484話 セルベルティアの英傑⑦
「忠告だ。まだ動けるんなら諦めろ。もう動けないならそのまま寝とけ。魔法も使えるとなりゃお前に勝ちの目はねぇぞ」
「っ……!」
もがき暴れようとする頭を力で捻じ伏せ、抑え込む。
あの馬鹿力の発揮ぶりから抵抗の心配はあったものの、動きの鈍りと共に力も弱まっているようだ。片手でも十分に抑えつけることができている。
「っ!?」
「『影縫い』」
身動きが取れないためか、別の手段を講じたらしい。
黒い波動が霧状に姿を変え、針のように俺に向かって伸びてきた。
すぐさま『転移』で俺は距離を取ると、対する向こうも数にモノを言わせて針の本数を増やしたようだ。一斉に荒波が押し寄せるが如く前方が黒い針で覆い尽くされる。
この『技』……知ってる。影に入ったら面倒なやつだ。
「『アトモスブラスト』!」
姿こそ若干違うが、そこに込められた悪質な性質を俺は肌で感じ取った。まずは針が身体に直撃することを避けるため、衝撃波を起こして大部分の針を吹き飛ばす。
しかし、全て跳ね除けられたわけではない。遅れて飛来し針は衝撃波を逃れてまだ生きていた。そして俺本体にではなく、俺の足元に矛先を曲げて影を突き刺していたようだ。
その瞬間、俺は自分の身体に起こった変化を知った。
予想通りか……!
身体が思うように動かない。動こうとしても、重りを付けられたように身体が重く、あるいは引っ張られるような感覚に囚われていた。
原因は言わずもがな、この俺の影を突き刺しているこの針だろう。俺が動こうとすると、逃すまいと杭のような機能を果たしているようだ。
「っ……!」
不意に、脳裏をある光景が駆け抜けていった。
今の俺と同じくらい重症な火傷と手傷を負った俺自身と、その他大勢。遥か地上よりも高い場所で、影を駆使して対峙する誰かと戦っていた。
この攻撃への対処法は――!
「『フラッシュアウト』!」
手を下から上に振り上げ、掻き消すイメージを持って魔力を走らせる。指先から広がる光が強烈に発光し、俺らを光で包んで影すらも跡を残さずに白く染め上げた。
身体が軽くなったのを合図に目を閉じたまま俺は奴の頭上に跳躍すると、目に光の刺激がなくなり次第目を開く。
俺の元いた場所には無数の針が刺さっているが、俺の影はもう囚われていなかった。
『影縫い』は対象者が地面に接している間のみ効力が働くのだ。そのためこちらが空中にいる限り作用しない。
そして、一度囚われた影は光属性の魔法で掻き消して分離させることができる。無理矢理抜け出すこともできるが、光属性が使えるなら積極的に狙わない理由はない。
「『空時雨』!」
頭上にいる俺に『英雄』が気が付き、また黒球を作り出して差し向けた。
さっき同様に迎撃してもいいのだがそれだと相手に有効打は与えられない。直接触れて直に攻撃を叩き込むか、高威力のスキル技でもぶつけないとまともにダメージは通らないのはもう分かっている。
ならばここは回避で隙を突き、直接攻撃を叩き込むのが得策という考えに俺は至った。
「『羽兵』展開――!」
『皇帝』により付き従う『羽兵』を操り、ここら一帯の空中に張り付くように散りばめる。俺はその一つを片足で蹴り出して黒球を躱すと、追って来る黒球を次の『羽兵』を足場にまた同様の動きで躱しながら移動を繰り返した。
俺だけが立体機動可能な状況を作り、全方位を隈なく高速で飛び回り翻弄すると、次第に黒球も追いつけなくなってきたようだ。攻撃の切れ目が生まれ、『英雄』に接近する機会がやってきた。
ここだ――『縮地』!
