくらいには馴染んでいるし、咄嗟の順応も早い。
「悪いカリン、辛かったら言ってくれな?」
「はい。少し厄介にならせてもらいます」
一応アスカさんの身体の調子を確認してみたが、会話を聞いている限り問題なさそうだった。疲労は残っているが動きに支障が出る程ではないといったところのようだ。
たださぁ、というかなんでお二人は経験少なさそうなのにそんなに様になってるんですか? ガチの王子様とお姫様やんけ。
二人の絵柄はまさに物語に出てくるようなヒーローとヒロイン。
今や物語は終盤の盛り上がりを終え、紳士の高らかな笑いと淑女のうっとりとした眼差しで締め括られようとしているかのようだ。
「案内は任せてくれ」
「あ、ハイ」
二人の存在が織りなす雰囲気を目の当たりにし、俺は無意識に邪魔すまいとモブになりきっていたらしい。自分でも非常に他人事のような返事が出てしまっていた。
ぐぬぬ……これがリア充補正ってやつか。なんでもそつなくこなせちゃうけど何か? みたいなのを感じる。
それでいてちっとも鼻につかないからこっちはぐうの音もでないし、要はアレだな。
く、悔しい……グスングスン状態ですわ。……グスン。
「……」
東の方角を眺め、地平の終わりに目を凝らす。
ここから東の地まではそれなりに距離もあり、歩きでは十数日は掛かる予定だ。アスカさんの脚力を考えれば日程の半分くらいは短縮できるが、セシリィだけならまだしも今回は『剣聖』さんもいる。
身体の弱った人に無理強いできるわけがないので、そこまで急ぐに急げない事情がある。
だからこそ、早め早めの行動が重要となる。
「お騒がせしてすみませんでした。本当は然るべき場所に連れて行きたいんですが……」
「いや、構わぬ。この程度の消耗など、命を失くすのと比べれば安いからな」
この場所に残していくことになってしまうロアノーツさんに向かって謝罪すると、首を振って応じてくれた。
「今の私を連れてとなると、それだけで大ごとになりかねん。其方達にも被害が及ぶ上、街の混乱が加速する危険性も軽視できぬ。私はここで暫く休むとするさ」
「すみません。確かに……そうですね」
実際、ロアノーツさんを俺達が街に搬送したところで大ごとになるのは目に見えている。
ここの軍のトップがこんな状態になっていたら、連れてきた俺達への尋問がまず発生するはずだ。
ロアノーツさんの口添えがあれば穏便に済みそうではあるものの、無駄に関わり合いがあったことを知られるのは得策ではない。
「有事に備えて部下には既に指示を飛ばしてある。騒ぎの大元が絶った以上、混乱が長引くことはあるまい。――それよりも、事の顛末を私は見届けるとしよう。今別の予兆が視えた……まだ終わりではないらしい。恐らく原因は『白面』であろうな……」
俺の心配を予期してかロアノーツさんが別の話に注意を逸らす。
例の予知能力で何か視えたらしく、それもアイズさん絡みということで俺も話が逸れることに抵抗はなかった。
「まだ終わりじゃないってどういうことですか?」
「詳細は分からん。しかし奴め……一体何をするつもりだ? よもやこの騒ぎに乗じてまた実験を始めるつもりじゃあるまいな」
ロアノーツさんが重い溜息を吐き、参ったように手で顔を覆った。
幾度となく繰り返されてきたであろう光景が目に浮かび、その都度この人が苦労してきたのが伝わってくるようだ。
アイズさんと同じ職場とかストレス凄そうだしな。
それにしてもここで否定を断言できないのがまた……。アイズさんならやりかねないんだよなぁ……。
こういう騒ぎとか混乱ってあの人大好きそうだし、言ってしまえばこんな滅多にないような展開を利用しない理由もないわけだし。
いち早く察知できるロアノーツさんの予知能力めちゃ便利だなー。
「その心配は要らないよ。彼は彼にできることをやってくれるだけだと思う」
ロアノーツさんと一緒にアイズさんの暗躍を脳裏に浮かべていると、そこへアスカさんが口を挟んだ。
「アスカさん何か知ってるんですか?」
「僕も詳しく知ってるわけじゃない。だけど、今回の件がどう転ぼうが事態の収拾には動くことことになるって本人から聞いてたんだ。多分、ロアノーツさんには今それが視えたんじゃないかな」
そんなこと言ってたの? あの人。
いやまぁ、多分それが実験も兼ねてるとかそんなとこだろうとは思うが。
「案ずる必要はなさそうか?」
「個人的に言わせてもらうなら多分。貴方の方が彼のことは熟知してるだろうから、後はそちらの判断に任せるよ」
「……ならば安堵させてもらおう」
