489話 ブレない心
遅くなり申した。
「……ぁ……」
薄く開いた瞼から、視線だけ泳がせて周囲を窺うロアノーツさん。
その仕草からも、衰弱した様子が伺えた。
「大丈夫ですか? まだ起き上がらない方がいいですよ」
「き、君は……?」
気まずい空気の流れはタイミングの良いことに第三者によって変えられた。
寝ていた男性……ロアノーツさんが消え入りそうな声を産声のように絞り出したのだ。全員の意識がそちらへと反射的に向くのは道理だった。
「そのまま楽にしてください。死ぬ寸前だったんですから」
「くっ……! そう、させてもらおう……」
アスカさん同様に身体を起こそうとしたようだが、衰弱した身体が言う事を聞かなかったのか、この人は諦めたように身体を起こすのを止めるのだった。
命の気配は先程よりも僅かに活性したが、本来なら即医者行きの危険域であるのは変わらない。起きたばかりでは状況の把握だけで今は手一杯だろう。それすらも億劫に感じているはずだ。
――だが、どうせ起きたのなら最低限の確認くらいはさせてもらうぞ。
また意識を落としてしまえばもう会話する時間も取れないだろうし、起き上がってくれたからこそあの時の正体が今ようやく分かったところだしな。
この人だったのか……。
「やっぱりだ。この前俺らを攻撃してきたのは貴方ですね?」
「フッ……気づいていた、か」
俺の問いに対しロアノーツさんが口元を僅かに緩ませ、吐露交じりに笑った。
「今気づいただけですけどね。確かにあの時感じた命の気配と一緒のものを感じる。……そこらの人とはわけが違う」
例え気配が微かになっても、その人となりを伝える部分は健在だ。
あの夜、襲撃された時の感覚が薄っすらと蘇っていく。
アスカさん……こんな人と戦って勝ったのか。つくづくぶっ飛んでんなぁ。
「あの距離で、私の気配を感じ取っていたか……! 恐るべき察知能力――いや、ほぼ正確に反撃されたのだから今更、か」
まぁあの時初撃外してますけどね。言わんけども。
「なんだ、もう二人は関わり合っていたのか」
「そうみたいです。まさかこんな形で謎が解けるとは思いませんでしたが……」
アスカさんと互いに納得し合い、すとんと腑に落ちる感覚を共有する。
もしかしたらという考えはあったが、アイズさんの情報よりも遥かに高い能力を発揮していた為に、この人であるという可能性を切り捨ててしまっていた。
もしあの時にルゥリアの声が掛かってなかったら、その日が俺とこの人の初対面になったはずだ。あの声がなければ『羽針』の二投目を投げて捕えていた自信がある。
恐らくその二投目は当たっていたことだろう。多分。
「……」
「何か視えてるのかい? もし視えてるならどうだ? 僕の言ってたことは本当だろう……?」
「ああ……これは驚いたな。あの時は距離が離れすぎていて漠然としていたが……間近で視るとよく分かるとも」
アスカさんは横からロアノーツさんの顔を覗くとやや得意気に語った。その言葉にゆっくりと頷いたロアノーツさんは、一度アスカさんに視線を移してから俺へと戻すのだった。
「最早これ以上視る必要もない。戦えば赤子同然に一撃で滅ぶ未来しか視えぬとはな……。一体何者だ其方は……」
俺を見つめるその眼が視ている光景は一体どんな未来だというのか。
アイズさんともセシリィとも違う、別の視る力か……。
「さぁ? それを知るためにも旅を続けてる浮浪者ですよ。それ以上でも以下でもなく」
「そう、か……」
なんにせよ、自分の状態も含めて敵意を持たれているということはなさそうだ。
まぁそれまでのアスカさんの対応と落ち着き様からそんなことは分かっていたことだけども。
「それで、どうするつもりだ……? 私を、ここで殺すか……?」
「……いや、別にどうもしませんよ。貴方に害意がないのはとある筋から伝わってるので、こちらはこれ以上の手段に出る真似はしません」
なんですぐにそういう話になるんかねぇ?
