486話 暗躍
「……」
寝転んだ姿勢のまま取りあえず『空中庭園』を縮小し、無駄な浪費を抑える。
下を向くと城を覆っていた結界が完全に解かれているようであった。黒い鎖は元の金色の輝きを取り戻すとバラバラに砕け散り、その粒子を地上へ降り注いでいた。
下から見る景色はさぞ幻想的な光景だろう。しかし、その光景を悠長に見ている人は極わずかであることも分かる。
目を凝らせば豆粒大の人達が集合していたり動き回ったりしており、忙しなさが伝わってくるのが分かったからだ。
「……良かった。ギリ無事っぽいな」
中庭のある部分を観察し、安堵の息を俺はついた。
『英雄』との攻防中、俺は対峙するのがやっとだった。とても『英雄』の攻撃を逸らしたりする余裕がなかったため、城の外に飛び火した攻撃が被害を拡大させていないか心配だったがそれはどうにかなったらしい。
特に『断空剣』と言っていた斬撃に関しては気が気ではなかった。中庭から城壁の区間を斬り伏せた広範囲に及ぶ一撃。これがもし城の外まで全てを両断されていたらと思うとゾッとする。軽く死人の一人や二人は平気で出ると思っていたのだ。
その心配がなかったのは不幸中の幸いである。
街が大混乱であることに変わりはないものの、最悪の事態に発展するにまでは至っていなさそうである。
それでも暫く騒ぎは続きそうだけどな。
「ふー……っ……!」
身体中に走る痛みに少し身体が馴染んできたのか、ぼんやりと身体の火照りが一定に保たれる。それでも痛いものは痛く、堪えながらゆっくりと立ち上がった。
多分皆は集合場所で待ってる……。急ごう。
まだ頭と心の整理はついていない。それでも、ここで止まっているわけにもいかない。
強風を無理矢理掻き分け、俺は街の東へ『羽兵』と共に駆けて行った。
◇◇◇
「ハッ……ハッ……! ハハハ……! おおっとと!?」
歓喜と驚き入り混じる声が木霊する。荒い息遣いは歓喜を抑えきれぬ拍子からくるもののようであり、辛さを微塵も感じさせない。
「いやー大収穫でしたねぇ! 軍の機密のバーゲンセールじゃないですか。良いタダ買いさせてもらっちゃいましたよ……!」
崩れた瓦礫を越え、濡れた地面に足を滑らせながらもその歩みが止まることはない。
軍が兵士を総動員して騒ぎに当たる中、アイズは静かな地下道を一人ひた走っていた。両手には執務室を一通り漁った戦利品を抱え、一目散に自分の地下の隠れ家へと。
「年間予算、戦力統計、人員配置に各支部の魔導具開発記録の集計! まさか新型パイルの設計図も手に入るとは! ただ、降誕儀式の概要……! これに関してだけは許容できませんよ全く……!」
喜びたい一心を叫べれば良かっただろう。しかし、アイズの声は徐々にトーンが落ちていく。
「まさかこんなものが実証され、本当に成し得ていたなんて……! これが公になれば取り返しがつかなくなる。軍の上層は本当に何を考えてるんですか……!?」
アイズの持つ紙資料の一つが大きくくしゃりと歪む。貴重なはずの資料が破けそうになるのはアイズならばご法度であるが、そんな行為をしていることにすら今気づいていなかった。
「――これは……!?」
そこで、急にアイズが歩みを止めて天井を見上げた。
「……フリードさん、まさか苦戦しているんですか……?」
驚愕した声でアイズが発した。
アイズの現在位置は城の中庭からは遠く離れた位置にまで来ている。戦闘音も聞こえる訳がなく、周りに何か大きな変化があったわけでもない。
それでも何故アイズがフリードの現状に気づいたかと言えば、フリードに変装用に渡していた仮面に施されていた仕掛けによるものである。
一見ただの仮面に見える構造であるが、その機構はアイズの製作した魔導具そのものなのだ。微弱なマナを検知して送信する機能を備え、受信機構を備えた魔導具へと伝達する。主な役割はそれだけだが、それ故に役目を失うことのないように頑丈に造られていたはずだった。
「(仮面を外した!? ですがわざわざそんな真似するわけが……!? だとすれば破壊された……?)」
その反応が今、急に途絶えたのだ。正体を隠すことに重点を置いていたはずの作戦である以上、フリードがわざわざ仮面を外す可能性は低い。
