483話 セルベルティアの英傑⑥
「(ぁ……)」
時の流れが遅く感じた。身体に満ちていた闘志が冷めたみたいに消え、もぬけの殻になったかのようだった。
少しずつ、俺の身体の重心がズレていく。一緒に『英雄』の攻撃が俺に向けてゆっくりと近づいてきている。
刀身に宿った黒い波動は相も変わらずドス黒い。抑えきれぬ憎しみがはち切れそうになっているのが炎のように滾り、捌け口である獲物を求めているみたいだ。
その獲物は勿論、俺だ。こんな無防備を晒す俺はさぞ格好の獲物なことだろう。
誤算だった。まさか大した脅威に思っていなかった『英雄』が、こうまで変貌を遂げるとは。
力が足りなかった……。完全に油断していた俺の慢心が招いた結果だ。
「(あれ食らったら……流石に致命傷だな)」
押し出され生まれた剣圧が黒い一閃の十字の刃となり、俺の胸に向かって向かい始めていた。俺はその様子を見つめながら自分の結末を淡々と想像し、敗北する光景を脳裏に浮かべていた。
『それでいいの?』
「(っ!?)」
敗北ムード一色だった俺の脳内に、不意に悲し気な声が届いた気がした。
知っているようで知らない筈の声。第一印象としては乏しく、そこまで特徴ある声でもないのに、何故か胸が締め付けられるように痛かった。
声の人物に心当たりはないが……でもこの痛みのことは知っている。
だってこれは、俺が最も避けたいと願っていたものだから。
何がなんでもこうはならないで欲しい。自分ではない誰かに向けた願い。この台詞だけは吐いて欲しくないと。俺の根幹に関わる大切な何かだ。
――馬鹿か俺は。
こういうギリギリな状況に活路を見出してこそ、ようやくその先にあるモンを掴めるんだろうが……!
ただ未来を歩むだけじゃ何も掴めない。死力を振り絞って進んでこそ、そこにある未来が本物だろ!
根性見せろ!
こんなところでやられてる場合じゃねぇぞ俺――!
「『見斬り』!」
「ナニッ!?」
ハッと目を見開くと、いつの間にか身体の自由が利くことに気が付いた。
もぬけの殻だった身体に意識と力が復活して宿り、その瞬間から時の流れが元に戻って滑らかになったのが分かる。
自分の状況を把握し終えると、『英雄』の放った攻撃を俺は見事にすり抜けて回避していたようだ。状況は既に危機を脱していた。
「ど、どういうことだ……?」
変貌してから『英雄』が初めて感情を露わにした台詞を聞けたことに少し驚きはあったが、俺自身も自分のことで驚く気持ちが強い。
何故なら、今の攻撃を俺は躱せないと諦めていたのだから。
自分がいつ『見斬り』を使ったのかも、もっと言えば使おうと思ったのかも覚えていない。完全に記憶がなく、無意識にやったのは確かなのだがどうにも実感がなかった。
なんだこの違和感は……。
今のは一体……?
「『薄連突き』」
「くぬっ!?」
自分自身の行動に疑問は残ったままだ。だが深く考え込んでいる時間はなかった。
状況は依然として危険なまま。すぐに疑問のことなど吹き飛んで今は忘れてしまい、戦闘に全神経を集中させる。
俺が回避した直後に『縮地』を使っていたのだろう。一瞬目を離した『英雄』は俺の知る元の場所から姿を消していた。そして頭上から二刀を垂直に構えた状態で急に影を落としながら現れると、俺の両肩を狙って振り下ろしてくる。
「っ!? マジかよ……!?」
身体に働く慣性を寸での所で反転させ、バク宙で回避できたまでは良かった。だがここで思わぬトラブルに見舞われてしまった。
『英雄』の剣が掠ってでもいたのか、装着している仮面から外が殆ど見えなくなっていたのだ。
恐らく仮面が歪んでいたのだろう。慌てて仮面に手を当てて視界を取り戻そうとしてみたが無駄で、何度片目を合わせても両目が上手く嚙み合わない。
ただでさえ見づらい外の光景がより遮断され、視界の確保に余計な意識を削がれて動揺が走る。
本当なら仮面などもう捨て去ってやりたいところなのだが、この仮面は少し特殊で取り外しが容易ではなかったりする。
外すのに魔力操作込みでちょっとした手順があるのだ。何故こんな面倒な仕様なのかと言ったら、無論それはアイズさん仕様のものだからである。
こればっかりはアイズさんを呪いたい。というか呪う。
「『衣返シ』」
「つっ!」
急所だけは避けるべく『翼剣』を咄嗟に盾代わりにして時間を稼ごうと試みるも、即興かつ身の入らぬ策でやり過ごせるはずもない。それを許すまいと『英雄』の放つスキル技が俺の邪魔をし、まるで腕が引かれるように無理矢理ガードを突き崩されてしまう。
補助系スキルか!? こんなものまで……!?