簡単に殺す殺さないを持ち出すんじゃないよ全く。そんな簡単に「あ、殺すわ」ができるわけないだろ。
抵抗する意味がないことを知り諦めがついたのか。不意にロアノーツさんが物騒なことを言い出したので俺はすぐに否定した。
俺の感性がおかしいのか知らないが、どうにも周りの人らの命に対する価値観が低いような気がしてならない。それに、自分の命に対しても。
武人だからこそ武士道精神や騎士道精神を合わせ持ち、故にそのような発想に至るというのであれば俺がとやかく言えることはない。俺は自分が武人とは思っていないし、それならば住む世界が違ったというだけの話と一考できる。
ただもう少し、殺伐とした考えを抑えて欲しいとは思う。俺が本当に一般的な思考ができていたというのなら。
「それは……『白面』経由か?」
とある筋というものがどういうことなのか、一番その線が高い人物をロアノーツさんは指摘する。
「いや、もっと別の存在です」
「別の……?」
だが残念ながら違っていた。それも当然だろう。
誰も想像なんてできるはずがない。
「信じる信じないは勝手です。この世界の均衡を保つ役割を持った内の一体……神獣経由ですよ」
「「「っ!?」」」
「……?」
俺が神獣という存在を口にすると、突然全員が目を見開いて驚きを露わにした。
一人、セシリィだけは知らなさそうに首を傾げていたものの、他の三人は反応から神獣というモノがどういうものか知っているようだった。
「神獣だって!? 童話や伝承に出てくる!?」
「知ってるんですか?」
「そりゃ知ってるさ。大抵の人は子どもの時に童話や古の伝承の読み聞かせで一度は耳にする機会があるからね。僕らも小さい頃大人達に話を聞かせられたことがあるくらいだ」
「へぇ、そうなんですか……」
アスカさんが早口で俺に説明し、一見冷静そうでいて興奮を隠せしきれない様子を見せていた。
俺は神獣というものの存在が一応は世間に知られていたのが意外で、どこまで信仰があるかはともかく廃れた認知ではないことに驚かされてしまった。
ぶっちゃけ神獣なんぞ知らんって一蹴されると思ってたし。
「伝聞は多少脚色は違えど、そのどれもが類似性を持ち各地で伝わっているんだ。超常たる力を持って世界を導く存在としてね」
「最も有名なのは、海を創りこの世界に恵みをもたらしたとされる……海神の化身の伝承、だな。この街にも、童話向けに脚色のなされた書物が置いてある」
アスカさんの話にロアノーツさんが補足を加え、神獣達がどのように捉えられているのかが語られる。
その説明には俺も大方納得でき、特に問いただすような部分はなかった。
世界の均衡を保つために世に介入したことは過去に何度かあったようだし、それを偶然目撃した人が後世に伝えたってところかね。
実際には海を創ったのはオルディスではなかったはずだが、時が経てば話の内容に多少の変化があっても不思議じゃないし、オルディス達も自らの存在を大きく主張したい考えを持っているわけじゃない。人がどうこう言おうがそもそも関係のないことか。
それよりもオル君や。良かったね、四体の中で一番有名みたいだぞ。
お前がナンバーワンや。
「一人はついこの前に海の底で実際に会って話をしたんです。まぁそいつオルディスって言うんですけどね。まさか一番有名だったとは思いませんでしたよ」
「海? ――あ、じゃあその時いなかったのって……?」
俺が意外な事実に感嘆していると、そこでセシリィがハッとして俺を見た。
まぁここまで言えばあの日の詳細はおおよそ察しちゃうよな。
「ああ。オルディスから色々話を聞いてたんだ。俺のことも含め、彼らのこと、この世界のことも……。現実味なくて言い訳にしか聞こえないし、それにちょっと言いにくいことだから黙ってた……悪い」
「いや、そんなこと……。お兄ちゃんが謝る必要ないよ……」
あの時俺が突然いなくなった理由が明かされ、セシリィが困惑したような態度で俺に瞳を向けてくる。
いきなりこんなこと言われても反応に困るって話だよな。セシリィは理解力が高いから尚更だろう。
「どうやら俺は神獣達とそれなりに関わりがあるらしい。だから今後彼らに会うことで、俺の失った記憶も徐々に取り戻せるかもしれない。多分、この先もセシリィには苦労掛けると思うけど、最初に約束したことを蔑ろにするつもりはないから、そのついでと思っててくれると助かる」
この旅路に徐々に目的が肉付けされていったとしても、旅の始まりでありきっかけでもある最初のセシリィとの約束が根底にあるのは変わらない。
セシリィを守り、天使の生き残りを探す。そしてこの世界のふざけた意思を解明し、ひたすらに諍ってみせること。このことだけは。
だからこの神獣関連のことについては本当についで程度の話なのだ。俺は自分の記憶よりもセシリィを守っていくことの方が大事なのだから。優先順位を履き違えるつもりはない。
取りあえず作戦が終わった後にセシリィには色々と打ち明けるつもりだったから、こうして今切り出せたのは丁度良かったとは思っていたりする。
――ただ、それでも天使に纏わることだけはまだ言えない。こっちはあまりにも残酷すぎるから。
もう少し……もう少しだけあの娘の傷ついた心が癒えるまで……それまでの間は黙っていたい。
俺のこの勝手な判断こそが残酷と言われるかもしれないが、それでも……。
「まぁ詳しいことは置いておくとして、神獣のお墨付きをもらってる貴方を信用しない道理が俺にはないんです。伝えてくれたのはオルディスじゃなかったけど、これが貴方にもう何もしない理由です。……まだ何か問題でも?」
「随分と、突拍子もないことになってきたな……! これは、随分な過大評価をもらったものだ」
俺が本心を悟られぬようにしてセシリィに背中を向けていると、ロアノーツさんが受け入れる情報量が多過ぎて困り果てた様子だった。別の意味で昇天しかけている。
目を瞑りながらも口元に軽く笑みを浮かべ、若干満足気に話す姿はどこか気恥ずかしさを訴えているようでもある。
「過大だなんて、そうは思いませんけどね。命がけでアスカさんが戦って、その末に助けたいと思った命だ。誇って良いことだと思いますよ。それに、貴方の人となりはもうその時点で大体察せますから」
「……そう、か……」
俺だって何もオルディスやルゥリア達だけを信用しているわけじゃない。最初と違って俺には自分以外にも信用できる人達がいるし、出来たんだ。
「アイズさん風に言うなら、俺はこの信じるっていう自分のこの勘を信じますよ」
ここにいる人達を見回し、俺はそう締めくくった。改めて見て見ると、自分に迷いがないことが一層分かって安心する。
そうさせてくれるだけの人材と俺は関わることができたのだ。だからその信じた人らが言うことを俺は信じたい。その繋がりを大切にし、その輪を広げることができれば、この先訪れる困難にだって負けることはない。
俺を信じてくれる人達のことを、俺も信じる。ただそれだけのことだ。
だってそれが仲間というものなのだから。