その切れ目に向かって、俺は『縮地』を使って飛び込んだ。
後ろで風を切る音が聞こえてくるが、それは飛来してきた黒球によるものだ。進路を阻もうとしているようだが俺の通過した後の影を捉えるのが精々のようだ。しかし、その影も俺が地に足をつけていない以上は何も縛ることはできない。
この力は否定する力だけが全てじゃない。こうして俺の補助、俺にはできないやり方での空中戦闘をも可能にしてくれる。
「もらった――」
距離の詰まっていく『英雄』に向かって手を伸ばし、鳩尾に目の焦点を当てる。
このままいけばその腹に一発叩き込んでやれるはずだ。そこから更に追撃を重ね、今度は戦闘不能にまで持っていく算段を俺は頭に巡らせた。
「終ワリダ……!」
そこで……奴の足元の影から、鋭い突起が生えて俺の一面にスパイクのように待ち構えた。いや、この場合はきてしまったというべきか。
更には俺の後方には黒球が迫り、頭上には隠していたのか別の黒球がひしめいて逃げ場を防いでいたのだ。
どうやら俺が想像したように『英雄』にも思惑があったらしい。
翻弄してたつもりが実は誘い込まれてたってことか? その愚かとでも言いたげな言い方……さぞしてやったりとか思ってそうだな。
「『亜空開門』!」
「……」
ハッ、ここまでやってまだ追い打ちかけてくんのかよ。マジで容赦ねぇわ。
でもそこまでの容赦のなさはぶっちゃけ嫌いじゃないけどな。
ここまででも十分に俺を捉えるには事足りていたとは思う。だが用心に用心を重ね、逃げ場を更に圧縮して猶予をなくしてくるやり方には敬意すら感じる。
圧倒的強者として、正しい在り方の一つだと思えたのだ。
だが言ったはずだ。お前が俺に追いつくことはもうないと。
このたった一言が、今の現状を全て変えてくれる。
乗り越えてやるよ、その全てを……!
「『転移』」
「ナニッ――!?」
スパイクよりも前、俺の目と鼻先に出来た空間の亀裂に触れてしまう寸前。その裏側へと『転移』して障害を乗り越え、止まらずに俺は突き進んだ。
『縮地』は足場がないと成立しない移動方法だ。そう考えると今の俺の空中に作った足場から足場へと移動する方法とは相性が悪い。
すぐに方向転換できない上に、待ち伏せするような戦法を取られたら止まることもできないからだ。まさに今のように。
だがそこで俺が欠点補うために使うのがこの『転移』だ。
『転移』を使うのに大した縛りは存在しない。先程までの魔法封じのような例外を除いて邪魔する手立ては特にないのだ。
あるとすれば消費魔力が大きいということくらいなものである。だがそれも俺の魔力量なら気にしすぎるようなものでもない。
そんじゃ、歯ぁ食いしばれや……!
辺りに散りばめていた足場である『羽兵』を一旦呼び寄せ、もう一度一から再展開する。
今度は俺と『英雄』を取り囲む形でだ。半径3mもない狭い空間である。
「グホァッ!?」
「まずは一発――!」
『転移』と『縮地』による高速変則戦闘。これが俺の戦い方だ……!
「『転移』」
「ア゛ッ……!?」
「『転移』」
「グウ゛ゥウウッ!?」
「『転移』――」
まだだ……全部繋げる!
苦しんでる暇なんか与えてやらねぇ。
『縮地』からの『転移』による二段階の瞬間移動は大きく『英雄』の目を掻い潜った。鳩尾を狙った突きが吸い込まれるように深く突き刺さり、腹を陥没させる。
一発まともに入れた瞬間、『英雄』の姿勢がグラついて隙だらけとなったチャンスを見逃す手はない。今度は俺が奴を逃さないように、その場に押し留める勢いで全方位から打撃を加えに回った。
反撃も思考も再生も、何もかもここで打ち止めだ! 今度こそ押し切れ!
打撃を加えて『英雄』が吹き飛ぶよりも前に次の攻撃を当て、それを繰り返した。
身体が仰け反れば背中から蹴り返し、蹈鞴を踏みそうになれば殴り飛ばして押し戻す。片膝を付こうものなら無理矢理蹴り上げ、地を離れようものなら肘鉄を脳天に叩き込んだ。
秒間に何度『転移』と『縮地』を繰り返したのか分からない。それだけの連打を『英雄』に叩き込んでいた。
気が付けば直立したままの姿勢を維持した『英雄』の全身から血と黒い波動が巻き散らされ、周囲の『羽兵』達があられもなく汚されている。血生臭い匂いがどんどんと溜まっていった。
「ッ――!?」
「……」
既に『英雄』は吐き出す空気がなくなるまでに肺が空っぽになったのだろう。胃液も出し切り、声すら出せなくなっているようだ。思えば途中から声を聞いていなかった気もする。
最早俺が蹴り上げていないと立ち上がっていることすら出来ない様子らしく、それもそのはずで足の骨はどちらとも砕けて力が入らなくなっているようだ。
そろそろ頃合いか。――なら終いだ。
この攻撃の連打を終わらせ、『英雄』の身体が倒れるのを一旦見届ける。
足の骨が砕けているためか奇妙な崩れ方だった。『英雄』が一応仰向けになって倒れ込んだのを確認し、俺はそこへ間髪入れずに鳩尾に足を押し付けて顔を覗きこむ。
「ォ゛ッ……ァ゛ッ……!?」
「妙な真似はするな。これで『縮地』も使えねぇだろうし詰みだろ……!」
瀕死かつ無抵抗を強制させた上で、容赦なく『バインドクロス』による雁字搦めの拘束を施し、その影の帯を『羽針』をアンカー代わりに撃ち込むことで抜けないように補強する。
王手として右手の『翼剣』を喉元に突きつけ、左手には槍の長さに引き延ばした『羽針』を構えて伝えると、意思が伝わったのか一切の動きが止まったようだ。
どのみち両足潰してあるから動くに動けねぇだろうけどな。
「はぁ……はぁ……っつぅ……!」
『英雄』をここまで追い込んだことによる安心か、それとも単なる疲れがきっかけなのか。途端に呼吸が荒くなり、肺が酸素を求めて暴れ出す。
それと、全身を揺るがすような激痛もだ。思わず目を瞑ってしまう程であり、不本意ながら抑えつけた足に全体重を預けてしまう。
流石に、この傷でこんな負担掛ける動きは無茶しすぎたか……!