「くっそ……!?」
俺が退けられた『翼剣』の自由を取り戻そうとすると、それを察した『英雄』の突きによって無理矢理抑えつけられてしまった。更にはもう片方の剣で横殴りに叩きつけられ、思い切り右腕が伸び切って筋に痛みが走る。
『英雄』がどんどん俺の動きと思考を吸収し、先読みしているとしか思えなかった。
だからこうしてまた、同じ展開を迎えようとしている。デジャビュのように、場面を変えて『英雄』が俺に技を繰り出そうとしているこの光景が。
俺が何をしようとしても無意味なのではないか?
どうせ先読みされるだけなのではないか?
全て……筒抜けなのではないのか?
色んな懸念が雑念として脳内を掻き毟る。
実際軽くお手上げ状態である。魔法が使えるならまだしも、肉弾戦だけではあちらに完全に軍配が上がっていた。
じゃあここで諦めるのか? ――愚問だ。もう同じ轍は踏まない。
さっきと今じゃ何もかもが違う! 何より気の持ちようが……!
来い! 受けてやるよその攻撃! 全身全霊で耐えてやる!
『英雄』の構えた剣が四重に重なって揺らぎ始めた。
遅くなったと錯覚しそうだが実際は逆だ。早すぎて残像が遅く見せかけているのだ。
「『四連刹』」
「っ、『鉄身硬』!」
その残像を残した剣が、今一度に集約して放たれた。
目にも止まらぬ速さで繰り出された刺突は見てから反応したのではとても間に合いそうもない。重力をものともせず突き進み、空間を喰らいながら四つの軌跡が俺に迫る。
俺は防御する姿勢を捨て、ただ全力で身体の正面を『鉄身硬』で強化して待つだけだ。
必ず反撃の機会はやってくる。そのためにも、ここは耐えきるんだ――!
「っ!? ぐぅううあ゛っ!?」
金属同士が強烈にぶつかったような音を立て、刺突が俺の身体へと到達した。
額に、喉に、胸に、腹部に。全力で張った『鉄身硬』を押し潰して刺突という名の打突が全身を押し込み、狙われた箇所が悲鳴を上げて想像を超えた鈍痛を即座に訴えた。
「ハッ……ぁ゛っ……!? ぅっ――ガハッ!?」
蹈鞴を踏んで仰け反った身体の姿勢を元に戻すと、喉にせり上がってきたものが口から思い切り飛び出して足元に巻き散った。
……俺の血反吐だ。今の一瞬で臓物の一つでも破裂したのかもしれない。骨も何本か折れてひび割れているのだと思う。
全力の『鉄身硬』で防いでここまでなのかよ……!?
身体中の内側を鈍器で思い切り殴られてるみてぇだ……! 熱い……!
頭が痛い。呼吸ができない。胃液が今にも迫り上げて来そうな程気持ち悪い。とにかく……身体がどうしようもなく苦しかった。
半開きの視界が塞がりそうだったが、そこで俺はあることに気が付いた。
「……?」
視界が随分と広がっているのだ。こんなにも広かったかと思う程に。
そうか……今ので、仮面が割れたのか……。
そこでようやく俺はその理由に気が付くに至った。まさに不幸中の幸いである。
確かにこれだけエグイ威力なのだ。アイズさん特製の仮面でも直撃すれば耐えられないのは不思議じゃない。
逆に、だからこそ額の骨は砕かれなかったのかもな……。死ぬほど痛いけども。
仮面によって目潰しされたが、お守りとして汚名を返上してくれたようだ。冗談抜きで命を拾ったと心から思う。
でも呪うけどな。それとこれとは話が別……色々鬱憤もあるし。
「はぁ……はぁ……っ……!」
「……」
耐えきった姿のまま、表情を悟られぬように地面に向けたまま『英雄』をチラ見すると、剣の構えを解いて足を止めていた。
ここだ――! 機はここしかない!