アスカさんと短いやり取りを経て、ロアノーツさんが今度は落ち着くような溜息を見せる。
この二人も戦いを通してかなり通ずるものがあったみたいだ。妙な信頼というか絆というか、会話の節々にそういうものを感じる。
なんにせよ、騒ぎの収集に動いてくれているのなら好都合。後はアイズさんの好きにさせるとしよう。
「――アスカ、と言ったな? 東には手を出さぬよう取り計らっておく。其方達の生活を脅かす真似は極力控えよう」
「え?」
もうこの場を去る間際、ロアノーツさんがアスカさんを呼び止めそう言った。
突然の申し出であり、また願ってもないことであったためだろう。アスカさんが目を丸くして驚く様子を見せており、『剣聖』さんも同様の反応だった。
「此度の件、私にも思う部分があったのは事実だ。立場を理由に行動に出れなかった自分への戒めと同時に、其方らへのせめてもの償いとさせてくれ」
「そりゃ僕らには願ってもない申し出だけど、難しいことじゃないのかい? 軍の立場とか色々……」
「押し通すしかあるまい。いや押し通すしかないのだ。一度は義に背いた身、今度は己の信念を貫くまでだ。命を救われた恩を仇で返すことはできん」
アスカさんの戸惑いにそう返すロアノーツさんであったが、その目には後悔の念と共に揺るぎない決意が秘められている様に思えた。
今度は自分の意思を捻じ曲げない。意固地になっている子どものような、そんな固い決意を。
「其方は世間体という枷を脱ぎ捨て、自分の意思を貫いた。軍の立場と世間体の枷を脱ぎ捨てられず、自分の意思を貫けなかった私を……其方は確固たる意思の元に下したのだ」
「そんな大それたことじゃ――」
「いいや、其方は私が心の底で望んで止まなかった在り方を示してくれた。その純粋な在り方に礼を言わせてくれ。おかげで目が覚めた――感謝する」
謙虚なアスカさんの否定も否定し、ロアノーツさんは自らの過ちを吐き出して謝辞で締め括った。
これには俺も同意見である。なりふり構わず全世界を敵に回しても構わないから出た行動なのは事実であり、アスカさんが見せた在り方というのは自分の意思を貫き通すということことのなにものでもない。
全てを捨ててでも大切な人を助けたい、守りたい。それは純粋かつ簡単な気持ちだが、突き詰めると奥深く、求めると険しい道のりを伴うもの。
アスカさん、アンタは名実ともに真の男や。アニキと呼ばせてくだせぇ。
「『剣聖』よ、貴女には申し訳ないことをした。それもこの先の人生の狂うことを……。謝罪で済まされるものではないことは重々承知しているつもりだ」
「いいえ、済んだことです。私の未熟さ故に虚ろう時世の流れに翻弄されただけのことです。今こうしてお互いに解放されたというなら、良い巡り合わせに救われたのでしょう。それで良いではありませんか」
「……慈愛、とはよく言ったものだ。そう言って頂けると救われる……。内密に、いずれ賠償と謝礼もさせていただく。――どうかご慈愛を」
「はい」
ロアノーツさんの罪を許して流し、むしろお互いにとって良い結果となったと話す『剣聖』さん。
この寛大かつ寛容な心の広さと深さは一体どこからくるというのか。俺なら受けた仕打ちに対しての文句の一つでも言っているに違いない。
だからこそ、これはまさに『慈愛の剣聖』の名に恥じぬ在り方としか思えない。この全てを包んでくれそうな振る舞いは今後も様々な形で誰かを救っていくのだろう。
『剣聖』さん、貴女は紛れもなく女神や。毎日拝ませてくだされ。
「そしてお嬢さん」
「は、はい……!?」
「あの時は驚かせて済まなかったな。私が急に現れてさぞ怖かっただろう?」
自分に声が掛かるとは思わなかったのか、セシリィがおっかなびっくりに返事をする。
緊張しているのか身体を萎縮し、自然体ではないのが密着しているため分かった。
そんなセシリィに、ロアノーツさんは少しだけ言葉の圧を弱めながら言うのだった。
「この時代故に私に対して恨みもあろう。だが、それでも軍で可能な限りのことはしていくつもりだ。そのような者もいると、どうか気に留めておいて欲しい」
「それは、大丈夫です……。だって、アイズさんも私のこと助けてくれたし、皆が皆怖い人じゃないって知ってるので」
「そうか……」
セシリィからそう言われたことに気が緩んだのか、ロアノーツさんは目を閉じた。
誰だって自分の意思が伝わらないせいで人から恐れられたくはない。聞いたロアノーツさんの方にも勇気が必要だったのかもしれない。嫌われないための勇気が。
「あの、ロアノーツさんやアイズさんみたいな人は……どれくらいいるんですか?」