更に、どれだけ頑丈に造ってあるかはアイズが一番よく知るところである。
そして最も可能性の高い線を辿るなら、逆にそれがアイズの驚きを加速させるのだった。
「(嘘でしょう……!? ロアノーツさんは確かにアスカさんを追って行った……であれば一体誰が……。あの人が苦戦する程の人がいるわけ……!)」
仮面を破壊できる人物は限られる。
そもそもフリードが仮面の破壊を許す程手間取る事態が想像できないのだ。理由は至極簡単で、フリードよりも強い力を持った人物など見たことがないからである。
「……仕方ありません。残念ですけど、第二プランしか無理ですねぇ。折角頂いたものを失うのは惜しいですが、経費と思えば安い、か……」
逡巡した後、意を決したようにアイズが再び足取りの軽さを取り戻した。
やがて自宅に辿り着くと戦利品を無造作に放り投げ、部屋の壁際に立てかけてあった幾つかの丸めた紙面をアイズは手に取る。そのまま疲れを残したまますぐさま家を飛び出すと、一目散にまた地下道へと走り込んでいくのだった。
「(あーあ。楽できると思ったのになぁ……。ま、フリードさんもアスカさんも激戦必至となった以上、私も誠意を見せねば……。良いデータが取れるので我慢しますか)」
表面上はそう思っていても、仮面の裏側で作る真剣な瞳が全てを語る。それは誰かに対してではない、自分自身が最も分かっていることだった。
「(フリードさんの顔が街中に知られる前にやらないといけませんねぇ。今回の実験に自前のマナはそこまで必要ない。誰もいないですし……騙すは我が身――!)」
アイズは地下の水路を飛び越えて対岸に渡ると、ポケットに手を差し込んで髑髏のラベルの張られた薬液の入った瓶を取り出た。栓を抜いて一気に口に流し込むと、アイズは両目にマナを集めて集中する。
練られたマナは解放されるとアイズの頭部に流れ、身体にとある感覚の変化をもたらした。
「(このまま一気に設置を進めます! 街からの人の流出を一刻も早く止めねば……!)」
その恩恵を得たことで、アイズの移動速度が飛躍的に上がる。人から獣の如く、アイズの身体能力からは考えられない劇的変化が訪れたのだ。
虚弱に自信を誇っていたアイズが今、セルベルティアの熟練兵と見間違える程の別人と化していた。
「っ……想像以上にキツイですねぇ……!」
アイズが使った『眼』の力は物事の認識を誤認させる能力であった。対象は自分自身。
自分の身体が発する危険信号を錯覚させ、まだ許容限界ではないと錯覚させたのだ。それが驚異的な身体能力の上昇を生み、普段ではあり得ない力の発揮を可能としていた。
しかし当然普段から訓練もせずに使っている以上、身体は悲鳴を上げる。痛みも感じる他、心肺機能もまるで追いつくはずもない。
そこで併用して飲んだのが今の髑髏ラベルの薬液である。こちらは即効性かつ痛覚を鈍らせる効能を持っており、肉体酷使による苦痛を幾分か緩和することができる。
アイズも過去に行った実験において何度か自ら使用した機会があったが、その時はここまで無茶を重ねるようなことはなかった。
「こりゃ……っ……明日から長期休暇、ですねぇ……! 心臓飛び出る……うぷっ……!?」
現に、薬を併用しているにも関わらずアイズ激痛に苛まれ始めていた。しかしそれ以上に辛いのは呼吸の方であった。呼吸の荒さは更に加速し、大量の発汗と眩暈が同時にアイズを襲う。更には吐き気を催し、呼吸のリズムさえ刻むのがままならなくなる始末だった。
それでもアイズは行く。
始めからこの策を第二プランとして考えていた時点で、既に身を焼く覚悟はできているのだ。下準備として前日まで動き回っていたのも全てこのためであり、何が何でも自分の役割は遂行するつもりであった。
既に皆に別れは告げてあるが、この作戦が続いている間は本当の別れではない。流石に約束を反故にする程情を持っていないわけではないのだ。
「(この歴史を知るのは、我々だけで良い――!)」
残るは最後の仕上げのみ。過去類を見ない大規模実験、その最後の留め具が外された。