千載一遇のチャンスが最高のタイミングでやってきたと、俺は苦痛の中で確信した。
変貌してから『英雄』が構えを解いて足を止める機会はなかった。これはつまり、今のボロボロの俺への警戒度を下げたということだ。
盛大に血反吐ぶちまけたのも効いてんのかね? 奴が単純な殺戮マシンじゃなくて助かったわ。
悟られるな……一呼吸でも気取られるな。今から反撃の狼煙は上がっている。
奴は俺の思考パターンを把握している。だから把握されて動かれる前に、こっちが先に奴を潰しきる。
既に満身創痍の身であることは重々承知している。当然、先程よりも動きのパフォーマンスは落ちるし、体力も長く保つわけがない。
――だがそれでも行く。やる以外の道はないのだから。
自分の保身なんぞ糞くらえ! 動かないならこの身体に鞭打つまで!
パフォーマンスは落とすんじゃない、無理矢理にでも維持するもの! 体力は気合でどうにか振り絞れ!
死と隣り合わせでつべこべ言ってる場合じゃねぇっ!
舐めんな……!
「ぅ――!」
「っ!?」
リスクは承知の上! その攻撃の波……断ち切らせてもらう!
油断を誘うため膝を崩し掛け、力尽きる素振りを見せた直後、俺は動き出した。足を一歩踏み出し、地面を砕いて前へと身体を押し出す。
まずは『縮地』で『英雄』の懐に潜り込むところからだ。俺の演技に釣られたのか反応が出遅れており、一応は俺を叩き斬ろうと剣を振り上げるも俺の方が一歩早かった。
「『掌底裂衝』!」
「ォッ!?」
技の展開速度を考慮し、『掌底裂衝』を顎の真下から思い切りブチ当てる。
舌を噛んだような声で首を仰け反らせて天を仰ぐ『英雄』の身体から黒い波動の粒が血のように飛び、その衝撃の効果を示していた。
本来直に当てるような技じゃないけど、お前にゃこんくらいで丁度良いだろ?
そのまま少し無防備晒しててくれや!
『雷崩拳』には劣るが十分に狙いは果たせている。
足を着くところのない空中なら『縮地』は使えない。この時点で『英雄』が瞬間移動する心配はなくなったも同然だ。
『英雄』の足がフワッと地面を離れて浮かんだその瞬間、一気に感覚を研ぎ澄ませて記憶の中にある動きを体現する。
「ぐっ……空までぶっ飛べ……! 『鳥爪乱舞』!」
軋む身体が動きを拒んだが、それでも続行した。
両手足に『羽針』を集め、その形を変形させて鋭い爪を見立てて纏う。そして頭上に浮かんで重力に逆らう『英雄』の全身に対し、真下から空に打ち上げる捨て身の勢いで追撃の連打を俺は瞬時に食らわせる。
一発一発に、俺の全力を込めてだ。やられた分やり返してやるという気持ちが理由の大半だった。
連打がごく短い間に何度も重なったことで、打撃音が一度だけしか起こっていないと勘違いする速さ。こちらの接敵を中々許さない相手には極めて効果的である。
『鳥爪乱舞』は全身を使った瞬間火力抜群の技なのだ。一度の接触で複数回の攻撃を叩き込むのに適している上、相手を押し出して吹き飛ばす効果もかなり高い。
案の定、『英雄』の身体が花火のように空へと舞い上がっている。
そこまで打ち上げられたら身動き取れねぇだろ?
「『龍の脚撃』!」
既に城よりも高い位置にまで吹っ飛び、『英雄』が俺から距離を離していく。そこへ踏み込んでから遠心力を右足の全てに乗せて撃ち出した『龍の脚撃』が追随する。
龍を模した力の塊が垂直に重力に逆らいながら空を泳ぎ、牙を剥き出しにした大顎を開いて『英雄』を捉えた。
「っ!?」
手応えアリだ……!
龍の顎に銜えこまれた『英雄』が拘束から逃れるために顎を両手でこじ開けようとするが、伊達に【体術】最上位の技はしていない。
威力、性能共に比類なき力を持つ。空気摩擦で赤熱した龍の迫力は見た目が全てを語っているも同然だ。
成す術もないまま『英雄』の身体はやがてそのまま結界にぶつかると、鈍い音を立てて一度そこで叩きつけられて磔となった。
『龍の脚撃』がその身を潰れさせる勢いで押しやったのだ。半ば結界にめり込ませていたというのが正しいかもしれない。
そして今からその空をこじ開けてやる! この手でな!