「さてな……このようなことは自ら聞いたことがあるわけではないからな。しかし、かなり少数であるのは間違いないだろう」
「そう、ですか……」
セシリィはがっかりしたように顔に陰りを作ると押し黙ってしまう。淡い期待も虚しく散ってしまったようなものだから当然だ。
しかしこれはロアノーツさんの立場で堂々と聞き回れる内容ではないので無理もない。
「お嬢さんにとって今の世は生きることが厳しい状況だ。だから今の私から言えることは一つ、早く周りを欺く術を身に着けることだ。振る舞いや精神も同様にな」
励ましの意味で前向きにロアノーツさんはセシリィへと語った。
それは今後のセシリィを思ってのことであり、生きるための方法だった。
「天使とさえ悟られなければ多少は人の輪に紛れ込めるはずだ。なんせ翼を隠せば見た目は人族と大差もないのだから。肝心なのは本人がどれだけ周りにそれを悟られないようにするか、だ」
「はい」
「だから特にその力はあまり公に使うのは控えるのだぞ? 気付く者は気付くような力……それが法術だ。彼がいる内は問題なさそうだが、気をつけるといい。何処で誰が目を光らせているか分からないからな」
「分かりました」
俺もそこそこに注意はしているつもりだけど、まだガキの俺が言っても説得力に欠けるからな……。危機感も伝わらんし。
こうして立派な大人が言ってくれた方が説得力にも期待ができるってもんだ。有難い。
「それとこれは私の持論だが……優しさを与えるのに見返りを求めては駄目だ。人は危機に陥った時、本能で自分の保身に走る生き物だ。時に与えた優しさは暴力として降りかかり、逆に喰い殺される結果を生むだろう」
「……」
「もしもあの時小さな子どもを助けたようにこのままお嬢さんが優しく在りたいと願うなら、君はその優しさを与えて耐えられるだけの術も身に付けねばならん。厳しいことを言うようだが、君が置かれている立場とはそんなものなのだよ」
「……はい」
「済まない……。お嬢さんのような未来ある子に、早々に命を落として欲しくはないのだ。だからあくまでも気に留めてくれるだけで構わない。それだけでも大分違うはずだ」
キツイ現実と生きるための術。現実味を持たせるために厳しい言い方になってしまうのは否めない。
セシリィがその重圧に苦しむ姿は望んでいないが、かと言ってその重圧を知らせないままでいるわけにもいかない。
ロアノーツさんも心苦しそうでいるのが分かった。
「気を付けます。――あの、善意で言ってくれてるの分かってるので、私のことはあまり気にしないで平気です」
「……強いな……。お嬢さんならきっと両立できるさ」
「はい。困っている人がいたら助けたいですから。お兄ちゃんがそうしてくれたように、私もそうなれるようにしたい。そのために必要なことなら頑張ります……!」
「……その意気だ」
セシリィは頷くとロアノーツさんを逆に気遣い微笑んだ。恐らく、内心ではとても不安を感じているはずなのにだ。
その意思を感じ取ってロアノーツさんも心配を見せるのではなく後押ししている辺り、セシリィの言葉を信じることにしたのだと思われる。
「伝えることはこれで全てだ。さあ、早く往け――若き英雄達よ。『白面』同様に後始末は任された」
「お元気で。機会があればまた会いましょう――!」
発とうと思ってから随分と話し込んでしまったが、遂に終わりはやってきた。
ロアノーツさんのその言葉を最後に、俺とアスカさんは駆けだした。
逃げるように、進むように。或いは、そのどちらも連れて。草原を東に向かって突き進み、広大な街の外へと一目散に。
隣で並走するアスカさんと抱えられた『剣聖』さんを見てから、走りながら俺は背後を一瞬だけ振り返った。遠ざかっていく街を背景に、アスカさんとロアノーツさんの姿が浮かび上がるのを想像して。
良い人達はちゃんとここにもいた。
天使が世を忍んで暮らしている様に、俺と同じ感性を持った人達もまた世を忍んで暮らしている。それが例え、軍の関係者であってもだ。恐らくどこにでもいる可能性はあるのだ。
きっと一期一会の出会いだったとは思う。だけど、セルベルティアでのこの出会いを俺は忘れない。
同じ感覚を共有し、同じ目的を果たすために協力し合える人がいたということは、俺の大事な記憶であり今後の大事なきっかけとなる。セシリィにも良い影響を与えられたはずだ。
だから心の中でアイズさんとロアノーツさんに最後言わせてもらおう。
ありがとう。また、いつかどこかで――!
※10/14追記
更新遅くなりすみません。
次回更新は来週を予定してます。