身体も怠い。こっちは魔力の消費もあるが、なにより身体の負担による部分が大きかったかね……? 血、大分失ったもんなぁ……。
地面でもいいから早く横になりたい。
自分の状態がこれまでにない域で危険な状態にあるのは考えるまでもない。
攻勢に出れたことで意識の外に出ていた身体の危険信号が、意識した途端に戻ってきたようだ。どこから処置を施せばいいのか分からないくらいの危険信号の数々が身体中に警鐘を鳴らしていた。
「君には悪いことしたよ……。後で治すから、もう少し我慢してくれ」
しかし、休むのはまだだ。
本音を言えば、治して欲しいのは自分の身体の方だった。それでも、俺は本音を隠して瀕死の『英雄』に向かってそう言わざるを得なかった。
気になっていた謎を、無力化できたことでようやく聞くことができる。とても話を聞けるような状態でもなければ状況でもなかったが、今この瞬間であれば。
『英雄』は恐らく……一番の被害者だ。
「……さっさと、出てきたらどうだ……? まだ、中にいるんだろ……? 気配で分かんぞ……!」
だから俺は呼びかけた。『英雄』以外の存在のことを。
直接『英雄』に触れ、また殺意を向けられることで分かった。今の『英雄』の中には、何かがいる。別の誰かが。
色々と思い当たる節はあった。変貌する直前の『英雄』の独白に、その後の見た目や言動。これは変貌というよりかは、まるで誰かの人格に乗っ取られたという方がしっくりくる。
実体を持たない存在が乗っ取りを果たしたというなら、意識のない『英雄』の身体を動かしていたことにもある程度の納得がいく。
異能で他者を一時的に操る力が存在する以上否定することは出来ない。
今の『英雄』は、『英雄』であって『英雄』じゃない。
『英雄』の身に一体何があったのか、過去に原因があるのか、これが心の隙を付け込まれたことで起こった悲劇なのかは知らない。だが、あれだけの存在から逃れるのが難しいことも事実だろう。
もしかしたら目を付けられた時点で回避不能だったのかもしれないし、或いは『英雄』が故意に触れてしまったのかもしれない。
憶測はいくらでも出来てしまうのでここらで切り上げるとして、俺の思うことはただ一つだ。
この先、こんな存在をこのまま知らずに見過ごせるわけがない。
滅ぼせるのならここで滅ぼすべきだ。
一体、お前は誰だ……?
「想定外、カ……。コノ器モ、オ前モ……」
「っ!?」
「ヨモヤココマデトハ……」
緊張が走った。
これまでと違って抑揚のある話し方には意思を感じるし、人が普段話すものとも遜色ないように感じた。
一見会話の成り立つ知性を感じさせるものであったが、とんだ冗談もいいところだった。
身体を縛る強制力、思考を鈍らせる存在感、神経を擦り減らす絶望感。まとめてぶつかるこれらの情報が会話を拒否しているように俺を分からせにきていた。
「そうか……お前が『英雄』を操ってたんだな?」
「如何ニモ」
『英雄』の身体から分離した黒い波動が霧散し、霧となって集合する。すると色濃い球状になって俺の目の前で蠢きながら浮かび上がった。
その中心からギョロリと二つの目が現れ、俺を見つめていた。