「付き従え……『皇帝』! 左翼は武装! 右翼は道を拓け!」
そこまで確認した俺は、即座に無数の『羽兵』達を呼び出して両脇に固める。
それぞれに役割を与えてやると声に応じてくれた『羽兵』達が俺の左腕に纏わりつき、旋風を巻いて空へと続く道を築き上げた。
空に足場がないなら作ればいい。『羽兵』を足場に『縮地』を駆使して一気に空を駆け上がり、まだ身動きのとれぬ『英雄』の前へと勢いよく躍り出る。
「俺に力を――!!!」
助けを請うように俺は叫んだ。それは、この力の本来の持ち主に対してだった。
呼び声に呼応して俺の中で力が膨れ上がり、まるで添えられるかのように手を貸した――。
そしてこの力を凝縮させた左手を『英雄』の腹部に押し当て、爪を突き立てるように服ごと身体を掴む。
「っ!」
左手を通して『英雄』の持つ力が伝わってくるのが分かる。どこまでも禍々しく、触れる全てを裂こうとする刺々しさが。
――やっぱり、変貌の原因はこの黒い波動か……!
だが……この力はあらゆる魔力を否定する! お前を覆う神気もこの波動も、全ては魔力を基に成り立つもの。そこに例外はねぇ!
降りかかる災厄、立ち塞がる壁、その全てを無理矢理跳ね除けるのがこの力の真骨頂だ。
砕け散れ――!
「コレハ――!?」
「『ボルテックス』!」
『英雄』がまた驚いた声を上げていたようだが当然無視して解き放つ。
左手を捻りながら押し込み、肘から噴き出す風を推進力に『英雄』の身体を更に結界へとめり込ませる。始めは微動だにしなかった結界も、亀裂が大きく走ると途端に脆さを浮き彫りにしたらしい。
結界全てがかき回り、世界が回転する。ガラスが弾けた時の音を立ててバラバラになると、その欠片を地上へと巻き散らした。
「この感じ……!」
薄闇に囚われていた空間に陽光が差す――。青空が広がると、身体に自由が戻った感覚がした。
時間で言えばそこまで長くはないはずなのに、凄く久しぶりに思えた。
恐らく封じられていた魔法の制限がなくなったのだろう。もう、何も自分を縛る枷はない。
やっと自由か。なら早速使わせてもらおうか!
気のせいだろうけど心なしか身体が軽い!
「『空中庭園』!」
舞台は更なる上空へ――。
まずは足場を用意し、新たな舞台造りからだ。下に一切の攻撃が届かないよう『羽兵』の絨毯を敷き、広々とした空に大きく展開する。
淵に仕切りこそないがおおよそ先程展開された結界と同規模だ。落下するような事態はそうそうないだろう。空中に出来上がった金色の闘技場が今度は地上を遮った。
加減抜きの全力だ。神気どころかその波動ごと根こそぎ焼き飛ばしてやる!
「『転移』」
「……っ!?」
「『自爆特攻』――!」
『英雄』はまだ上昇を続けている。だがこれ以上空に迫る必要はない。
範囲外に行かれる前に俺は『転移』で『英雄』の背後を取り、『翼剣』を一度解いた。代わりに『英雄』の振り向きざまに向かって右の拳を叩きつけながら大爆発を引き起こし、『空中庭園』に向かって叩きつける。
この力に守られていなければ自爆覚悟の上での爆発。俺単体じゃまともに使えもしない。
「……ぉ……ぁ……!」
「――どこ見てる。俺はこっちだぞ」
服と肌が焼き爛れ、黒煙を燻らせて『英雄』が爆炎を引きずって転がりこむ。
呻くのみで悲鳴の一つさえ上げないようであったが、意識を失ったままでの明らかに異常だった動きが鈍り、攻撃が有効であるのが見て取れた。
既に『転移』で先回りし、のっそりと起き上がり明後日の方向を向く『英雄』の背後から声をかけると、『英雄』の首が機械のようにぐるんとこちらを向いた。
……気味が悪い。こんなにズタボロで身体だけが動いてるとかゾンビか何かかよ。
「ぺっ……! 魔法の有難みが良く分かったよ。今一度教えてくれてありがとよ」
「……キ……サ……ぁ……!」
俺が口に溜まった血を吐き捨てると、『英雄』が白目を剥いて黒い波動を纏い直した。
剣を失った両手には代わりに黒い波動の筋が剣の形を成して出来上がり、足場を得たことで向こうもまた自由を得たのだろう。『縮地』の使用によって俺の眼前に移動し、腕を伸ばした剣の切先が喉元の中心に吸い寄せられた。
これだけ痛めつけてもこの速さ……とんでもない奴だ。
未だに魔法が封じられていたら躱せていたか分からないが――。
「っ……!?」
「――もうお前が俺に追いつくことはない」
また後ろから、俺は『英雄』の頭を鷲掴みし、そのまま足元に向かって叩きつけた。




